雄の本能
今回は上手に踊れたでしょ?とばかりに、どや顔をしてソアラはルシオを見上げている。
可愛い。
可愛すぎて死にそうだ。
しかし……
今、何故ソアラからあの時嗅いだ香水の香りがしてるのかと、ルシオは疑問に思った。
あの時とは……
ダンス講師からダンスを習っているソアラの様子を見る為に、ルシオがフローレン邸に行った時の事である。
ダンス講師の恋人として、シリウスもフローレン邸に来てると聞き、居ても立っても居られずに。
結局、そのダンス講師とは会えなかったが。
その時にソアラから香った同じ香水の香りが、今、ソアラからしているのだ。
ソアラとフレディ殿が2人で踊るのはまだ2度目の筈だ。
なのに、あんなに息のあったダンスが踊れるなんて事は、今のソアラのダンス力ではあり得ない事で。
いくらフレディ殿のダンス力が巧みでも。
もしかしたら……
フローレン邸にフレディ殿も出入りしていたのか?
フレディ殿とシリウスが懇意にしているのは見て分かる。
隣国に留学して行った公爵令息であるシリウスと、王太子であるフレディが親しくなるのは想像出来る事だ。
シリウスと共にフレディ殿もフローレン邸に来ていたとしたら……
ソアラと踊っていた?
ディランが男性パートを踊れるから、ソアラはシリウスとは踊っていないと言っていたが。
シリウスとは踊ってはいないが、フレディ殿とは踊っていたのか?
いや、それは無い。
トンプソンからはそんな報告は受けてはいない。
ルシオはフローレン家の執事であるトンプソンに、シリウスを見張るように頼んでいた。
ソアラに近付かないように常に邪魔をしろと。
だから、フローレン邸にフレディ殿が来ているなら、トンプソンから報告がある筈だ
だったら……
何時何処で?
ルシオは答えの出ない謎を思い巡らすのであった。
まさか……
ダンス講師のディランが、女装したフレディなどとは想像すら出来ない事だったのだ。
***
兎に角、ソアラから香るフレディ殿の香水を何とかしたい。
自分以外の男の香りだ。
相手が自分と同じ立場である王太子だと言う事もあるからか、ルシオに激しく雄の本能が湧き上がった。
物凄い嫌悪感に襲われ、その雄の匂いを消したくてたまらなくなった。
ソアラを自分の香りで上書きしたい。
自分のものに、他の雄の匂いを付けたく無いのは雄の本能だ。
「 ソアラ、もう一度僕と踊って欲しい 」
「 あっ ……はい。喜んで 」
ルシオが楽士達に曲のリクエストを告げると、ソアラに向けて手を伸ばした。
ソアラがルシオの掌に自分の掌を重ねる。
すると……
ルシオはその手の甲に唇を寄せた。
そして……
ソアラの掌までにもチュッとキスをした。
サファイアブルーの瞳がソアラの掌越しに見ると、ルシオはその瞳を細めた。
ソアラの心臓がドクンと跳ねた。
こんなに色っぽい顔がこの世にあるのかと。
顔がカァッと熱くなり、胸がドキドキとしたままにホールの中央まで連れて行かれ、今から踊ろうとしているカップル達の輪の中に入った。
王太子殿下と婚約者が踊るのだと、皆が 2人の為に空間を開けて。
赤い顔をしながら俯いたソアラとルシオは向かい合った。
ルシオとは2度めのダンスだ。
楽士達が次の音楽を奏でるのを皆が待っている。
手をパートナーの腰や肩に添えて。
ソアラが自分の右手をルシオの肩に当てると、抱き締められるように腰を引かれた。
ルシオの腕の中にスッポリと入る程に。
フワッとルシオの香りに包まれる。
嗅ぎなれたソアラのとても好きな香りがした。
「 で……殿下……!? 」
どうして抱き抱えられているのかと、ソアラは真っ赤な顔をして首を傾げている。
可愛い。
ルシオはギュウウとソアラを抱き締めた。
これで……
自分以外の雄の匂いが取れた事に安堵した。
***
ルシオがリクエストしたのは先程と同じ曲だった。
フレディと踊ったダンスの上書きをする為に。
結局ソアラは、またもや3曲も続けて同じダンスを踊る事になった。
そもそもワルツとこの曲しか踊れないのだから、二者択一なのだが。
「 で!?……殿下!?」
「 さあ、踊るよ 」
楽士が音楽を奏でると、右手はソアラの手を握ったままに2人はステップを踏んだ。
踊り初めて直ぐにルシオがソアラの耳元で囁いた。
「 ソアラ?僕に何か隠してない? 」
「 ……… 」
隠し事と言えば、ディラン王太子殿下とシリウス様の殿方同士の秘密の恋。
これは話せない。
「 な……何もありません…… 」
「 あるだろ? 」
ルシオはソアラの目を見つめながら、その綺麗な顔をソアラに近付けた。
近い。
