呪縛からの開放
翌日のフローレン家の引っ越しは、皆のニヤニヤ顔で行われた。
「 お嬢様は愛されてますね 」
「 もう、胸がキュンキュンしましたわ 」
通いのメイド達も引っ越しの為に、昨夜はフローレン家に泊まっていて。
昨夜の窓越しの逢瀬を……
バッチリ皆に見られていたと言う事実を知ったのは、朝食の時である。
王子様に愛されるなんて凄いですと言って、テンションマックスでキャアキャア騒ぐクロエとノラを見ながらソアラは思った。
殿下は……
私と結婚する事の努力をされてるだけで、私は決して愛されている訳では無いんだけれども。
カールが何時もルシオに言っている言葉がある。
「 王太子夫婦が仲睦まじいのは国の安寧に繋がりますからね 」
ソアラはそれを聞いて尤もな事だと思うのだった。
国王と王妃にある色んな噂をソアラも耳にしているが。
あの夜這いの話は有名で。
それでも2人の仲が良い事を国民達は喜んでいる。
実際にソアラが間近に見た両陛下は本当に仲睦まじい。
殿下はそんなお2人を見習って、それに向かって努力をしているのだ。
王命によって決められた愛の無い結婚だとしても……
私を大切に思ってくれている事は確か。
それだけで良いとソアラは思うのだった。
「 何時かはあの白馬にお嬢様も乗せて貰えるかしら? 」
「 王子様と2人乗りだなんて……素敵過ぎます~ 」
勝手な妄想で両手を頬に当てて身体をくねらせる2人。
「 変な妄想は止めてよ! わたくしは馬には乗らないわよ 」
馬車に乗った生活をしていないフローレン家には馬がいない事から、ソアラは馬には馴染みが無いのだ。
しかしそう言ったソアラは……
その後、馬の上で叫ぶ事になった。
見送りに出て来ていた隣近所への挨拶も終わり、いよいよ馬車に乗り新居へ行こうとする時にルシオがやって来たのだ。
馬にパカパカと乗って。
白馬に乗った王子様は……
ソアラを馬で新しい邸宅に連れて行ってあげると言う。
ルシオにヒョイと抱えられ、否応なしに馬に乗らされたソアラは絶叫する事になったのだった。
「 キャァァァァー!! 」
怖い……怖過ぎる。
ルシオの前に座らされたソアラは必死でルシオにしがみついていた。
ルシオはもうデレデレだ。
何時かはソアラを馬に乗せて一緒に駆けたいと思っていて。
しかし中々そのチャンスが無い。
なのでフローレン家が引っ越しをするこの日がチャンスだと考えた確信犯だ。
アメリアとリリアベルは2人とも乗馬が出来る。
乗馬は王族や高貴な貴族には欠かせない遊びである事から、2人も乗馬を習っていた。
3人でよく遠乗りに出掛けたりもしたが。
誰かを乗せるのは初めてで。
「 トパーズはゆっくりと進んでくれているよ 」
ルシオはクスリと笑う。
「 だって私は……馬に乗った事が……無い…… 」
トパーズだか何だか知らないが。
馬の背中に乗れば見た目よりもかなり高い。
座り心地も最悪だ。
ルシオは……
横座りをしているソアラが、自分の胸にしがみついてくれる事が嬉しくてたまらない。
王子様も普通の22歳の男の子なので。
どさくさに紛れてソアラの頭に何度も唇を寄せるのだった。
勿論、ソアラはそれどころでは無くて。
ルシオの腕の中にいるのだが……
落ちないようにと必死だ。
「 ハァッ!! 」
「 ギャァァァァァーッ!! 」
少し馬のスピードを上げたルシオに、ソアラは更に強くルシオにしがみついた。
こうなる事を予測していたルシオは、とても満足そうな顔をして嬉しそうだ。
「 どう?初めて馬に乗った感想は? 」
新しい邸宅まではソアラが叫んでる間に到着した。
街行く人々の目なんか気にしちゃいられない。
先に馬から下りたルシオがソアラに両手を伸ばした。
「 もう……乗りたくありま……しぇん 」
何回舌を噛みそうになったか。
「 乗馬もお妃教育の一貫だよ 」
「 …………えーっっ!? 」
手をルシオに向けて伸ばして来たソアラが固まった。
固まったソアラを抱き下ろしながら、ルシオが声を上げて笑った。
「 私が乗れるようになれるとは思えないわ 」
「 乗馬とダンスは僕が君に教えよう 」
「 ……えっ!?……ダンスも…… 」
上目遣いでルシオを見上げて尋ねて来るソアラが可愛らしい。
「 当然だ! 新年祭で僕達はファーストダンスを踊らなければならないんだからね 」
何故かニヤニヤとして楽し気な殿下が憎たらしい。
他人事だと思って……
顔合わせの時に、予定を話す国王陛下の側近はそこをさらりと流したのだが。
ソアラにとっては一大事だった。
「 どうしても踊らなければ駄目です……よね? 」
「 どうしてもだよ 」
ルシオは嬉しそうにそう言ってソアラの顔を覗き込んで来た。
困った顔をしたソアラを見たくて。
