親友たちの茶会と、静かな決意
ヴァルツァー侯爵家の執務室は、午後の柔らかな光に包まれ、静かに時を刻む置時計の音が響いていた。
机に向かう父とその父のサポートをする母。
二人を見つめながら、僕は何度も言葉を選び直していた。
「……父上。少し、ご相談があるのですが。」
「どうした、レオン。」
穏やかな声音に後押しされ、僕は一歩踏み出す。
「先日の舞踏会でお会いした、グレインフィール伯爵家のご令嬢と……改めて、顔合わせの機会を設けていただきたいのです。」
一瞬、父は目を瞬かせた。
「ほう……もうそんな話が出るとは、早いな。」
隣で書類を整理していた母も、くすりと微笑む。
「素敵な方だったのですね?」
「……えっ……あっ、いや……そうですね。」
思わず視線を逸らすと、二人はますます楽しそうに顔を見合わせた。
「わかった。お前が乗り気なら、私たちは構わない。
正式な場を整えるくらいなら、すぐに動こう。」
「ありがとうございます、父上。」
胸の奥に、ほっとした安堵が広がる。
あの場で起きたことを、両親に話す気にはなれなかった。
二人はあまりにも穏やかで、社交界の悪意からは遠い人たちだ。
余計な心配をかけたくなかった。
「日程は追って連絡しよう。」
「はい。」
「なんだか、私も楽しみになってきたわ。」
両親の笑顔が守れたのを喜ぶべきなのか、心中複雑な気持ちになる。
深く頭を下げて執務室を後にした。
――でも、また彼女に会える。
その事実だけで、鼓動が少し速くなる自分が、どうにも落ち着かない。
そして、彼女に合うその日までに、グレインフィール伯爵家の事情について調べなくてはとさっそく行動に出た。
その数日後。
自室で書類を眺めていると、扉が軽く叩かれた。
「レオンー! 入るぞー。」
聞き慣れた陽気な声とともに、ノアが顔を出す。
その後ろから、穏やかな笑みを浮かべたキースが続いた。
「二人とも……今日はどうしたんだ?」
「決まってるだろ。」
ノアがにやりと笑う。
「婚約者の話!」
「……なんだよ、藪から棒に。」
思わずため息をつくと、二人は楽しそうに顔を見合わせた。
僕は、自分より社交に出ている二人に、グレインフィール伯爵家のことを調べてもらっていた。
初めて頼ったにもかかわらず、二人は事情を察して、何も聞かずに引き受けてくれた。
そうして、書類整理をそっちのけで、そのまま僕の部屋にお茶と付け合わせの菓子が運ばれてくる。
「で? 実際どうだったんだ、あの子。」
「気になるところだね。」
キースも興味深そうに腕を組む。
視線を泳がせながら、僕は小さく咳払いをした。
「……とても、素敵な女性だった。」
「ほらー! やっぱり!」
ノアがぱんっと手を叩く。
「な? キース、俺言ったろ。レオン、絶対気に入るって。」
「表情を見れば一目瞭然だ。」
キースはくすりと笑いながら、僕の顔をじっと見つめてくる。
「彼女と会っているときに、二人の言葉を思い出して笑ったよ……。
いやはや親友とは恐ろしいもんだ。」
僕も負けずに、少し皮肉を垂れる。
「分かりやすいにもほどがある。」
「もう完全に恋してる顔だぞ。」
それにも負けじと言葉を足してくる。
これ以上火をつけるのはまずいとわかったので、すぐに沈下にかかる。
「……やめてくれ。」
耳まで熱くなってくるのを感じる。
「でさ。」
ノアが少し声の調子を落とす。
「例の舞踏会の後なんだけどさ。あの子、ちょっと変な噂が出てる。」
「噂?」
「外に出てくるのは妹君ばっかりでさ。姉の方は表に出せないほどひどいらしい。」
キースが静かに言葉を継いだ。
「妹がアリア嬢?」
「いや、確かエリシアって名前だ。」
「……そうなんだ。」
胸の奥に、あのときの光景がよぎる。
姉を笑いものにして、嘲笑っている顔が脳裏に浮かぶ。
