家賃、ちょっと待ってもらいたいんだけど
それからまた三ヶ月が経った。その月の月末のこと。
ピンポンと呼び鈴が鳴った。その日は家賃の支払い日だったので、僕はいそいそと出てみると、いつもの作業帽を被ったH山さんが憮然とした表情で表に立っていた。
「あの、すみませんがね、今月の家賃、ちょっと待ってもらいたいんだけど」
てっきり支払いに来たのだとばかり思っていたのでこれには拍子抜けだ。ここをやりだしてから、家賃滞納に関しては、いるにはいたが、こうやって支払日に面と向かって、「待ってくれ」と言い出した人は大変少ない。しかし、他のマンションや賃貸住宅ではそれはけっこう耳にしていたので、それまでうちがいかに優良な賃借人が多かったかと言うことだ。
H山さんの滞納を機に、滞納者がうちでもけっこう出だした。残念ながらそれは生活保護受給者の入居と比例していた。生活保護の住宅扶助が下がったためだと思われる。
H山さんは、役所から届いた明細書を滞納の言い訳に見せてくれた。福祉課の強い勧めで、今年に入ってから、シルバー人材センターで少しずつ働き出していたのだと言う。とはいえ、先々月ぐらいまでは、働くと言っても病気(脳梗塞による後遺症)を理由に、お情け程度の就労時間だったために、行政の落とし穴をそれほど実感していなかった。
何が落とし穴なのかと言えば、生活保護はセイフティーネットであり、人間が生活する上で最低限度を保障する制度だからだ。だから最低限度以上の収入があれば、当然、引かれる、もしくは打ち切りとなる。ここに大阪市が平成二十三年に発表したQ&Aがあるので載せておきます。
Q:生活保護でもらえる金額は、最低賃金や年金と比べてどうなっているの?
A:生活保護の基準額が最低賃金や年金より多い場合があります。このような状況は、国民の勤労意欲の低下や、税金や年金の納付意欲の低下につながりかねず、ひいては、日本の社会システムそのものが崩壊しかねません。
これだけ。これは答えではないと思う。だから何なんですか? と言いたい。意見書や陳述書は提出されているようだが、未だに変わっていない。そしてもう一つ、H山さんが問題視していた就労賃金と生活保護の比較。注・二十三年のデータなので現在は最低賃金が少し上がっている分、その分だけ生活保護よりは就労の方が少しは高くなっている。
《最低賃金との比較(大阪 779円 全国平均730円)》
▼ 低賃金で1日8時間、月22日労働の場合(可処分所得を収入の9割と仮定した場合)
779円 × 8時間 × 22日 × 0.9 ≒ 月額123,390円
▼ 生活保護基準額(50歳単身、大阪市内の場合)
生活扶助81,610円+住宅扶助42,000円+医療扶助等α=月額123,610円+α
これ、アカンな、と単純に思う。誰が働きますか? 寝ていてもらえるお金と変わらない。そしてこれ、もし病気や怪我で病院に行ったとしたら、生活保護では医療費は無料ですから。保護を受けていなければ、医者代も出ません。H山さんは保護を受けながら、シルバー人材センターに通っていたわけだが、月額一万五千円を超える収入があった場合はその分だけ扶助費用を減額されてしまう。
本当は年金に関してももっと、とんでもない逆転現象が起こっているが、それはここでは割愛させていただきたい。まあ簡単に言えば、国民年金満額でもらえるお金は生活保護の半分ちょっとぐらいです。
さて、H山さんに話を戻します。
役所からの支給明細書を僕に見せながら「家賃待ってね」と。でも前述の参考も見てもらえばわかりますが、住宅扶助四万二千円をしっかり貰っている。と言うことは明らかな使い込みです。
「いつまで?」と尋ねると、「来月の十五日に支給されるからそれで払います」とのこと。実はここに大きな問題がある。つまり来月、国からH山さんに入るお金は、再来月の支払いのためのお金。ということは、来月末、また「家主さん、お願いです」と泣きつかれることは火を見るよりも明らか。
ああそれなのに、僕はなんとお人よしなのでしょう。まあ半月ぐらいなら仕方ないなと思い、「わかりました。じゃあ十五日の夜にお願いします」と了承してしまった。さあここから悪夢の滞納循環が始まります。
続く




