誰もがわたくしの為に
ルーナは生まれてからずっとノンストレスの人生を生きて来た。
どす黒い気持ちなんか持った事が無い。
何時も誰かの為にと行動する事の出来る、慈悲深く天使の様な心の持ち主であった。
兄2人がいる末っ子。
家族は全員普通顔だが、何故かルーナだけが特別可愛らしいパーツを持って生まれて来た。
可愛らしい顔と可愛らしい声で、会う人々の皆から称賛されるルーナは家族の自慢であり、とても大切に育てられた。
天真爛漫で気配りの巧みな彼女は、男女問わず誰に対してもとてもフレンドリー。
初対面の人でも物怖じする事なく楽しく話せる程に。
学園に入学すると沢山の男子生徒から告白をされた。
何もしていないのに勝手に取り合いをされ、その事で女子生徒達からは目の敵にされた。
皆と仲良くしたいのにとルーナは悲しかった。
婚約者であるブライアン・マーモット侯爵令息とは、気が付いたら婚約をしていた。
あの日は……
マーモット侯爵家のお茶会に行くとソアラが言っていたから、差し入れにクッキーを持って行っただけ。
何時もルーナの知らない内に周りの者が勝手に動いてくれる。
ルーナが最善になるようにと。
虐められていたら幼馴染みのソアラが何時も守ってくれる。
だから……
ルーナはノンストレスなのである。
そんな中。
いきなり経理部に雲の上の人である王太子殿下がやって来た。
初めて近くで見た我が国の王子様。
美しさと品の良さとその圧倒的なオーラを前にして、彼に跪を突かれ手の甲に口付けをされたなら、ときめかない女性などいない。
わたくしは……
王太子殿下に恋をされたのだわ。
自分に自信のあるルーナはそう思った。
「 ルーナは王太子妃になれるかも知れないわね 」家族にその話をすれば皆がそう言って喜んでくれた。
ルーナにはブライアン・マーモット侯爵令息と言う婚約者がいたが……
王族が望めば、婚約を解消させる事が出来るのだからと家族の皆がルーナに期待した。
しかし……
その期待は全く的を得ないものだった。
『 ソアラ・フローレン伯爵令嬢をルシオ王太子の婚約者候補とする 』
王命が正式に下された。
「 何故ソアラちゃんなの? 」
家族の失望する顔を見たルーナは、この時初めて小さなストレスを感じた。
「 ソアラは何かの間違いだと言っていた 」
いや、きっと何かの間違いなのである。
間違いであっても王命が下ったら従わなくてはならない。
王太子殿下はわたくしに想いを寄せていると言うのに。
王命を撤回出来るのは王命を出した国王陛下だけだから、国王陛下が撤回するように誰かに進言して貰いたい。
その為には先ずはわたくしを知って貰わなければならない。
王族や公爵家と親しくなる機会さえあれば……
皆がわたくしの方が王太子妃に相応しいと思ってくれる筈。
あの2人の公爵令嬢達に匹敵する美しさを持つ令嬢は、このわたくしだけなのだから。
きっと上手くいく。
ブライアン・マーモット侯爵令息と婚約をした時みたいに。
ある日……
騎士達がフローレン家の前にやって来て、辺りは騒がしくなった。
騎士達は王族の護衛だ。
王太子殿下がソアラの家に来ると思ったルーナはルシオを待ち伏せした。
王家の馬車がフローレン家の門に到着したのを見たルーナは、ルシオの前に飛び出した。
本来ならば直ぐに騎士達に拘束され、ルシオの前に出る事さえ出来ないのだが。
彼女は同僚である騎士ブライアンの婚約者であり、ソアラの幼馴染みである事を知っている騎士達は一瞬躊躇した。
拘束しても良いのだろうかと。
その一瞬にルーナはルシオの目に触れる事となった。
「 そなたは……エマイラ伯爵令嬢…… 」
「 はい…… 」
突然目の前に現れた令嬢だがスルー出来ない。
ルシオはルーナには負い目があるのだから。
ソアラと間違ってしまった事を申し訳無く思っていて。
「 あの時はそなたに迷惑を掛けてしまった 」
「 あら? わたくしにお詫びをしたいとお思いでしたら、わたくしをシンシア王女殿下のお茶会に呼んで頂けますか? 」
ルーナは小悪魔っぽく小首を傾げた。
「 ……僕の一存では決められないが……シンシアには伝えておく 」
「 お願いしますね。わたくしはソアラの幼馴染みで友達ですから、シンシア王女とも仲良くして頂きたいのです 」
ルーナはルシオにとって置きの笑顔を見せた。
しかし……
その時ルシオはソアラが家に戻る姿を目で追っていた。
そして、そのままソアラを追って邸に入って行った。
ルーナを置き去りにして。
えっ!? わたくしのとっておきの笑顔が通じなかった?