何時もよりも激しく近いわ。
まるで踊りながらキスをしているかのように。
キャアキャアと聞こえて来る女性達の声は、フレディ王太子殿下に向けての声だと思いたい。
それか……
シリウス様に向けての声だと。
ソアラは思わず顔を反らした。
目が泳いでしまう。
そしてルシオからも離れようとしたが、ガッツリと腰に手を回されているから離れられない。
「 僕には言えない? 」
「 ………私の口からは……い……言えません!シリウス様か……フレディ王太子殿下から……直接お聞き下さい 」
目をきつく閉じてソアラは声を絞り出した。
ソアラは分かりやすい。
そんな所が新鮮で可愛いと思ってしまう。
これ以上は聞けないな。
律儀な彼女は、秘密だと言われたならばペラペラと話しはしないだろう。
だけどフレディ殿から話を聞けと言ったのだから、やはりフレディ殿と何かある事は想像出来る。
しかしだ。
フレディ殿は他国の王太子だ。
彼とは迂闊な話は出来ない。
シリウスを呼び出すしかない。
シリウスともちゃんと話をしないとならないとは思っていた。
やたらとソアラの周りにいるのが気になる事もあって。
会議にはシリウスも参加していたが……
シリウスは口を挟めない立場である事から、ルシオは殆んどシリウスとは話をする事は無かった。
ましてや私的な話なんかは皆無だったのだ。
***
ダンスが終わると2人で庭園に向かった。
ここは王族専用では無い庭園だから皆が散歩をしている。
ライトアップされた小道を楽しそうに行き交っていて。
経理部の休憩時間に、ソアラもこの庭園を散歩していたと言う馴染みの庭園だ。
ソアラがこの庭園に行こうとルシオを誘った。
「おい!ちょっとそこまで顔をかせ!」とばかりに怒っている。
ソアラがルシオの手を引っ張って行くから、引っ張られているルシオは嬉しそうにして。
空いてるベンチを見付けると、ここに座れとばかりに手をベンチに向かって広げている。
指示された通りに座るとソアラはルシオの前に立ち、自分の手を腰に当てた。
怒っているから顔が赤いのか、大広間の熱気で顔が赤いのか……
はたまたルシオの先程の所為で顔が赤いのか。
全部であった。
「 殿下! 皆のいる前で、あんな所為は有り得ませんわ! 」
会場には父も母もいるのにと、かなりお冠だ。
王太子である僕が誰かに怒られなんて。
本気で怒られていると思うと楽しくて仕方無い。ルシオは更にクックと笑う。
何を言っても嬉しそうに笑うルシオに、ソアラは余計に腹が立って。
「 何故、急にあんな……所為をしたのですか!? 」
「 マーキングだ! 」
「 ………………………………………はぁぁあ? 」
長い沈黙の後でソアラがすっとんきょうな声をあげた。
目が真ん丸く見開いて行く。
またまた新しいソアラの発見が出来て、ルシオは萌えるのだった。
「 ま……ま……マーキングって…… 」
「 雄が自分の雌に印を付ける行為。その雌が自分のものだと主張する為にね 」
ルシオは、腰に手を当てて自分の前に立つソアラの手を取って唇を寄せた。
チュッと言うリップ音をさせて。
「 わ……わ……私は犬や猫ではありません!それに……殿下の所有物でもありませんわ!! 」
ルシオが口付けをしている手を引き抜いて、ソアラはその手を胸にやり、もう片方の手で押さえた。
胸の前で握った拳がワナワナと震えて。
「 えっと……いや、悪かった 」
ルシオは慌てて立ち上がり、腰を折ってソアラの顔を覗き込んだ。
マーキングが気に入らなかったのか、ソアラが激しく睨み返して来る。
こんなに怒るとは思わなかった。
自分のものだと言われたら……
女性は喜ぶものだと、カールから渡された『 恋愛の初心者が読む本 』の本に書いてあったのだ。
違うのか?
「 私に相談されても、私も経験が無いから分かり兼ねます 」
だからこの本を読んでご自分で勉強をして下さいと言って。
こんな恥ずかしいタイトルの本を、よく買えたものだと思ったが。
有り難く読ませて貰った。
勿論、本にはマーキングの話などは書かれてはいない。
完全に怒ったソアラが、その後ルシオが何を言ってもキャンキャン吠えて、ルシオは機嫌をとるのに苦労をするのだった。
とても幸せそうな顔をして。
ルシオは王太子だ。
誰かの機嫌を取るなんて事は勿論だが、機嫌を取られる事さえ滅多に無い。
彼は全てを命じる立場にあるのだから。
ソアラといるとこんなにも楽しい。
ソアラがいなければ……
生涯知る事は無かったであろう感情まで知る事になって。
ルシオはそれがとても新鮮に感じるのだった。




