香水の残り香
「 そうか……怪しい所は無いんだな 」
「 そうですね。保証人がシリウスなだけで 」
あの後ダンスはディランさんから教わるとソアラが言って来た事で、ルシオはカールに命じてディランと言う講師を調べさせていた。
ダンスの講師の登録書に、女性と記載されていた事から飛び付いてしまったが。
ずっとソアラを教えるとなると調べる必要がある。
『 ディラン 』と言う名が、男性名ともとれる事から念の為に。
「 国籍はマクセントで、保証人がシリウス・ウエストとなってますから……まあ、ソアラ嬢の言う通りに、シリウスの恋人ですかね? 」
マクセント王国から連れて来たのだろうとカールが言う。
登録している講師の名は本名で無い場合が多い。
王宮専属のダンスの講師の『ゴンゾー』も通り名だ。
何処かの令嬢にしつこく命名されたとかどうとかと言っていた。
しかしだ。
講師である彼女がフローレン邸に出入りするのは構わないが。
シリウスがフローレン邸に出入りする事は認められない。
いくらシリウスとディランが恋人同士だとしてもだ。
その後、ソアラに認めないと伝えれば、ソアラは何故だと言う顔をしている。
「 僕が教えると言ったろ? 」
「 お忙しい殿下を煩わせるのは心苦しいです。それに……殿下の足を踏むのも……辛いです 」
申し訳無さそうな顔をするソアラにルシオは優しく微笑んだ。
「 君に踏まれても少しも痛くないよ 」
本当は……
何度も同じ場所を踏まれればかなり痛いが。
それよりもソアラに密着したいと言うやらしい考えは、勿論ソアラには隠す。
ルシオも頑張ったがソアラも全然引かない。
「 女性の講師だからこそ、女性のステップを丁寧に教える事が出来るのです 」
それがとても分かりやすかったと言われたら、ルシオが引き下がるしかない。
男性側のダンスは上手く教える自信はあるが、女性のステップを教えるのはかなり難易度だと言う事は、自分も感じていた事で。
「 では、講師のディランだけを君の家に呼ぶようにして欲しい。シリウスを呼ぶ必要はない! 」
「 ディランさんはこの国に来たばかりだから、平民の彼女が失礼な事をしたらいけないと、シリウス様は仰っていて…… 」
ディランさんの事が心配だから、彼女の側にいたいらしいですと言った所で、ソアラは嬉しそうな顔をした。
「 シリウス様とディランさんはとても仲が良いんです 」
直ぐにお互いの顔を近付けて内緒話をするのですよと言って。
「 じゃあ、シリウスとは踊らないと約束してくれ 」
「 それは大丈夫ですわ。 ディランさんは男性のパートも上手なのですよ 」
「 彼女は男性のパートも踊れるのか? 」
「 はい。彼女は背も高いですから、まるで男性と踊っているみたいですわ 」
殿下みたいに上手ですよと言ってソアラは少しはにかんだ。
そして……
「 ディランさんが、私を素敵なファーストレディにしてくれるって言って下さいましたの 」
嬉しそうに話すソアラは、彼女を相当気に入っているみたいだ。
なので……
ルシオは折れるしかなかった。
頑固な所もあるのだな。
ルシオはソアラの新しい一面を発見した事が嬉しかった。
その理由が……
自分の足を踏んでしまうからだと、思いやってくれている事も。
しかし。
以前からソアラの周りで、何かとシリウスの名が出て来るのが気に入らない。
クリスマスパーティーでは、シリウスはわざわざソアラの元へ行き、挨拶をしたのだとルーナ嬢から聞いた。
まあ、未来の王太子妃に挨拶に来たのは臣下として殊勝な事だが。
それでも何か引っ掛かるのだ。
「 しかし、世の中は狭いですね 」
まさか新しい講師の恋人がシリウスだとは思わなかったと、カールがカリカリと書類にペンを走らせながら首を竦めた。
カールとシリウスは幼少の頃はルシオの遊び相手だった。
よく3人で遊んでいた。
まだ、ウエスト政権だった事もあり、サイラス国王とシリウスの父親であるウエスト公爵は、今のルシオとカールの関係だった事もあって。
