エピローグ
シャルロッテの体調が完全に治ったある日の夕方、2人は城の一角にある庭園を訪れていた。
皇太子妃のために造られたという広大なその庭は、皇太子妃に管理が一任されている。シャルロッテもまた、嫁ぐとともに自身のものとなったのだが、一人で訪れるのは躊躇われて、今日まで一度も訪れたことはなかったのだった。
今日はお互い公務の区切りがついた夕方に、シャルロッテのリハビリも兼ねて訪れていた。
「初めて来たけれど、とても綺麗ね!」
夏も近づく今の季節には様々な花が咲き乱れ、芳しい香りを辺りいっぱいを満たしている。
また、花々だけではなく花木の類も多く、中でも目に付く百日紅には無数の蕾が膨らんでいる。1ヶ月も経てばきっと花を咲かせているだろう。
「ああ。……俺もこの時期に来るのは初めてだな」
庭園についての話は、ユリウスから少しではあるが聞いたことがあった。
「ユリウスはお母様と来たことがあるのだっけ?」
「……昔の話だがな」
遠くを見つめるユリウスの瞳は穏やかで、詳しく語ろうとはしないが、良い思い出なのだろう。
(いつか聞かせてくれないかしら?)
ユリウスとのわだかまりは、あの日から1週間経った今ではもう、ほとんど消えていた。
(――というか、わたくしは全く気にしていないのだけれど……)
シャルロッテは隣に立つ、頼もしいパートナーを見上げる。
あの日以来、ユリウスはシャルロッテに対してより誠実に向き合うようになり、少しでも信頼を取り戻そうとしていた。
そんなユリウスをシャルロッテは許し、1週間前よりも信頼を寄せるようになった。
しかし、ユリウスは許されても尚、裏切ってしまったと言って罪悪感を感じているようだった。そのため以前よりも、シャルロッテのために時間を割き、愛情表現をしてくれる。シャルロッテは嬉しくもあり、恥ずかしくもあるのだが、ユリウスがシャルロッテに対して負い目を感じなくなるには、これが一番早いのだと思うようにしている。
(ユリウスがわたくしに対して罪悪感を抱かない日が早く来たらな……)
「どうかしたのか?」
珍しく難しい顔で考え事をしているシャルロッテを、不思議そうにユリウスが見つめる。
彼の負担を軽くしようとしたところで、却ってユリウスを困らせるだけだということくらい理解している。だからシャルロッテは、笑顔でごまかす。
「ふふ、別に〜?……それよりユリウス、見て見て!」
怪訝そうな表情をしているユリウスの気を逸らすように、シャルロッテは近くの花を指で示す。
そこには、色鮮やかな蝶が花弁にとまっていた。
「初めてこんな近くで見るわ!」
植物や蝶など、シャルロッテは自然の動植物とは無縁の生活を送っていたので、それら全てが興味を引き、気になってしまうのだ。
「あっ!」
立てていた人差し指に蝶が舞い移り、シャルロッテは顔を輝かせる。
「それが数日前まで寝込んでた人間の姿か?」
「…………むぅ」
揶揄うようなユリウスの視線に、シャルロッテは頬を膨らませる。
ユリウスはそんな表情を見て口元を緩ませると、シャルロッテの頬をつつきながら優しく目を細める。
「冗談だ。……夏にも、2人でまた来よう」
ユリウスからそんな言葉を聞けるとは思っていなかったので、シャルロッテは一瞬驚いた後、顔に喜びを浮かべる。
「うんっ!」
(夏には、どんな景色が見れるのかな……)
シャルロッテは、今はまだ想像することしかできない景色に胸を膨らませる。
「……夏が近づいているとはいえ、夕方は冷えるな」
どうやら、寒さが苦手らしいユリウスが顔を顰めてコートを羽織っていない腕を擦る。
「そろそろ戻る?わたくし、お父様にお返事書かないといけないのよね」
「返事?」
シャルロッテは、ユリウスが城を空けていた内の出来事でもあり、手紙が届いたことを話していなかったことを思い出す。
「そう、最近お父様からお手紙が届いたの。熱が下がったらお返事を書こうと思ってたんだけど、まだ書けてなくて……それに、ユリウスもまだお仕事残ってるんでしょ?」
「ああ、そうだな。……それに、お前もまた体調が悪くなったら困るからな」
そう言うとユリウスは、庭園の入り口にあるアーチゲートの方を振り返る。
一方、シャルロッテは、ユリウスの端正な顔を見て、脈絡もなくあることを思いつく。
(あっ、イイこと思いついたわ!)
