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300年後も鐘の音を  作者: 琥珀 のえる
第1部:氷晶の宿と泥だらけの太陽

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13/51

Record: 10『赤の覚悟』

 (ページを捲る指先が、少しだけ躊躇う。 ……綺麗なだけの物語なら、どれほど良かったか。 ……けれど、少女が大人になるためには、……通過儀礼が必要なの。 ……それが、……死者からの略奪であったとしても。……(ふぅ……))


 鬱蒼とした森を抜け、視界が開けた先にあったのは、かつて「村」だった静寂の残骸だった。

 家の壁、井戸、看板。 至る所に、ペンキで殴り書きされたような赤い『×』印が刻まれている。 それは、この村が「浄化そうとう」の対象となり、完了したことを示す、冷酷な検印だった。


 「……ここも、だめだったんですね」


 震える声が漏れる。 女は、表情を変えずに廃墟を見回した。

 

「物資を探すぞ。水、保存食、油、光源。……使えるものは全て拾え」「は、はい……」

 

 女は躊躇なく、半壊した雑貨屋へと足を踏み入れる。 慌てて後に続こうとしたが、ふと、道端に転がる小さな影に足を止めた。

 

 それは、瓦礫の下敷きになった少女の遺体だった。 自分と同じくらいの歳だろうか。その手は、何かを掴もうとして空を切っている。そして、その泥だらけの髪には、鮮やかな「赤色のリボン」が、奇跡的に汚れずに残っていた。


 手が、無意識に自分の髪へと伸びる。 片方のリボンを失い、ボサボサになった髪。


(……可愛い。……ううん、違う)


 首を振る。 お洒落がしたいわけじゃない。 ただ、その鮮烈な「赤」が、壁に刻まれた『×』印と重なって見えたのだ。


 ――拒絶。警告。そして、覚悟。


「……ごめんなさい。これ、私が連れて行きます」


 屈み込み、震える指でそのリボンを解いた。 死者の所有物を奪う感触。指先に残る冷たさ。 けれど、今の彼女に躊躇いはなかった。


 キュッ、と。 音を立てて、自分の髪にその「赤」を結びつける。 それは、かつての看板娘としての装飾ではない。 この理不尽な世界に対して、自分もまた「×(拒絶)」を突きつけ、生き抜いてやるという、血の色をした宣戦布告だった。


 「……何を遊んでいる。日が暮れるぞ」

 

 雑貨屋の中から低い声が響いた。 顔を上げ、赤いリボンを揺らして駆け出した。

 

「す、すみません! 今行きます!」

 

 サーヤは慌てて店の中へ入った。店内は荒らされていたが、埃を被ったランタン、丈夫な寝袋、それに火打石と数束のロープが残されていた。かつては代金を払って手に入れていた「商品」が、今は明日を生き延びるための「命」そのものとして、ずしりと重い。 それらを慎重にリュックへ詰め込みながら、壁に立てかけられた「ある物」に目を奪われた。

 

 ――ロングソード。 錆びてはいるが、それは紛れもなく「戦うための剣」だった。 物語に出てくる冒険者が持つような、鋼の刃。 これがあれば、あの魔物とも、もっとまともに戦えるかもしれない。


 (私だって、守られるだけじゃなくて……)


 両手で柄を握り、持ち上げようとした。


「……っ、重っ……!」


 ずしりとした鉄の塊。 持ち上げることはできても、構えるだけで精一杯だ。重心が定まらず、切っ先がふらふらと揺れる。


「……よせ」


 背後から、冷ややかな声が降ってきた。 呆れたように手元を見下ろしている。


「その細い腕でそれを振り回しても、遠心力に振り回されて隙を晒すだけだ。それは武器ではない。お前にとっては、ただの『死を招く鉄の棒』だ」


「で、でも……! 手斧じゃリーチが短いし、私だって何かの役に……」


「役に立ちたいなら、己の『器』を知れ」


 女は、サーヤの腰にある薪割り用の手斧と、エプロンのポケットのナイフを指差した。


「お前がこれまで何千回、何万回と握ってきたのはなんだ? 剣か?」


「……ううん。包丁と、お盆と……薪割りの斧、です」


「ならば、それを使え。染み付いた感覚だけが、極限状態で裏切らない」


 女は無造作に、棚から手頃な長さのダガー(短剣)を拾い上げ、サーヤの足元に投げた。


「剣を捨てろ。……その赤いリボンと、薄汚れた手斧がお前の装備だ」


 カラン、と乾いた音がして、手からロングソードが滑り落ちた。 床に転がった憧れの剣は、今の自分にはあまりにも大きく、無骨に見えた。


 唇を噛み締め、投げられたダガーを拾い、腰の手斧を握り直す。 手に馴染む木の柄の感触。 重いミルク缶を運び、硬い根菜を刻み、冬の暖炉のために薪を割り続けた、生活の重み。


「……はい。私、これで行きます」


 赤いリボンが揺れる。 少女は英雄への憧れを捨て、泥臭い「生活者」としての武器を選び取った。

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