百戦錬磨の男達
「 アハハハハハ 」
ダンスの練習が終わり、ディランとソアラがテーブルに向かい合って座り、休憩を取っている所でディランが大笑いをした。
楽器を片付けている楽士達が、怪訝な顔をしながら片付けの手を止めた。
「 ルシオ殿の手の中にゲロっただと?」
ブロンドの巻き気の美しいダンス講師ディランは、声色も口調も完全にフレディになってしまった。
「 …… 失礼致しました 」
コホンコホンと咳を何度かして、喉を押さえたりしながら、喉の調子が悪い素振りをして。
困惑した顔をする楽士達に、ディランがウィンクをしながら手をヒラヒラと揺らすと、楽士達は頬を染めながらダンスホールを後にした。
ディランは美しく妖艶な女性なので。
部屋にはディランとソアラの2人だけになってしまったが。
女性同士なので誰も気にもしないようだ。
ソアラもディランといる時は警戒心が無い。
彼女がフレディだと分かってはいるが。
先程は、感情を剥き出しのままに心の闇を吐露してしまったが。
今は絶賛悩み相談中だ。
ルシオに自分の醜い心を知られてしまい、この先どうしたら良いのか分からなくなってしまったのである。
ディランが隣国の王太子殿下と知りながらも、友達のいないソアラにとっては、相談出来る人がディランしかいない。
唯一の友達であるルーナこそが、自分の悩みの種なのだから。
「 ソアラちゃんはルシオちゃんの事を好きなの? 」
ディランの問い掛けにソアラはコクンと頷いた。
「 好きになったから……こんなにも苦しいんだわ…… 」
好きにならなければ……
ルーナが侍女になっても平気だっただろうに。
私のこんな醜い心も知られずに済んだのに。
それに……
「 殿方にゲボを掛ける女なんて……嫌ですよね? 」
殿下は気にしなくても良いと言ってくれていたが、気にしない訳にはいかない。
『 王太子殿下の婚約者が、王太子殿下にゲロを吐いた』
誰かがリークすれば、新聞沙汰になるような事をしてしまったのだから。
思い出せば思い出す程に自分が情けなくなってしまうのだった。
凄いな。
これだけの愛を注いでいるのに彼女に通じていないのは何故だ?
他人のゲロを受け止めるなんて事は、余程の愛が無ければ出来ない事だと言うのに。
自分が愛されていると言う自信が無いから、こんなにも不安になるのだろうとフレディは思った。
あのルーナと言うあざとそうな令嬢が側にいるから尚更で。
先程のビクトリアとのやり取りをフレディは興味深く見ていた。
この女がソアラが危惧していたルーナ・エマイラ伯爵令嬢なのかと。
確かに顔だけは可愛らしかったが。
侍女になってまで友達の婚約者を略奪しに来ていると言う、とんでもない肉食の令嬢だ。
それに……
彼女には婚約者がいると言うから呆れるしかない。
ましてや狙う相手はこの国の王太子で。
普通ならば伯爵令嬢ごときが狙える相手では無いのだ。
相手がソアラだから狙いに来たのだろう。
彼女のやり方に反吐が出そうだ。
まだ若い貴族令嬢だと言うのにと、女性にはこなれている筈のフレディでも、苦々しく思うのだった。
全く……
あんな肉食の令嬢を侍らせて、ルシオちゃんは何をちんたらしているのか。
こんなにも彼女を悩ませて。
あの百戦錬磨のシリウスが……
彼女の側にいると言うのに、全く危機感が無いとはどう言う事だ?
婚約をしている事に胡座を掻いているのか?
