伯爵令嬢にロックオン
何時もはダンスのレッスンはルシオがしてくれているが。
この日は公務で出掛けるからと、ダンスの講師が来てくれる事になっていた。
エリザベスとのお茶会も毎日と言う訳では無い。
王妃も公務で忙しく突然のキャンセルも程にあって。
この日はお茶会は予定されて無い事から、午後からの予定はダンスのレッスンに充てられていた。
ダンスのレッスンでは、何時もルシオの足を踏んでばかりいるソアラは、それを申し訳なく思っていて。
殿下は痛くないよと言ってくれてはいるが、痛くない筈は無いのだ。
足を踏むと……
時々声を詰まらせる事もあって。
だから……
講師が来てくれる事を喜んだ。
それも女性だと言う。
淑女教育の講師は殆どが女性なのだが、ダンスの講師が女性なのは珍しい事だった。
女性の立場から教えてくれた方が覚えやすいのかも知れないわ。
今日しっかり覚えて、次の殿下のレッスンでは足を踏まないようにしなくっちゃ。
ソアラは女性講師とのレッスンを楽しみにしていた。
王宮にはダンスのレッスン専用のホールがある。
壁一面が鏡張りになっていて、新しいダンスの振り付けが発表されれば、両陛下や殿下はこの部屋で練習をすると言う。
当たり前のように上手で、当たり前のように皆の前で踊られているけれども……
陰では努力をしてらっしゃるのだわ。
私も早く覚えなければ。
王太子妃となるからには、ワルツだけ踊れれば良いと言う訳にはいかなのだから。
午前中のお妃教育を終え、ダンスのレッスン室で今か今かと講師が来るのを待っていた。
すると……
ダンスの講師が家に来ていると言って、執事のトンプソンが迎えに来た。
彼は馬車のある生活が気に入っていて、何かと用事を作っては馬車に乗りたがる。
フローレン家では彼が一番馬車を利用していると言う。
一体何処に出掛けているのやら。
馬車の中でトンプソンが言う。
「 講師の女性と一緒に、ウエスト公爵令息のシリウス様もいらしております 」
「 えっ!? シリウス……様? 」
ダンスの講師とシリウスが全く結び付かないソアラは、トンプソンがとうとうボケ始めたのかと思った程で。
邸に到着すると本当にシリウス・ウエスト公爵令息がいた。
ダンスの講師は……
あの時、王室御用達店で会った女性だった。
***
フレディ・モスト・ラ・マクセント。
ドルーア王国の隣国であるマクセント王国の王太子だ。
彼は王太子としては珍しく自由奔放な性格をしている。
旅行好きな事もあって、気が向くと変装しては他国へとフラリと行くのである。
マクセント王国に留学して来たシリウスと親しくなると、彼と共に外国での生活を楽しんでいるのだった。
彼は滞在先では借家に住み、得意のダンスを生かして講師をしながらお金を稼いで生活をしている。
別にお金には困る事はないが。
ダンス講師は貴族の家に入り込む事になり、国によって違う貴族の内情を楽しんでいるのである。
女性として登録するか男性のまま登録するかは気分次第だ。
だけど、隣国のドルーア王国では知り合いの貴族も多い事から女性として登録をした。
登録したとたんにやって来たのは王宮からの使者。
王太子殿下の婚約者になったソアラ・フローレン伯爵令嬢へのダンスのレッスンの依頼だった。
「 そうだね。彼女はワルツしか踊れないみたいだったからね 」
他の貴族からも講師の依頼が来ていたが……
フレディは他家からの依頼を全て断って喜んで承諾した。
しかしだ。
流石に王宮へは行く事は出来ない。
5年前の国王の戴冠式と4年前のルシオの立太子の時には、正式にマクセント王国の王太子として招待され、王宮の客間に滞していたのだから。
その間世話をしてくれた侍女達やメイド達とは顔見知りだ。
だから……
王宮でのダンスレッスンは絶対に無理なのである。
こうしてフローレン家に出向いたと言う訳である。
シリウスが付いて来たのは、フレディからフローレン邸にダンスのレッスンに行くと聞いたからである。
「 あっ!? 貴女は……あの時の…… 」
「 ウフフ……覚えていて下さったのですね 」
ソファーから立ち上がった彼女と、彼女の横にいるシリウスと挨拶を交わす。
「 私はディランと申します。隣国からやって来ました 」
フレディは自分の事をディランと名乗っている。
男でも女でも通用するようにと。
「 貴女は…… 」
ソアラは咄嗟に口を噤んだ。
本当は男なんじゃないか?だなんて、とてもじゃないが言えない。
いや、言っては駄目だ!
彼女が女性ならばこんなに失礼な事は無い。
それに……
顔だけ見ればどう見ても自分よりは遥かに美しい。
だだ……
体躯が物凄く良いだけで。
彼女は見上げる程に背も高い。
背丈は横にいるシリウス様と同じ位。
もの凄く高いヒールを履いてるのかと思ったが、その後に座った時に見えた靴はローヒールの靴だった。
ディランと言う名前も怪しい。
男の名前だし。
いや、あえて男っぽい名前を名乗っているかも知れない。
身体付きが男みたいだからと。
そうなると……
彼女も悩んでいるのかと思ってしまう。
生まれ持っての様相はどうしようも無い事は痛い程分かるのだから。
「 殿下……見られていますね 」
「 もの凄く見られてますわ 」
シリウスとフレディが顔を近付けてヒソヒソと話しをするのを、ソアラは見ていた。
「 ディラン様と……シリウス様は恋人同士ですのね 」
こんな所まで一緒に来るなんて、本当に仲が良いのですねと言って、ソアラは目を輝かせた。
きっと……
シリウス様が隣国に留学して知り合ったのだわ。
「 違う! 」
「 ええ。そうですわ 」
シリウスとフレディが同時に答えた。
ん?