アメリアやリリアベルと比べる訳では無いが……
初めての事に色んな顔を見せるソアラが可愛いくてたまらないのだ。
ソアラは自分には愛嬌が無いと思い込んでいるが。
それは愛嬌いっぱいのルーナが側にいたからの事で、ソアラ自体はとても可愛らしい令嬢である。
勿論、ルシオは早くからそれに気が付いていて。
彼がソアラの事を可愛い可愛いと周りに言っているのは、そう言う事からであった。
ソアラのダンスの腕前はとてもじゃないが皆の前で踊れる代物では無い。
以前にルシオと踊った時はルシオの足を踏みまくった。
王太子妃になるのならばダンスは必須。
他国の王や王太子達と踊らなければならない事もあると、侍女のサマンサ達から聞いた。
この時……
学園時代にダンスの科目を取らなかった事を後悔した。
同じような家格である文官と結婚する予定だったので、自分には必要ないと思っていたのだから。
「 わたくし……頑張りますわ! 」
キッと目に力を入れて、下唇を噛み締めるソアラがまた可愛くて。
ルシオはまたまた萌えるのだった。
***
ずっと王宮にいたソアラが新居に入るのはこの日が初めてだ。
その邸宅は公爵家も住む町の一角にある。
大邸宅が立ち並ぶこの町の治安の良さは最高だが、皆が馬車での移動をしていて人の息遣いは感じられない。
何よりも近隣の家々が見えないのが寂しかった。
タウンハウスは家が立ち並んでいて、隣近所が割りと近かったのだが。
邸宅には元々家具が備え付けられていた。
その豪華過ぎる家具は綺麗なままで、家人達が丁寧に使っていた事を感じられる。
ソアラの部屋は一番陽当たりの良い2階の部屋が用意されていて。
部屋はモスグリーンで統一された素敵な部屋だった。
しかしだ。
結婚式まではまだ1年間もあるのだが、お妃教育で入内するソアラがこの家に居る事は少ない。
なのでこの部屋はイアンが使うようにと言ったのだが。
自分の部屋は研究の為の部屋の隣が良いのだと、彼は別の部屋を選んでいた。
一体何の研究をしているのか?
警備員は今まで通りに、王宮から派遣された者達が警備をする事になっている。
勿論、彼達が寝泊まりする部屋もある。
今まではフローレン家の客間を使っていたが。
馬車での生活になる事から新しく馬車も購入して、御者も雇い入れていた。
執事のトンプソンが張り切っていたのが目に浮かぶ。
ルシオはあの後直ぐに騎士達と共に帰城した。
年内の通常の公務はやり終えていたが、新たな公務で忙しくしていると言う。
「 王太子殿下はお忙しいのに、ソアラの為に有難い事だわ 」
帰城するルシオを見送りながら、メアリーの言葉にソアラは頷くのだった。
その時……
メアリーが寂しそうな顔をしてソアラに言った。
エマイラ夫人からは王命が下されてからは避けられているのだと。
程のお茶会の行き来をして、あれ程仲良くしていたのにと。
「 やっぱりやっかみなのかしら? 」
ルーナちゃんは婚約者がいるのだから、やっかみも何も無い筈なのにとメアリーは小さくため息を吐いた。
「 でも、ルーナちゃんは何時も我が家の事を気に掛けてくれている優しい子だから、ソアラは彼女とずっと仲良くしたら良いわ 」
大人は駄目ねと言いながら、彼女は広い邸宅に入って行った。
母からはそう言われたが。
これでやっとルーナから離れられるのだと思うと、ソアラは長年の呪縛から解き放されたような気分になっていた。
二軒隣に住むエマイラ家とは家族ぐるみの付き合いがあった。
同い年の女の子がタウンハウスにいない事から、小さい頃から当然のように常に一緒にいた。
彼女の事は嫌いでは無いが。
彼女と一緒にいる事は嫌だった。
まさか仕事先まで一緒になるとは思わなくて。
だから……
ルーナがブライアンと結婚したら……
ブライアンは侯爵令息の三男坊だと言っても、流石にタウンハウスに住む事は無いだろうと思っていて。
マーモット家は領地を持つ大貴族の1つだ。
父親は文官の仕事もしているが。
だから同じ職場になっても、ルーナがブライアンと結婚する事を待っていたのだ。
その時に離れられると思って。
そして何よりも嫌だったのは……
そんな風に思っている自分のどす黒さだった。
ルーナは良い子なのだ。
明るくてお喋りなルーナといると楽しかった。
ただ……
周りの反応が嫌だっただけで。
天使の様な彼女といると皆は何時も彼女を注目するのだから。
ソアラをそこに居ない者として。
王宮に入内をして……
ルーナが側に居ない事で、皆が自分をちゃんと見てくれると言う心地好さを知った。
納税の仕事も終わった。
お妃教育も始まる。
もう、あまり会う事も無いだろう。
これからはどす黒い事を思わずに済むのだと思うと、それが何よりも嬉しかった。
この引っ越しで……
ソアラは改めて自由になれた気がした。