第5話 そびえ立つオーク
むかしむかしあるところに、幼い兄妹がいました。兄妹は母をたがえ、父を同じくする異母兄妹で、彼らの父は亜人でした。亜人の血を引くふたりは、森の奥深くにある亜人の隠れ里で暮らしていました。
兄は名をパックと言いました。母のティタニアに似て大人しい気質でしたが、それ以上に無愛想でもありました。また格別人相も悪く、奇妙な角まで生えたパックに、関わろうとする者も多くはありませんでした。
妹は名をプーカと言いました。だれに似たのか明るく無邪気なたちで、その顔立ちもパックとは異にして愛らしさをたたえていました。そんな彼女でしたが、涙にむせぶ日も少なくはありませんでした。
オベロンたち亜人が暮らす森は、木々が織りなす迷宮であり、彼らにとっては外敵の立ち入りを阻む聖域でした。そんな地平にいたる大森林を、彼らは崇敬して世界樹と呼称し、自身らをそこに巣食う樹蟲と自称しました。
樹蟲は外敵である外界人とは異なる、その草色の髪と長い耳を誇りとしていました。そんな彼らにとって、しおれ耳のプーカは嘲笑と軽べつの対象となりました。
ティタニアが逝去して間もない、ある日のことでした。パックは、樹蟲の子らに冷やかされているプーカを見とめました。
子供らしい陳腐なののしり言葉とともに、しおれ耳はつねられ、引っ張られ、泣かされていました。それはさして珍しいことでもなく、パックは見て見ぬふりをするのが常でした。
パックは自身の由来を自覚していました。半分が外界人であり、もう半分がその人を苦しめた者であることは、物心つくほどに受け入れ難いものになっていきました。自身を否定し、他者に受け入れられようとも願わず、だれとも、プーカとさえ距離を置きました。だからこそ、その日は来たのかもしれません。
いじめられるプーカの姿に、パックの底によどみ、溜まっていた澱が、せきを切って噴出しました――――要はキレたのです。そして次の刹那でした。
パックの角が伸びました。角は分岐し、節くれ立ち、芽が出て、葉となりました。足からは根が生え、のたうち、地面をえぐりました。
パックの根もとから、太さまちまちの幹が伸び、体をうずもれさせながら無数にもつれ合い、枝葉が繁茂して――――大樹となりました。
* * *
むかしあるところに、大きな樹がありました。それは、ただの樹でした。けれど恐れをいだく者、後ろ暗い者には、奇怪な妖鬼の威容を誇るのです。
剛腕のカイナが、動転して言いました。
「変身したッ?」
さきほどまで餓鬼であった樹は、三本の幹で大地に根を張っていました。
三本の幹は三角形の配置で内に湾曲して、束ねられた箇所に大きなこぶをつくっていました。こぶは片角を生やすヒツジ顔をして、三本の幹は胴体とふたつの腕のようでした。
大剣のバスタが、うろたえて叫びました。
「オークだッ!」
太い幹は筋肉のように、細い幹は血管のように、あまたの幹が絡み合って巨体をなしていました。りゅうりゅうとした筋骨は、空を隠す樹冠へとつながっていました。
ヒツジ顔も、片角がぐりんと一回転して枝葉を伸ばし、樹冠の一部となりました。樹冠をなす大径小径の枝々は、牛頭の角にも、馬頭のたてがみにも、見る者しだいで威容はいや増し、へんげするのです。
三人の外界人は、牛鬼と呼ばれた巨樹を釘づけに見上げ、おののくばかりでした。
絶句していたワシのタッカーの足もとで、地面がモコリと盛り上がりました。土を割って現れたのは、新芽の葉っぱでした。葉っぱの勢いは衰えず、またたく間にスクスクと成長しました。
足もとの葉っぱは、タッカーのたけに迫るまで成長して、それは人の似姿をとっていました。ただし出来が良いとは言いがたく、えぐれた腹に骨の浮き出た、やせぎすでした。やせぎすの頭は腐乱したようにゆがんで、脳天にナラの葉を二枚そえていました。
やせぎすの胴から伸びる、脚とおぼしき二本の幹は、よじれて大地につながっていました。腕とおぼしき枝々は、細く長すぎで身のたけ近くあり、タッカーに這って伝いました。
タッカーが我を取り戻したときには、あとの祭り。やせぎすの樹は数を増やし、背に、胸に、脚に、三本がまつわりついて体はがんじがらめでした。
人は恐れによって、ただの木でさえ動く化け物と変えますが、その樹は確かに動きました。
ンメエエエエエエェェェェエエェェエェエェェェェェェ…………
無数の樹皮がこすれ合い、獣の咆哮のようなきしみが響き渡りました。
外界人たちの眼前にそびえる牛鬼は、巨大な右腕を大地から引き抜きました。右腕の目標はひとつに定められ、がんじがらめのワシのタッカーへと差し伸べられました。
牛鬼の巨大な腕の先には、巨大な指が三本ありました。三本指の二本は左右下向きで、一本は上向きに。
左下向きの指が、上向きの指を押さえつけ輪をつくり、ギリリと力が込められました。ついに臨界に達すると輪は崩壊し、上向きの指が弾き出され――――つまりは巨大なデコピンが放たれ、そしてタッカーを直撃しました。
*
「冗談じゃないよッ! 探してたってのはアレかいッ?」
剛腕のカイナは動転が治まらず、目を見開きながら言いました。カイナの肩には、ワシのタッカーが抱えられていました。
タッカーは、破れたマントと、ちぎれた鎧の残がいを体にぶら下げていました。息も絶えだえで、ほとんど引きずられながら、共に逃走していました。
逃走する外界人たちの、先陣を切っていたのは大剣のバスタ。バスタは平静をよそおった真顔に、冷や汗を伝わせながら言いました。
「ともかくも、他の連中と落ち合おう…………アトロゥに報告だ」
*
ンメエエエエエェェェエエェェエェェェェェェ……………………
崩壊音もまた咆哮のようにとどろいて、片角のヒツジ顔に亀裂が走りました。あごが外れるように樹のこぶが割れ、亀裂は徐々に全身へとまわりました。
巨樹は枯れ、倒壊し、ドンガラガッシャンと木片の雨を降らせました。
降りしきる枯れ木の雨のなかに、ひとつの人影がありました。傘も差さず、ゆうゆうとシャツにそでを通す、片角枝の樹蟲――――パックがいました。