今までは2人の事は恋人同士で通していたのに?
シリウスは何故否定した?
フレディは頭を傾げた。
シリウスも……
何故こんなにキッパリと否定したのかを分からないでいた。
何故だかソアラには、自分と殿下が恋人同士だと思われたくは無いと思ってしまったのだ。
会えば会う程に彼女に強く惹かれてしまう自分がいる。
それは既に自覚をしている。
会う度に……
違う表情を見せてくれる彼女が気になって仕方無かった。
シリウスはソアラに何処か罪悪感を感じていた。
自分はこの戯けた慣習のあるドルーア王国の4家の一つである公爵家の嫡男だ。
前王妃ビクトリアはウエスト公爵家の出で、シリウスの父親と現国王のサイラスは従兄弟同士。
シリウスとルシオは再従兄弟の関係である。
アメリアやリリアベルも……
やはりルーツを辿れは王家に繋がる。
毛色の全く違う令嬢が選ばれた理由。
その理由が王妃が気に入ったからだと聞けば。
ソアラ・フローレン伯爵令嬢の事を、ただただ不憫に思うのだった。
公爵家の嫡男である自分が彼女の力になりたい。
アメリアやリリアベルは居なくなったのだから。
ルシオとの婚約発表の茶番劇では……
何も言わないルシオにイラついた。
あんな無礼な侯爵などは、捕まえて牢屋にぶち込めば良いと思いながら。
彼女は殿下の婚約者じゃないのかと。
弱い立場である自分の婚約者を守る事も出来ないのかと。
そして今またイラついている。
フレディが手取り足取りソアラを教える姿に。
女装をしているだけでフレディ王太子殿下は男だ。
彼女は殿下を女性だと思っているから油断をしているが。
イラつく理由は。
彼女は我が国の王太子の婚約者。
他国の王太子が絡んで良いものではない。
それだけだ。
シリウスは自分にそう言い聞かせるのだった。
そしてソアラは……
この2人は叶わぬ恋をしているのかも知れないと思うのだった。
シリウスは公爵令息。
彼女はきっと下位貴族か平民。
高位貴族はダンスの講師はしないだろう。
だったら王宮に来るのを拒否したのも理解出来る。
そして……
そんな彼女を心配してシリウス様は一緒に来たのだわ。
先程は恋人同士だと言う事を隠そうとしたのはそう言う理由があるのだと。
咄嗟に見つめ合った2人に何やら悲しげな雰囲気を感じた。
王室御用達店に2人がいたのも、こっそりと彼女へのプレゼントを買っていたのだわ。
身分違いの恋。
それも……
国籍も違うのである。
騎士でも無く、新聞記者でも無く、ダンスの講師だった王室御用達店で出会った女性。
ソアラは……
辛い恋をしているディランと名乗るガタイの良い女性に、親近感を持つのだった。
***
ダンスの講師と言う、教えのプロからダンスを習うのは初めてだった。
ルシオもダンスはプロ並みに上手だが。
指導をするとなるとやはり教えのプロには敵わない。
男性側としてのリードは素晴らしいが、女性のパートを教える事はかなり難しいようだった。
ワルツのステップならばソアラも知っていたけれども、新しいダンスはステップすら知らないのだから。
それに……
何やらやたらと抱き寄せられる場面が多いような気がして。
ルシオに顔を近付けられて、慌てたソアラがルシオの足を踏むと言う。
ディランは女性のステップを教えてくれた。
彼女の的確な指導で、ソアラは直ぐにステップを覚える事が出来た。
そして……
彼女が男性のパートをしてくれた時は、抱き寄せられた時の力強さにハッとした。
髪は長いブロンドの巻き毛。
ルシオのサファイアブルーの瞳とは違うグリーンの瞳。
宝石にするならエメラルドだ。
その綺麗なエメラルド色の瞳に見つめられると、心臓がドキドキとして。
彼女は女性なのに。
ソアラは自分がおかしくなったのかと狼狽えるのだった。
「 無垢だねぇ…… 」
婚約者候補を侍らして、ハーレム状態だったルシオ殿には勿体無い程に清楚な令嬢だ。
フレディはソアラに接した事で改めてそう思うのだった。
可哀想に……
王妃が気に入ったからと言って、とんでもない世界に引き摺り込まれて。
伯爵令嬢と言っても……
家格も財力も何も持たない令嬢。
公爵令嬢と言う完璧な元婚約者候補達と比べられる事は必須。
何度もルシオ殿の側にいる彼女達を見たが……
彼女達は顔の美しさも際立っていた。
その洗練された所為は既に王太子妃であり王妃になるべくものだった。
フレディは執事から出された冷水をコクコクと飲みながら、赤い顔をして胸を押さえているソアラを見ていた。
婚約発表の時は……
あれだけの無礼をよく耐えたものだ。
泣き出すかと思っていたのに。
そして彼女は……
ワルツしか踊れない事で、殿下に恥を掻かせたく無いと言って、健気にも懸命にステップを踏むのだ。
ワルツしか踊れない貴族令嬢が王太子妃になるとは。
今まで色んな貴族女性と知り合いになったが。
これ程までに気の毒な令嬢がいただろうか?
「 ……… 」
フレディは閃いた。
よし決めた!
この可哀想な令嬢を垢抜けさせて、完璧な令嬢に仕上げてやろう。
「 ソアラ様! 私が貴女様を誰よりも素敵なファーストレディにしてさしあげますわ! 」
ソアラは……
隣国の王太子にロックオンされてしまった。




