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4話

「全然言葉が思いつかない……」


 羽根ペンを放り、シャルロッテは天を仰ぐ。

 先日、シャルロッテ宛てにアルテンシオン王国から手紙が届き、何かと思えば父からの心配の文が綴られたものだった。


 父と言えば、どうしても先日見てしまった手紙を思い出してしまう。


 ――表面上の愛。

 ――騙し続ける。


(お父様はただわたくしを思って書いただけ。……――実際、わたくしはその表面上の愛で幸せな日々を過ごしていたのだものね……)


 幸せを感じていたというのに、どうしてこうも涙が溢れてくるのだろう。


(ユリウスと過ごす日々は、何にも代えがたいほどに楽しくて、幸せで――)


「……そっか、わたくしユリウスを愛しているのね」


 言葉にして意識した途端、ユリウスへの気持ちが膨れ上がり、しかし報われないとわかっている理性がそれを、抑えようとする。そんな言い表せない感情はやがて涙に変わる。


「手紙には、ユリウスとの仲の良さを書くつもりだったんだけどな……」


 ユリウスが帰ってきてから2週間が経ったが、出迎えた時以来、ユリウスとはまともに顔を合わせていない。

 ユリウスには執務室を空けていた間に溜まっている公務があるため当分は忙しいようで、シャルロッテはシャルロッテで今顔を合わせるのはたいへん気まずいので、結局会話すらしていないのだ。一応、それでも夜は同じベッドで眠っているのだが。目を合わせることも気が引けたシャルロッテは、寝た振りをして誤魔化していた。そんなシャルロッテに、ユリウスはいつも一言、愛している、と告げて寝室を出ていく。手紙を見てしまったシャルロッテは、その言葉を信じることも出来ず、しかしかといってユリウスに本心を尋ねることも出来なかった。


(……今頃ユリウスはわたくしが手紙を見たことに気がついているのでしょうね……)


 あの日持っていった封筒は悩んだ末に机に置くことにしたので、シャルロッテは抽斗の封筒は目にしていないフリをすることにした。

 が、あの時は動揺していたため、例の封筒をもとあった一番下に戻すことを忘れていたのだ。ユリウスは恐らく意図的にあの位置に仕舞っていただろうから、位置が変わっていれば誰かが見たことに気づいてしまうだろう。


(もうずっと同じことばかり考えているわ……)


 シャルロッテが自室に引き籠もっていることに対してユリウスは、勿論不審には思っているだろうが今のところ何の接触もない。


「はあぁ……」


 ユリウスのことや悩みを一度忘れようと、父からの手紙の返信を書こうと思ったのだが、どうしても先日の出来事が過ぎり、一文字として進んでいない。

 便箋と向き合い始めてから既に2時間以上が経過しているというのに。

 そんなシャルロッテを見かねて、机から落ちそうになっている羽根ペンを拾い上げながらハンナが声を掛ける。


「――少し休まれてはどうですか?」

「……、……そうね」


 何も出来ていないが、仕方が無い。シャルロッテは机に手を置き、腰をあげる。


「そうする……っあ」


 だが、立ち上がった途端足から力が抜け、床に崩れ落ちる。


「皇太子妃様っ!?」

「……大丈夫、少し、足に力が入らないだけ……」


 そう言いながら立ち上がろうとするが、足は疎か、腕にすら力が入らない。


「お支えします」


 脇からハンナの腕が差し込まれ、シャルロッテは肩を借りながらベッドまで辿り着く。そしてそのまま倒れ込むようにして体を横たえる。


「失礼いたします」


 深く息をついていると、額にハンナの手が乗せられる。冷えた手が気持ちいい。


(…………ううん、わたくしが熱いのね)


「熱があります。すぐに、医者を呼んで参ります」

 

 体が熱っぽく、自分のものではないように感じられるほど重い。

 この感覚には覚えがある。幼い頃――まだ体が弱かった頃には、毎日気怠く、起き上がることすら儘ならなかった。


(すっかり油断してた、わ……)


 まとまらない思考を持て余したシャルロッテは微睡みに全てを放棄した。





 

「――シャル、大丈夫か」

「ん……」


 浅い眠りに身を委ねていたシャルロッテは、自身を呼ぶ声に億劫そうにしながらと瞼を開ける。

 開いた視界には、跪いて視線を合わせるユリウスの姿があり、安堵やら喜びやら様々な感情が溢れ出す。


「シャル……どうして泣いているんだ?」

「え……?」


 次いで聞こえた言葉にシャルロッテは目を瞠る。

 シャルロッテの瞳からは、宝石のように大粒な透明の雫が溢れていた。

 ユリウスは伸ばした指の先で雫を払いながら、心配の色を瞳に滲ませる。


「熱が出て倒れたと聞いた。シャル、何かあったのか?」

 