ルシオやカールよりも2歳年上のシリウスが、学園に入学した事からだんだんと会わなくなった。
学年が違うのだから仕方が無い。
そして……
ウエスト政権からノース政権に代わった事でシリウスは隣国に留学して行き、完全に疎遠になってしまったのだった。
だから……
シリウスの事はよく知っている。
何事にも積極的で行動的なシリウスは、学園に入ってからは女性との噂が絶えなかった事も。
公爵令息であれだけの甘いマスクならば、女性が寄って来るのは当然だろう。
カールだって学園時代はかなりモテた。
本人は面倒だと言って相手にしなかったが。
今はルシオの秘書官をしているカールだが、本来は学者肌だ。
何かを研究するのが好きなので、女性とのあれこれは面倒なだけだと思っていて。
どうせ父上が決めた令嬢との婚姻になるのだからと、今はルシオの側近として公務に邁進している所である。
ルシオは……
自由に恋愛が出来るシリウスを羨ましいと思った事もある。
だからと言って婚約者候補のアメリアとリリアベルの事が嫌だったと言う訳では無いが。
「 でも、却って良かったんじゃ無いですか!? 」
書類を整理する手を止めないでカールが言う。
ドルーア王国は今、大きな事業に直面していた。
先の政権が進めていた他国との公共事業があったのだが、政権が代わった事で頓挫していて。
それがルシオ王太子の婚約を期に動き出したのである。
なので……
国王や政府の者達が一丸となって、前政権の残した資料を把握する為に、かなりの時間を費やしているのである。
そんな忙しい毎日で……
ソアラは新居に帰ってしまった事から朝のウォーキングも出来ない今は、ダンスのレッスンで親密になりたい所なのだが。
それがままならない事が腹立たしい。
「 そろそろ時間です! 陛下がお待ちですよ 」
書類の束を抱えたカールが、早く執務机から立ち上がれとばかりにルシオを急かす。
「 僕達は婚約したばかりなんだぞ! 」
「 ソアラ嬢も頑張ってお妃教育をしてるのだから、殿下も王太子として公務を頑張って下さい 」
2回目のキスは何時になったらできるんだ?
ルシオは肩を落としてサイラスの執務室に向かうのだった。
***
「 ほら、こうするとドレスの裾がフワリと広がるのよ 」
ディランがクルリとターンをすると、ドレスの裾が綺麗に広がりとても優雅に見えた。
これはルーナがよくやる動きだ。
分かってはいるが……
中々上手くドレスが広がらない。
気が付くと手足が同時に出てしまって。
「 あっ!? 」
足が縺れて倒れそうになると、ディランがソアラを抱き寄せた。
ガッチリと。
力強く。
「 す……スミマセン 」
女性なのに凄い力だわ。
ダンスを踊り過ぎると腕力がつくのかしら?
ソアラはディランの力強さに戸惑うばかりだ。
そして……
こんな時には、決まってシリウスがディランの側に行き何かを囁くのだ。
何時もヒソヒソと囁き合っている2人は、とても仲睦まじく見える。
美しい姿勢や歩き方はお妃教育で学んでいるが、より可愛らしく、より美しく見せる所為はディランならではで。
しかし。
それが何よりも難しい。
真っ直ぐな姿勢で歩く方が余程簡単なのである。
ダンスのレッスンは苦戦中だが。
休憩の時にディランとシリウスが話してくれる旅の話は楽しかった。
ソアラは外国には行った事は無いが、冒険の本を読むのが好きでよく読んでいる事から尚更だ。
ずっと2人で旅行をしてるなんて……
それでも結婚の出来ない身分違いの恋をしてる2人に胸を痛めるのだった。
***
暫くしてルシオはフローレン邸に赴いた。
この日の午後はソアラのダンスレッスンの日だ。
公務が早く終わった事から、ソアラの様子を見ようと思って。
何よりも講師のディランに会ってみたかった。
勿論シリウスとも話をしたくて。
彼は帰国の報告の為に国王陛下には挨拶に行ったみたいだが、ルシオの前には姿を見せてはいない。
ソアラの前には姿を現していると言うのに。
