王太后陛下の一瞥
ビクトリア王太后陛下から呼ばれたソアラは、呼びに来た離宮の侍女に連れられて大きな廊下を歩いていた。
本当は……
調査の仕事の続きをしたくてたまらない。
後少しで何かが分かりそうな所まで来ているのだから。
「 陛下が、それはもう張り切ってらっしゃいますのよ 」
案内の侍女が嬉しそうにソアラに話し掛けた。
明日の夜にはお別れの舞踏会が行われる予定だと、離宮の執事であるモーリスから告げられた。
そう。
昨日にビクトリアから急に提案され、離宮のスタッフあたふたとしていて。
だけど皆はとても嬉しそうに動き回っていた。
元はと言えば……
王宮にいた侍女達だ。
ビクトリアが離宮に移った時に付いて来たと言う。
年はいってはいるが、5年前までは王宮で輝いていた人達なのである。
勿論、メイドや下働きの者達はここで雇った者達なのだが。
勿論舞踏会を開催するにあたっては、離宮を切り盛りしている執事のモーリスが当然ながら中心になって動いている。
なので彼は午後からは執務室には来てはいない。
舞踏会にはウエスト公爵領地の貴族達や、離宮に近い領地の貴族達を招待していると言う。
王太子殿下の婚約者に挨拶をしたいと、沢山の謁見の申し出があった事もあって。
久方ぶりの舞踏会を取り仕切るビクトリアは、とても張り切っていると言う。
ソアラが連れて行かれた場所はダンスホールだった。
何だか嫌な予感がした。
扉を開けると……
楽士達が音楽を奏でる中、ビクトリアとディランが既に踊っていた。
ソアラが二番目に会いたく無かったディランだ。
ソアラは辺りを見渡しながら、そっと部屋に入って行った。
一番会いたくない人がいるかも知れないと思って。
良かった。
殿下はいらっしゃらないわ。
今はとてもじゃ無いが会えない。
会いたくない。
もしここにいるのならば、気絶をするか死んだ振りをしようと思っていた程で。
このぐでんぐでんな心を整理する、少しの時間が欲しかった。
すると……
「 ソアラ! 」
ソアラの元にルーナが駆け寄って来た。
ピンクのドレスをフワリと翻して。
ルーナは黄色のドレスからピンクのドレスに着替えて来ていた。
ソアラはお茶会の時のたまの水色のドレスのままでいると言うのに。
最早、永久に会いたくないルーナがソアラの腕に抱き付いて来た。
ルーナは男女問わずこんな風に抱き付く所為をする。
過去にはトラブルになるから止めるようにと何度も注意したが、ルーナは改めようとは思わなかったみたいで。
殿下にもこんな所為をしているのかと思ったら……
グーパンでぶん殴ってでも、それはしてはいけない事だと分からせておくべきだったと後悔している。
ルーナにグーパンを食らわす想像までしてしまう程に。
「 ルーナはどうしてここにいるの? 」
「 わたくしは、陛下に気に入られたみたいよ! だから、今日と明日は陛下のお側に行く事になったわ! 」
「 ………… 」
「 ルシオ様のお支度のお手伝いが出来なくなったのが残念なのだけれども 」
ルーナが残念そうな顔をする。
その顔も可愛らしい。
いや、本来ならば貴女は私の世話をする侍女になるのでは無いの?と言う言葉をソアラは飲み込んだ。
ルーナがルシオの事を好きだと気付いた今は、その質問は不毛な事だと思ったからだ。
「 それにしても…… 」
ルーナが少し恥ずかしそうな顔をした。
「 ルシオ様って、一見細身なのに……意外と逞しいのよ 」
ちょっとドキドキしちゃったと言って、ルーナは自分の手を胸に当てた。
そんな恥じらう顔を見せられたら、殿方ならばいちころだ。
殿下ももう落とされてるのかも知れない。
そもそもルーナに一目惚れをした筈だ。
だから……
いきなりあんな風に跪いて、手の甲に口付けをするような挨拶をしたのだ。
王命が私だっただけで。
殿下は仕方無く私と結婚する努力をしているのに過ぎない。
殿下は誠実で優しい方だから。
ルーナは……
殿下の事が好きなルーナは、この先はどうするつもりなんだろう。
ブライアンとは婚約を解消するの?
