第3話 異母兄妹
オベロンと薄絹の少女、言語をたがる両者が真っ先に疎通を図ったのは、名前でした。オベロンの名が伝わり、少女の名がティタニアであることが知れると、次に片角の赤子がパックと名づけられました。
ティタニアが暮らすことについては、当然に反発がありました。けれどオベロンは意に介さず、その献身はやがてティタニアの笑顔を引き出しました。そして、ティタニアの純真もやがて里の者たちの心を溶かし、パックと共に里の一員となりました。
ある日のこと、オベロン、アーチン、ティタニア、パックの四人は、森の陽だまりへ、ピクニックに出掛けました。ティタニアは病弱で、日光浴が必要だったのです。
ティタニアはもちろん、オベロンにしろ、アーチンにしろ、出会ったころとずいぶん印象を変えた、小奇麗な装いでした。ただしオベロンとアーチンらの伝統にのっとり、裸足でした。
かわいい花々、静かな木陰、優しい風、そして慎ましやかなランチを堪能していたその時でした。木々と鳥獣のざわめきを縫って、聞こえてくる音がありました。
はるか遠く、かすかに響く、大耳のオベロンたちでなければ聞こえない、何者かの泣き声。
オベロンはアーチンにふたりを任せ、声の方へと向かいました。
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木の山を越え、木の谷を越え、木々の間を抜けた、その先の木のもとに、金髪の若い男――――外界人がいました。
金髪の男の顔立ちは端正さをうかがわせながらも、うかがい知れぬ心痛が、それをゆがめていました。森深きには似つかわぬ町歩きのいでたちでしたが、サスペンダーで留めたシャツとズボンはくたびれ、靴も失くしていました。
打ちひしがれたように、大木の露出した根へもたれる男の姿は、弱々しくみじめなものでした。
オベロンは、その光景にティタニアを重ねました。なにせ金髪の男の腕のなかにも、若草色の髪の赤子がいたものですから。
けれどティタニアとは違い、男は赤子を持て余しているようで、泣きわめくのをあやそうともしませんでした。ただ悄然として、オベロンが近づけど、うろたえる様子もありませんでした。
赤子にはパックのような角はなく、そり返った鼻と土色の肌はオベロンたちと同様のものでした。ただし耳は、ピンととがったパックやオベロンたちとは違い、ちからなく、しおれていました。
しおれ耳は、手のひらにすくえどもダラリとこぼれ、その様はオベロンの憐れみを誘いました。
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一方そのころ、オベロンの帰りを待つアーチンは、なにか言いしれぬ不安にかすかな焦燥を感じていました。予感が現実のものとなったその時、アーチンは片手で頭を抱え、こう言ったのでした。
「おいおい、またかよ!」
オベロンは金髪の男と、しおれ耳の赤子を連れ帰りました。アーチンはクドクドしく不満を述べ続けていましたが、ティタニアは快く赤子を受け入れ、パックのための乳を分け与えました。
それからのちのこと、しおれ耳の赤子はプーカと名づけられました。そしてもうひとり、金髪の男は名をオシアンと言いました。
プーカの父はオシアンではなく、ティタニアには忌まわしき記憶であった、パックの実父に同じでした。
こうしてパックとプーカ、異母兄妹のふたりは、ティタニアを母として、オベロンを父として、ひとつの家族となりました。
* * *
その小さな女の子は、床にペタンと座り込んでいました。手にした手鏡には、愛らしいふくれっつらがのぞき込んでいました。
女の子の小さな手に、その手鏡は大きすぎました。それでも一生懸命に片手で支え、残った手で自身の耳をいじっていました。
女の子は、指で耳の先をつまみ上げて放し、また耳の先をつまみ上げて放し、と繰り返していました。そのたびに耳は、ピンと張ってテロンと垂れ、またピンと張ってテロンと垂れ、といっしょに繰り返しました。
