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N野さんの場合

 8、N野さんの場合


 いよいよ真打登場である。この30年来、うちの入居者でN野さん以上に破天荒な御仁を見たことがない。

 N野さんは今から13年ほど昔に、事業に失敗したとかで、手持ちの財産をすべて失ってうちの405号室(1DK)に引っ越して来た。その際、離婚もされて、独り身で入居された。賃貸契約の連帯保証人は別れた奥さんだった。

 当時年齢は確か60才ぐらいだったと記憶している。職を失い、生活保護を受けられているということだった。またしても生活保護かと思うが、当時私は、生活保護受給者に対してそこまで悪い印象を持っていなかったので、いつもながら空室にするよりもマシだと思って、応募を受けることにした。

 当初は良かった。生活保護の家賃扶助も随分と高かった。ひと月4万5千円もあったのだ。家賃は5万円で、差額の5千円を家賃扶助に足して払っておられた。

 N野さんは高齢でもないし、何か持病があるわけでもないのに、どのようにして生活保護申請が通ったのかわからない。わからないがこちらとしては毎月の家賃さえ払ってくれていれば何の問題もない。

 それから月日は流れ、10年が経った。そこまで大変順調に過ぎて行った。だが、N野さんは依然として職に就く気配はなかった。理由はわからないが、初老の男一人、生活保護の範囲内で、贅沢をしなければそこそこ暮らして行けるのであろう。まったく有難い制度である。

 ある日、みんなの情報屋401号のおばちゃんからこんなことを聞いた。

「にいちゃん、405号のおっちゃんおるやろ? あのおっちゃん、うちでちょくちょくご飯食べてくれてるんであんまり言いたくないんやけどな、あちこちで金貸してくれって言うてるみたいやで。そんな大金やないんやけど、うちも5千円ほど貸してくれ言われたんや、まあうちは断ったけど、にいちゃんとこへは言うて来えへん?」

「いえ、うちには何も」

「そうか。それやったらええんやけど、ちょっとアレやでな」

 確かにちょっとアレである。聞き捨てならない。しかしこの時はまだそこまで問題視していなかった。

 それから数カ月後、夜、うちのピンポンが鳴った。慌てて出てみれば、薄汚れたTシャツによれよれの短パン姿のN野さんが立っていた。まだ春なのにそのようないで立ちだった。

「大家さん、すみませんけど千円貸してもらえませんか? お金なくてご飯も買えませんねん」

「はい?」

「明日返しますよって、千円貸してください」

「わかりました」

 私はそれぐらいならと気の毒に思い、千円渡した。後にわかったことだが、実はこれがN野さんの手口である。N野さんは食品など買わずに、その千円でビールや酒を買っていた。そういえばあまり呂律が回っていなかった。つまりアルコール中毒だったのである。

 それ以後も、寝静まった夜中であろうが早朝であろうが、ピンポンが鳴る。それで出なければ私の携帯が鳴る。仕事だから出ないわけにはいかない。そして出ると「千円貸してください」と同じことを繰り返すわけである。もう怖かった。

 しかし私は、その千円がアルコール購入のためだと知ってから一円たりとも貸すことはなかった。一度断っても数分後に再びやって来る。何度でもやって来る。借金取りがしつこくやって来るという話は聞いたことがあるが、貸金取りがしつこくやって来るなんてこと前代未聞である。まあ貸す私が悪かった。

 私が貸さなくなったそんなある日のこと。私の下へ生野署員を名乗る私服刑事がやって来た。

「この人、ここに住んでますか?」

 防犯カメラに映った顔写真を見れば、N野さんである。

「はい。うちの住人ですが何か?」

「コンビニでの窃盗容疑ですわ」

「窃盗!」

「万引きですわ」

「ああ、もしかしてビール、ですか?」

「ええそうなんですけどね、ちょっとタチが悪いんです」

「一件だけやなくて近隣数件のコンビニで犯行に及んでいるらしくて、被害届が出てるんですわ。おまけに犯行に及ぼうとしたところをコンビニ従業員が注意したら、犯人呼ばわりするとは何事やって言うて、逆に慰謝料まで請求しようとしたらしいですわ」

「ほんまですか! それはタチ悪いですね」

「まあ高齢で初犯らしいのであんまり荒立てるのもね。せやけどここらでちょっとお灸すえようかと思いまして」

「なるほど」

                                     続く

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