それでも、手を離さない
婚約者との顔合わせの日――。
グレインフィール伯爵一家は、侯爵家の別館に先に到着し、執事たちの案内のもと、休息をとっていた。
昨夜も手一杯の仕事があった僕ら一家は、遅れて到着することとなってしまった。
でも、この忙しさのせいで今まで会いに行かなかったことを考えると、参加できただけでだいぶ進歩したと言える。
その仕事のためにも、今回は別館が用意された。
もともとこの別館は、お客様を退屈させないためにつくられたもので、客室も設備も充実している。
暇も持て余すのにもうってつけの場所ということだ。
僕らは少し遅れで到着し、準備もそうそうに応接間へと向かうことになった。
「レオン、準備は良いか?」
「はい。父上。」
「今日も素敵ですよ。
きっといい縁談となるわ。」
「そうだといいのですが……。」
僕はこの場で彼女に気持ちを伝え、婚約を成立させることを考えていた。
そのためにも、二人ときちんと話をしなくてはいけないと――。
父と母に声を掛けられ、僕らは彼女らの待つ応接間へと足を踏み入れる。
そこには、社交界であった時とは違う穏やかな表情のグレインフィール伯爵夫妻と、まばゆく光る少女の姿があった。
その立ち居振る舞いからも、どちらが彼女なのかは一目瞭然だった。
僕らはすぐに目が合い、再会を喜んだ――と思ったが。
けれど、その一瞬のあと――彼女の表情から、ふっと色が消えた。
(どうしたんだろう?)
笑顔のままなのに、瞳だけが揺れている。
まるで、何かを必死に押し殺しているようだった。
嫌な予感が、背筋を伝って這い上がる。
そんなことも知らない両親が、伯爵夫妻への挨拶をかわし、顔合わせが開始された。
両家の会話で場が和むも、僕にはその話の内容が右から左だった。
恐る恐る彼女に視線を送る。
その横顔は、あの日と同じ――今にも泣き出しそうで、どこか遠い。
胸の奥が、じわじわと締めつけられる。
そして、話題は婚約者の件へと移った。
「ヴァルツァー侯爵家のお力になれるよう、娘たちには厳しい教育を施してきましたのよ。
とくに妹のエリシアは、明るく、愛嬌があり、社交界でも評判でございます。」
伯爵夫妻は、初めから妹――エリシアを推す姿勢を隠そうともしない。
衣装も、装いも、明らかに彼女のほうに力が注がれている。
「はい。誰とでもすぐに打ち解け、場を明るくできる子でして。
まさに、貴族の奥方に相応しい器量だと――」
「その通りですわ!」
だが当の本人は、そんな母の言葉を遮り、礼節を欠いたまま得意げに振る舞っていた。
僕の両親は穏やかに受け止めているが、伯爵夫妻の表情には冷や汗が滲んでいる。
そして――
父の視線が、静かにアリア嬢へと向けられた。
「では、アリア嬢のお考えをお聞かせ願えますか。」
父に促され、ようやく彼女の意見を聞く流れになる。
彼女は妹が許されたのだから、そのまま発言することもできるはずだが、
「ヴァルツァー侯爵様。発言してもよろしいでしょうか。」
きちんと手順を踏みながらも、僕たち一家に申し訳なさそうな態度を送る。
「どうぞ。」
父がそう発言したと同時に、僕の不安が現実のものとなる。
その仕草は美しいほど慎ましいのに、表情だけが、ひどく悲しげだった。
「私は……社交界デビューでは大きな失敗をいたしました。」
心臓が、強く脈打つ。
それは、両親に知られたくなかった事実だっただけに、表情が強張る。
僕の胸に、嫌な冷たさが広がっていく。
彼女の両親もそのことを知られたくなかったのか、同じように困惑を隠せない。
そして、耳を疑う言葉が僕の耳に飛び込んでくる。
「その結果、世間からの評判も決して良いものではありません。」
彼女の声が、遠くなる。
まるで水の中に沈んでいくように、音が歪み、輪郭を失っていく。
僕は、再会の日を支えに過ごしてきた時間を思い出す。
あの微笑みも、あの温もりも、すべてが幻だったかのように揺らいだ。
そして――
彼女の声だけが、耳に焼きついた。
「 侯爵家の婚約者として相応しいのは、妹の方だと考えております。」
彼女の家の事情は知っているが、すぐに婚約を辞退するとは思ってもいなかった。
一瞬で、世界が、凍りついた。
今日この場で、僕はあなたに気持ちを伝えにきただけに――。
胸の奥が、痛いほど締めつけられる。
「――待ってください。」
もちろん、彼女の意見は尊重したい。
だが――ここで、何もせずに引き下がることだけは、できなかった。
「私も発言してもよろしいでしょうか。」
僕はショックな気持ちを抑えつつも、あえて彼女と同じ手順を踏んで、発言する。
先ほど、父と母が許した妹のマナー違反を蒸し返したのだ。
その上で、こう提案する。
「私は、本日初めてお二人にお会いしました。
……正直に申し上げますと、今この場で、どちらが婚約者に相応しいかを決めるのは、あまりにも早計かと存じます。」
彼女の表情も混乱している。
(ごめん……。)
心の中で謝りつつも、自分の本能には勝てなかった。
ここで彼女を逃がすわけにはいかない。
僕の一生が、この一瞬にかかっているのだから。
「人となりは、時間を共にしなければ分かりません。
社交界での評判や、噂だけで判断するべきではないと、私は考えます。」
そして、こう言葉を続けていく。
「ですから―― お互いを知るための、機会をいただけないでしょうか。」
グレインフィール伯爵家の閉鎖された空間で、彼女と関わり続けることは難しいだろう。
それならば、妹も巻き込んでこちらのフィールドで勝負を仕掛ける。
僕らの婚約は、ヴァルツァー侯爵家の花嫁修業という形で決着をつけることになった。




