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鬼畜Aの誓い

荷馬車の中は、単調な揺れと車輪の軋む音だけが響いていた。


向かいのクソガキ──いや、兄上(この呼び方、ほんと納得いかない)が、完全に熟睡モードに入っている。


おい、マジかよ。


ついさっきまで「皆殺しにする」とかヤバいこと言ってた奴が、今は微動だにせず寝息を立ててる。


どんな神経してんの!? さっきまでの殺意どこいったの!?!?!?


私だったら、こんな状況で絶対に寝られない。


いや、だってこれから潜入任務だよ!? 緊張とかないの!?!?!?


……まぁ、考えても仕方ないか。


私も作戦を考えようと思ったけど、三日間の飢餓と極限状態のせいで、頭がまっっったく働かない。


はぁ……。


仕方ない、もう諦めて、ボーッとしてよう。


──と、思ったら。


なんとなく気になったことが浮かんできた。


自然と、隣にいる鬼畜Aに尋ねる。


「ねぇ」


「なんでしょうか、お嬢様」


相変わらず、無表情で機械のような声。


この対応にも慣れてきたなぁ……。


「なんであなたは、この家で働いているの?」


──ただの疑問だった。


だって、こんな危険がいっぱいありそうな場所、私だったらさっさと逃げ出したい。


こんな家、普通の人間なら一秒でも早く離れたいと思うはず。


なのに、この子はずっとここにいる。


しかも、召使いって言っても、あまりにもレベルが違いすぎる。


どこからでも現れるし、身のこなしは人間のそれじゃないし、明らかに戦闘訓練も受けてる。


──この家の「忠誠心」って、異常じゃない?


そんな単純な疑問だったのに。


次の瞬間、鬼畜Aは突然、公爵家に対する敬意をめちゃくちゃ喋り出した。


「ヴァルムント家は王国最強の公爵家であり、その忠誠を捧げることは──」


「はいストップ」


思わず遮る。


いや、そういうことが聞きたいんじゃない。


「そうじゃなくて、あなたがこの家に尽くそうと思える理由を教えて」


──なぜ、こんなにも黙々と従うのか。


なぜ、この家に疑問を持たないのか。


この子にとって、ヴァルムント家はどんな存在なのか。


「この家の人たち、忠誠心が度を超えてる気がするんだけど」


日中どこからでも現れるし、能力は明らかに普通じゃないし、何より……あまりにも「自分」を持っていない。


鬼畜Aは、少しの間黙っていた。


そして、そのまま、ずっと黙っていた。


「……え、何この空気?」


完全に気まずい沈黙。


あれ、私、もしかして踏み込んじゃいけないとこに踏み込んだ?


まずい、何か別の話題を──


そう思って口を開きかけた瞬間。


鬼畜Aが、ゆっくりと喋り出した。


「……わかりません」


「……え?」


「物心ついた時から、この家で働いていたので」


──涙腺が崩壊しそうになった。


……ちょっと待って。


それってつまり、**「なぜヴァルムント家に忠誠を誓っているのか、自分でもわからない」**ってこと?


ずっと、理由も考えずに、ただ黙々と働いてきたってこと?


しかも、この子……前世の私より確実に若いよね?


そんな子が、ずっと生きる意味すら考えずに、働き続けてきた?


「……かわいそすぎる……」


もうダメだ。


心が痛い。


いくらヴァルムント家の人間がみんな狂ってるからって、こんなのあまりにも不憫すぎる。


気づいたら、私は半泣きになりながら言っていた。


「……私が必ず、理由を作ってあげる!!!」


──これは、私なりのせめてもの情けだった。


この家からの脱走は、どう考えても無理。


そんなことは、もう三ヶ月で痛いほど理解した。


でも、それならせめて。


この子が「ここにいる意味」を持てるようにしてあげたい。


「私がいれば、この子には“存在理由”ができる」


そんな気持ちで、自然と口をついて出た言葉だった。


──が。


鬼畜Aは、違う意味に受け取った。


「主従関係の約束」。


「自分を必要としてくれる“主”が、初めて現れた」


それは、鬼畜Aにとって、人生で初めての出来事だった。


だから。


次の瞬間、鬼畜Aは跪いた。


「……ヴァルムント公爵家の従者として、ここに誓います」


え、ええええええ!?!?!?


「この命、エリシア様に捧げます」


……いやいや、ちょっと待って。


「今後も誠心誠意、お仕えいたします」


なんかすごい誓い立てられた!!!


お、おおおおお大袈裟すぎる!!!


た、たかが「理由を作る」って言っただけなのに、なんでいきなり命捧げられちゃうの!?!?!?


……いやいやいや、これ、絶対勘違いしてるよね!?!?!?


どう考えても、私、これから当主になるみたいな流れになってない!?!?


──でも、今それを否定したら、この子がまた「理由のない生き方」に戻っちゃうのでは……?


