Record: 10『赤の覚悟』
(ページを捲る指先が、少しだけ躊躇う。 ……綺麗なだけの物語なら、どれほど良かったか。 ……けれど、少女が大人になるためには、……通過儀礼が必要なの。 ……それが、……死者からの略奪であったとしても。……(ふぅ……))
鬱蒼とした森を抜け、視界が開けた先にあったのは、かつて「村」だった静寂の残骸だった。
家の壁、井戸、看板。 至る所に、ペンキで殴り書きされたような赤い『×』印が刻まれている。 それは、この村が「浄化」の対象となり、完了したことを示す、冷酷な検印だった。
「……ここも、だめだったんですね」
震える声が漏れる。 女は、表情を変えずに廃墟を見回した。
「物資を探すぞ。水、保存食、油、光源。……使えるものは全て拾え」「は、はい……」
女は躊躇なく、半壊した雑貨屋へと足を踏み入れる。 慌てて後に続こうとしたが、ふと、道端に転がる小さな影に足を止めた。
それは、瓦礫の下敷きになった少女の遺体だった。 自分と同じくらいの歳だろうか。その手は、何かを掴もうとして空を切っている。そして、その泥だらけの髪には、鮮やかな「赤色のリボン」が、奇跡的に汚れずに残っていた。
手が、無意識に自分の髪へと伸びる。 片方のリボンを失い、ボサボサになった髪。
(……可愛い。……ううん、違う)
首を振る。 お洒落がしたいわけじゃない。 ただ、その鮮烈な「赤」が、壁に刻まれた『×』印と重なって見えたのだ。
――拒絶。警告。そして、覚悟。
「……ごめんなさい。これ、私が連れて行きます」
屈み込み、震える指でそのリボンを解いた。 死者の所有物を奪う感触。指先に残る冷たさ。 けれど、今の彼女に躊躇いはなかった。
キュッ、と。 音を立てて、自分の髪にその「赤」を結びつける。 それは、かつての看板娘としての装飾ではない。 この理不尽な世界に対して、自分もまた「×(拒絶)」を突きつけ、生き抜いてやるという、血の色をした宣戦布告だった。
「……何を遊んでいる。日が暮れるぞ」
雑貨屋の中から低い声が響いた。 顔を上げ、赤いリボンを揺らして駆け出した。
「す、すみません! 今行きます!」
サーヤは慌てて店の中へ入った。店内は荒らされていたが、埃を被ったランタン、丈夫な寝袋、それに火打石と数束のロープが残されていた。かつては代金を払って手に入れていた「商品」が、今は明日を生き延びるための「命」そのものとして、ずしりと重い。 それらを慎重にリュックへ詰め込みながら、壁に立てかけられた「ある物」に目を奪われた。
――ロングソード。 錆びてはいるが、それは紛れもなく「戦うための剣」だった。 物語に出てくる冒険者が持つような、鋼の刃。 これがあれば、あの魔物とも、もっとまともに戦えるかもしれない。
(私だって、守られるだけじゃなくて……)
両手で柄を握り、持ち上げようとした。
「……っ、重っ……!」
ずしりとした鉄の塊。 持ち上げることはできても、構えるだけで精一杯だ。重心が定まらず、切っ先がふらふらと揺れる。
「……よせ」
背後から、冷ややかな声が降ってきた。 呆れたように手元を見下ろしている。
「その細い腕でそれを振り回しても、遠心力に振り回されて隙を晒すだけだ。それは武器ではない。お前にとっては、ただの『死を招く鉄の棒』だ」
「で、でも……! 手斧じゃリーチが短いし、私だって何かの役に……」
「役に立ちたいなら、己の『器』を知れ」
女は、サーヤの腰にある薪割り用の手斧と、エプロンのポケットのナイフを指差した。
「お前がこれまで何千回、何万回と握ってきたのはなんだ? 剣か?」
「……ううん。包丁と、お盆と……薪割りの斧、です」
「ならば、それを使え。染み付いた感覚だけが、極限状態で裏切らない」
女は無造作に、棚から手頃な長さのダガー(短剣)を拾い上げ、サーヤの足元に投げた。
「剣を捨てろ。……その赤いリボンと、薄汚れた手斧がお前の装備だ」
カラン、と乾いた音がして、手からロングソードが滑り落ちた。 床に転がった憧れの剣は、今の自分にはあまりにも大きく、無骨に見えた。
唇を噛み締め、投げられたダガーを拾い、腰の手斧を握り直す。 手に馴染む木の柄の感触。 重いミルク缶を運び、硬い根菜を刻み、冬の暖炉のために薪を割り続けた、生活の重み。
「……はい。私、これで行きます」
赤いリボンが揺れる。 少女は英雄への憧れを捨て、泥臭い「生活者」としての武器を選び取った。




