盤上に駒を並べる者たち
侯爵家での花嫁修業が始まって、数日が経った。
――けれど、アリアは相変わらず、僕にそっけない。
お茶会では最低限の挨拶だけを交わし、ほどなく席を立つ。
「課題がありますので」と丁寧に頭を下げて、さっと姿を消してしまうのだ。
その結果、残るのは決まってエリシア嬢だけだった。
「君の勉強は順調なんですか?」
僕はエリシア嬢の人となりも、きちんと確認をとっていく。
「私は余裕ですわ!」
エリシア嬢は意気揚々とそう答えてくる。
「へぇ…それはすごいですね。
医学って一朝一夕にわかるものじゃないんですが……。」
その言葉に、エリシア嬢は口を閉ざしていく。
その変わり貴族としての社交や流行には、誰よりも敏感だ。
「レオン様、こちらのお菓子、すごく評判なんですよ?」
「最近流行りの香油、ご存じです?」
「今度、〇〇伯爵家のお茶会に招待されていて――」
距離の近さも、声の甘さも、まるで自分が婚約者であるかのような振る舞いだ。
それに、僕はそういった話題にはまるで興味がないんだよね。
(……正直、少し、いや、だいぶ疲れる。)
子供のころ、周りに合わせてばかりの自分が蘇る。
それに、授業態度はお世辞にも良いとは言えない。
だが、家庭教師からの報告では「課題の提出は非常に真面目です」と口を揃えて評価されている。
意外と要領はいいのか、彼女が勉強している姿などほとんど見たことがない。
それでも課題だけは完璧だという報告を聞くたび、ある疑念が頭をよぎる。
——アリアの成果が、知らぬ間に奪われているのではないか、と。
だからこそ――余計に、アリアの静かな距離が際立つ。
そんなある日の午後。
お茶会の席で、僕はふと、試すように話題を振った。
「――ところで、最近流行している解熱剤の調合法ですが、過剰摂取による肝機能への影響が問題視されているそうですね。」
……かなり専門寄りの話題だ。
社交の場では、まず出てこない。
エリシア嬢は一瞬きょとんとした顔をしてから、曖昧に笑った。
「えっと……すごく難しいお話ですね?」
ここまでは、予想通りだ。
だが――
「過剰摂取の場合、解毒に必要な酵素が枯渇します。
特に、体格の小さい方や持病のある方は注意が必要です。」
静かに、迷いのない声が返ってきた。
僕は驚いて、アリアを凝視してしまう。
彼女はカップを置きながら、淡々と続ける。
ここまで踏み込んだ話ができるとは、正直、思っていなかった。
「用量を守っていても、併用薬によっては負担が増えることもあります。
ですから、本来は医師の管理下で使用されるべきなのですが……」
僕は思わず、息を呑んだ。
(……すごい。)
いや、たった数カ月で――
会話が、自然に続く。
「そうですね。特に解熱と鎮痛を兼ねた薬剤は――」
「肝臓だけでなく、腎機能にも影響しますね。」
言葉が噛み合う。
理解の速度も、視点も、ぴたりと重なる。
……こんな感覚は、生まれて初めてだった。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
(誰かと共有できるって、こんなに嬉しいことなんだな。)
だが、同時に、理性が警鐘を鳴らす。
――ここで、僕が嬉しそうに食いついたら。
――きっと、エリシア嬢の反感はすべて、アリアに向かう。
僕はぐっと言葉を飲み込み、表情を整えた。
「……なるほど。」
それ以上、深掘りはしなかった。
アリアも、それ以上は踏み込まず、静かに微笑むだけだった。
けれど。
確かに、そこには“通じ合った感覚”が残っていた。
(今は、これで満足しなければ。)
ロマンスなんて、欠片もない。
専門的すぎて、誰にも注目されない会話。
それでも――
彼女と同じ視点に立てたことが、何よりも嬉しかった。
数日後。
ノアとキースが、侯爵家を訪ねてきた。
「おー、相変わらず堅苦しいなぁ、侯爵様。」
「庭だけは無駄に広いよね。」
相変わらずの軽口に、思わず苦笑する。
「失礼だぞ。」
「はいはい。」
三人で近況を話していると――
