最終話
その後N野さんが警察に逮捕されたかどうかはわからないが、略式で罰金ぐらいは食らったのではないかと思う。
さてそれから半年ぐらい経った時のこと。相変わらずN野さんの千円貸して攻撃は続いていたが、ある時、N野さんが道で倒れて救急車で搬送されたという情報が耳に入って来た。どうやら脳梗塞らしい。
しばらくしてN野さんはマンションに戻って来た。しかしながら4階まで階段で上がり降りするのはちょっと無理になって来ていた。それでもN野さんは酒だけは止めない。コンビニの駐車場の端っこで座り込んでビールを飲んでいる姿を近所の人に度々目撃されていた。そして金がなくなるとさすがに万引きは懲りたのだが、今度は私だけではなく誰彼となくビール代をタカるようになる。
駅前で道行く人に5百円貸してくださいと声を掛けているらしい。ホンマかいな? と思っていたら、なんと知り合いの不動産屋から「お宅のN野さんから小銭貸してくれと駅前で声を掛けられた」と教えてもらった。ここまで来るともう恥も外聞もない。それで私に対してあの人何とかしてくださいと苦情を言われる。私はN野さんの身内でも保護者でもない。ただ部屋を貸しているだけの大家である。それはおかしいだろう。
そんなある日のこと、マンション住人からまたとんでもない苦情が入った。
「大家さん、階段やら廊下に糞尿が落ちてます。何とかしてください」
最初は野良猫でも入ったのかと思ったが、一階から階段に点々と黄色い液体が落ちている。辿って行くと、四階のN野さんの部屋まで続いている。間違いない。体調不良でシモもゆるゆるなのに、さらにビールを飲んでいるのだからそうなる。 呼び鈴を鳴らしても反応がない。もしかしたら部屋で何かあったのではないかと思い、すぐに合鍵で開けて入ってみる。すさまじい悪臭が漂う部屋で、N野さんは鼾を掻いて寝ていた。起こしてみるが、酩酊していて話にならない。
その間にも住人から苦情が入るので、私は仕方なくバケツとモップを持って一階から四階まで落ちている糞尿を掃除した。ものすごく気分が悪かった。何でこんなことまでしなければならないのか! ああこれはもう無理だ。N野さんはここには住めない。このまま放っておけば、N野さんはここで本当に死ぬかもしれない。私は身に危険を感じた。何とか出てもらわなくては。
それから数カ月の間、状況は酷くなる一方だった。もう自力で階段を上がって部屋まで帰ることはほとんどできなくなっていた。N野さんは部屋で具合が悪くなると、自分で救急車を呼んだ。ところが救急隊員がやって来ても徒歩で帰ることのできる病院でなければ搬送を拒んだ。帰りのタクシー代が無いからである。しかし自ら救急車を呼んで断るとは、しかもそれも一度や二度ではない。救急隊員も災難だ。
このままでは埒が開かない。私は区役所の生活保護窓口に陳情に行った。
N野さんは自力で四階まで階段を上り下りができないので、一階かエレベーター付きのマンションに転居できないか? その際の転居費用を行政で出してほしいと訴えたが、窓口の人は言う。
「本人に転居の意志がなければダメですね」
「いや、そんなこと言うても部屋まで戻れないんですよ? もちろん買い物だって行けません」
「では包括支援センターでケアマネージャーさんに来てもらうようにしてください」
「あの、私はあの方の保護者でもなんでもないのですが?」
「そんなことおっしゃられてもね」
何がそんなことおっしゃられてもね、だ。おそらくN野さんみたいな人は世に大勢いる。冷酷なようだがどうしようもないのだろう。その時の私の頭にあるのは孤独死の一点だけである。N野さんもそれがわかっているから強い態度に出られるのである。「わし放っておいたらここで死ぬで、死んで腐るで、困るのはあんたやで。何とかしてや」である。まるで自分を人質にした脅迫みたいに感じた。
私はその足で地域包括支援センターに向かった。印象として役所よりもまだ包括さんの方が人間味があると感じた。すぐにケアマネを派遣して介護認定をしてもらうように話はついた。そのおかげで週に三日、ヘルパーを派遣してくれるようになる。これでほんの少しではあるが孤独死の恐怖から逃れることができた。
さてそして肝心のN野さんの家賃の支払いだが、なんとN野さんは、キャッシュカードの暗証番号を忘れてしまってお金の引き出しができなくなっていた。たぶん認知症もかなり進行しているに違いない。仕方がないので銀行へ通帳と印鑑を持って行って引き下ろすしかない。生活保護は定期的に必ず入金されているはずなので口座にお金はあるはずだ。
しかし本人は体が動かないので下ろしには行けない。どうするか? そう、私が代理で行くしかない。しかし銀行は一筋縄ではいかない。まず通帳と印鑑だけ持って、代理で来ましたなどと言っても容易に引き出せるはずがないのである。
私はこの方の住んでいるマンションのオーナーである。そして本人が動けないためにATMまで出向いてお金を下ろせないし、尚且つキャッシュカードは番号がわからないので使用できません。でも私は家賃を頂かなければいけません。この説明を三人ぐらいの銀行員に説明して、やっとちょっと偉い人が出て来た。
「N野さんがお宅のマンションに住んでいる証明とお宅様の本人証明が必要です」
ようやくである。すぐに賃貸契約書を取りに戻り、ようやく信用してもらうことができた。家賃を貰うだけでとんでもない手間だった。しかも今後あとどれだけ平日にこんなことをしなければならないのだろう。そうして三度目の銀行通いが終わったころのこと。
あの大家さん千円貸してください、から三年は経っていた。ある日、帰るとマンションの下に救急車が停まっていた。野次馬の中に、ヘルパーさんの姿があった。
「ああ、大家さん、N野さん意識が無くて救急車呼びました」
「え?」
こうしてN野さんは入院することになった。数日後、退院はしたがそのまま施設に入所することになる。ようやく行政が重い腰を上げたのだろう。それから数日後に、業者が部屋に置き去りにされた荷物をすべて回収して行った。
N野さんの出た後の部屋は酷い有様だった。入ったとたんに強烈な異臭が鼻を衝く。1DKの部屋のリフォームに五十万もかかってしまった。それでも臭いが取れない。その後二年間は次の人が入ることはなかった。ただ部屋で孤独死しなかっただけでも幸いである。その後N野さんがどうなったか知る由もない、というか知りたくもない。でも世の中にはN野さんみたいな人が星の数ほどいるのだろう。こんなこと言いたくないが、自分の将来は、間違ってもN野さんみたいにはなりたくないと思った。
ここまで長々と僕のつまらない愚痴をお読みいただきまして感謝いたします。
マンション一棟15世帯の人々が暮らしている。賃貸とはいえ拠り所である。私はここで部屋を借りて住む人々の生活にじかに寄り添っていかなければならない。15世帯なら15通りの人生禍福ありだ。しんどいけれどもうしばらく付き合ってみるか。天国の母の顔を思い浮かべながら。
了




