王太子殿下の侍女
取り調べ中のロイド・バッセン伯爵から、司法取引をして聞き出した『 ワイアット 』と言う名での犯罪の裏付けを取る必要があった。
ソアラはその話を朝食の時にルシオから聞かされた。
カールが移動中ずっと馬車や宿の部屋に籠っていたのは、これらの事を調べていたからだと言う事も。
「 言って下さればわたくしもお手伝い致しましたのに…… 」
「 いや、……それはだな。君が……その…… 」
ルシオが言いにくそうにしている。
「 わたくしの体調が悪かったからですね。役に立たなくて申し訳ありません 」
ルーナの顔を見たとたんに具合が悪くなったのだとは言えない。
「 初日から馬車酔いをしていたみたいだったから 」
本当は馬車の中で、ソアラとイチャイチャしたかったからだとは言えない。
カールに言ったのだ。
「 この旅はソアラとの仲を深める旅にしたい 」と。
「 良いことですね 」
馬車の中で、暴走だけはしないで下さいよと釘をさされてはいたが。
勿論、2度目のキスは必ず。
そして……
そろそろ名前で呼んで欲しいとも思っていて。
何よりもソアラと色んな話をしたかった。
ずっと財務部の仕事ばかりさせていたから、仕事の話しはしても他の話しはあまりしてはいなくて。
ソアラの子供の頃の話や学園時代の話をちゃんと聞きたかった。
ソアラはあまり子供の頃の話をしたがら無かったから。
結局、ソアラの初恋の相手がブライアンだと、ルーナから聞く事になったりしたが。
ルシオはソアラの事なら何でも知りたいと思っていたから、ブライアンとソアラの事も勿論知りたかった。
しかし……
自分にもアメリアとリリアベルと言う存在があった。
だけど……
やはりそこは聞いて欲しくは無い事だと思った。
もう……
終わった事なのだと。
だからあの後も、ルシオはブライアンとの事をソアラには聞いてはいない。
調査と聞いてソアラの目の色が変わった。
ずっと伏し目がちだった目が、真っ直ぐにルシオの瞳をとらえて来た。
まるで水を得た魚のような顔をして。
「 わたくしも調査員のメンバーに入ってますわよね? 」
「 ……… 」
当然ですよね!とばかりに、瞳をキラキラと輝かせているソアラに、入って無いとはとてもじゃないが言えない。
既に……
女官の制服を持って来るべきだったわと、鼻息が荒い。
滞在期間は3日だ。
お祖母様とお茶会や散歩や買い物などをして、お祖母様にはソアラの良さを知って欲しいと思っていた。
体調が悪い今はそれも無しにして、ソアラをゆっくりと療養させようと思ったのだが。
こうも気合いが入られては否とは言えない。
「 体調は大丈夫なのか? 」
「 わたくしの出番ですから!」
「 ……うん。君の出番だね 」
出番?と言う意味は分からなかったが、ルシオはソアラの言った言葉にオウム返しをした。
しかし……
ルシオはまたもやポンコツな事をソアラに言ってしまったのだった。
自分が王太子殿下の婚約者に選ばれたのは、経理のスキルが欲しかったから。
もしもルーナに婚約者がいなければ、彼女が選ばれていた筈だと、ソアラは思い込んでいるのである。
自分が求められているのは経理部のスキル。
「 出番 」
ルシオからそれを言われたソアラは、それを分かってはいるのだが……
少しだけ悲しくなった。
***
ロイド・バッセンの話では……
この『 ワイアット 』はこの離宮の執事をしているブロア・モーリス伯爵の妹の嫁ぎ先の名前だと言う。
モーリスもバッセンと同じで、先のウエスト政権では財務部で働いていた。
バッセンが財務部の部長で、このモーリスは出納の担当者。
彼は現金を直接扱う業務だ。
「 いくら探してもワイアットと言う人物に辿り着かない筈ですね。まさか王太后陛下の執事が関わっているとは思わなかったですからね 」
カールは手元にある書類をパラパラと捲った。
国王宮と王妃宮と王太子宮にかかる調査はしたが、離宮の調査はしてはいなかった。
全くの盲点だった。
それでソアラと婚約をした事の報告と称して、調査に来たのである。
急な日程が組まれたのは、調査をしている事に勘づかれて、証拠を隠滅される事を懸念しての事だった。
カールはこの移動の間中、ずっと離宮の収支を調べていたと言う訳だ。
「 わたくしは何を調べれば良いですか? 」
「 ソアラ嬢が加わってくれて本当に助かります。この旅では、殿下はソアラ嬢とイチャイチャ…… 」
「 カール!! 言うな! !」
