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伯爵令嬢は普通を所望いたします  作者: 桜井 更紗
第三章

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夜這いのススメ




『 夜這いとは、夜に恋人の元へ忍んで通う事。特に男が女の寝所に忍び入って情を通じる事 』


 あら?この()って何かしら?


 辞書を熱心に読んでいたソアラは、眉をひそめて頭を傾げた。



 ダンスホールでディランと別れたソアラは、モーリスの執務室にやって来ていた。


 騎士達が警備をしている扉の鍵を開けて中に入った。

「 直ぐに終わります 」と騎士達に告げて。



 暴漢事件があった事から、まだ夕方だが部屋には誰もいなかった。

 鍵を預かるカールに、調べたい事があるからと言って鍵を貰って来たのである。


 その時カールは、庭師から事情を聞いていた。



 あの時……

 ()()()()から伝授されたのは、ルシオに『 夜這い』をすると言う事だった。


 ダンスの練習をしていても……

 しょんぼりと衰弱したままのソアラを、その気にさせる為に。



「 初恋の人をあの肉食女に取られたのに、婚約者まで取られる事になって良いの? 」

 ディランが痛いところを突いて来た。


 もう、ブライアンの事は何とも思ってはいない。


 しかし……

 初恋の人云々の話をされれば、当時の気持ちが思い出されて胸がチクリとしてしまうのだ。



「 ルシオちゃんの腕が、あの肉食女を抱き締めるのよ? 」

「 あの逞しい胸に、肉食女が顔を埋めても良いの? 」

「 ルシオちゃんのあの形の良い唇が、肉食女の小さな唇に触れても良いの?」


 ディランが目を細めながら、過激な事をバンバンとソアラに投げて来る。



 ………嫌……絶対に……


 暴漢に襲われた時の、ルーナがルシオに抱き付いた姿が目に浮かんだ。


 横にはブライアンがいたと言うのに……

 わざわざ私の目の前で殿下に抱き付くなんて。


 それは……

 まだブライアンに想いがあったソアラの前で、よく繰り広げられた光景だった。



 殿下は……取られたくない。

 絶対に。


 ソアラがディランを見据えながら、首をフルフルと横に振った。



「 だったら、夜這いをしてでもルシオちゃんをガッチリと捕まえ無いと駄目よ。あの肉食女が先に仕掛けるかもしれないわ 」

 旅は肉食女達の絶好のチャンスなのよと言って。


 経験者の話は深い。



 その昔。

 エリザベス王妃が公爵令嬢だった頃、王太子であった国王に()()()をして、王太子妃レースを勝ち取った事は、ドルーア王国では有名な話だ。


 肉食同士の公爵令嬢2人のレースだったと聞いている。



「 ソアラちゃんのような()()()()()()は、あの()()()()()()()からしたら、赤子の手を捻るみたいに簡単に負けてしまうわ」


 ソアラの焦った顔を見ながら、ディランはひたすら煽り続けた。


 ソアラには刺激が強いかもと思いながらも。



 これから王族になるソアラには、諦めたり我慢をしたりしないで強気になって欲しかった。

 時には戦わなければならない事を知って欲しかった。


 そしてその戦いは決して負けてはならない事を。

 それが王族になると言う事なのだから。



「 肉食女は、もう侍女としてルシオちゃんの寝室にも出入りしているのでしょ? 彼女は何時でも夜這いが出来るのよ 」


 トドメの一撃だ。


 ソアラは……

 ルシオが、ルーナをビクトリアの侍女として既に追いやっていた事をまだ知らない。



 青い顔をして席を立ち上がったソアラは、ヨロヨロとしながらダンスホールを後にした。


 フレディはヒラヒラと掌を横に振った。

 頑張って来い!と小さく呟いて。



 その後に……

 ソアラはこの執務室に来たのである。


『 夜這い』を調べる為に、辞書を手に取って熱心に読んでいた。


 分からない事は直ぐに調べるのがソアラの信条だ。



 辞書は外国の辞書で。

 翻訳の仕事のアルバイトをしているソアラには、馴染んだ本である。


 書棚の手が届く位置にたまたまこの本があったので、手に取っただけで。



『 男が女の寝所に忍び入って情を通じる事 』だと書いてあるわ。


 女がそれをしても良いのかしら?


