エレベーター
5、付帯設備と最後の干し肉
この章の最後にマンションの付帯設備のお話しを少し書いてみたいと思う。
マンションの付帯設備にもいろいろな物がある。貯水槽、ポンプ、照明、配電システム、テレビ受信設備、オートロックドア、防災設備、エクステリア、そのほか思い付くだけでもけっこうな数に登る。
そしておそらくその中で最も値段の高い設備はエレベーターだろう。こやつは金食い大王様だ。法律上は六階以上の建物にはエレベーターの設置義務がある。昔は公営住宅や公団などで五階エレベーター無しの物件もけっこうあったが今や新築五階でエレベーターのないところはほとんどないだろう。五階でエレベーターなしなんて僕だって住みたくない。五階どころか四階でも歩いて上がるのはけっこう大変だ。高齢者やベビーカーに乗るような小さな子供さんがいたり、たくさん買い物をしたりすれば、きっと家は遠くに感じることだろう。
これだけ書いて肩透かしを食らわすようで申し訳ないが、うちにはエレベーターはない! 理由は簡単。うちは四階建てと言うこともあり、予算の都合で付けなかった。いや、ここを建てる時に母は付けて欲しかったらしいが、「予算オーバーだし、四階建てのマンションにはエレベーターは普通必要ないですよ」と、悪徳建設業者に言いくるめられた。何千万も抜くお金があるなら余裕でエレベーターぐらい設置できただろうと思う。
でも今となっては付けなくて良かったかもしれない。実際費用の掛かるのは間違ってはいない。仮に四階で設置するとすれば、本体とシャフト、それに付帯する設備で軽く見積もっても八百から一千万近く掛かる。その上、メンテナンス費用と電気代が月に三万~四万は必要になる。そしてなぜかエレベーターを付けると固定資産税まで上がってしまう。その費用は確実に家賃に上乗せされる。ただでさえ空室対策のために家賃を極限まで下げざるを得ないと言うのに、これはもう論外だ。しかしながら、超高齢化社会となった昨今の住宅事情を考えると、四階以下の低層階マンションにもエレベーターはあった方がいいに決まっている。但し、採算が取れれば、が大前提ではあるが。
ここで一つエレベーターにまつわるエピソードを書いてみたいと思う。
四階、四〇一号室に、あるご夫婦が入居されている。マンション新築当初からいちばん長く住んでいるご夫婦だ。今年でもう三十年になる。ここでは仮に四〇一さんと呼ぶことにする。そのご夫婦は入られた時、すでに五十を少し超えていた。そしてあっと言う間に三十年。いつのまにかご夫婦共に八十才になられた。当たり前のことだ。しかし僕の実感として、本当にいつのまにか、なのである。
四〇一さんご夫婦は近くの商店街で昔から今も変わらず、こじんまりした飲食店を営んでおられる。まだまだ現役でバリバリ仕事をされている。ご主人は店で大きな鍋を振り、奥さんは出前でも買い物でも自転車でさっと出かける。お二人共その見た目も若々しくけっして老夫婦には見えない。僕の中でもこのお二人の年齢は、三十年前からずっと止まっているように思っていた。しかしそんなわけはない。
先日、四〇一さんご夫婦がうちへ来て言った。
「ああ、兄ちゃん、忙しいとこ悪いよ」
奥さんは僕を昔からこう呼ぶ。たぶん僕と同じでこの人の頭の中でもここへ来た時から僕は年を取っていないのだろう。
「はい、どうしました?」
「ここのところな、主人もわたしも膝の調子が悪うて、階段を上がるのが辛いんですわ」
お互い顔を見合わせながら僕に言う。その表情は僕に何かを求めている。こう言われて、僕の脳内で止まったままになっていたご夫婦が、まるで玉手箱を開けたように一気に年を取った気がした。そう言えば今までお二人をこうやってまざまざと見ることはなかったが、よく見ると、いいお爺さんとお婆さんである。三十年の歳月がしっかり横たわっていた。
「毎日ずっと立ち仕事ですからねえ、病院とか行ってはるんですか?」
僕はお二人を気遣いながらも当たり障りのないように聞く。
「ああ、二人で○☓整形に毎週痛み止めの注射打ちに通ってますけどね、行った時だけマシになります。けど何日も持てしません」
「ああ、それはお辛いですねえ」
「ええ、ほんでね、ここ、エレベーターないでしょ?」
そら来た! と僕は瞬時に思った。
「ええ、そうですね。すみません」
お二人の様子を見ていると申し訳ない気持ちでいっぱいになる。しかし、何も悪いことはしていないのに、なぜ僕は謝らねばならないのだろうか? なぜ酷く気の毒な気持ちになるのだろうか。
――簡単なことだ。家賃を頂いているからに他ならない。そうそう、ついでに言うと、たぶんどこの賃貸住宅でもそうだが、家賃は一律ではない。もちろん部屋の間取りで異なるが、同じ間取りの部屋でも、入居時期によって違う。つまり景気の良かった時(昔)に入居された人の家賃と、景気の悪い時(今)に入居された人の家賃では相当に格差がある。
ちなみに四〇一さんは新築のもっとも家賃の高かった時に入居された。その後、不動産屋が新聞に入れているうちの空室募集チラシを手にして、「兄ちゃん、これ、うちが払っている家賃よりだいぶ安いで」と、嬉しそうにやって来て、二回ほど値下げ要求された。結果として当初の家賃より三割強は下がった。それでも出て行かれるよりは遥かにマシである。退居後のリフォーム代も高額だし、階段なし四階の部の悪い部屋なので、空室になったら、この悪化した住宅事情では今度いつ入るかわからない。うちは自転車操業なので一部屋空いただけでとても苦しいのだ。
続く