ルシオが声を張り上げてカールの声に被せた。
「 ? 」
不思議そうな顔をしているソアラに、ルシオが何でも無いと掌をフリフリしてる時に、ドアがノックされた。
コンコン……
「 入れ 」
「 失礼します 」
入って来たのはシリウスだった。
離宮の執事のブロア・モーリスを連れて。
「 殿下?ここで何を? 」
ルシオに頭を下げて挨拶を終えると、モーリスは目を見開いた。
部屋の中に視線を巡らせて。
自分の執務室に色々と持ち込まれていて、そこに王太子殿下がいるのだ。
モーリスからしたら訳が分からないのは当然だ。
ビクトリアがリタイアし、公務が無くなった今は、離宮の金の管理は全てモーリスが行っている。
この離宮でのビクトリアは、余生を送るだけの生活をしているのである。
王妃エリザベスは、そんな自分の余生が嫌でソアラを王太子妃に選んだと言う訳だ。
国中を混乱させてまで。
王太后となってもこんな離宮に追いやられずに、何時までも王宮で公務を行い、ずっと輝いていたいと言うのが彼女の野心だったのだ。
それが……
結果としては、ソアラと言う価千金の令嬢を引き当てたと言う。
シリウスはウエスト家の当主代理としてここに呼ばれていた。
モーリスのウエスト政権下での悪行を調べる為に。
ウエスト家の血縁者では無いモーリスは、バッセンと同じで算術に長けている彼を見込んでの財務への登用だ。
もうすぐ当主の座を下りるシリウスの父親からも、彼を徹底的に調べ上げるように言われて来ていて。
「 殿下にしっかりと協力をするのだぞ。陛下が我がウエスト公爵家の存続をお許し下さった恩を報いる為にも 」
事と次第によれば……
シリウスの祖父であるウエスト老公爵を、断罪しなければならない事態になるかも知れないのだ。
彼は……
5年前まであったウエスト政権下での宰相だったのだから。
「 離宮の帳簿を見せてくれ 」
「 それは……随分と急な事で…… 」
調査に来た事で証拠隠滅をされたら元も子もないと、秘密裏にモーリスの執務室を占拠した。
離宮の管理は財務部の仕事なのだが。
今まではモーリス任せで、王宮の財務でのチェックはして来なかった。
アンポンタンとトンチンカンが無能な事もあって。
王族の皆にはそれぞれの予算が割り当てられていて、それはビクトリアも同じだ。
ビクトリア以外の王族は予算内で収まっているのだが、彼女の予算はかなり予算オーバーしてる事がカールの調べで明らかになった。
モーリスは毎月2度程、お金を王宮に取りに来ていたのだ。
そして……
請求されるがままにお金がモーリスに渡されていたのである。
銀行が無い時代は全てが手渡しなので。
これが全てビクトリアの為に使われていたのなら、それも仕方無いと言えるのだが。
それでもこれは一大事だ。
現役の両陛下よりも遥かに多いお金が、ビクトリアの元へ流れていたのだから。
ソファーに座ったルシオ達のテーブルの上に、戸棚から取り出された帳簿がモーリスの手から置かれた。
カールがそれをチェックしていく。
横にいるソアラと共に。
シリウスはこの部屋のある物のチェックを開始していた。
何か怪しい物は無いかと、戸棚にある綴じられた書類を次々と手に取って。
ルシオはブロアの執務机に座り、それらを見ていた。
文机の上に肘を付き、結んだ手の上に顎を乗せて。
ソアラが何かをカールに耳打ちをすると、カールがブロアを問いただす。
ソアラに耳打ちをされるカールに、ルシオの眉がピクリとなったが、ルシオは黙って耐えた。
今日のソアラは、紺のドレスに侍女の前掛けをしている。
書類を探したりメモをするにはインクでドレスが汚れてしまうからと、侍女のドロシーに前掛けを借りたのである。
侍女の制服のドレスでは無いが、紺のドレスに白い前掛け姿は正に侍女だった。
可愛い。
ルシオは侍女ソアラに萌えていた。
しかしだ。
ルシオの視線はモーリスにも注がれていた。
「 殿下は始終ブロアを注視して下さい。何かやましい事があるなら態度に出ます
「 御意 」
ルシオはそう言ってソアラに笑った。
経理部女官のソアラは逞しい。
僕に命令をするのだから。
ソアラはまたもや眉をしかめ、呆れたような顔をしたが。
それも可愛くてたまらなくて。
しかし……
ルシオが見ている限りでは、ブロアは終始にこやかだった。
ロイド・バッセン伯爵の話では、ウエスト政権下でも少しずつお金の流れがおかしくなっていたと言う。
彼が独自で調べた所、このモーリス・ブロアが横領をしているのでは?