どうしよう、どうするべきこれ……。


……いや、でもまぁ。


ちょっと大袈裟な忠誠心が増えたくらいで、何かが大きく変わるわけじゃないか。


そう考えると、私は深刻には受け止めず、ただ内心で軽く思った。


「……大袈裟だなぁ~」


──そう、思っていた。


……この時点では、まだ。


鬼畜A──いや、ゼクトは、初めて“心”というものが動いた気がした。


「……私が必ず、理由を作ってあげる!!!」


その言葉を聞いた瞬間、頭の中が一瞬、真っ白になった。


何を言われたのか、すぐには理解できなかった。


いや、理解はしているはずなのに、それを受け入れるまでに少し時間がかかった。


「理由を作ってあげる」──それは、一体どういう意味なのか。


ゼクトは、物心ついた時からヴァルムント家の従者だった。


気づいた時には、すでに「仕える」ということが当たり前になっていた。


それがどういうことなのか、疑問に思うことすらなかった。


何を言われようと、何を命じられようと、そこに「選択」という概念は存在しなかった。


だから、「なぜヴァルムント家に忠誠を誓っているのか」と聞かれた時、本当にわからなかった。


考えたこともなかった。


──なぜ、自分はここにいるのか。


──なぜ、ヴァルムント家に仕えているのか。


──なぜ、「この生き方」が当たり前だと思っているのか。


答えは、どこにもなかった。


そして、それを考えようとすると、頭の中が妙な空白に包まれるのを感じた。


「……わかりません。物心ついた時から、この家で働いていたので」


そう答えるしかなかった。


それは真実だった。


生まれた時から、ヴァルムント家の従者であることが決まっていた。


訓練を受け、規律を叩き込まれ、忠誠を誓うことが当然のことだと教え込まれた。


だから、考える必要はなかった。


考えたこともなかった。


──それなのに。


目の前の少女は、まるでそんな生き方が“異常”であるかのように言う。


まるで、自分に「選択肢」があるかのように言う。


「私が必ず、理由を作ってあげる!!!」


……理由?


“理由”がなかったからこそ、今まで何も疑問に思わずに生きてこられたのに?


なぜ、わざわざ理由を作る必要がある?


理由なんて、なくてもいいはずだ。


この家の従者として生き、命じられたことをこなし、主に尽くす。


それが、すべてだったのに。


それが、当たり前だったのに。


──なのに。


その言葉は、ゼクトの中で“当たり前”を揺るがせるほどの衝撃を持っていた。


「理由を作る」


──つまり、彼女は**「ゼクトがここにいる意味を与える」**と言ったのだ。


「理由がないからここにいる」のではなく、「理由を持ってここにいるようにする」と。


まるで、「お前は、ただ命令されるためだけに生きているんじゃない」とでも言われたようだった。


それが、ゼクトにとってどれほど異質な言葉だったか。


ヴァルムント家に仕える者は、誰もそんなことは言わなかった。


仕えることが当たり前。


尽くすことが当たり前。


疑問を持つことも、理由を求めることも、誰一人として考えたことはない。


だから、ゼクトは戸惑った。


──そして、気づいてしまった。


「この子は、自分を“個人”として扱った」


ゼクトという“存在”に、意味を与えようとした。


ヴァルムント家の従者ではなく、ただの「ゼクト」として。


……その瞬間、何かが決まった。


気づけば、ゼクトは跪いていた。


そして、口を開く。


「……ヴァルムント公爵家の従者として、ここに誓います」


エリシア・ヴァルムント。


この少女は、ゼクトにとって初めて“主”と呼べる存在になった。


今までは、ヴァルムント家という「家」に仕えていた。


だが、今ここで、彼は初めて「人」に仕えることを誓ったのだ。


「この命、エリシア様に捧げます」


この誓いに偽りはない。


これは、ヴァルムント家に仕える者の伝統的な忠誠の誓い。


だが、今までと違うのは、ゼクト自身が「これを言いたい」と思ったことだ。


命を捧げることは、ヴァルムント家の従者として当然のこと。


だが、「その相手を選ぶ」ことは、今までなかった。


今までは、誰に対しても同じように仕え、同じように尽くしていた。


──だが、今は違う。


ゼクトは、自分の意志で、彼女に仕えることを選んだ。


「今後も誠心誠意、お仕えいたします」


そう誓った瞬間。


ゼクトは、自分の中に“確かなもの”が生まれるのを感じた。


「ヴァルムント家に仕えている理由は、もうわからなくてもいい」


今、彼には仕えるべき主がいる。


それだけで、もう十分だった。


──そんな重大な決意をしたというのに。


エリシア本人は、ものすごく軽く考えていた。


「……大袈裟だなぁ~」


「…………」


ゼクトは、その言葉に一瞬だけ虚を突かれたが、すぐに口元を引き締めた。


エリシア様はまだ気づいていないのだろう。


この誓いが、どれほどの意味を持つのか。


それでいい。


彼女が気づくまで、自分はただ従えばいい。


それが、「ゼクトのいる理由」なのだから。

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