 あっ!そうだわ。

 王妃陛下が過去にそれを国王陛下になさっているのだわ。


 だったら私もしても良いのかしら?


 勿論、夜這いが何を意味するのかは分かっている。


 ただ……

 ルシオの部屋に行って、先ず何をしたら良いのかを調べたかったのだ。


 何も詳しい事は書かれてはいなかったが。



「 何か気になる事があったのか? 」

「 ひゅわ~っっ!? 」


 突然の声にソアラは飛び上がった。

 凄い叫び声を上げながら、そのまま腰を抜かしたようになりしゃがみこんだ。


 心臓がバクバクと波打っている。



「 ごめん……そんなに驚いた? 」

 ソアラの頭の上で、腰を折って見下ろしているのはルシオだった。


 クスクスと笑っている。


「 何を調べているの? 」

 ソアラの手にある開いた本を見ようとして、ルシオがソアラの背中から覗き込んで来た。


 アワワと、焦りに焦りまくってソアラはパタンと本を閉じた。



 見られて無いわよね?

 ()()()を調べていたなんて、絶対に知られたくない。


 この辞書はヨルネシア語の辞書だから、たとえ殿下に見られていても大丈夫だとは思うけれども。



「 僕も手伝おうか? 」

 ルシオの口調は甘く優しい。


 何時も甘く優しいが……

 今は更に。



「 い……いえ! ……もう……終わりましたので…… 」

 ソアラの声が裏返った。


 やましい事がある時は、声が裏返るんだわと思いながら。



「 だったら、今から夕食を一緒に食べよう 」

 ルシオがソアラを立たせようとして、手を差し出している。


 ソアラは辞書を目の前にある本棚の隙間に押し入れ、ルシオの手に手を乗せて立ち上がった。



 この高鳴る胸のドキドキは……


 夜這いを調べていたのをバレそうになったドキドキなのか、ルシオから送られて来るその甘い視線からのドキドキなのかは分からなかったが。




 ***




 夕食はビクトリアとルシオとソアラの3人で取った。


 昨日のような、楽しい会話が飛び交う事の無い静かな食事だった。


 ビクトリアとルシオの会話に頷くだけの。



 ルーナのように気の利いた言葉1つ言えなくて。

 ソアラは落ち込んだ。


 昨夜のあんなルーナは、今までに見た事は無かった。

 何時も明るくて楽しい話題を事欠かないルーナだったが。


 昨夜は更に妖艶でお洒落で、大人の雰囲気を漂わせていたのだ。



 シリウス様も……

 殿下も……

 あのカール様までもが楽しそうに会話をしていた。


 それは私の知らない世界。

 こんな私が外交なんて出来るの?