……と、思い当たった。
彼の領地は洪水で壊滅的になっていて、彼には多額のお金が必要だった事もあって。
しかし……
それを追及する事も無く前国王陛下が病に倒れ、やがて身罷られたのである。
後は……
新しく宰相になったランドリアに追い出される様にして、ウエスト政権の重鎮達が王宮から去る事になったのだ。
他の者は職を失ったが、やはり財務部にいた者達は財政に長けている事は強みだ。
バッセンはウエスト家の執事になり、モーリスは離宮の執事になったのだった。
そんな事から……
絶対にモーリスが横領をしているとルシオは確信していた。
しかし……
ルシオが見ている限りでは、ブロアは終始にこやかだった。
モーリスにはやましい事は無い?
ただのお祖母様の浪費なのか?
***
この日はずっとブロアの執務室に缶詰だった。
ソアラは窓の外を見やった。
部屋が夕焼けオレンジに染まっている。
ソアラの体内時計は健全だ。
時間は夕方の6時になっていた。
昼食はここに運んで貰い皆で食べた。
食欲が戻った事でルシオも喜んでいて。
ソアラは久し振りに数字と向き合った事で、満足感でいっぱいだった。
楽しい1日だったわ。
その時……
執務室のドアがコンコンと叩かれた。
「 入れ! 」
「 失礼します。王太后陛下が王太子殿下と皆様を、夕食にお呼びでございます 」
離宮の侍女が頭を下げてドアの前に足っている。
「 分かった! 直ぐに行くと伝えてくれ 」
今日はこれで仕舞いにしようとルシオが立ち上がった。
「 この部屋は今日から我々以外は出入り禁止だ 」
「 わ……私もですか!? 」
「 勿論だ。何人たりとも僕の許可無しには入れないぞ 」
「 ………分かりました。殿下の仰せのままに…… 」
モーリスはそう言ってルシオに頭を下げた。
少し含み笑いをして。
ソアラはモーリスをじっと見ていた。
皆が廊下に出ると……
カールがドアに鍵を掛け、騎士が扉の両脇に立った。
明日もここで仕事が出来るのだと思うと、ソアラは心が弾むのだった。
ディナーの衣装に着替える為に、皆は一旦自分の部屋に戻った。
ソアラを待ち兼ねていたようにしてサマンサ達が、ディナーの支度に取り掛かった。
手際の良い侍女達に掛かると、ソアラは人形のようにじっとしたままだ。
侍女達の変身マジックで、ソアラを侍女から王太子殿下の婚約者に仕上げられた。
何時もなら先に支度を終えたルシオが迎えに来るのだが、この時は中々来ないので先に行ったのかと思ったソアラは、急いで部屋の扉を開けた。
丁度ルシオも部屋から出て来た所だった。
ディナー用の衣装に着替えて。
「 ……えっ……!? 」
ルシオの部屋からはルーナも一緒に出て来た。
「 ソアラ! 遅くなってごめんね~わたくしがルシオ様のお支度が上手く出来なかったのぉ 」
……と、言って。
ピンクのドレスを着たルーナは、頬を染めながらルシオを見上げた。
小さなルーナは天使のように可愛い。
そして……
甘いバニラのような香りがルシオから香った。
そうなのである。
殿下の侍女をすると言う事は、こう言う事なのだと。
侍女のいない生活をしているフローレン家では、父親の支度は全て母親がしていたので、ソアラは分からなかったが。




