仮面の舞踏と毒の香り
「──“歓迎”だと?」
私は目の前の招待状を見つめながら、ため息をついた。
「どこをどう歓迎するっていうのよ……」
王太子がアカデミー時代の“友人”である父──ヴァルムント公爵を訪ねてくる。
その娘も連れてくる。
だから、晩餐会を開く──らしい。
そして案の定。
「エリシア、あの子の“お友達”として、きちんと場に出なさいな?」
と、うちの麗しき母──公爵夫人がにっこりと命じてきた。
「いや、もう地雷のにおいしかしないんですけど!!」
どうせ、いろんな思惑が渦巻いてるんだろう。
“子供たち”の社交を利用して、大人たちが好き放題動く……この家ではよくあること。
そして夜。
ヴァルムント邸の舞踏の間には、照明が煌々と灯され、貴族たちが笑いを交わしていた。
銀の食器、琥珀のグラス、仄かに香る花々の香り。
──息が詰まるほどに、完璧な夜会。
「……来たわよ」
扉が開き、王太子が現れる。
そして、その隣にいたのは──
「……え?」
まるで別人だった。
あの、あんなに無邪気に駄々をこねていた彼女が。
長く波打つ金髪はきちんと結い上げられ、深紅のドレスが完璧なラインで身体を包んでいる。
背筋はぴんと伸び、視線は冷ややかに、そして王族としての自信と品位をまとっていた。
──あれが、“彼女”?
いや、違う。
中身はきっと、変わってない。
でも彼女は、あえて“変わった姿”を演じてる。
この空間、この人々、この場にふさわしい“王太子の娘”として。
「……ふぅん。やっぱり、あなたも仮面をつけるんだ」
心の中でそう呟いた時、彼女がこちらを見た。
一瞬だけ、目が合った。
だけど──笑わなかった。
ほんの数日前まで、あんなに無邪気に笑っていたのに。
まるで私を“知らない”かのように、通り過ぎていった。
「うわあ、心折れる……」
私はグラスの中の水を傾けながら、小さく呟いた。
•
「さすがですね、王女殿下は。言葉遣いも完璧で、何よりあの振る舞い……」
「王太子殿下もご誇りでしょう」
貴族たちは口々に賞賛の言葉を並べていた。
それを、王太子は静かに聞きながら、たまに微笑む。
彼の視線は終始落ち着いていて──公爵に向ける眼差しは、確かに“旧友”のそれだった。
……でも。
この場で最も鋭い“牙”を持っていたのは、たぶん私の母だった。
公爵夫人は、始終やわらかな笑みを浮かべ、王太子と王女に“気遣い”を見せていた。
だが、私は知っている。
彼女の“親切”は、毒より厄介。
そして、気づいてしまった。
彼女が王女に差し出した“特製の紅茶”。
他の誰にも注がれていない、その一杯だけ──香りが違っていた。
「……やっぱり、なにか仕込んでる」
でも、毒ではない。
即座に命を奪うようなものじゃない。
けれど、それ以上に“厄介な何か”だ。
媚薬か、精神を緩める何かか──あるいは記憶を操作するような魔力の下準備か。
(……こんな場所でやる!?)
私は焦った。
王太子は気づいていない。
彼女──あの子も、それを飲もうとしている。
「……っ」
私は思わず動いた。
彼女が杯を口に運ぶ直前、すっと背後から近づく。
「姫様、喉が乾いたらこちらの方がよろしいかと」
私は自分の持っていたグラスを差し出し、すり替えるように、彼女の手から紅茶の杯を奪った。
「……!」
彼女の瞳が、わずかに見開かれる。
でもすぐに、理解したように微笑んだ。
「まあ、気が利くのね。さすが、ヴァルムント家の娘だわ」
彼女は“公的な仮面”を崩さず、すんなり受け入れた。
私の行動の意味を、ちゃんと察して。
•
その後、何事もなかったかのように宴は続いた。
王太子と父はしばし歓談し、貴族たちは音楽に酔いしれ、何人かの若い子息は王女に話しかけていた。
そして、母は──笑っていた。
「……気づいたのね、あなた」
舞踏の間を抜けた廊下。
月光の差すバルコニーで、彼女は私に向かってそう言った。
「ええ、まあ」
「さすが私の娘。……でも、まだ“邪魔する”には早すぎたわよ」
その声は静かだったが、妙に深く響いた。
「“あの子”が今後この国にどう関わるか──あなたにはまだわからないでしょう?」
「……つまり、利用価値があるってこと?」
「当然よ。王族の血統は、交渉の武器にもなるし、破滅の鍵にもなる」
「そして──彼女はまだ、どちらにも転べる状態」
私はぞっとした。
母は、王族すら“素材”としてしか見ていない。
「……いいえ」
私はそっと言った。
「彼女はもう、“どちらか”に決めようとしてる。少なくとも──私は、そう見えたわ」
「ふぅん。じゃあ、あなたは“選ばれる側”になるのね?」
「──私は、彼女に“選ばせる”側になりたい」
•
夜が更け、宴が終わったあと。
彼女は、控えの間で静かに私を待っていた。
二人きりになると、ふっと仮面が外れる。
「……ありがとう」
それだけ言って、彼女は小さく笑った。
「さすがに、あれは気づかないふりできなかったわ」
「うん、あれは露骨すぎた」
「……でも、嬉しかった。あなたが“私を見ていてくれた”ってわかったから」
「いや、何それ。照れるんだけど」
彼女はくすっと笑った。
そして、その笑顔は──数日前、私の部屋で一緒に笑っていた“あの子”と、まったく同じだった。
──仮面の下にある、ほんとうの表情。
それを見てしまった私はもう、たぶん後戻りできない。
「エリシア。お前は、下がっていなさい」
父の言葉は静かだった。けれど、その瞳には「逆らえば死」という圧が詰まっていた。
……とはいえ。
(いやいやいやいやいや!? 逆にここで下がったら情報戦に敗北する気がするんだけど!?)