公務の帰りだった事もあり、騎士達もそのままフローレン邸の門を潜った。
勿論、カールも一緒だ。
カールもディランと言う講師に興味があった。
ソアラの話では、とても背が高くてかなりの美女らしい。
前触れはしなかったが。
そこは婚約者の家である。
出迎えに正面玄関に現れた執事のトンプソンも、にこやかにルシオをダンスホールに案内をしてくれた。
彼は増えた使用人を従える事で立派になっていた。
鼻の下に生やした髭の先も天井を向いていて。
「 えっ!? 帰っただと? 」
通されたレッスン室にはソアラとメイド達だけがいて。
皆は突然現れた王太子殿下に慌ててカーテシーをする。
「 ディランさんが……急に熱が出て来たと仰って 」
シリウス様が裏口から連れて出たとソアラは言う。
「 ウエスト公爵邸は裏口からの方が近いんですって 」
フローレン邸は公爵邸もある高級住宅地にある。
一番近いのがウエスト公爵邸だ。
逆にフローレン邸から一番遠いのがノース邸で。
因みに……
ノース家の夜会にはソアラは父親と参加した事がある。
ルシオが来る前に、さっさと2人で辻馬車に乗って帰ったと言うあの夜会だ。
「 ディランに会えると思っていたのだが…… 」
「 残念ですね 」
カールも残念そうだ。
「 じゃあ、折角だから今から僕と踊ろう 」
「 あれから少しは踊れるようになりましたのよ 」
ルシオがソアラに向かって右手を差し出すと……
ソアラはルシオの手に手を重ねた。
アコーディオンの音が奏でられる。
トンプソンが雇っていたのだ。
顎髭を生やしたアコーディオン奏者は、突然現れた王太子に緊張していて。
初っぱなから間違えている。
ホールの中央に2人で行けば……
ソアラはカーテシーをした。
ドレスがフワッと翻り……
とても優雅なカーテシーだ。
ルシオはソアラのその美しい所為にドキリと胸が高鳴った。
確か……
ディランは、ソアラを素敵なファーストレディにすると言っていたとか。
ダンスが踊れずにオドオドしていたソアラは何処にもいなかった。
ルシオが見惚れる程に、ソアラは美しくダンスが踊れるようになっていた。
「 ディランの教え方が上手いんだな 」
本当は自分が教えて自分色に染めたかった。
ソアラを成長させたのが自分で無いのが悔しい。
「 ええ。彼女はとても上手だわ 」
ソアラは嬉しそうに笑った。
それがとても可愛いくて。
ルシオがソアラに顔を近付けた。
ソアラの頭にはもう何度も口付けをしている。
その時……
微かに香水の香りがした。
ソアラは香水を着けないからディランの着けてる香水。
先程まで踊っていたのだろう。
ソアラの頭から彼女の残り香がする。
背が高い女性だと言っていたが。
しかし……
ルシオは以前にこの香りを嗅いだことがあった。
誰のだ?
何処で?
そして……
そんな謎も直ぐに飛んでしまう程にソアラは上手くなっていた。
ダンスが終わると……
ソアラは深く深くカーテシーをした。
皆から拍手が湧き上がった。
ホールの中はいつの間にかフローレン家の使用人達がやって来ていて。
皆はうっとりとしながら見ていたのだ。
王子様とお姫様のダンスを。
本物だわと大興奮で。
「 上手くなったね 」
ウフフとルシオを見上げて、どや顔をするソアラが堪らなく愛しい。
ルシオはソアラの指先にキスをした。
この位はそろそろ慣れて貰いたい。
ソアラは恥ずかしそうな顔をして俯いたが。
「 これなら来月の舞踏会は大丈夫ですね 」
応接室に移動して皆でお茶をしている時に、そう言ってカールが満足そうな顔をした。
「 来月? 」
「 そうです。来月に隣国のマクセント王国の王太子殿下が来国する事に決まりました 」
隣国の共同事業の調印式があると言う。
「 そこで、先ずはお2人に踊って貰い、その後にフレディ王太子殿下とソアラ嬢が踊る事になります 」
これは我が国にとっての大事な舞踏会ですからと言って。
ソアラはいきなりの大役に身体を震わせた。