ブライアンは……
私の初恋の人だったのに。
王命がある限りは王太子妃にはなれないのに。
でも……
その王命が取り消される事があるかも知れない。
王太子妃になる為に生きて来たアメリア様とリリアベル様でさえ、簡単に切ったのだから。
私は……
大事な外交の場の他国の王太子殿下とのダンスの場で転び、自国の王太子殿下にゲボを掛けるような不敬を働いてしまった。
やはり私は殿下には相応しく無い。
自己評価が極端に低いソアラは、自分がどれ程国に貢献したのかを分かってはいなかった。
既に国民からの絶大な支持がある事も。
自分に自信が無いソアラは捨てられる事に怯えていたのだ。
ルシオを好きになってしまっていたから。
そこに……
ルーナと言う自分に自信があり過ぎる女が、ルシオを狙ってあの手この手でソアラを追い詰めて来たのである。
ソアラの幼馴染みで友達だと言う特権を巧みに利用して。
今までそうして来たように、どれだけ心の整理をしようとしても……
ソアラはどんどんと追い詰められて行くのだった。
***
音楽が鳴り止み、ビクトリアとディランがダンスを踊り終えた。
流石は元王妃である。
ビクトリアにとっては久し振りのダンスだったが直ぐに勘を取り戻していた。
公爵令嬢だった彼女も幼い頃から、妃になる為の教育を受けて来たのである。
ダンスも例外では無く。
ソアラと違って。
「 陛下にブランクがあるとは思えませんわ 」
「 女のリードが上手いからよ。それにしてもディランは男性のパートがお上手ね 」
「 畏れ入ります 」
ディランはそう言って、ソアラに向かって片目を瞑った。
本当に……
誰が見ても立派な女性だ。
ブロンドの巻き毛に化粧を施した顔はかなり美しい。
ガタイだけはデカかったが。
「 わたくしはね。ルシオと踊りたいのよ 」
ビクトリアはまだルシオとは一度も踊った事が無いのだと言う。
4年前の立太子の時の舞踏会では、ルシオはアメリアとリリアベルと踊った。
勿論、ビクトリアはその式典に呼ばれていたが……
王宮の権限は最早エリザベスのもの。
彼女はただ椅子に座って見ていただけだと言う。
ルシオと踊るのは最初で最後かも知れないと寂しそうに言うビクトリアに、ソアラは胸が締め付けられた。
彼女は……
先の国王陛下と、王宮の大広間の中心で皆の注目を浴びながら踊って来た元王妃なのである。
「 陛下のお心はもう大丈夫ですか? 」
「 ええ。事件はカールに任せて、残りの時間は楽しい事をしなきゃね 」
兎に角、誰も怪我が無くて良かった。
ソアラは赤くなっていた自分の手の甲を押さえた。
「 さて……ソアラちゃん。貴女は今からダンスのレッスンをして貰いますわ 」
「 ……はい…… 」
「 貴女は隣国の王太子と踊った時に、転んだそうね? 」
「 ……はい…… 」
勿論、王太后陛下も知っている事で。
あの時の失態は、大々的に新聞沙汰になったのだから。
「 貴女もルシオと踊るのなら、転ばないようにしなさい! 」
ビクトリアの後ろでディランがクックと笑っている。
その他国の王太子が自分なのだから、おかしくてたまらない。
色んな国を旅して来たが……
ドルーア王国は皆が皆面白いと、フレディは思うのだった。
帰国して行ったフレディが、何故またここにいるのかは聞かなくても察しがつく。
恋人のシリウスに逢いに来たのだとソアラは思っていた。
国境も性別も超えての愛。
苦しい恋をしているのは……
自分だけでは無いのだと。
その時……
「 陛下? わたくしもダンスの練習をお願いしても良いかしら? 」
ルーナがソアラの横に並んだ。
「 わたくしも転んでしまったら大変だもの 」
そう言ったルーナは、ソアラをチラリと見てクスリと笑った。
「 どうしてかしら? 」
ビクトリアは、侍女から差し出されたカップに入ったオレンジジュースを飲みながら怪訝な顔をした。
「 えっ!? わたくしも……ルシオ様とダンスを…… 」
「 貴女が転倒しようがしまいがどうでも良い事だわ 」
「 ……… 」
「 ただの伯爵令嬢が転倒したからと言って、それが何だと言うの? 」
ビクトリアは……
ルーナに一瞥した後にソアラを見やった。
「 貴女の恥はルシオの恥。いえ、王族の恥。強いてはドルーア王国の恥になると言う事を忘れないで欲しいわ 」
「 ……はい……肝に銘じます 」
ソアラはビクトリアに向かって静かにカーテシーをした。
王太后陛下はわたくしを気に入ってくれたのでは無いの?
明るくて社交的で気配りの出来るわたくしを見て、このルーナ・エマイラ伯爵令嬢こそが王太子妃に相応しいと思わなかったの?
ルーナは完全に勘違いをしていた。
皆が自分を称賛してくれるのは、ソアラの友達だと言う事だけである事を。
王太子の婚約者は、ソアラ・フローレン伯爵令嬢だと皆は認識しているのだ。
それ以上でもそれ以下でも無いと言う事を。
将来自分達が仕えるのはソアラなのだと。
王太子宮のスタッフ達も然りだ。
未だにアメリアやリリアベルこそが王太子妃に相応しいと思っていても、それに代わる令嬢がルーナだとは誰も思ってはいないと言う事も。
自分に自信があり過ぎるルーナは分かってはいなかった。
「 ディラン! ソアラちゃんの指導をお願いするわ 」
わたくしは少し疲れたから一休みするわと言って、ビクトリアはダンスホールを後にした。
その時……
離宮の侍女が、唇を噛みしめながら佇んでいるルーナの側までやって来た。
「 貴女が来てくれて嬉しいですわ。この離宮は年寄りばかりだから、貴女には頑張って欲しいのよ 」
侍女がルーナの腕に手を回した。
「 早速、明日の舞踏会の準備を手伝って貰えるかしら? 」
「 えっ!? わたくしはソアラの友達として…… 」
「 侍女になるのでしょ? 今から侍女の極意をお教え致しますわ 」
ルーナは年配の侍女に引き摺られるようにして、ダンスホールから消えて行った。
侍女は婆さんになっても力が強かった。
ビクトリアに叱られたと言うのに……
ソアラは何だか嬉しかった。
自分が特別だと言われた事が。
既に王族の一員だと言われた事が。