口元が緩みそうになるのを堪えながら、ユリウスの袖をきゅっと掴む。
「ユリウス」
「……?」
怪訝そうなユリウスの表情を機と捉えて、シャルロッテは不器用ながら芝居を打つ。
「……、……熱が、ぶり返してきたかも……」
いつも振り回されてばかりだから揶揄ってみようと、シャルロッテは上目遣いで振り向いたユリウスを見上げる。
シャルロッテの顔には、慌てるユリウスを少しでも見たいという思惑が露骨に表れていて、その態度が意図的なものであることは明白だった。
――が、何故か。
「……そうか、それは大変だな。俺が運んでやろう」
「えっ!?……きゃあっ」
肩と膝の裏に腕を回され、シャルロッテは抱き抱えられる。予想外の展開にシャルロッテは目を白黒させる。
「ちょ、ちょっと待って!このまま部屋に戻るなんて正気!?恥ずかしくないの!?」
ユリウスではなくシャルロッテが慌て、狼狽の色を隠せずに矢継ぎ早に捲し立てる。
対して、シャルロッテの代わりに優位に立ったユリウスは、心底心配しているようにシャルロッテを見遣る。だが、その瞳はこの状況を完全に面白がっていて、シャルロッテは歯噛みする。
「俺は恥ずかしくないが?ただ病人を介抱しているだけだからな」
「っ……!」
自ら大義名分を与えてしまったことに気づき、悔やむ気持ちを抱きながらシャルロッテは下ろせと抗議する。
「ユリウスのばかぁ」
恥ずかしさで瞳を潤ませたシャルロッテは、出来るだけ強くユリウスの胸を叩く。だが、当の本人はどこ吹く風といった様子で意地の悪い笑みを浮かべる。
「何とでも言え」
「早く下ろして!このまま城内を歩きたくないわ」
「落とすことはないから安心しろ」
「そういうことじゃないの!」
ユリウスは喚くシャルロッテを一笑に付すと、姫に仕える執事のように恭しく歩き出す。
抵抗するだけ無駄だと悟ったシャルロッテは、素直にユリウスに身を任せる。体を支える腕は優しく、しかし揺れないようにと力強く回されている。
「ユリウス、ありがとね。……愛してる」
「……俺も」
シャルロッテは頼もしい温もりにつつまれ、思った。
――手紙に書くことにはもう困りそうにもないな、と。
『親愛なるお父様へ
夏の気配を感じる頃になりましたが、
如何お過ごしですか?
慣れないながらに出来るだけ丁寧に書いている
ので、笑わないで読んでくださいね!
最近は久しぶりに熱が出てしまってお返事が
遅れてしまいましたが、許してください。
体調はもう大丈夫です!
先日、偶然お父様がユリウスに私的に送った
手紙を見てしまいました。
結婚相手のことでお父様に気を遣わせてしまっ
たこと申し訳なく思っています。
でも、そのお陰もあってユリウスとの信頼も
築けたので感謝もしています。
そのことが無ければ、ユリウスを疑うことも
無かったかもしれませんが、彼を心から信じよ
うと思うこともきっと無かったでしょうから。
だから、わたくしは今とても幸せです!
お父様とお母様にも負けない信頼と愛のある
結婚が出来たので、もうわたくしのことを
心配しなくても大丈夫です!
それでは、
季節の変わり目ですので、お父様も
ご自愛くださいませ。
シャルロッテより』
完結です!
最後までお読みくださり、ありがとうございました!