Record: 14『太陽と星』
ミストラルの正門を、重く冷たい霧が這う。ギルドを出たばかりのサーヤは、真新しい革の胸当ての感触を確かめながら、ノクスの背中を追っていた。
「……師匠、あそこ」
サーヤが足を止めたのは、入城を待つ馬車の列から少し外れた、暗い石壁の隅だった。 魔導ランタンを掲げた門番が、道端に崩れ落ちた「二つの影」を槍の石突で無造作に小突いている。
「おい、死んでるならさっさと片付けろ。汚染源を門の前に置いておけるか」
影の一つが、震える腕で門番の脚に縋りついた。泥と血にまみれた翠色の修道衣。
「……っ、待って……。この方は……ただの、旅の疲れで……!」
その必死の叫びが、霧の中に虚しく消える。門番は鼻で笑うと、ランタンを少女の顔へと近づけた。粘りつくような青白い光が、少女の瞳を――そして、彼女が抱きかかえている「もう一人の少女」を照らし出す。
「……!?」 サーヤは息を呑んだ。 抱きかかえられた少女の右腕は、肩口まで赤黒く焼け爛れ、もはや肉の判別すらつかない。そしてその額からは、ノクスと同じ、けれどどこか折れそうな「角」が覗いていた。
「ドラゴニュートの角か。だがこの熱量……宝石血液の暴走だな。危険だ、今すぐ焼却処分――」
門番が槍を構え直したその時。 サーヤの身体は、思考よりも先に地面を蹴っていた。
「ま、待ってください! その人たち、私の……わたしの連れなんです!」
ノクスの「……無駄な時間を」という呟きが背後で聞こえた気がしたが、止まれなかった。サーヤは門番と二人の間に割り込むと、懐から今のしがた手に入れたばかりの、冷たい銅板を突き出した。
「ギルド『霧の天秤』の登録証です。私は……シーフのサーヤ・ベル。この二人は、私の……友達です。病気じゃありません、ただの怪我なんです!」
「シーフだと? ……チッ、最近のギルドはガキまで拾うのか」 門番は忌々しげにプレートを確認すると、槍を引いた。
門番が去り、霧の中に静寂が戻る。サーヤは膝をつき、震える手で耳の長い少女の肩に触れた。ポーチから取り出したのは、ノクスが買い与えてくれた、まだ温かい白パンの欠片だった。 少女は驚いたように、けれど救いを求める子供のようにサーヤを見つめ、震える手でそれを口に運んだ。
「……あ……りがとう、ございます……」
「……ふん。余計な荷物を拾ったな」 ノクスが、無機質な軍靴の音を立てて近づいてくる。彼女は泥の中に横たわる少女を一瞥した。 「右腕は死んでいる。宝石血液の過負荷、内側からの焼失。……普通の医者では、明日まで持たん」
「……殺して。……わたくしを、……もう、殺しなさい……」 泥にまみれた少女が、虚ろな瞳で呟く。
「断る。命の価値を量るのは、私の仕事ではない。――おい、そこに潜んでいる者」
石壁の影。霧の奥に潜んでいた視線に気づいていたのは、ノクスだけだった。 「……隠行のつもりか? 治療の専門家なら、そこに転がっている。違うか?」
霧が、ゆらりと揺れた。 そこから現れたのは、修道衣を纏い、不気味な薬瓶を腰に下げた一人の女。 黄玉の瞳を持つ修道女が、不敵な笑みを浮かべて闇から滲み出してきた。
「……おやおや。死体を拾う趣味はないと思っていたけれど。……そこの、強そうなドラゴニュートさん。貴女の『飼い犬』は、なかなかに質の悪いボランティア精神をお持ちのようね」
ノクスは眉一つ動かさず、ただ静かに刀の柄に手をかけた。 「……貴様、何者だ」
「しがない錬金術師よ。……その死にかけの『お姫様』を、私の毒で延命してあげてもいいけれど。……どうする? シーフの小娘ちゃん」
その光景を、窓越しに見ていた一人の観測者が、そっと記録のスイッチを切った。 彼女の指先が、日記の余白に一言だけ、震える文字を書き込む。
――『○月○日。……泥だらけの太陽が……、……死に損ないの星を……見つけた……』