 倒れたとは大袈裟だ。そう言って茶化してしまいたいのに、その声に縋りたくなってしまう。

 だいぶ軽くなった体を、ユリウスに支えられながら起き上がらせる。 


「……何も、ない」

「そんなはずがないだろう」


 敢えて強気な態度を取ってしまった自分に嫌気が差す。こんな風に突き放すような言い方をして、心優しいユリウスが気にしないはずがないのに。


「ユリウスは……っ悪く、ない」


 震える声を振り絞り、シャルロッテがそう言うと、ユリウスは、はっと息を呑む。それから言葉を探すように目を伏せると、淡々と問う。


「……、……やはり、手紙を見たのか」


 後悔したように額に手を当てるユリウスに、シャルロッテは悄然とする。


(ユリウスがこんな表情をするってことは、やっぱり手紙に書かれていたことは本当、なのよね……)


「……見るつもりは、なかったの」

 

 視線を合わせるのが怖くて、俯きながらそう言う。

 目を見てこの胸の内を見透かされるのは嫌なのに、ユリウスが今どのような表情をしているのか、どうしようもなく気になってしまう。


「今、シャルは俺に対してどう思っている……?」


 不安が感じ取れる、明らかに動揺したその声がユリウスらしくなく、シャルロッテはぎゅっとシーツを握り込む。


「……正直に、答えて欲しい」


 切実な声色に、胸中で暴れる感情を委ねたくなってしまう。


(でも、傷つけたくない……!)


 躊躇いながら、それでも最後には感情のままに言ってしまった。


「ユリウスのことは、信頼していたわ……けど、あなたはわたくしのことを信じては……っ愛してはいない――っ……!」


 それ以上の言葉を許さないとでも言うように、ユリウスはシャルロッテの小さな体を掻き抱く。


「……済まなかった」


 耳元で告げられる謝罪の言葉は、何に対して言っているのか。


「どうして、謝るの……?」

「今も……今までずっと、苦しませたこと」


 ユリウスは抱き締める手を緩め、シャルロッテの潤んだ瞳を哀しげに見つめる。


「信じてもらえないと思うが、……――俺は、シャルを愛している」


 切なげな表情とは反対で力強いその声に、否が応でも嬉しいと思ってしまう。けれど――


「……、……その言葉だって、政略結婚のための(偽り)なのでしょう?」


 感情を押し殺して吐き出した言葉には、はっきりとした拒絶が含まれていた。


(こんなこと、言うつもりじゃなかったのに……)


 ユリウスの強張った顔を見ていられず、シャルロッテは顔を俯かせた。


「――シャル」


 頤に手を添えられたかと思えば、上を向かせられる。

 ユリウスの真っ直ぐな眼差しと視線が交わり、居た堪れなくなって視線を逸らしたくなる。

 それでも、その吸い込まれるような澄んだ空色の瞳から目を逸らすことはできなかった。


「俺のことを嫌いになっても良い。それでも、俺はシャルを愛している。……これだけは、真実だ」

「……」


 独白のように零される静かなその声に、シャルロッテは黙って耳を傾ける。

 その頬には、涙が伝っていた。


「シャルが嫁いでくるまでずっと、不安だったんだ。俺は、望まれた存在ではないから。きっと誰からも愛されることはないと思っていた。……だが、シャルは……シャルだけは、俺の名を呼び、俺の存在に意味を持たせてくれた。俺がシャルを愛さない未来など、永遠に来ない」


 普段あまり自分のことを語らないユリウスのその言葉には、ユリウスがこれまで感じていた苦しみが含まれていて、シャルロッテは自分のことのように胸が痛んだ。

 


「…………信じても、いいの?」


 直向きな言葉を受けて、悩んだ末に零れた声は情けないくらいに震えていた。


「信じてくれるのか……?――俺は、シャルを裏切ったのに」


 苦しげな声に、どうしてか泣きたくなる。それをぐっと抑えて、言葉を紡ぐ。


「ユリウスのわたくしへの気持ち以前に、……わたくしは、……その、ユリウスが好き、だから」


 驚いたように目を見開いているユリウスの視線が恥ずかしく、シャルロッテは早口で捲し立てる。


「だ、だからっ、ユリウスを信じるのは、自分の気持ちに素直になるだけ」


 それだけだから、とシャルロッテは自分に言い聞かせるように繰り返す。

 ユリウスへの疑念が完全に消えた訳では無い。だが、それは愛する人だけは信じるという信念を曲げるほどではなかった。


「……ありがとう、シャル」


 噛み締めるように、ユリウスはシャルロッテを抱き締め続けた。

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