拗らせが渋滞中
ドルーア王国と隣国マクセント王国の間には手付かずの鉱山がある。
お互いに自分の領土だとは思ってはいるが。
それを主張すれば争いが起こる事は必須。
ドルーア王国と同じ位にマクセント王国も小さな国だ。
その2国が戦争などすればたちまち国力が落ち、その隙に大国に攻め込まれると言う最悪な事態に成りかねない。
そんな事から……
ドルーア王国とマクセント王国は、この鉱山をどうするかの話し合いをずっとして来たと言う訳である。
ただ、ドルーア王国の奇妙な慣習により、先王が身罷ると政権そのものがガラリと代わる事から、中々前に進まないのが問題であった。
政権が代われば3年から5年は内政を重視する事になるから余計だ。
前国王の時から本格的に話し合いがもたれて来たが。
その前国王が病に倒れ、長らく臥せっていた末の崩御であった事も、今まで頓挫していた要因である。
今までの慣習を破って伯爵令嬢との婚約が成立した事で、マクセント国王から打診があったと言う訳だ。
今の政権が永く続けられる事を見通して。
そんな背景を他所に。
一組の男女がフローレン邸の裏口から慌て飛び出して来た。
シリウス・ウエスト公爵と、女装したマクセント王国の王太子フレディだ。
ドルーア王国への正式な訪問が決まった事は、この時点ではフレディはまだ聞かされてはいない。
フラリと旅に出ても、滞在先は書簡を出して国にいる側近に伝えてあるので、直にウエスト公爵経由で伝えられる事になるのだが。
「 間一髪だったな 」
「 まさかルシオ殿下がお越しになるとは…… 」
「 ルシオ殿も婚約者の家に来たりもするんだな 」
フレディは裏口の扉を背に、ブロンドの長い巻き毛を掻き上げた。
フレディはルシオに会うわけにはいかない。
彼とは何度も会っている事から会えば直ぐにバレてしまう。
そもそもこの風体で女だと信じているソアラが可愛いと、フレディもシリウスも思っていて。
フローレン邸の執事のトンプソンには、初めて会った時からずっと怪しまれているが。
「 トンプソン! 女性に失礼な目を向けるんじゃありません! 」
ソアラはそう言って、女装のフレディをジロジロと観察しながら怪しむ執事を嗜めた。
見た目だけで判断してはいけませんわと、こっそりとトンプソンに言っているのを聞いて、思わず吹き出したシリウスとフレディだった。
彼女も多少は怪しんでいたんだと。
逃げ出した2人は、フローレン邸から程近いシリウスの家には向かわずに、フレディが借りている邸に向かった。
フレディがドルーア王国に来ている事は誰にも知られてはいけないのだから。
「 それで、シリウスは2人の関係をどう思う? 」
「 まあ、舞踏会の様子では、ルシオ殿下はかなりソアラ嬢を寵愛しておられるみたいでしたが…… 」
ソアラ嬢の事を気に入っているのは、王妃陛下だけでは無いのは明らかだ。
最初は妙な噂ばかりが広がっていたが。
シリウスはフゥッと息を一つ吐いた。
その顔は何処か寂しそうで。
「 そうだね。でも……彼女はそうは思って無いみたいだよ 」
「 えっ!? ルシオ殿下があれだけ態度に出しておられたのにですか? 」
「 ディランには色んな事を話してくれるからね 」
私達は親友なのよと、フレディはディランの声で言った。
フレディが扮するディランは平民女性と言う事になっている。
ソアラはそれを知っていて、それでもディランに悩みを打ち明けて来た。
「 愛が無いのに、愛があるように振る舞うのは普通ですか? 」
「 可愛くも無いわたくしに、可愛いと言うのはどう言う意図がありますか? 」
「 殿方は好きでも無い女性と……口付けを出来るものなのですか? 」
ソアラは一気にそう捲し立てて、恥ずかしそうに俯いた。
ほう。
ルシオ殿はソアラ嬢とキスはしたんだな。
まあ、婚約者候補を2人も侍らしていたのだから、その位は当然だろう。
他国の王太子であるフレディは知らない。
ルシオはアメリアとリリアベルとは距離を取り、口付け1つしなかった事を。
それが選ばれなかった方の将来を考えての事だと言う事は、ドルーア王国では知られている話だ。
舞踏会で2人と共にいたルシオを見て、フレディは自分の経験上そう思っただけで。
婚約者に手を出さないなんて、彼にはあり得ない事なのだから。
そして……
フレディは思った。
ソアラ嬢はとんでも無く拗らせているぞと。
ルシオ殿がソアラ嬢に想いを寄せている事は間違いないだろう。
彼女を見つめる時のあの甘い顔を見れば一目瞭然だ。
だけどそれは彼女には伝わっていない。
それが何故かは勿論知る由もないが。
***
フレディはソアラの前で、しょっちゅうシリウスの腕に手を絡めていた。
「 殿下、止めて下さい 」
ソアラの前では決して恋人だと言わないシリウスも、また拗らせている。
フレディはその事に気付いていた。
シリウスがソアラ嬢に想いを寄せている事は間違いない。
本人はまだ自覚は無いようだが。
シリウスは名うてのプレイボーイだ。
