はじまりの名前
馬車の音が、砂利道に近づいてくる。
「来たみたいだね。」
門の前に立つ僕の視線の先で、グレインフィール伯爵家の紋章を掲げた馬車がゆっくりと止まった。
御者が扉を開くと――
「わぁぁ……! すごーい!!」
真っ先に飛び出してきたのは、エリシア嬢だった。
「ようこそ、お越しくださいました。エリシア嬢、アリア嬢。」
僕は、たくさんの使用人と共に、二人を出迎える。
「会いたかったですわ。レオンハルト様。」
エリシア嬢は、いきなり僕に飛びついてくる。
そして、ずらりと並んだ使用人の姿が壮観だったのか、不敵な笑みで眺めている。
「!!」
僕は目を見開き、彼女は口を抑え、二人して驚愕の表情。
使用人でさえ困惑しているのに、エリシア嬢だけが終始にこやかだ。
「エ、エリシア……。」
一方、アリア嬢はバツの悪そうな顔をする。
そして、仕方なく一人で挨拶を行うことに決めたようだ。
「こちらこそ、ご丁寧にお出迎えいただき、感謝いたします。
本日よりお世話になります。」
静かに裾を整え、ゆっくりと顔を上げた。
「大きいお屋敷! お庭も広いし、噴水まであるのね!」
「ねえレオンハルト様、あちらは バラ園かしら? 私バラは大好きですの!」
きらきらと目を輝かせ、落ち着きなくあちこちを指差している。
……いや、君は本当に。
(観光客かっ!)
思わず、喉まで出かかった言葉を飲み込む。
僕への意識は初めから、君ではなく、彼女に向いているのだから。
僕が婚約者選びを先延ばしして、半ば強引に参加させてしまったせいで、アリア嬢はどこか浮かない表情だ。
その視線は、僕とエリシア嬢から、足元へと下ろしていく。
(……無理もないよね。)
申し訳ない気持ちがあったものの、僕もわかっていながら、くだした決断だ。
本来なら、こんな形で彼女を連れてくることを望んでなんていない。
だが、エリシア嬢の態度も、アリア嬢の態度も、僕が望んだ行動が招いてしまった。
ここは自分への戒めのためにも、耐えなければならないだろう。
「では、こちらへ。」
気持ちを切り替え、二人を屋敷へと案内する。
「ねえねえ! 廊下も長いのね! 迷子になりそう!」
「天井、高くない? ここで舞踏会とかできそうよ!」
エリシア嬢は相変わらず元気いっぱいだ。
純粋といえば聞こえがいいが、ここまで無知だとさすがに頭が痛い。
「……エリシア嬢は、ピクニックにでも来たみたいだね。」
思わず、皮肉を言ってしまう。
「えー? だって、楽しいじゃないですか!」
「あっ……申し訳ありません……。」
皮肉も通じないエリシア嬢に対して、顔が青ざめ、言葉を詰まらせるアリア嬢。
これ以上は、彼女を困らせてしまうだけだ。
まず、一緒に父の書斎を訪れる。
扉が閉まると、空気が一段引き締まった。
「やぁ、よく来てくれたね。
改めまして、ヴァルツァー侯爵家当主、アルベルト・フォン・ヴァルツァーだ。」
父が穏やかに名乗る。
「そして、こちらが妻のセレナ。」
「ようこそ、いらっしゃいました。
二人が来るのを楽しみにしていたのですよ。」
母も柔らかく微笑む。
二人は、揃って一歩前へ。
「グレインフィール伯爵家、長女アリア・フォン・グレインフィールでございます。」
「妹のエリシア・フォン・グレインフィールですわ!」
二人同時にカーテシーをする。
「顔を…あっ、顔をあげなさい。」
――その瞬間、違いははっきりと現れた。
アリア嬢の動きは、無駄がなく、角度も、姿勢も、呼吸の間すら美しい。
頭を上げるタイミングまで、完璧だった。
一方、エリシア嬢は少しだけ勢い余っており、スカートの揺れも大きい。
父の許可が入る前に、顔をあげようとしたもんだから、父も驚いただろう。
言葉がつまり、妹が顔を上げる少し後に許可が下りた形になる。
父と母は一瞬、顔を見合わせ――
