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最後の干し肉

 それだけではない。入居時に頂くお金で〝敷金〟と言うものがある。不動産が景気良かった時代の残滓みたいなもので、今では敷金を預かる物件は徐々に減りつつある。うちも例外ではなく、入居時には敷金と言う形ではなく、スズメの涙ほどの〝礼金〟と言う形で頂いている。敷金は預かり金、礼金は大家がもらえるお金だ。そして四〇一さんは、まだうちが敷金制のあった頃に入られている。それも気の狂った時代の敷金、なんと百万円だ。2LDKの賃貸マンションに入居するのに百万円! 考えられない。しかも出るとなると、経年劣化を除く、居住者の過失による損失を引いた金額を返さなければならない。かなりの高額だ。

 ああ敷金。思い起こせば、かつてここがまだアパートだった頃、敷金を貰った母を見て、子供だった僕が、「いっぱいお金、ええなあ、何か買うてよ」と言った時、母はすかさず僕に「何アホなこと言うてるの。これはうちのお金やない。返すお金や!」と強く言った。そうだ、こいつは預かり金なのだから、使ってはいけないお金なのだ。だからもしものために、当初は頂いた、いや、預かった一千万近い敷金すべて銀行に定期で預けていた。しかし退居にともなって返したり、そのほか、どうしても修理などで必要になったりして、百万、また百万と切り崩し、とうとう残り百万だけになってしまった。最後の百万だ。何度それに手を出そうとしたことか。でもその度に止めた。新築からの最後の居住者、四〇一さんのお金だ。「これは私のお金やない!」母の言葉が今も聞こえる。

 僕はこの定期預金の百万を〝最後の干し肉〟と呼んでいる。昔、新田次郎だったか、誰だったかはっきり覚えていないが、ある小説で読んだ。その昔、エスキモーが狩りに出ると、獲物を求めて真っ白い雪と氷の大地を何日も何日も彷徨うのだ。やがて持って来た食料も底を尽き、最後の最後に、干し肉一枚を大事に懐にしまって、それは決して食べない。空腹と寒さで疲弊する中、その最後の干し肉があるから、俺はまだ大丈夫だ、と自分を励ます。それを食べたとき、体力といっしょに気力もなくなり、後は死が待つばかりとなる。

 話しは横道に逸れたが、つまりは僕にとってその定期預金の百万がそれなのである。

 話しを四〇一さんご夫婦に戻そう。

 そうだ、エレベーターだった。ここにはエレベーターがないから、と言うところからすっかり脱線してしまった。そこで僕はこう答えた。

「ああ、申し訳ないですが、建築法で構造上、エレベーターは後付けできないことになっているんですよ」

「ははは、そうやわなあ。そんなことできませんよねえ」

 お互い顔を見合わせて白々しい苦笑い。ウソだ。そんなことはない。いくらでもやり方はある。但し目の玉が飛び出るほど金が掛かる。だから法律を盾にとってこう言うのが一番有効である。何も知らない年寄りを騙していると言われればその通りだが、僕も辛い。わかってほしい。生活が掛かっている。

「それやったら……」

 ああ、出て行くのか? それだけは……。

「階段にな、手すり付けてもらえませんか」

「わかりました! やってみます」

 ほっと胸を撫で下ろす。安いものだと思った。実際に安かった。おかげでうちの階段は四階まできれいな手すりが設置された。たったこれだけのことだが、これは高齢者に対するけっこう良いセールスポイントになっている。

 

 それから付帯設備でもう一つだけ。これからマンションやテナントビルを大阪市内で建てられる予定のある方にぜひ知ってもらいたいことがある。

 それは命の水、つまり水道についてだが、一つ言えるのは、大阪市の水道はとても強いのである。と言うのも、うちのマンションが建った頃は、水道の水圧が弱くて、四階まで上げるにはどうしても貯水槽とポンプが必要だった。けれども今の大阪市の水道は、四階ぐらいならば直結で上げることができる。

 これには大きなメリットがある。まず受水槽がいらない。だから年に一度の掃除に掛かる費用(うちの場合は大体三万円ぐらい)がいらない。そしてポンプもいらない。給水設備のスペースそのものがいらない。そのままほかのことに使える。うちの受水槽とポンプ室は一階のエントランス横にあるので、もしなければ、そこに車をもう一台停めることもできるし、そのほか、倉庫を置いたり、花壇を造って外観を良くすることもできるだろうし、あるいは今流行りの宅配ボックスを置いたりもできるだろう。いくらでもそのスペースの使い道はある。

 そしてこのポンプ。設備の中でたぶんエレベーターの次に高額だと思っている。ポンプは当然ながらそれだけでは動かない。モーターが必要だ。これが高い! うちはエレベーターがないので一番高い設備である。しかもモーターは一機だけではダメで、ペア(二機)設置しなければならない。一機を常用とし、もう一機を予備として使うためだ。もし何らかのトラブルで片方が止まっても予備機が稼動するので水の供給が止まることはない。

 そしてポンプ(モーター)の耐用年数はおおよそ十年から十五年と言われている。うちもかつて一機が壊れて止まった。その交換費用は、本体と工事費用を含めて約百万円だった。一瞬で百万円がぶっ飛んだのだ。頼むからもう止まらないでほしい。がんばれエバラ! 回れエバラ! である。

 そして直結最大のメリットが、もし何らかの災害等で電気の供給が止まり、停電になっても水は止まらないと言うこと。電気が止まればモーターが止まり、水道は生きているのに、蛇口を捻っても水か出なくなる。あの台風二十一号で僕の住む地域が停電になった。飛んで来たトタン屋根が電線を切断したからだ。うちは二日間、停電以外に水も出なかった。

「大家さん、向かいの家は水出とるのになんでここは出ませんねん」などと文句を言われることもない。あれには参った。あの時、本気で直結にしてやろうかと考えた。

 こうやって考えると、水道直結はもうメリットしかないんじゃなかろうかと思う。だから低層階のマンションやビルをこれから建てる人にはぜひぜひお勧めしたい。水洗トイレにバケツで水を流す前に考えてほしい。

                                       続く

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