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300年後も鐘の音を  作者: 琥珀 のえる
第1部:氷晶の宿と泥だらけの太陽

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19/51

Record: 15 『毒棘の処方箋』

「……案内してあげるわ。ちょうど、熱気を冷ますのに最適な場所を知っているの」


 黄玉トパーズの瞳を持つ自称・薬屋は、不敵な笑みを浮かべたまま霧の奥へと歩き出した。  ノクスは刀の柄から手を離さず、無言でその後を追う。サーヤは、翠の衣の少女を支え、瀕死のドラゴニュートを背負いながら、必死に地面を蹴った。


 辿り着いたのは、街の外れにひっそりと佇む宿屋『氷晶の止まり木』。  扉を開けた瞬間、外の湿った霧とは違う、凛と澄み渡った冷気が一行を包み込んだ。


「……あら。……随分と、……騒がしい熱気が……扉を叩くのね……」


 カウンターの奥で、一人の女性が顔を上げた。喋るたびに白い吐息がこぼれ、その指先はサファイア色のインクで染まっている。店主は、運び込まれた惨状を見ても、眉一つ動かさない。


「……いらっしゃい。……泥だらけの、太陽さん。……奥の部屋を……使って。……汚しても、……構わないわ……。……どうせ……明日には、忘れてしまうのだから……」


 宿の奥、氷のように冷たく清潔な一室。ベッドに横たえられた赤黒い腕の少女からは、いまだに宝石血液の暴走による熱気が立ち上っていた。


「……ヒール・ウーンズ……!」

 

 翠の衣の少女が、祈るように両手をかざす。掌から溢れた清らかな光が、爛れた肉を包み込もうとした、その時。


 ジッ、とドス黒い火花が散った。  光は傷口に吸い込まれることなく、内側からの「熱」に弾かれ、無残に霧散した。


「……やっぱり、……わたしじゃ、……足りない……」    少女の顔から血の気が引く。彼女の未熟な祈りでは、この呪いのような熱を抑え込めない。

 

「無駄よ、聖女様。……それは怪我じゃない。『バグ』だもの」

 

 薬屋が、腰から歪な薬瓶を取り出す。中では紫色の粘液が、まるで生き物のように蠢いていた。


「……それ、は……?」


「猛毒よ。熱を抑えるには、さらに強い毒で『殺す』しかないの。……でも、この子の血管はもうボロボロ。このまま毒を流せば、腕を治す前に心臓が止まるわね」


 薬屋は、絶望に震える少女の瞳を覗き込み、残酷な「天秤」を突きつける。


「そこで貴女の出番よ、翠玉エメラルドの聖女様。……貴女の生命力を、この『毒の緩衝材』として差し出しなさい。……お姫様を救う代わりに、貴女の寿命を数年分、私が買い取ってあげる」


「……っ、そんなの……!」  サーヤが叫ぼうとした時、弱々しい、けれど凛とした声が部屋に響いた。


「……やめて……。……触らないで……。わたくしに、……わたくし、なんかに……」


 意識を取り戻した赤黒い腕の少女が、爛れた腕を隠すように震えていた。かつて誇り高く誰かの手を引いた面影はない。今の彼女は、自分の熱が大切な人を焼き尽くすことを、何よりも恐れていた。


「……わたくしは、……もう……死んでいるのよ……。……逃げなさい……。……こんな、……泥だらけの……化け物と一緒に、いては……」


 部屋を支配する絶望と毒の気配。ノクスは壁際で腕を組み、冷徹にその光景を見守っている。静寂を破ったのは、パチンと、火花が散るような音だった。  サーヤが、薬屋の前に一歩踏み出し、その細い指先で薬瓶を指差した。


「……その薬、どうやって使うんですか。……寿命とか、そういうのはよく分からないけど。……この人が死ぬのも、この子が泣くのも、私の『仕事』には入ってません!」


 サーヤは新調したばかりのポーチから清潔な布を取り出し、迷いのない目で翠色の服の少女を見た。


「……手伝って。君の名前は?」


 少女は、零れそうになる涙を指で拭い、サーヤの真っ直ぐな瞳を、そして隣で苦しむ大切な人を見つめた。彼女は震える唇を開く。


「……っ、……ルルナ、です。……神官見習いの、ルルナ。……なんでも……なんでもします。……あの方を、助けていただけるなら……!」


 その必死な名乗りに、サーヤは力強く頷いた。


「よし、ルルナちゃん。……師匠! 手を貸してください! ……お湯を、一番熱いやつを店主さんから貰ってきて!」


 カウンターにいた彼女が、わずかに目を細める。±0で安定していた彼女の天秤が、泥だらけの太陽によって、大きく揺れ始める。


「……ふぅ……。……いいわよ。……『熱いお湯』なんて、……私の宿には……一番、似合わないけれど……」


 ――『○月○日。……記録。……凍てついた止まり木に……、……場違いな……お湯の音が……響いている……』

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