負債も相続
「ずっと胃の具合が悪いのよ。それで先週、検査を受けたんやけど……」
風呂から上がった僕を待ち構えていた母は言った。その時まで僕は気付かなかったけれど、母の顔を間近で見ると、目だけが異常に黄色く見えた。
「もう結果わかってるの?」
「うん、胆石らしいねん。せやけど、先生があんたといっしょに来いって言うんよ」
「胆石か……」
僕は真正面を向き合う母の顔からたまらず目を逸らした。
――翌朝。
真冬のよく晴れた空の下、僕と母はタクシーで病院へと向かった。
「これがわたしの死に病かもしれへんな……」
途中、信号で停まったタクシーの中で、母がぽつりと呟いた。僕はそっと母の顔を見る。でも何も言えなかった。思わず反対側の車窓に目を向けると、風に揺れる大きな銀杏の街路樹が見えた。梢に僅かばかり残った黄色い葉っぱが、通りを吹き抜けて行く木枯らしに必死で耐えている。
病院に着いた。
「胆管、それも肝臓内を通る側に悪性腫瘍があります」
母に付き添って出向いた総合病院の内科で、母の主治医から告知を受けた。この病院では、患者本人にできる限り直接告知を行うことが基本方針だった。だから母も僕もその覚悟で臨んでいたが、母は何も言葉を発することなく、神妙な面持ちで、ただじっと医者の話に耳を傾けていた。僕は、それがまるで映画かテレビドラマのワンシーンみたいで、全然実感が湧かなかった。
ただその投影機に貼られたMRI写真には、畏怖しながらもなぜか引き込まれる魅力があった。墨のようなどす黒い中に、糸屑を散らしたような白点が多数写っている。こいつが死に神なのか。妙に美しいと思った。母から電話のあったあの夜、小さなブラウン管に映し出されていた夜戦の映像にどことなく似ていると思った。
余命一年。医師は言う。癌が難しいところにあって手術は無理とのこと。抗癌剤投与と放射線治療で、ある程度延命効果は望めるだろうが、この癌の五年生存率は二割にも満たないらしい。そしてこのまま何もせず、緩和療法のみならば、長く持って十ヵ月だった。さっき車で呟いた母の〝死に病〟の一言が僕の心に突き刺さった。
2、負債も相続
母は告知を受けてから最初のひと月ほど酷く落ち込んでいた。しかし元来、母はとても気丈な女だった。いつまでもただ死を待つだけで、今そこにある現実から目を背けていたらそれこそ人生の敗者となってしまうと思ったのだろう。だから彼女は考えた。わずかに残された時間で何をなすべきかを。
それは多くの親がそうであるように、たった一人の子供である僕のことだった。どうも僕はよほど頼りないと思われていたらしい。先立つ身としてはこんな頼りない息子一人置いて逝くことが心配で心配でたまらなかったのだろう。
その一方、僕はと言えば、告知を受けた母のことがとても心配ではあったが、現状、九州での仕事を放り出すわけにも行かない。何かあったらすぐ連絡するようにと伝えて、後ろ髪を引かれる思いで一旦九州に戻ることにした。
それから約半年。僕は毎晩仕事が終わった後に欠かさず実家に電話を掛けた。電話口でごく普通に振舞っていた母ではあったが、痛みに耐え、抗癌剤治療や、放射線治療など相当に辛かったはずだ。でも結局電話では最後まで一言も弱音を吐かなかった。そんな母が、ある日、電話口でこう言った。
「わたし、アパート売ってマンション建てることにしたから」
「ええ? ちょっと待って、何でこんな……何で今なん?」
僕は随分と驚いた。つまり親の心子知らずだったわけだ。それは僕を置いて逝ってしまう母にとって、考えた挙句の決断だったのだろう。
続く