「……ふふ。」
二人揃って、どこか苦笑いを浮かべた。
怒るほどではない。
けれど、違和感は、確実に伝わったのだろう。
「長旅で疲れただろう。
二人のためにとっておきの部屋を用意させてもらった。
ゆっくり休んで、明日に備えてほしい。」
「お心遣い感謝いたします。」とアリア嬢。
「私一生懸命取り組んでまいりますわ。」とエリシア嬢。
そんなエリシア嬢のやる気が伝わったのか、少しほほ笑む父と母。
彼女の元気さが、ここで良くうつった。
僕は少し残念に思ったが、アリア嬢がほっとしたのを見て、まぁいいかと息を吐いた。
「お部屋はどんな感じかしら? 窓は大きい?」
「ねえレオンハルト様、私、部屋にお花飾っていい?」
エリシア嬢は、当然のように要求を重ねる。
「……調整してみますね。」
一方、アリア嬢は歩きながら、何度も僕に頭を下げた。
もはや誤り続けるのも、大変だろうと笑顔を送る。
「うわぁ、素敵なお部屋!!」
「ありがとうございます。レオンハルト様。」
「ご案内、ありがとうございます。お手数をおかけしてしまって……。」
「気にしなくていいですよ。」
同じ状況でも、受け取り方はまるで違う。
(……本当に、対照的だな。)
部屋に到着すると、アリア嬢はお辞儀をして、客室へと入っていく。
僕は、ふーっと一息をついて、足早に部屋に戻ろうとする。
この時間を割いたために、まだ手付かずの書類が山ほどある。
「レオンハルト様!!」
「!!」
僕は急に呼び止められ、驚いて振り向く。
すると、客室に入ったはずのエリシア嬢が声をかけてくる。
「今日は天気もいいですし、 お茶にしませんか?」
と僕の腕を引っ張った。
「……え?」
「私もっとレオンハルト様とお話したいですわ。」
僕は正直のる気ではなかった。
早く戻って、書類に手を付けたい。
でも、僕も彼女と話すきっかけになればと、この提案を受け入れることにする。
「わかりました。それではアリア嬢もお誘いして、温室へと向かいましょう。」
しかし、侍女に確認させると、彼女は
「すみません……長旅で、少し疲れてしまって……。」
とこのお茶会を断ってしまう。
正直断られることを想定していなかったので、ショックを受ける。
(もう一人でお茶飲みたい……)
でも、考えてみれば彼女らしい。
急に予定をいれてもらうのは失礼にあたるし、何より彼女は妹を強く推している。
僕は考えが甘かったと、後悔するも、
一度受けてしまった手前、断れなかった。
お茶会は、無難な世間話が続いた。
「レオンハルト様、普段は何をなさっているの?」
「私趣味は――」
僕は適当に話を合わせ、ただ時間が過ぎるのを待った。
頃合いを見て席を立とうとした。
その時――
「まぁ、賑やかね。」
「お茶会と聞いて、来てしまったよ。」
父と母が現れてしまった。
(……あっ。)
すぐさま、席がセッティングされ、お茶会が再開される。
エリシア嬢は、ここぞとばかりに愛嬌を振りまいた。
「侯爵様のお話、とても勉強になりますわ!」
「セレナ様、そのお召し物、とても素敵ですね!」
「まぁ、可愛いこと。」
母はすっかり機嫌を良くしている。
父も目を細めた。
「元気なお嬢さんだな。」
まるで、可愛い娘が増えたかのような空気だった。
だが。
「ところで――アリア嬢は?」
母が、ふと尋ねる。
すると、エリシア嬢が間髪入れずに答えた。
「姉は、こういった場は苦手ですの……。
社交で声を発することもできませんのよ。」
「ですから、きっと皆さまの前に出るのが怖かったのだと思いますわ。」
――その言い方。
一瞬、空気が止まった。
父と母は、顔色こそ変えなかったが、明らかに目が泳いだ。
(……よく、そんな言い方ができるな。)
僕は、胸の奥で静かに怒りを覚えた。
「そう…なのかい……?
