バカに付ける薬はない
うちのマンションの特徴を少し書いてみたい。
RC(鉄筋コンクリート)四階建て、エレベーターなし。立地はJR環状線M駅から徒歩五分の車通りの少ない商業地区にある。昼間は人通りがけっこう多いが、夜間は駅がすぐ近くにあるにも関わらずほとんど電車の騒音は聞こえない。本当に静かな場所に建っている。すぐ近くに商業施設や学校、公園、病院などもあり、大変利便性に優れた立地だと言えよう。
間取りは二タイプあり、一つはファミリー向け2LDK(48㎡)、そしてシングル向けの1DK(28㎡)だ。ファミリータイプが九戸、シングルが六戸、それに僕の住む管理人室、合わせて十六戸に、その他、一階に車五台停めることのできる有料駐車場がある。
当時のマンションの収支について少し具体的に書いてみる。お金の話である。
当初の家賃について。うちのマンションの間取りは二種類あると前述したが、その内、ファミリータイプの家賃は、部屋により多少の差異はあるけれども、平均で月約十一万円。シングルが七万円だった。ファミリータイプの敷金に至ってはなんと百万円だった。都心とは言え、たかだか五十平米もない2LDKの敷金が百万とはまったくアンビリバボーである。
今やゼロ・ゼロ(敷、礼共に0円)物件どころか、入ってくれれば引っ越し祝い金や成約金までプレゼントしてくれるトチ狂った物件まで世間にはざらにある。しかし実際この当時の大阪市内で築の浅いマンションの賃料相場は大体がうちぐらいであった。みんな本当にお金を持っていたのだなあと感心する。そりゃあ銀行だってガンガン強気で融資を勧めるのもわかる。
当初、D銀行側の提案した、うちの収支の試算表について大まかに数字を上げて書いてみたいと思う。数字を縦書きで書くので少しわかりにくいかもしれないが、これはそう言うハウツー本ではなく、私の体験談を基にした私小説であることをご理解いただきたい。
まず収入について、満室時の家賃総額は、駐車場も入れて月に約百四十万円、年間にして×12 一千六百八十万である。次に支出。年約一千万円をローンの返済に充てる。そして年約百万円の固定資産税、その他維持費、リフォーム代、修繕費等の必要経費が多めに見積もって年約二百万円。計一千三百万の支出。一千六百八十万から千三百万を引けばなんと四百万近く残る計算になる。
正確にはもう少し少ないが、当初二年ぐらいはこの試算通りにこれに近い金額が残った。しかしあくまでこれは満室時における話である。また家賃収入はこれ以上増えることはないが、逆に減ることは大いに考えられる。
そして何より恐ろしいことは、年一千万を返済したとして、三十五年。単純に計算すれば×35 つまり三億五千万になる。いやいやちょっと待ってほしい。母が借りたのは一億八千万だったではないか。それがほぼ倍額ではないか!
つまり三十五年のうち、その半分近くの十七年間は利子ばかりで借金の本丸である元金は一円も減らないと言うことだ。こんなこと、ちょっとお金に詳しい人なら誰でも知っているに違いない。しかし僕も、判子を突いた母もそんな単純なことすら知らなかった。オレオレ詐欺も裸足で逃げ出すかと思ったが、僕の単なる勉強不足である。が、このシステム自体がオレオレ詐欺だろう。もう銀行の奴隷になった気分だ。
しかしタチの悪いことに、当初、実際に毎月手元にお金が残った。とりあえず僕は、浮き浮きしながらトヨタのディーラーへ行き、新車のカローラをキャッシュで購入した。そして順調に債務を返済できると暢気に構えていた。それどころか、こんなに儲かるなら、貯まったお金でさっさと繰り上げ返済すればいい、などとへそで茶を沸かすようなことを考えていた。
母がまだ存命の頃、大阪に戻った僕は、やはり先行き不安だったのですぐに再就職していたが、マンションがこんなに儲かるなら、さっさと仕事を辞めてこれで悠々自適に暮らして行けると考えた。
あまつさえ、「俺、五十才になったら仕事辞めて、世界中を旅して回るんだ」などと友人に大風呂敷を広げたこともあった。本当にバカに付ける薬はない。
続く