手鏡を置いて意気消沈する女の子へ、かたわらに寄りそった娘が語りかけました。
「どうしたの、プーカ?」
プーカと呼ばれた女の子は答えました。
「だって、わたしの耳ヘンなんだもん…………」
プーカの若草色のショートヘアは、切りそろえた毛先の左右から、とがった耳先を垂らしていました。しおれた長い耳は、肩の上で揺れていました。
かたわらの娘は、ニッコリとして言いました。
「ロップイヤーのウサギさんみたいで、とってもかわいいわ。わたしの耳も、とがってないけどヘンかしら?」
「ママの耳は、ちいちゃくてかわいいけど、わたしのはヘンだもん…………」
ママと呼ばれた娘――――ティタニアは、髪色以外はプーカと同じショートヘアから、丸い耳をのぞかせていました。
ティタニアの青白い顔に、かすかに赤みが差しました。いじけるプーカの垂れ耳に、優しく口づけをして抱き寄せました。
「プーカがどんなに嫌ったって、ママはプーカの耳が大好きよ。わたしに元気をくれる、かわいいプーカ…………あなたが笑顔でいてくれたら、ママはとっても嬉しいわ」
ティタニアはプーカの耳にほおをすり寄せ、温かな吐息でささやきました。
そんなふたりの背後へ、いつの間にやら片角を生やした小さな男の子がくっついていました。男の子は目つきが悪く、にらみを利かせるようで、けれどモジモジとしてティタニアに甘えていました。
ティタニアは男の子をプーカと共に抱き、片角へ口づけをして言いました。
「わたしのかわいいユニコーンさん、もちろんあなたも大好きよ、パック」
パックと呼ばれた男の子の一角獣頭へ、ティタニアは自身の顔を寄せて言葉を続けました。
「その角には、偉大な力が宿っているの。良きことに使えば英雄とたたえられ、悪しきことに使えば…………」
ティタニアはなにかを思い出して言葉をにごしましたが、すぐに語を継ぎました。
「…………でも、パックなら大丈夫。あなたの優しさは、わたしがちゃんとわかっているから。きっといつか、みなが英雄とたたえるわ」
ティタニアは腕のなかの温もりを味わうように、しっかりと抱きました。
無邪気なプーカなら、控えめなパックの背中を押してくれる。そして辛抱強いパックなら、プーカの傷心をいやして、ほがらかさを引き出してくれる。ふたりが共に支え合えば、どんな困難があろうと、きっと乗り越えられるはず――――ティタニアは、特別な我が子たちを心から信じて、すこやかな成長を祈るのでした。
*
そんな日から間もなく、ティタニアは早世しました。身重の少女が、ひとり森をさまよい、子を産む。その負担は、少女のいたいけな心身をむしばんでいました。
ティタニアは、いまわのきわに自身の生涯を想い返しました。それは郷愁と、苦痛を蘇らせるものでした。けれどその締めくくりが、オベロンと小さな子供たちの笑顔と涙であることに満足し、穏やかにほほえみました。
それは、ありし日。
ティタニアが寝台から立ち上がると、すぐさまオベロンが寄りそいました。ティタニアの白い柔肌は、青くよどんで消え入るようでした。
オベロンはひざまずき、彼の前へ差し出されたティタニアの両手を、すがるようにつかんで言いました。
「ティタニア、ストレンジャーの里へ帰りたいかい? きみのためだったら、ぼくはなんだってするよ」
ティタニアは、その親身でたどたどしい外界人語を鼓膜に愛おしく感じ、瞳をうるませて答えました。
「わたしのあるべきは、あなたと、パックと、プーカがいるここだけです。あなたたちと共にあることが、今のわたしのすべてです。ここを終のすみ家とできることが、わたしのこれまでが価値のあるものであり、けわしくとも幸福への道のりであったことの証なのです」
ティタニアはオベロンの手を握り直し、言葉を続けました。
「パックとプーカには、その出自が、あの子たちみずからをさいなむ日が、来るかもしれません。けれど世を恨まぬよう、自身を憎まぬよう、わたしにくださった真心を、どうか変わらず子供たちへ。パックとプーカの内に、誠実な愛が育ちますように――――」