彼が本気を出せば……
落ちない女はいないんだぞ。
シリウスが未だに手をこまねいているのは、自国の王太子の婚約者だからと言う理由もあるが、ソアラに対する想いが本気なのだとフレディは思っている。
本気で好きになった令嬢なのに……
本気を出せないシリウスもまた、フレディは不憫に思うのだった。
親友の本気の恋を応援したいのはやまやまだが。
やはり相手が悪い。
それに……
こんなにもルシオの事を健気に想うソアラを、応援したいと思ってしまう。
何よりもフレディには、ソアラを舞踏会で転倒させたと言う負い目がある。
あの転倒を批判されるべきなのは自分なのだから、ソアラの為に何かをして上げたいと言う思いがあって。
それに……
シリウスには勝ち目が無いと思っていて。
何故ならば……
彼女は自分とシリウスが恋人同士だと思い込んでいるのだから。
しょうがないからルシオちゃんを応援するか。
この後……
ソアラはフレディから凄いアドバイスを貰った。
***
ルシオはシリウスを自分の部屋に呼び出していた。
フレディがディランになっている理由を聞く為に。
「 フレディ王太子殿下は外国に行く時には、何時も変装しています。その国に長く滞在する時は、ダンス講師をしてその国の人々の生活を垣間見ていらっしゃるのです 」
隣国の王太子フレディが旅好きなのはルシオも知っていた。
しかし……
変装をしているのは初耳だった。
ダンス講師の登録をしたとたんに、王宮からの要請があったと言う。
だからソアラのダンス講師になったのは、たまたまでだったのだと。
女性講師だからと、よく確認もしないで要請したのは他の誰でも無い自分だ。
「 フレディ殿が、ソアラのダンス講師になった理由は分かった 」
ルシオはそう言ってテーブルの上に置かれたグラスを手に持って、中に入っていた水を飲んだ。
「 それで……フレディ殿はソアラの事が好きなのか? 」
「 ……何故そう思うのですか? 」
「 いや、ソアラがフレディ殿を好きなのかも知れない 」
「 ソアラ嬢が? 」
「 あんな風に自分の思いの丈を言えるなんて……好きな相手にしか出来ない筈だ 」
ルシオはそう言って目を伏せた。
シリウスは驚いた。
あの、涙ながらに吐き出したソアラの切ない想いが……
自分に向けられたものでは無いと思っている事を。
とんちんかんな考えをするルシオに、なんてポンコツな男なのかと。
これが両片想いの危うい所なのかも知れない。
想い合っているのに……
はっきりと好きだと伝えていないから拗れてしまうのだと思うのだった。
王族や貴族ならば政略結婚は当たり前で、公爵令息であるシリウスもそう思っていたからこそ、独身の間は自由な恋愛を楽しんでいた。
シリウスはソアラに惹かれていた。
今までの女性のように安易には口説けない程に。
それは自国の王太子殿下の婚約者だと言う事を抜きにしてもだ。
まあ、王太子殿下の婚約者だから手を出さない事も事実だが。
「 そうかも知れませんね。婚約したからと言って、そこに胡座を掻いていたら奪われるかも知れませんよ 」
シリウスはルシオを煽る事をわざと言った。
フレディ殿下がソアラ嬢に関心がある事は事実だ。
王太子である彼は迂闊な事は言わないので、その感心がどう言うものなのかは分からないが。
あの百戦錬磨の王子が本気になれば、他国の王女だって安易に手に入る。
彼はルシオと同等の立場である王太子であり、妃を娶る争いには、唯一名乗りを上げる事が出来る存在なのだから。
ルシオが顔を上げて、テーブルを挟んで前に座るシリウスを見つめた。
「 かつては王妃を略奪され戦争にまでなった国もあったと聞く。 優秀な王妃であれば優秀な子孫を残せる事から、他国の王妃を略奪する…… 」
王族には国を繁栄させる責務があるのだと、ルシオは自分に言い聞かせるよう呟いた。
そして……
「 そうだな。あんなに可愛くて、優秀で……優れた妃になるソアラを欲しがるのは当然だな 」
渡すつもりは更々無いがと言って、ルシオはシリウスを改めて見つめた。
「 ソアラは僕の事を好きだと思うか? 」
「 ええ……多分…… 」
「 だったら良いんだ 」
ルシオはそれを聞いて少し安堵した。
恋多き男のシリウスが言うなら間違いないと。
しかし……
シリウスはルシオに確信を告げる。
「 殿下はソアラ嬢に、殿下の気持ちをお伝えしましたか? 」
「 いや、僕達は王命によって決められた結婚だが、お互いに想い合っている筈だ 」
「 想いを伝え合っていないのに、どうして想い合っていると分かるのですか? 」
確かに……
ソアラの気持ちを聞いた訳では無い。
僕も彼女に好きだと言った事は……無い。
だけど……
キスもしたし、ソアラを抱き上げて運んだ事もある。
「 …ソアラは既に僕の婚約者なのだから、恋人同士の筈では?」
「 それは違います。気持ちを伝え合っていないのであれば、それは恋人同士だとは言えませんよ 」
「 ……… 」
そうなのか?
ソアラが……
頑なに僕達は恋人同士では無いと言っていたのは……
そう言う事だったのか。
ルシオはこの時初めてソアラの想いが分かったのである。
可愛い。
ルシオは……
ソアラのいじらしさに泣きそうになるのだった。
***
さあ。
お膳立てはした。
これでもまだ彼女を泣かせるのであれば……
その時は……
百戦錬磨の男達は……
本気を出す事を決めたのだった。