 社交界に出た事の無いソアラは、その不毛な言葉遊びを知らない。


 なので……

 ただただ楽しそうに見えたのだった。



 視線を感じてチラリと見やれば……

 ルシオと目が合った。

 その顔は楽しそうで。


 何がそんなに楽しいのかと、ソアラは頭を傾げた。



「 ソアラちゃんのグー……何でしたっけ? 」

「 グーパンです 」

「 それはどうやって覚えたのかしら? 」


 アメリアからも、こんな風にグーパンの話を聞かれた事を思い出していた。

 お妃教育のお茶会では、エリザベスからも興味津々に聞かれていて。


 やはり護られている高貴な女性達は、グーパンをする女なんてあり得ない事なのだろうと、ソアラは思うのだった。



「 これからは……ソアラがグーパンなどしなくても良いようにするから…… 」

 ルシオはそう言って辛そうな顔をしながら、ソアラの右手の甲を見つめた。


 まだ少し赤い。



「 あの……ルーナはどうしていますか? 」

 話が一段落した所で、ソアラはビクトリアに尋ねた。


 今夜もルーナがディナーに来ていると思っていたので。



「 彼女には、舞踏会の主宰のノウハウを、わたくしや侍女達が教えている所よ。だから忙しくしているわ 」

 覚えが良い彼女は、頭()良いのねと付け加えて。



 王妃の仕事の1つに、王宮の晩餐会や舞踏会を取り仕切る仕事がある。


 当然ながら、王宮のそれらの行事の采配は王妃のエリザベスがしているが。



「 素敵なアイデアも出してくれて……まだ若いのに社交界にもかなり精通していそうね 」

 ビクトリアはそう言ってルーナを称賛した。



 ルーナといると何時も惨めになる。


 社交的で気配りも出来て……

 誰をも幸せにする天性の明るさを彼女は持っているのだから。



「 お祖母様。そろそろ引き上げて宜しいですか? 」

 表情がどんどんと暗くなって行くソアラを見て、ルシオは席を立った。


「 あら?もうそんな時間なのね。興味深い話を聞かせて貰ったわ 」

「 楽しい時間を有り難うございます 」

 

 ルシオはビクトリアをエスコートして、サロンを後にした。

 ソアラもその後に続いた。


 ルシオの後ろ姿を見ながら、ソアラは先程ディランが言っていた言葉を思い出していた。


「 肉食女は、もう侍女としてルシオちゃんの寝室にも出入り出来ているのでしょ? 何時でも夜這いが出来るのよ 」



 される前にやらなければ!



 今夜……

 夜這いを決行しよう!と、ソアラは意を固めた。




 ***




 ソアラの寝る支度を終えて……

 侍女達は隣の侍女部屋に引き揚げた。


 部屋の中はシーンと静まり返っている。


 ソアラは寝巻きから、またドレスに着替えて部屋から出た。


 もう、夜も遅い事から廊下も静まり返っていて、ソアラの心臓のドキドキと言う音が聞こえていた。



 旅の宿ならば扉の前には必ずや騎士達がいるが。

 ここは離宮だ。

 警備の者達は、この階の入り口にいるだけで、ルシオの部屋の前には誰もいなかった。



 すると……

 ざわざわとする声と共に、ルシオが廊下の向こうから歩いて来た。


 そこにはカールや侍従もいて。

 侍従はお酒の類いを乗せたワゴンを、カラカラと押していた。



 夕食を食べ終えて、お休みと言って部屋の前で別れたソアラが、ポツンとその部屋の前に立っているのだから、ルシオはかなり驚いた。


「 ソアラ? どうした? こんなに()()()…… 」


 時間は夜の9時30分頃。


 9時に就寝のソアラにとっては、深夜に匹敵する時間だったが。

 ルシオ達にはまだ寝るには早い時間。


 これからルシオの部屋でカールと一緒に飲む為に、取り調べをしていた部屋から戻って来た所であった。



「 ……あの…… 」

「 昼間に怖い思いをしたから……眠れないのか? 」

 ルシオが扉の前で、モジモジとしながら佇むソアラの前にやって来た。


 おろおろとしながらソアラの手を取って、心配そうにソアラの顔を覗き込んでいる。


 その綺麗なサファイアブルーの瞳は、砂糖に蜂蜜を掛けたようにただただ甘い。



「 はい……眠れないから……少し外を歩こうかと…… 」

 ずっと緊張していたソアラの身体のこわばりが解けて行く。


 何だかホッとする自分がいた。



 ソアラの夜這い作戦は不発に終わった。



 その時……

 王太后の部屋に行った筈のルーナが、廊下の奥から現れた。


 手には()()()()の入った籠を持って。



「 ルシオ様~わたくしがお夜食を作って参りましたぁ 」

 ……と可愛らしい声で言いながら、ピンクのドレスの裾をフワリと揺らしながら歩いて来た。


 バニラのような甘い香りをさせて。



 ソアラは拳に力を込めた。













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― 新着の感想 ―
[一言] いけ! ルーナにグーパンだ!
[一言] どうか、どうかこの勘違い女に鉄槌を・・・・!
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