レオン、アリア嬢は人見知りなのかもしれないな。
ゆっくり交流を持てばいい。」
「はい…。」
「まぁ、ご家族からは愛称で呼ばれてますの。
私もレオン様とお呼びしてよろしいでしょうか?」
目を瞬かせるエリシア嬢。
いきなり詰めてくるから、僕も後ずさってしまう。
「まだ初日ですから、ゆっくりいきましょう。」
そんな僕に対し、エリシア嬢の好感度が上がった両親が了承してしまう。
「なんだ、いいじゃないかレオン。」
「そうよ。いずれ娘になるかもしれないんだから。」
(あー……。)
あの何とも言えないお茶会が終わった。
アリア嬢のことをわかってほしくて整えた場で、
まさか両親がエリシア嬢を気に入ってしまうなんて…。
精神的疲労で、僕は人目を避けるように廊下へ向かった。
「……あれ?」
廊下の角で、きょろきょろと周囲を見回している小さな背中が見えた。
「アリア嬢?」
「ひゃっ……!」
びくっと肩を跳ねさせ、振り返る。
「申し訳ありません。驚かせてしまいましたか?」
「い、いえ、こちらこそ申し訳ありません……道が分からなくなってしまって……。」
(……チャンスだ。)
一日頑張った僕に、ご褒美がやってきた。
さきほどの疲れが嘘のように抜けていく。
「案内しますよ。」
並んで歩き出す。
少し気まずい沈黙のあと、彼女が意を決したように口を開いた。
「……どうして、私を候補から外さなかったのですか?」
(……この人は、何を言い出すかと思えば……。
君を候補から外すなんて、そんなことあるわけがない。)
胸の奥に、小さく、しかし確かな苛立ちと焦りが生まれた。
そして、彼女は続けて、エリシア嬢の長所を語り始める。
「エリシアは明るくて、社交的で……」
「社交界でも、評判は良くて……」
最後に、ぽつりと。
「……本日も二人が仲むずまじい様子だったので……。
私どうして呼ばれたのかわからなくなってしまいましたの……。」
僕は、立ち止まった。
エリシア嬢の無礼を受け入れてしまったことが、彼女にそうとらえられていたとは思いもしなかった。
このことは否定しておかなければならない。
「アリア嬢。」
彼女の目を見る。
ふと名前を呼ばれ、彼女もこちらを見上げ、目が合った。
あの社交界では月に照らされ、今は夕日が差し込んでいる。
どんなときでも、なぜ彼女だけに魅了されるのか自分でもわからない。
―― 同じ姿形なのに、あなただけが輝いて見える。
「僕とエリシア嬢はそんな仲ではありません。
ただ、僕の希望であなた方を巻き込んでしまいました。」
僕は続けて、こういった。
「ですので、僕も配慮しないとと思っただけです。」
彼女は、目を丸くして――
「……あっ、そうなのですね。」
頬を染めて、少し嬉しいともいえる表情をする。
(……なんて、愛らしいんだ。)
でも、それを表に出したら、情けない顔になる。
だから、僕は微笑むだけにした。
「あっ……」
何かを思い出したように、ショックを受ける彼女。
「でしたら……」
「???」
僕は彼女の表情が強張るのをみて、混乱する。
「妹が大変失礼を……。」
そして、彼女らしくなく慌てて頭を下げる。
「もっ、申し訳ありません。」
「あっ、いや……。」
僕にはそんな彼女も好ましい。
いつも礼儀正しいのに、少しだけ年相応の反応もする。
知れば知るほど、嬉しい。
これから、彼女のこんな一面が見られるんだ。
僕は肩にそっと手をおいて、声をかける。
「頭を上げてください。」
彼女は恐る恐る頭を上げ、僕の反応を確かめていく。
「あなたが謝る必要なんてありません。」
「でも…」
彼女はそれでも申し訳なさそうな表情をしている。
「そうですね……でしたら…」
僕は一つ思いついて、笑顔を浮かべる。
「……僕たちは、婚約者ですよね。」
「えっ……はっはい……そうですね……。」
彼女は戸惑いながら答える。
「でしたら、こうしてはどうでしょう?」
息をのむ彼女。
少し間があいて、僕も緊張して尋ねる。
「名前で呼んでも、いいですか?」
一瞬の沈黙。
「……えっ、私のですか?」
「そうですよ。」
扉の前で、僕は誤魔化すように微笑んだ。
内心はタイミングがまずかったかもしれないと、焦ってしまう。
「あっ、もちろん構いませんわ。」
思わず、勝ち誇ったような笑みがこぼれてしまった。
足取りが思わず軽くなってしまうほど、浮かれてしまう。
「ありがとうございます。
では、また夕食のときに――アリア。」
小さく、頷く彼女。
静かに扉が閉まった。
――胸の奥に、確かな温度が残っていた。




