絵姿の向こうにいる君
その日、父に呼ばれて書斎へ向かった。
重厚な扉を開けると、机の上に一通の封書が置かれている。
見慣れない紋章――グレインフィール伯爵家の印だった。
「伯爵から、君にだ。」
父は穏やかに言いながら、封を切った紙束を差し出した。
「……なんですか、これは?」
受け取った紙の上には、まだ幼い双子の少女が描かれていた。
年のころは、七歳になったばかりだろうか。
よく似た面差しで、けれど微妙に表情の違う二人が、並んで微笑んでいる。
それを見て、胸の奥が、ほんの少しだけ跳ねる。
「……可愛い……。」
思わず、声がこぼれた。
丸い頬、小さな指先、柔らかそうな髪。
絵であるにもかかわらず、不思議とぬくもりまで伝わってくる気がする。
(この子たちの、どちらかが……僕の婚約者なんだ。)
そう思うと、胸の奥がくすぐったくなった。
けれど同時に、どう反応すれば正しいのか分からない自分もいた。
喜んでいいのか、照れていいのか、それとももっと大人らしく振る舞うべきなのか。
「……どうだ?」
父が、こちらの表情をうかがう。
「えっと……とても、可愛いです。でも……」
言葉を探して視線を落とす。
父はくすりと笑った。
「では、こちらからも君の絵姿を送ろうか。伯爵もきっと喜ぶ。」
「えっ!? い、いいじゃないですか、僕のは……」
反射的に、全力で否定してしまった。
自分の顔を絵にされるなんて、どうにも気恥ずかしい。
相手に見られると思うと、胸がむず痒くなる。
「そんなに照れるなよ。」
父がニヤニヤした顔で、こちらを見ている。
「べ、別に照れてなんか……」
父の笑顔の方がなんだか恥ずかしくて、視線をよけてしまう。
「そうか。
まぁ、近いうちに王城でお前の社交界デビューをするつもりだ。
向こうも来るようだから、声をかけてみなさい。」
その言葉に、再び父の方に視線が戻る。
(……とうとう会えるんだ。)
実際に会う日が、確かに未来に存在する。
いつもは友達から聞くしかなかった、婚約者の話。
時には手がかかると愚痴をこぼしながらも、彼らにとっては大切な時間を共有する、かけがえのない存在なのだと感じていた。
自分にもやっと、そんな大切な人ができるのだ。
それだけで、胸の奥に温かな灯がともった。
その日から、僕は何度も絵姿を眺めるようになった。
どんな声をしているのだろう。
どんな性格なのだろう。
笑うとき、どんな表情をするのだろう。
ページをめくるたびに、想像は膨らんでいく。
(早く、会ってみたいな……。)
指折り数えるほど、待ち遠しく感じている自分に、少し驚きを隠せなかった。
数日後、ノアとキースが僕の領地を訪ねてきた。
「最近、顔を見ないから心配してさ。」
ノアが遠慮がちに声をかける。
「レオン、君の家が勉強をしないといけないのはわかってるよ…。
ただ……根詰めてるんじゃないかと思ってね。」
レオンというのは、僕の愛称だ。
家族を除いては、この二人にしか呼ばせていない。
キースもさわり障り、慎重に話し始める。
(心配してくれてるの?)
二人から気にかけてもらったことが嬉しくなる。
談話室で紅茶を飲みながら、僕はそんな二人に答えた。
「ごめん。
最近は顔も出さずに、引きこもって……。」
二人がほっとした表情をする。
「実は……キースが行ったみたいに、僕って勉強ばかりだから、なかなか話題に入っていけなくて……。」
「そうだったの?」
「うん……、どう反応したらいいのかわかんなくて……。」
「気にすることないよ、勉強も大変だろうし、家の都合で領地をあけることも多いしさ。」
ノアが何でもないことのように話す。
「ありがとう…。」
自分は話を合わせようともしなかったのに、二人は歩み寄ってきてくれる。
どこか申し訳なさも感じつつ、そんな親友の存在に感謝した。
「話題って婚約者のこと?」
ノアが踏み込んだ質問をする。
「うん。うちの婚約者って、ちょっと複雑なんだ。」
「そういえば、レオンから婚約者の話題って聞いたことないね。
よかったら話してよ。」
キースは国内でも指折りの資産家の家系だ。
そのせいもあって、幼い頃から婚約者が決まっている。
ノアが婚約者の相談をすると、キースはいつもアドバイスをしてくれる。
(話してみようかな?)
僕は、持っていた双子の絵姿を二人に見せる。
「えっ、これがレオンの婚約者!?」
「双子なのか?」
二人は身を乗り出し、絵を覗き込んだ。
「可愛いじゃん!」
「でも、これがどう複雑なんだ?」
僕はこの縁談が決まるまでの過程を話した。
両親に救われたグレインフィール伯爵が提案してくれたこと。
生まれてきた娘が、まさかの双子で、どちらと婚約するのか決まっていないこと。
「なるほど、それはちょっと複雑だね。」
キースが頷く。
「うん…。幼いころ会ったっきり、まともに会話したこともないんだ。」
「会いに行くことはできないのか?」
ノアのその質問に、自分でも驚くほど飛びついた。
「それが、今度王城のパーティーに来るみたいなんだ!」
「おっ…おぉ、よかったじゃないか!」
ノアが驚く。
そう答えると、自然と口元が緩んでいるのが分かった。
「嬉しそうだね。」
キースがニヤニヤした笑みを浮かべる。
「あっ……。」
僕は思わず、固まってしまう。
父との会話を思い出し、恥ずかしくなる。
「いいなぁ。初対面って、やっぱり緊張するけど楽しみだよな。」
ノアとの婚約者の体験。
ここで僕は初めて、話題に共感することができた。
「分かる。この絵姿を見た時から、どんな子なんだろうって考えちゃうんだ。」
二人は自分たちの経験を交えながら、楽しそうに話してくれる。
「僕たちも、そのパーティーで声をかけてみるよ。」
「一緒に探しに行こうぜ。」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなった。
(……二人とこんな会話ができる日が来るなんて。)
あの庭園で感じていた、取り残されるような感覚はなかった。
今は、同じ話題で笑い合えている。
「ありがとう。」
素直にそう伝えると、二人は少し照れたように笑った。
「じゃあ、王城でまた会おう。」
「いい子だったらいいな。」
そう約束して別れたあと、僕はもう癖になったように、また絵姿を見つめた。
紙の向こうにいる、まだ見ぬ存在。
(君は、どんな子なんだろう。)
胸の奥に、静かで確かな期待が膨らんでいく。
それは、孤独だった日々に、初めて差し込んだ“未来の光”のように感じられた。
僕の世界は、少しずつ、誰かと共有できる色を帯びはじめていた。




