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Y田さんの場合①

 5、Y田さんの場合


 この章の冒頭にも書いたが、生活保護を受給している居住者もいろいろな人がいる。いい人も、そうでない人も。あまりタチの良くなかった人のことを書くのは気が進まないが、自分の考えの甘さを見つめなおし、こういう常識外れの人もいるんだと言うことを広く認識していただきたいので書いておきたいと思う。 

 二〇三号室(2LDKファミリータイプ)に入居された、Y田さんは、三十代女性。シングル。バツ有り。結局最後まで、何をやっている人なのかよくわからなかった。たぶん反社会の人の情婦であると予想する。結論から言うと、最後は警察に捕まった。

 この方を連れて来たのもやはりSホームさんだった。例のごとく、夜のお仕事をされている人、と言うことだったが、最初から腑に落ちない点があった。

 まず家族構成。Y田さんが母親で娘が二人いることになっていた。そして勤務先は横文字の店舗で職種は接客業。と言うことは、前述の亡くなったM口さんと同じくお水だろう。保証人はその名前からして、どうも日本人ではなさそう。そして極めつけは、生活保護受給者であると言うこと。怪しさ満載。 

 今思えばどうして僕は受けてしまったのだろう。そして引っ越されて来たが、二人の娘さんがいない。尋ねると、親権の調停中で、現在は別れた旦那さんの方にいるとのことで、Y田さんの独居ということになる。しかし常に男性の出入りがあった。おそらく、保証人であると思われる初老の男性がパトロンさんだと思ったが、それ以外にけっこう若い男性も何度か出入りしているのを見掛けた。

 入居して半年ぐらい経った頃から二階の居住者からちょっと気持ちの悪い苦情が来るようになった。ある晩、夕食を食べていた時、二〇一号の水漏れマダムから電話があった。

「家主さん、すみません。すぐ来てください! すぐです!」

 いろいろ問題の多い人やな、また水でも漏らしたか? と思いつつ、箸を置いていそいそと二階へ向かい、インターホンを押すとすぐにドアが開いた。その顔は引きつっている。マダムの後ろに幼い子供もぴたりとくっついて離れない。明らかに何かに怯えている。やな予感。

「家主さん、すみません、ちょっと入ってください。散らかってますけど」

 そう言われて僕は、香水がツンと鼻を衝く部屋へと入り、マダムに言われた通り、洗面所へと向かうと……。

 あっ、貼り替えたばかりの白いクロスに何かいる。一目でわかった、ゴキブリだ。しかもかなりでかい。奴は壁にくっついたままじっと動かないが、その二本の長い触角だけが必死で何かを感じ取ろうとしている。いつ見ても醜悪な姿だ。

 え、もしかしてこいつのためだけにわざわざ夕食中の僕を呼びつけたのか。ああ、漂っていた匂いは香水ではなく殺虫剤だ。

「お願いです、家主さん、何とかしてください! 殺虫剤掛けたら飛ぶんです、リビングから飛んでここまで逃げて来たんです!」

 そら飛ぶやろ。向こうも命懸けなんやから。と思いつつ見たマダムのその顔は青ざめ、ほとんど泣いている。そこまで、そこまで、怖いのか。この世で一番怖いものを見た顔だ。僕はマダムの怯え方に変に女子を感じつつ、もちろんすぐに対応させてもらった。

「ああ、すみません、助かりました。こういうのはやっぱり男の人じゃないと」

 マダムは僕の手を両手で包み込むように握りながら言う。感謝。

「いえいえ、いつでも呼んでください」

 心にもないことを言ってしまう僕も下心満載か。しかしこのマダムにはいろいろと驚かされる。なかなか楽しませていただいた。

 僕がティッシュに包んだ死骸を片手に、(お前なかなかええ仕事するやないかと思いつつ)出て行こうとしたら、マダム、少し気になることを言った。

「家主さん、ゴキブリ、前まで見なかったのに、ここ最近、ちょくちょく見掛けるようになったんですよ。廊下とか階段とかにもいますよ」

「暑いから、チェーンロックだけ掛けて、扉を少し開けておられませんか?」

「はい、おっしゃる通りです」

「ここ二階やから、十分上がって来ますよ。それでチェーンロック分のドアの隙間から中へ入ります」

「ええっ! わかりました! 閉めます、すみません」

 しかしこのマンションでは今までほとんどゴキブリは見掛けなかった。一階の僕の部屋でさえ、年に一匹も見ない。建物も古くなってくると現れ始めるのだろうか。それとも地球温暖化の悪影響だろうか。注意しなければ。そう考えて僕は、ゴキブリに対する注意事項として、扉、窓の開放は控える旨の貼り紙を掲示板に揚げた。

 それから数日後。

 二〇三号室のお隣の二〇二号室の方から、苦情とまでは行かないが、ある報告が届いた。

 二〇二号さんは、六〇代のお母さんと三〇代の息子さんの二人暮らし。とても仲の良い親子。ずっと昔、入居時には息子さんに嫁がいて三人で暮らしていたが、お母さん(姑)と折り合いが悪く、夜中に大喧嘩して出て行ってしまい、今は親子二人で暮らしている。

 またまた本筋から外れて申し訳ないが、なかなか面白いので、ちょっとだけその時の様子を書いてみる。

 あの大喧嘩の時、僕も大きな物音を聞きつけて飛んで行った。旦那である息子が、切れた嫁に押し出されて戸外に出た隙に、なんと中からチェーンロックを掛けて、嫁さんが姑を人質に籠城? してしまった。

「こら、何するんじゃ! 開けろ!」と、夜中の一時に館内に響く三〇代息子の怒鳴声。各戸の住人が何事かとぞろぞろ通路に出だす。そして息子がドアを開けようと、何度も何度もドアノブを引っ張るがその度に、ガン、ガン、とチェーンロックに引っかかって開かない。

「ちょっと息子さん、やめてください! 近所迷惑です」

 僕が止めるのも聞く耳を持たず、ドアを何度も引っ張る息子。

 よく刑事ドラマとではないが、でっかいチェーンカッターでもなければ、そんなぐらいでチェーンロックが外れるわけないやん、と僕は鷹を括っていた。

ところが、なんと息子、最後に渾身の力を込めて引っ張った時、ガキン! と言う音と共に、ドア枠側の固定部が外れてしまった。開いた扉からだらんとチェーンがぶら下がっている。怖っ! 

 その時僕は、こんなに簡単にチェーンロックは外れるのだと、防犯についての認識を新たにした。でっかいチェーンカッターなんかいらない。

 しかし、なかなかエキサイティングだった。防犯について得た知識も一つにはあったが、それよりも嫁姑は人類永遠のテーマだとこちらも認識を新たにした。もちろん、壊れたドアの修理代は頂いた。

 脱線が多くて申し訳ない。さて、その息子大好き籠城お母さんの方が、僕に言う。

「あの、大家さん、二〇三の人、ちょっとおかしいですよ」

 いや、あなたがたも十分おかしかった、と思いつつ、僕は尋ねる。

「何でしょうか?」

「あのね、夜になったら、ドアの下の隙間から通路に水が大量に洩れてるんです」

「水?」

「ええ、中で水でも撒いてはるんと違いますか? それと最近ね、小さい小バエがすごいんですよ」

「小さい小バエ……」

 大きな小バエはいないだろうと、ついつい上げ足を取りたくなるが、問題はそこじゃない。

「わかりました、聞いておきます。わざわざどうも」

 そこで僕は二〇三号のY田さんに聞きに行った。

                                  続く

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