その甘いマスクは、どの国に行っても女性達が放っておかない事から尚更で。
王太子と言う立場の自分よりは顔が知られていないからか、彼の女性関係はかなり派手である。
変装をしなければならない自分とは違って。
この国に来ても直ぐに昔の恋人達から連絡があった。
あの王室御用達店に行った時も、彼女達へのプレゼントを買うためで。
しかしだ。
今の彼には、これまでの女誑しの片鱗は微塵も見当たらない。
女性達との逢瀬には行かずに、毎回自分に付いて来て楽し気にソアラ嬢を見つめているのだ。
時々彼女から話し掛けられると嬉しそうにして。
まるで初めて恋をした男のようになっているのであった。
***
ソアラは孤独だった。
いきなり王宮での生活が始まり、手探りで前に進むしかないソアラは心を割って話せる人はいなかった。
侍女達はよくしてくれていたが……
所詮はエリザベスの侍女であり、ソアラの悩みを言える筈も無く。
家族にも勿論言えない。
相手は王太子殿下なのだから。
ディランは大人の女性で、恋の先輩だ。
王宮とは何の関係も無い他国の平民の彼女だからこそ恋の悩みを吐き出す事が出来た。
勿論、悩みの全てを打ち明けている訳では無いが。
ソアラは新しい女友達が出来た事が嬉しかったのだ。
しかし……
別れはある日突然やって来た。
ディランが帰国すると言う。
「 えっ!? 本当ですか? 随分と急なのですね…… 」
「 はい、家の事情で帰らなければならなくなりました 」
「 家の事情……なら仕方ありませんね 」
彼女は隣国の女性。
何時かは帰らなければならないのは分かっている。
「 マクセント王国の王太子殿下と踊る事になりましたから、もっと指導をお願いしたかったのですが…… 」
「 大丈夫です。貴女はもう素敵に踊れますよ 」
ディランに指導を受けたのは、僅か2週間と言う短い期間ではあったが、ソアラはワルツ以外もちゃんと踊れるようになっていた。
勿論、まだ1曲だけだが。
そして……
あまりにもの悲しそうな顔をしたソアラに、フレディは胸がキリキリと痛んだ。
こんなにも慕われていた事にも。
こんな純粋なソアラを騙していた事にも。
そして彼は……
いつの間にかソアラの頬に手を伸ばしていた。
フレディに新たな感情が湧き上がる。
「 直ぐに会えますわ 」
その時には最高の貴女を見せて下さいねと言って、今にも泣き出しそうなソアラの額にそっと口付けをした。
「 でんっ……ディラン!? 」
「 お別れの挨拶よ 」
驚いたシリウスが後ろで叫んだ。
ソアラも目を大きく見開いている。
顔がみるみるうちに真っ赤になって。
そんなソアラにディランはクスクスと笑った。
私も……
この令嬢《娘》にやられたかもね。
何よりも……
平民であるディランに対しても、高慢な態度にならないのが好ましい。
これはこのフローレン家の皆がそうだった。
平民の使用人もいると言うのに。
見るからにお人好しのフローレン夫婦を中心にして、皆の仲が良かった。
執事のトンプソンはやたらとシリウスに厳しくて。
絶対にシリウスから目を離さない。
手洗いにまで付いていくと言う徹底ぶりだ。
これは……
ルシオ殿下に見張るように言われているかも知れないと、シリウスが嘆いていた。
「 危険なのはディランだ! 」と。
私は邪悪なディランから、ソアラ嬢を守っているのだと失礼な事を言って。
そんなシリウスを見ていると、もしかしたら自分も拗らせているのかも知れないとフレディは思うのだった。
最初は何の取り柄もない令嬢だと思った。
取り分けて美しくも無ければ家格も低い。
王家に犠牲になった哀れな令嬢だと。
王妃が気に入ったと言うだけの。
だけど話してみれば……
彼女の持ってる知識は、普通の令嬢のそれとは雲泥の差だった。
お洒落や宝石しか興味の無い令嬢達が殆どの中で、彼女は本を読むの好きだと言う。
本当は経理部よりも王立図書館に勤めたかった程に。
父親がそこで働いているから諦めたらしいが。
「 我が国の経理部に採用されるには、学園でもトップクラスの者である必要がある 」
彼女は相当頭が良いのだろうと、シリウスが目を細めていた。
どちらかと言うと頭の悪い女が好みだった。
それは簡単に自分の目的が果たせるからで。
それはシリウスとて同じ事。
そして……
自分の妃になる者は、様相が美しければそれだけで良いと思っていた。
世継ぎを産み、自分の横に立つだけの妃なのだから。
しかしだ。
頭の良い令嬢が良いと思うようになっていた。
博識のある彼女との話は思いの外に楽しくて。
一生涯自分の傍らにいる妃とは、こうありたいと思うのだった。
知れば知る程に彼女にハマっていく感覚がしていた。
何時しか彼女が美しく見えるようにもなっていて。
彼女は光る原石だ。
磨けば磨く程に光輝く筈だ。
「 これは……ルシオ殿が手放すわけが無いな 」
フレディは帰りの馬車の中で独り言ちた。
そうしてフレディは……
再びドルーア王国に来国する為に帰国したのだった。




