第6話 ドゥードゥル・ドゥーヒキー
枯れた丸太の山に腰をかけ、ひと息つくパックの背に、忍び寄る人影がひとつ。
パックは肩をツンツンつつかれました。のっそりと顔を向けたパックが見たものは、くったくのない笑顔を向ける、ひとりの愛らしい娘でした。
笑顔の娘は、小柄な背格好にエプロンドレスのいでたちで、おしゃまな田舎娘といったところ。そして少女のように可憐な顔立ちの中心には、パックのそれとよく似た、そり返ったブタ鼻。
若草色のショートヘアから、くたりとしおれ耳を垂らす、その娘は――――プーカでした。
パックとプーカが樹蟲の里へ来てから、ずいぶんと時間が経ちました。外界人であれば、だれの美しき顔立ちも、老醜のひだに隠されてしまうほどの、そんな年月。長命の種族の血肉を継ぐパックとプーカは、青年の頃合いになっていました。
プーカは、その裸足がスカートを蹴り上げるように、クルンと振り向きました。体を後ろへ投げ出して、パックの丸まった肩の背に、どっかと腰を下ろしました。
立派なお尻でパックへギュウギュウのしかかりながら、プーカは言いました。
「追っかけないのぉ? 放っといちゃってぇ」
パックは椅子がわりにされながら、いつものしかめっつらとともに返しました。
「あんだけ脅かしときゃ、十分だろ」
「いいのかなぁー。またアーチンに怒られるよぉ?」
「…………」
「よし、わたしが行こう!…………っかな!」
プーカは直角に折った両腕を前後に構えました。ブンブンと振って交互させ、勇ましく行進を始めました――――両足は大地に貼りつけて、不動のまま。
わざとらしいプーカを、パックは適当にあしらいました。
「言ってらぁ」
「本当に行くもん。さて…………っと!」
「へいへい」
「うおーッ!」
*
結局パックがひとりで行きました。のどかな森をなにげなく見渡すと、木々がざわめいて喧騒が聞こえてきました。
あちらでは酔っ払いのマツ親父が、千鳥足で鼻歌を歌っていました。こちらではカエデの大将が、ヒノキのおかみさんになにやら平身低頭していました。
またあちらでは、閑古鳥が鳴くスギ林の檻の前で、ケヤキの看守が大あくびをしていました。そして、そちらでは大クスの大長老が、若芽へ説法を説いていました。
パックの手持ちぶさたの両手は、頭の後ろに組まれていました。両手に預けられた頭のなかでは、他愛ない空想が活気づき、パックの足を運んでいきました。けれど森はなにごともなく、ブラブラ歩きは続きました。
草やぶに分け入りしばらく進んでいると、パックの行く手を塞ぐものがありました。それは四足の獣で、ウマのようななりをしていました。
ただしウマとしては、尋常の三倍はあろうかという巨大さで――――そして樹でした。
枝が、幹が、締め上げるように絡み合って、ウマらしきなりをしていました。りゅうりゅうとした筋骨のような樹の四足が、横長の胴を支えていました。
ただしひづめにあたる箇所では、幹のよりがほどけて根になっていました。脚が下ろされるたびに大地へ根を張り、となりの脚が引き抜かれました。
頭と尻にあたる箇所も、よりがほどけた枝々が天に向かって伸びていました。千々《ちぢ》に交差して、屋根をなすほどに深く葉を茂らせていました。
枝葉の屋根の間には、貧相な身なりの男が座っていました。くたびれたシャツは胸もとがはだけ、すそがほころんだ長ズボンからは素足を投げ出していました。
男は、またがるわけでなく腰かけて、すらりとした体を丸めていました。尻まであろう長い若葉色の髪に、うなだれた頭をうずもれさせていました。
ウマの動きに揺すられて、若葉髪からチラリとのぞいた男の顔は、まぎれもなく外界人のそれでした。けれど、その表情は先ほどの三人の敵対者たちとは違って、憂いを帯び、はかなげでした。
男はなにも語らず、パックと交錯した視線も、ぼんやりと虚空へ移りました。なにごともなかったかのように、獣と共に去っていきました。
パックは奇妙な獣と不思議な男の背中を、ボケっと見送っていました。しばらくして我に返り、外界人捜索を再開しました。
歩き出してほどなく、パックの耳に響く音がありました。
ミシミシミシシ………… バキバキキベキ…………
木々の倒壊音がこだまして、ナンジャモンジャの巨体がパックの目に映りました。
それは樹でした。けれどカエルのなりをして、片目からアヒルが羽ばたき、もう片目ではリスの夫妻が食卓をかこみ、口から伸ばした舌はヘビになって、ヘビの舌に捕まる天使がラッパのように枝を吹いていました。
それは樹でした。けれどクマのなりをして、両腕にも納まりきらない大きな蜜つぼを大事そうに抱えながら居眠りに船をこいでいる頭にのせたカメの甲羅で翼を休めるツバメがかぶったトンガリ帽子に刺さった魚の背びれ、腹びれ、胸びれ、尾びれから伸ばした枝々には、天使が絡まっていました。
それは樹でした。けれど城のなりをして、屋根に向かうにつれただの樹になる無数の荘厳なハト時計の尖塔群の下の花模様の装飾をあしらった豪奢な城門から旅立つカバの口のなかに飾られる燭台に灯るブタの魔法使いの杖から放たれるバスタブのなかでピアノを弾くカマキリの先陣を切る尻尾がほうきのネコの座る鋲の打たれたカニ爪の突撃槍を構えるがらんどうの騎士甲冑のまたがるカタツムリはツノがムカデでヤリが天使で、天使は行進の旗手のように枝を振っていました。
それは樹でした。けれど無数の像があちらこちらで現れ、消え、変化して、見つめども焦点を定めきれず、めまいを起こすようでした。
そんな様を、樹冠の枝々に芽吹く樹の天使たちが、笑いながら見下ろしていました。
パックは千変万化のナンジャモンジャに魅了され、目前にいたるまで立ちん坊を続けました。天使のかしわ手一拍に、ようやく我に返ると、つぶされる前に逃げ帰りました。
*
「やれやれだ…………」
パックがグチりながら戻ると、プーカは静かにたたずんでいました。
プーカは、その赤い瞳をまぶたにひそめ、胸もとで握り合った両手に、顔を寄せていました。そして自身へ語りかけるように、ささやき声で唱えました。
「…………ナンジャモンジャ様…………いつも森と、わたしたちをお守りくださり…………ありがとうございます…………」
そのお祈りはプーカだけがしていました。パックはいつも黙って見守っていました。
*
それは、動く森でした。
不定形の巨体を這いずりながら木々をなぎ倒し、自身の樹を植えました。パックの樹はすぐ枯れてしまうのに対し、それの樹はそのまま定着して新たな森となりました。
それが現れ、人々の目に触れるようになったのは、ティタニアが里へ来たのと同じころでした。なぜだか樹蟲の里を踏み荒らすこともなく、手もつけられないので放って置かれました。
やがて、そのなんだかわからない存在は、だれからともなくナンジャモンジャと呼ばれるようになりました。