第4話 ゴブリンの森の冒険
むかしあるところに、大きな森がありました。けわしい大地に木々が密生して外界とへだて、人ならぬものたちの巣食う大魔境でした。
けれど、人々は森を我が物にせんと切り開き、さらに冒険への憧憬と果ての財を求め、人外の領域に足を踏み入れました。
暗き森の奥の奥、そのまたさらに奥深く、立ち並ぶ木々の間にひとりの男がいました。男は渋面をつくりながら、辺りを見渡しました。
ひしめき合うように木々が生い茂り、真昼ながらも薄暗い森の景観。もちろんそこは、名も知れぬ草花に感動する心があれば、幻想の庭園ともなりえました。けれど、その男にとっては、人知を超えたあやかしが支配する魔性の森でした。
「…………この世ならざる異界の地。怪異跳梁し、人を喰らう禍つ森…………」
森をかっ歩する男は、だれにともなくつぶやきました。森に詩を詠うその男は、厚地の軽装で、いかにも冒険者然としていました。身のたけに迫る大剣を背に帯び、黒髪を無造作に遊ばせる、外界人でした。
大剣を背負う外界人の目前へ、草やぶの暗がりから、ぬらりとケダモノが現れました。
すらりとした毛むくじゃらの体に、フサフサとした尻尾と、大あごを持つ四足の獣――――オオカミでした。ただし、この森の固有種で深緑の体毛をしており、大剣の外界人においては未知なる様相でした。
群れを追われ孤高に生きる一匹狼は、喉を鳴らして目前の人間をにらみつけました。おのが狩場の闖入者を、当然の権利として餌食とするために。
大剣の外界人は、ふたたび口を開きました。
「常闇の森に、はびこる魔障…………フェンリルのお出ましか。神すらも喰らう牙とて、このおれには届くと思うなよ……!」
魔狼と呼ばれたオオカミは、よく見れば毛むくじゃらにあばらを透かすやせぎすで、飢えに目玉を血走らせていました。
魔狼は、うなり声をさらに大きくしました。つばきの垂れる牙を見せつけながら、大剣の外界人を中心にジリジリと旋回しました。
大剣の外界人は、魔狼の動きに合わせ自身も旋回し、立ち木を背にして重心を下げました。右手をその肩からのぞく大剣の柄へと伸ばしながら、左腕は魔狼を誘うように差し伸べました。まるで喰ってくれ、と言わんばかりに。
「…………さあ、来いよフェンリル…………貴様の牙は、飾り物か?…………どうした、喰らいついてみやがれ!」
大剣の外界人の挑発に呼応するかのように、魔狼は大あごを開けて、左腕へと飛びかかっていきました。
大剣の外界人は避けるでなく、クルリと身をひるがえしました。すると左腕の代わりに大剣の鞘が、魔狼の大あごへと納まりました。
オオカミはその習性により、強じんなあごと鋭い牙で、くわえ込んだ獲物を逃しはしません。喰らいついたまま、標的が疲れるのを待って捕食するのです。けれど、それがあだとなりました。
大剣の外界人は、大剣の柄を握る右手に力を込めました。大剣の鞘を噛みしめる獣を、自身の回転に合わせ、立ち木へと叩きつけました。
飢えたオオカミは踏ん張りが効かず、よろめくように鞘からはがれ落ち、刹那大地を舐めました。
大剣の外界人に、ためらいはありませんでした。大剣を抜き放ち、勢いのまま体を丸めて、魔狼をけさ斬りにしました。
魔狼は子犬のような悲鳴を上げました。背中からわき腹にかけ、毛むくじゃらへしたたるほどの血をにじませ、それでもよろよろと立ち上がりました。
大剣の外界人は一瞬間動きを止め、斬り下ろした姿勢のまま魔狼を見すえました。
牙むく野獣は、もはやみじめな野良犬となり果てていました。大剣の外界人から顔をそむけて、逃走の第一歩を踏みました。けれど、男に慈悲はありませんでした。
とどめていた刃を返し、切り上げと突きの連撃によって、とどめは刺されました。
大剣の外界人は表情をゆるませ、弱肉強食の世界に酔いしれていました。ずだぶくろと化した屍を眺めて、恍惚とつぶやきました。
「…………フェンリルよ、冥府で悔やむがいい。このおれに、牙をむいたことをな……!」
大剣の外界人は、大剣を地面に突き立てました。そして足もとの戦利品をながめ、軽い調子に切り替えて言いました。
「さて…………緑の毛皮なんぞ、なかなかに珍品じゃないか」
魔狼の生皮をはぐため、大剣の外界人はナイフを取り出しました。その背後へ、近づく者がひとり。大剣の男は振り向いて、その女へ声をかけました。
「悪いな、カイナ。役者は足りたよ」
「フフッ、わかってるさ、バスタ。まったく、あんたは気が置けないよ!」
そう答えた女は、くすんだ色の金髪から、ひたいと自信をむき出していました。男勝りの体つきで、筋骨りゅうりゅう。上腕まで覆うアームガードは筋肉で張り、あらわな肩は岩のようでした。
