華やかな舞台の、静かな選別
母は、いつになく張り切っていた。
「レオン、この刺繍は少し控えめにした方がいいかしら?」
「でも、王城の照明なら、この程度でも映えるわよね……」
仕立て屋が広げた布地を前に、母は何度も角度を変えて光の反射を確かめている。
その横で、腕利きと名高い仕立て屋が、最近の流行や貴族社会の傾向を丁寧に説明してくれた。
「今は装飾を盛りすぎず、上質さで魅せるのが主流でして。若いご令息なら、爽やかさを意識すると好印象でしょう。」
「なるほど……母上、こちらの色味はどう思いますか?」
「ええ、とてもいいわ。あなたの瞳の色ともよく合う。」
僕は何度も母に確認しながら、細かな装飾や仕立てを決めていった。
普段は冷静な母が、今日はどこか浮き立っている。
ふと見ると、母の目元がわずかに潤んでいることに気づいた。
「……母上?」
「ごめんなさい。あなたが社交界デビューを迎えるなんて、感慨深くて。」
そう言って、優しく微笑む。
(そんなに大げさな……)
そう思いながらも、僕にとっても特別で、今までより気合が入った。
――初めて会うんだから、よく見られたいな。
夢にまで見た婚約者。
実際に会ったとき、がっかりされたくない。
少しでも、好印象を持ってもらいたい。
その一心で、僕は立ち居振る舞いや所作の確認にも、いつも以上に力を入れた。
「背筋は伸ばして、視線は相手の目線より少し下。」
「歩幅は一定に。急がず、落ち着いて。」
頭では理解していても、実際に完璧にこなすのは簡単ではない。
(時間が足りない……)
準備に追われる日々は、なぜかひどく長く感じられた。
そして、ようやく迎えた――社交界デビューの日。
王城に足を踏み入れた瞬間、思わず息をのむ。
高くそびえる天井。
無数のシャンデリアが放つ光。
華やかな衣装に身を包んだ貴族たちのざわめき。
圧倒的なスケールに、視線が泳ぐ。
慣れない衣装に、頭からつま先まで磨き上げられた体。
父も母も、いつもとは違う空気をまとっていた。
次々と声をかけられ、僕の知らない貴族たちと挨拶を交わしていく。
その間、なかなか婚約者を探す余裕がない。
そんな中、最初に出会ったのはキースだった。
「社交界デビュー、おめでとう。」
「ありがとう。キース。」
軽く言葉を交わしたあと、すぐに聞かれる。
「もう、婚約者には会えたのか?」
「いや、まだ……。」
そう答えると、キースは少し考え込むような顔をした。
「だったら、君のお父上に探しに行く許可をもらえばいい。」
キースが父に提案する。
「おじ様。一気に挨拶をしても覚えられるものではありません。
ここいらでレオンを開放してはいかがでしょう?」
僕らの会話を聞いていたのか、父もすぐ頷いてくれた。
「そうだな。せっかくの機会だ、顔を合わせておいで。」
母はその様子を見て、意味ありげに微笑む。
「まぁ、いつになく熱心だと思ったら、そういう理由だったのね。」
「もっ、もうからかわないでください……。」
僕は少し照れながら、両親から逃げるようにその場を後にする。
――やっと会えるんだ。
期待と不安が混ざり合う。
広い場内を探し回ると、ほどなくして、一人の少女が目に留まった。
(……あ。)
絵姿で見た、あの子だ。
一人なのかと一瞬疑問に思ったが、ようやく会えた嬉しさのほうが勝った。
しかし、周囲を数人の令息たちに囲まれている。
むこうも初めての社交界デビューだと聞いているし、困っていないだろうかと、思わず足を速めた。
けれど、近づくにつれて、ふと……その足は止まってしまう。
彼女の甲高い笑い声が頭に響いて、耳を塞ぎたくなる会話が聞こえてきたからだ。
「ねえ、聞いてくださる? うちの姉ったら、本当に要領が悪くて……。
さっきもご挨拶の場で、固まってしまって……会話もできませんの。」
扇子で口元を隠しながら、彼女はくすくすと笑う。
「せっかくの社交界デビューなのに、あれでは恥ずかしくて。
私ばかりが気を遣って、正直くたくたですわ。」
「それは大変ですね。」
「ええ、ほんとに。私と違って、あんなに地味で無愛想だなんて。
殿方のお気持ちなんて、きっと一生わからないんでしょうね。」
令息の一人が面白がるように身を乗り出す。
「じゃあエリシア嬢は違うんですか?」
「もちろんですわ。殿方とお話しするの、大好きですもの。」
彼女はわざとらしく微笑み、相手の袖にそっと指先を添えた。
相手の令息は、彼女の手を取り、ためらいもなく口づけた。
それを見て、周囲から小さな笑い声が漏れる。
さらに、ひそひそと下世話な囁きが重なっていった。
胸の奥が、ひやりと冷えた。
いくら面倒をかけられているとはいえ、あんなふうに家族を嘲り、
胸の奥がざらつくような感覚を覚えながら、
その上、平然と初めて会った相手に媚びるなんて――。
――この人とは、分かり合えない。
楽しみにしていた気持ちが、徐々に消えて何も感じなくなっていく。
ここは室内なのに、雨にでも打たれている気分だ。
(……僕はノアやキースのように、婚約者と楽しくやっていけるだろうか。)
落胆したまま、しばらく何も考えずにその場を離れた。
「レオン。」
ふと、声をかけられる。
今度はノアとその婚約者に出会った。
彼は婚約者をエスコートして、いつもとは違う照れくさそうな顔をしている。
一緒に仕立てに行ったという婚約者のドレスは彼の瞳の色が使われ、二人の交友関係が如実に伝わる。
軽く紹介を済ませると、ノアが言った。
「そういえば、さっきレオンの婚約者に会ったよ。」
「……あっ、そうなのか……。」
僕はさっきの会話を聞いて、少し落ち込んでしまう。
「僕もさっき会ったよ。」
「あっ。そうなのか。
すごく可憐で、品があって、それでいて謙虚でさ。とても素敵な子じゃないか。」
「えっ?」
僕は思わず、顔を上げる。
「本当!?」
「なんだよ。
会ったんじゃないのか?」
嬉しそうに僕の婚約者の話を語るノア。
あまりの褒めように、隣の婚約者がむっとした顔をするほどだった。
(……もしかしたら……。)
さっきの話は嘘なのかもしれない。
また、期待が、静かに膨らんでいく。
ノアが実際に会った場所を教えてくれて、混乱しながらも、その場を後にする。
すると、視界に入ったのは――キースと談笑する、ひとりの少女。
背筋の伸びた美しい立ち姿。
丁寧な所作。
控えめに微笑む、その表情。
さきほど見た“彼女”とは、まるで別人だった。
キースがこちらに気づき、彼女と別れたあと、こちらへ歩み寄ってくる。
「もう話したかい?
すごくいい子じゃないか。」
ノアと同じ評価だ。
その一言に、胸が高鳴った。
「まだなんだ…。」
「あぁ、そうなのかい。
緊張はしているみたいだったが、丁寧に挨拶されたよ。」
さっきの片割れが言っていたことは、嘘なのかもしれない。
彼女は周りに気を使いながら、壁際に大人しく休んでいる。
「今は休憩中みたいだ。一息ついたら、一緒に行こう。」
「うん……。」
キースの言葉に頷きながら、僕は深く息を整えた。
心臓の音が、やけに大きく響く。
――いよいよだ。
初めて、婚約者と会う。