とは言っても、ここで食い下がったら命が縮むのも確実。なので私はおとなしく頷き、
公爵夫人が王太子の娘に笑顔で紅茶を勧めているのを横目に、静かに部屋をあとにした──
が。
もちろん、そのまま従うわけもなく。
「……さて、と」
案内された控室の扉をそっと開け、音もなく廊下に出る。
足には軽く身体強化をかけ、気配も消し、壁際の陰に滑り込む。
(兄上の地獄特訓、今こそ活かす時……!!)
公爵執務室の扉の前。距離は数メートル。
けれど扉の下にはわずかな隙間があり、音が漏れてくる。
──そして、静かに始まった父と王太子の会話。
「……“黄昏の環”が、また動き始めているというのですか」
公爵の低い声。その響きは、何かを測っているようでもあり、すでに知っているようでもあった。
「確かな筋からの情報だ。各地で魔導器の密輸、遺跡の封印解除、魔術書の回収……目的は不明だが、ただの残党にしては動きが統制されすぎている」
王太子の声は静かだが、内側に緊張と苛立ちがにじんでいた。
「娘がアカデミーに入学するのは、来年。……もしも奴らの狙いが王家そのものであれば、狙われるのは娘が最も無防備になる“学び舎”」
「……なるほど。それで私に“護衛”の依頼を?」
「そうだ」
一拍の沈黙。
「我が国のアカデミーは“貴族・平民・王族の区別なく、公平な教育を提供する”のが建前だ。ゆえに、王族であっても四六時中護衛をつけるわけにはいかない」
「つまり、護衛を“クラスメイトとして潜り込ませる”ということですね」
「……察しが早くて助かる」
(って、そんな危ない仕事、普通に人に頼むぅ!?!?)
思わず心の中で叫んだ。お願い、私の知らない人の名前出して! モブで終わって!! と祈っていると──
「で、誰を想定しておられる?」
「できれば、そちらのご子息──あるいは令嬢に。信頼できる者を」
──終わった。
(終わったあああああ!!!)
次の瞬間、父の声がひどく、嬉しそうだったのは聞き間違いじゃない。
「ふむ……一年後、ということでしたね?」
「そうだ」
「──では、適材がおります」
(……知ってた!!!!!)
それはもう、「絶対私だろうな」って、全細胞が理解してた。
でも改めて言われると絶望感がすごい!!
「何者かの魔の手から、王女殿下を守る任。……その程度の使命、あの娘にはちょうどいい」
「ふふ、訓練は厳しいと聞いている」
「いえ、まだ甘い。これからが本番です」
(ねえ、本人が壁一枚向こうにいること忘れてない!?!?)
──その時だった。
「では、行きましょうか」
背後に響いた、聞き慣れた声。
「……うわあ」
振り返れば、そこには“鬼畜A”こと私の地獄教官が、いつの間にか立っていた。無音で。いつもの顔で。
(ほんとに忍者か何かなの……!?)
「お、お、お前……なんでここに……」
「お嬢様が潜伏されるのは、想定済みです」
「…………あ、そっか、バレてるよね、だよね……」
私はその場で静かに諦めた。気づけばすでに持ち上げられていた。
「ちょ、ちょっと待っ──やだ、また荷物扱い!?!?」
「準備はすでに整っております。訓練室へ、ご案内を」
──こうして、エリシア・ヴァルムント十三歳。
王女護衛任務という名の“無期限地獄特訓コース”へと強制エントリーを果たすのであった。
もはや彼女に、逃げ道などどこにもなかった──。
(ちょ、待って。私、まだ心の準備とか、精神の調整とか──)
(っていうか、夕飯ちゃんと消化できてないんだけど!?!?)
それでも地獄の扉は、音を立てて開かれようとしていた。
鉄と汗と、時々理不尽でできた“護衛仕上げ特訓所”の中へ──!!