バスタと呼ばれた大剣の男外界人――――大剣のバスタは、ふたたび振り向いて足もとを見下ろしました。バスタが屍のあるべきを期待した場所には、自身の腰たけほどの低木が植わっていました。
カイナと呼ばれた筋骨りゅうりゅうの女外界人――――剛腕のカイナが、大剣のバスタの視線の先を、背後からのぞき込んで言いました。
「あれ? 逃げちゃったの?」
「そのようだが……? とどめを刺し損ねていたか」
そう答えた大剣のバスタは、不審な顔で低木を見つめていました。まばらな葉をつける幹は不格好にくねり、まるでオオカミの屍のようでした。
バスタは低木から目をそらし、歩みを再開しました。そして、かたわらに歩む、剛腕のカイナへ語りかけました。
「それにしても、あのずきん男、信用できるのかね?」
「前金は貰ったんだし、適当にブラついてりゃいいさ。ところでさ――――」
剛腕のカイナが語りかける取るに足らない話を、大剣のバスタは気安く聞き流していました。そんな彼らの耳に押し入って会話を切ったのは、森をつんざく怪雑音でした。
ビイイイィィイィイィィイィィィィィィィィィィィィィィィプッ
それは、まるで悪魔のホルンから鳴り渡る、死の宣告。低い金属音がにごり、よどんで、神経を逆なでする大ごう音。
その奇怪な音にたぐり寄せられるふたりの視線がとらえたのは、さらにキテレツな生き物でした。
ビイィィイイイィィィィィイィィィィィィィィィィィィィィプッ
大剣のバスタは、怪音をさえずるそれを見上げながら、大げさに言いました。
「なんてこった…………木の上で、生首がうごめいてるぜ!」
生首と呼ばれたそれは、人間の頭だいの白い球に、黒いまだらが入ってドクロのようでした。ドクロには、かぎ爪、翼、尾羽が生えていました。それから大きな鋭いくちばしと、やぶにらみにグリグリと、視線の定まらぬギョロ目もついていました。
剛腕のカイナは言いました。
「ただの鳥だろ、ブッサイクな!」
そう言って、下品に笑い合うふたりの背後には、もうひとり男がいました。
男が身を包むマントつきの全身鎧には、ワシの意匠がほどこされていました。ただし兜はなく、白髪まじりの黒髪が後ろへ、なでつけられていました。ワシを思わせる輪郭の頭には、眉間のしわにワシ鼻がついたような、いかめしい顔面がほどこれていました。
ワシの外界人は、ドクロ模様の鳥に目もくれませんでした。ほかのふたりとは視線の先をたがえたまま、にらむように森の一点をうかがっていました。そんな様子に剛腕のカイナが気づき、声をかけました。
「どうかした? タッカー」
タッカーと呼ばれたワシの男外界人――――ワシのタッカーは、跳ね上がったひげの下から口を開きました。
「わしの目に狂いがなければ、あれに見ゆるは、人影か」
深い木々を霧が包む、わびしき森の奥。人の立ち入りをいとう魔境の淵で、それを見とめたのは三人の外界人でした。それは、ずいぶんと小柄ながら、人間のように見えました。
ワシのタッカーは、小柄なそれを見すえ、語を継ぎました。
「…………しかし、奇妙なことだ。このような深山幽谷に、童がポツリか」
それは肉づきのよいワンパク坊主のような体つきでした。着ている半そでシャツはボタン留めの前をはだけさせ、半ズボンを突っ張る、でっぱらのでべそがはみ出ていました。
剛腕のカイナは、童と呼ばれた、それを見つめてニヤリと言いました。
「そんな訳ないよねぇ?」
それは、裸足で森にたたずんでいました。耳は長くとがり、鼻は上向きにそり返って、肌は土色で、短いボサボサ髪は深緑の草色。彫りの深い目もとは上部がせり出して、大きな目玉にひさしをかけていました。
にらみを利かせるような半月型のギョロ目が、赤い瞳で外界人たちを横目に眺めていました。
大剣のバスタは髪をかき上げながら、人に似て人にあらぬ、それを眺めて言いました。
「ゴブリン一匹か。ちょろいな」
ワシのタッカーが、冷淡に言いました。
「ホドホドにしておけよ。値がくだる」
剛腕のカイナが、うんざりと返しました。
「ちょっと、連れ歩くわけ? 邪魔クサい…………」
大剣のバスタは、けだるい調子で言いました。
「さぁて、手加減できるかねぇ?」
餓鬼と呼ばれたそれは、外界人たちへ体をはすにして、右前側を見せていました。けれど、おもむろに向きを変えて、その正面があらわになっていきました。
外界人たちは、森の枝葉にまぎれていた、餓鬼の奇形に気がつきました。
餓鬼の左こめかみ辺りから、枝が生えてました。
それが角ですらなく確かに枝であったのは、頭から伸びて分岐した先に、薄っぺらでふちがデタラメに波打った緑色――――ナラの葉がついていたからでした。