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生活保護窓口

 生活保護窓口は、福祉課とは違う階の別室にあった。面倒な輩が多いために、隔離されているのか? と思う。扉は開放されていたが、部屋に入ったところ、ものすごく気が濁っているなと感じた。

 ずらりと並んだ待合の長椅子に、高齢の男性ばかりがギチギチに詰め合って座っていた。どの人を見ても、あきらかにもう何日も風呂に入っていないのではないかと思えるような不潔感が漂っていた。

 ここは、本当にこの国の底辺なのだと思った。大変上からで申し訳ないとは思うけれど、ここに座っているどの人も目が死んでいる。生きる目標とか、向上心とかそんなものまったく感じられない。〝生きることを生きる〟この言葉以外に思いつかなかった。

 おそらくここに来た人は、皆、やむ得ない事情で保護の申請にやって来たのだろう。整理券が二桁以上。こんなにたくさんの人が毎日ここにやって来て行政の保護を受けている。

 でも、将来、もしかしたら何か起こって、自分もそうならないとも限らない。そう考えた時、決して他人ごとではないと思えて怖くなる。

 持病を抱えて細々と日々の暮らしに追われたH山さんもきっと同じ社会的弱者なのだろう。とは言え、今はそんな甘いことを考えるべきではない。なぜなら、少なくとも今、僕は、ここに座っている人から、言い方は悪いけれど、搾取する側に居るはずなのだから。

 そしてそれが自分の仕事でもある。それによって僕は生計を立てようとしている。だから、情け心は無用、そう思わないとやっていられない。

 僕は臆することなく、長椅子に座る人たちを横目に、つかつかと最前列に行き、カウンターの前に立つ。目の前に横向きに座っていた事務方の女性は、僕の顔すら見ない。手元の書類に目を通しながら、「ああ、申し訳ありませんが、横の整理券をお取りください」と言った。

 僕の中にじわりと躊躇が生まれ、くじけそうになる。いやしかし、ここで引くわけにはいかない。ここへ来た僕の目的は問い合わせでも、ましてや保護の申請でもない。訴え、もっと言うなら告発だから。ここで整理券片手にずらりと並んでいる人とは違う。僕は呼吸を整え、そして少し大きな声を出した。

「あの、すみません、生活保護担当の方お願いします」

 ようやく眼鏡をかけた事務方の女性は顔を上げて僕を見た。

「何か?」

「私は、この近くでマンションのオーナーをやっている者です」

 その瞬間、長椅子に座った人たちの視線を背後に感じた。

「あ、ちょっとお待ちください」

 そう言って事務方の女性が奥のデスクが並べられたところで座っていた男性のところまで行き、僕の方を指差しながら、何かをひそひそと告げる。すぐにその男性が表に出て来た。ちょっと上の人だろう。

「はい。どうされました?」

 いかにも腰の低そうな定年も間近、五十代後半ぐらいの男性だ。一瞬、もうちょっとでローン完済できそうな郊外の戸建が背後にぼんやりと見えた気がした。

「私、メゾンMSというマンションのオーナーをやっております。天宮と申しますが、うちの住人さんで生活保護を受けておられる男性の方のことでちょっとお話があるのですが」

「メゾンMS、ああ、M駅近くのマンションですね。存じております。私も何度かお伺いさせていただいたことがありますので。ええと、その方お名前は?」

 なるほど、うちに来たことがあるのか。それなら話が早い。当たり前だが、生活保護の認定には現地確認が必要なのだ。 

「はい、M山さんとおっしゃいます」

「少しお待ちください。担当のケースワーカーをお呼びいたします」

 一分も経たないうちに三十代ぐらいの、こちらもいかにも役人風の地味な女性が出て来た。

「お待たせいたしました。ちょっと別室でお話をお伺いさせていただきますのでこちらへどうぞ」

 ケースワーカーの後に付いて長椅子の横を通った時、この一部始終のやりとりを見ていた人たちの視線を一斉に浴びた。先ほどまでの死んでいた目たちが、急に生き返ったように、じっとこちらに向けられていた。

 それはあきらめか、持って行き場のない怒りなのだろうか。でも僕の中に、わずかではあるが妙な優越感が生まれていたのは事実だ。

 

 別室で僕はH山さんの家賃滞納のことを事細かく、そして切々と訴えた。しかし、そのことだけを訴えるのではなく、H山さんが脳梗塞で入院していたこと、退院はしたが四階まで階段を上がるのは辛いこと、そして仕事は一切できないことなど、H山さんの体調を考慮して、あくまでH山さんのことを親身になって考えていると言う風に訴えた。本当は、心の奥に「孤独死、事故物件」と言う本丸を抱えていた。

「それは大変ですね。それで、オーナーさん、今後、どのようにしたいとお考えですか?」

 ケースワーカーは、役人らしく、あくまで事務的に言う。

「できれば一階でもっと家賃の安い物件に引っ越してもらいたいと……」

 向こうもそれなりのプロなのだろう。わかりました、前向きに検討いたしますとの回答を貰えた。具体的には、次回の訪問でH山さんに直接、話をすると言っていた。たぶん住宅扶助の使い込みを突き付けて有無を言わせないのだろうと、僕は期待していた。

 それから約半年が過ぎた。少しずつ少しずつ毎月振込はあった。しかしその時点で、溜まりに溜まったH山さんの滞納は二十一万八千円にも膨らんでいる。

 少しだけでも支払ってくれるのは、決して誠意ではない。それは「自分には支払う意思があります」と言うことをアピールしているに過ぎない。それすら払わなければ、支払う意思なしと見なされて否応なく法的に強制退去も可能となるからだ。そしていつも自分は社会的弱者であって、家賃の払えないのは自分のせいではないと言う気持ちが、どこかに見え隠れしていた。

 その年の七月ごろ、H山さんから封書が届いた。それによれば、九月に退居することになったので、滞納した家賃を半年掛けて翌年二月までに完済しますと言うことだ。

 実はこれ、H山さん本人の意思ではなく、役所の生活保護課の意向により、H山さんが書かされたようだ。転居に伴う費用は、引っ越しに掛かる費用から、転居先の敷金とか礼金とか、そう言った手数料やもちろん家賃も含めて、すべて行政(生活保護)が負担する。そこまで国はやってくれる。つまり無償で。でもそれを受けるためには、今現在、住宅扶助の使い込みがあれば受けることができない。それで止む無くH山さんは先の覚書を書かされたとみられる。

 そこで僕はいつものSホームさん立会いの下、三人で退居の手続きを執り行った。もちろんH山さんの覚書にある滞納分をしっかり払っていただく約束を取り付けて、念書を作成。それに転居先の住所も書いてもらい、署名、押印していただいた。これで公式に返済しなければならなくなったわけだ。Sホームさんにはお世話になりっぱなしだ。

                                      続く


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