「まぁ! レオン様!こちらにいらしたんですね!」
……嫌な予感がした。
振り向けば、案の定、エリシア嬢が満面の笑みで近づいてくる。
「ご友人に紹介してくださらないの?」
僕の腕を無遠慮でつかみ、上目遣いをしてくる。
「初めまして。わたくし、グレインフィール伯爵家のエリシアと申しますの。」
「レオン様とは、日頃からとても親しくさせていただいていて――」
その距離、その言い方、その含みのある視線。
まるで、“自分こそ婚約者”だと言わんばかりだ。
ノアは一瞬、目を見開き。
次の瞬間、口元を必死に押さえた。
キースの肩も、わずかに震えている。
僕はどうしたものかと、呆気にとられる。
(ああ……あとで死ぬほどからかわれるんだろうな……)
「……あ、そうなんだ。」
「へぇ……それはそれは……。」
二人とも、声が若干震えている。
さすがに、これはフォローしきれない。
彼女を早く退散させた方がいいと、僕は判断する。
「エリシア嬢、紹介はそこまでで――」
「まぁ、レオン様は照れ屋さんですのね?」
……違う、そうじゃない。
「ぶはっ!」
ノアがこらえきれずに、噴き出してしまう。
場の空気を察したのか、エリシアは急に表情を曇らせた。
「……私、用事を思い出したので、失礼いたしますわ。」
そう言い残して、足早に去っていく。
残された空間に、微妙な沈黙が落ちた。
そして――
「……ぷっ。」
「はははははは!」
ついに、二人が吹き出した。
「いや、あれはないでしょ。」
「完全に“私は本命です”って顔だったよね。」
「……あぁ、もう好きなだけ笑ってくれ。」
二人はここ一番の話題に腹を抱えて、笑い出した。
「あー、おかしい。」
ようやく、二人が笑い終わる。
頭を抱える僕に、ノアもキースも少しだけ真剣な顔になる。
「で、正直なところ、どうなの?」
「あの子がいるってことは、顔合わせうまくいったわけじゃないんだな?」
「うっ……」
僕は、観念して、あの日の出来事をすべて話した。
アリアの言葉。
自分を貶めた理由。
それでも引き下がれなかったこと。
話し終える頃には、胸の奥がずしりと重くなっていた。
「……なるほどね。」
「それは、きついな。」
二人も何かを考えこむように、う~んと唸っている。
沈黙のあと、珍しくノアがぱっとアイディアをだしてくる。
「だったらさ。エリシア嬢には悪いけど、そうそうに退出してもらうのはどうかな?」
「どうするつもり?」とキース。
「エリシア嬢は、一部の貴族からは人気あるみたいなんだ。
僕らはそいつらと引き合わせればいい。」
ノアの提案にキースが乗る気だ。
「なるほどね。
本人も、チヤホヤされるの好きそうだし。」
キースも頷く。
「侯爵家に閉じ込めておくより、対外的なお茶会にどんどん出した方がいいよ。」
「本人も満足するだろうし、レオンも消耗しなくて済む。」
……確かに、理にかなっている。
「そうだね。
僕としても、エリシア嬢を選ぶつもりはない。」
もし、アリアの説得にうまくいかなかったとしても、エリシア嬢を選ぶつもりはもはやなかった。
どっちつかずの時よりも、心が決まったせいか、本音を口に言える。
だからこそ、異論はなかった。
むしろ――
彼女が別の縁を見つけてくれるなら、それはそれで合理的だ。
「それに……」
僕は、静かに続けた。
「アリアの評価を、ちゃんと見てもらえる場を作りたい。」
彼女が両親に社交界での話を出したのは、僕にとって誤算だった。
婚約者を選ぶ場として、心象はよくないだろう。
だからこそ、両親に彼女の人となりを知ってもらう必要がある。
父と母の接点をもたせ、共に医学の授業を受ける。
プライベートは彼女が心を開いた後だ。
ノアはにやりと笑った。
「いいじゃん。完全に裏工作だね。」
「悪い顔してるぞ、ノア。」
「褒め言葉として受け取っておくよ。」
こうして、僕らは静かに包囲網を敷き始めた。
表では、エリシア嬢を社交に逃がし、
裏では、僕とアリアが、少しずつ距離を縮めていく。
――すべては、彼女と並び立つ未来を手に入れるために。