その前も、妹は姉を貶めるようなことばかりいっていたなと思い出した。
「アリア嬢が酷いなんてのは、片方からの偏った情報だよ。」
キースは少し間を置いてから、続けた。
「実は、うちで雇っている家庭教師と、グレインフィール家の家庭教師が一人、同じ人物なんだ。」
「え?」
「グレインフィール伯爵は、ヴァルツァー侯爵家への恩を返すために、娘たちの教育にかなり力を入れているらしい。」
ノアが目を丸くする。
「伯爵家にしては、金のかけ方が異常なんだってさ。」
「その教師の話によると――」
キースの声音が、少しだけ硬くなる。
「アリア嬢は非常に真面目で自分から率先して勉学に取り組むタイプらしいぞ。」
「おぉ!」
ノアが、僕と同じタイプとでも言いたそうな顔でこちらを見ている。
僕もそれは内心嬉しかったが、その視線の前に表には出せない。
また、ひやかされるのが目に見えている。
「一方で妹のエリシア嬢は――。」
キースは少し言葉を選んでいるようだ。
「勉強は苦手みたいだ。
ただ、二人に同じ教育を受けさせたい伯爵夫妻の希望もあり、持ち上げつつなんとか取り繕っている状態らしい。」
「うわ……。」
「二人とも婚約者候補として、立派に教育を受けさせたかったんだろう。
その結果、姉を落としつつ、妹を担いでしまうという構造ができたのかもしれない。」
僕は無意識に拳を握りしめていた。
「……婚約者が決まっていないことが、
彼女を苦しませたのかもしれないってことか……。」
ノアがぽつりと言った。
「正直……ひどい話だな。」
「……ああ。」
キースがそう続く。
同意したい気持ちは強かった。
だが、彼女はまだ“正式な婚約者”ではない。
「この婚約がどうなるか、わからないからな。
今の僕の立場では、うかつなことは言えないんだ……。」
そう口にすると、二人は静かに頷いた。
「でもさ。」
ノアが少し怒ったように言う。
「妹のあの行動は、どう考えてもアウトだろ。」
「同感だ。」
キースも珍しく険しい表情を浮かべている。
「……僕だって、迷っているわけじゃないさ。」
その言葉は、自然と口からこぼれ落ちていた。
でも、二人が代わりに怒ってくれているみたいで、いつも感情を表すのが下手になってしまう。
僕が嬉しいと二人も嬉しそうだし、
内心怒っているだろう今この瞬間、二人も僕と同じように怒りを露わにしている。
一瞬、部屋が静まり返る。
そして――
「実は父に頼んで、近々正式に顔合わせの場ができそうなんだ。」
「なんだ、そうなのか!」
「これはもう、決まりだね。」
二人が同時にニヤリと笑った。
「だからさ。」
僕は照れつつも、ゴホンと咳ばらいをする。
「その時も改めて、二人に向き合って、早めに決断をだすよ。」
「いいじゃん!」
「それが一番早い解決策だろう。」
二人も賛成のようだ。
本当に僕らって、性格は違うのに思考が一緒だな、と思ってしまう。
「ちゃんと話し合って、決めてこいよ。」
ノアが興奮で身を乗り出す。
その身振り手振りに、僕もキースもびっくりする。
「またアリア嬢を救ってこい、ヒーロー。」
「はっ……?」
「この前のレオン、正直かっこよかったよ。」
お茶をすすりながら、キースがさらりと言う。
「本当だよ。僕らの間を縫って、彼女に会いに行くんだもんな。
アリア嬢が見惚れてもおかしくはない。」
「他の令嬢たち、完全に釘付けだったしな。」
「……本当にやめてくれ。」
いつもの冗談かなと思いつつも、心の奥はくすぐったく満たされていた。
――彼女が、僕に好意を持ってくれていたら。
そんな淡い期待が、胸の奥で膨らむ。
そして、次に会える日を思い浮かべる。
あの澄んだ瞳。
あの静かな強さ。
あの、かすかな温もり。
次こそは――
きちんと、自分の気持ちを伝えよう。
静かに、そう心に決めた。