違うわ!
きっと殿下はわたくしの笑顔を見なかったのだわ。
ソアラが急に外に出て来たから。
それに気を取られたのに違いないわ。
ルーナをチラリと見やりながらカールも邸に入って行った。
可愛らしい顔が、あんなにエゲツナイ顔になっていると思いながら。
***
それから暫くしてシンシアとのお茶会が設定されたと連絡が入った。
リリアベルお姉様とのお茶会が無くなったから寂しかったのと言うシンシアとは、直ぐに仲良くなった。
シンシアに殿下を呼んで欲しいとお願いすると、間もなくしてルシオがやって来た。
「 お兄様はわたくしが呼べば、どんなに忙しくても来てくださるのよ 」
シンシアがそう言って、ルシオが側に来るなり兄の腕に抱き付いた。
殿下は妹君のシンシア王女殿下の頼み事ならば、何でも聞いて上げるのね。
「 やあ、お2人さん。楽しそうだね 」
ルシオはそう言ってシンシアを席に座らせ、ルーナを見つめて優しく微笑んだ。
本当に眩しい位に素敵な王子様。
数々の男がルーナの前に跪いたが……
ルーナがときめいたのはこのルシオだけだった。
この美しい殿下とわたくしは両思いなのだわ。
ルーナはルシオが自分に想いを寄せていると思い込んでいて。
それ程までに、あの時のルシオの所為は罪作りなものだったと言う訳だ。
その時……
ソアラが王族専用の扉から出て来るのが見えた。
兎に角ルーナは周りをよく見ていて。
それが気配りが出来ると誉められる所以である。
ルーナはルシオに近付いて、持参して来たクッキーが入った箱を差し出した。
「 わたくしはお菓子作りが趣味なんです 」と言って。
「 ハイ、どうぞ 」と可愛らしく小首を傾げながらルシオの前に差し出せば……
「 有り難う 」とルシオは嬉しそうな顔をして受け取った。
やっぱり手作りクッキーは効果抜群だわ。
ルーナはほくそ笑んだ。
ソアラが去って行くのを見やりながら。
しかし……
次の瞬間にルシオは丘に向かって小路を駆け登って行った。
クッキーの箱を、少し離れた場所にいる侍女に渡して。
「 えっ!? 」
何が起こったのか理解出来ないルーナは、その場でぼーぜんと立ち尽くしていた。
結局持ち込んだ手作りクッキーはシンシアも食せずに、侍女がそのまま何処かへ持って行った。
王族は誰だかよく分からない者から貰った食べ物は食べる事は出来ない。
渡された時はにこやかにお礼を伸べるが。
勿論、その事はルーナも知っている。
だけど……
自分は特別だから食べて貰えると思っていた。
まさか……
自分が得体の知れない者扱いされるとは思ってもみなかった。
上手くいかない。
何故こんなにも上手くいかないの?
でも……
自分の事を知って貰えさえすればと、ルーナはそれからも程にシンシア経由でルシオと会った。
しかしルシオは……
ソアラ関係の話を聞くだけで。
ルーナが自分の事を話そうとすると、直ぐに席を立ってしまう。
「 後は2人で楽しんで 」と言う言葉を残して。
この頃からルーナにどす黒い気持ちが湧き上がるようになって来た。
「 何故ソアラなの!? 」
今まで……
ソアラの存在を無視し続けて来たのはルーナ自身だった。
彼女が自分の横で何を思い何を考えていたかなんて、知ろうとさえしなかったのだから。
***
「 王太子妃に相応しいのはルーナですわ! 」
「 ソアラちゃんに負けるなんて許さないから 」
母親からは毎日のようにそう言われていて。
ルーナは母親からのプレッシャーもあり、どんどん追い込まれていくのだった。
どうしてこんなにも上手くいかないの?
ただ……
嬉しい事が1つだけあった。
シンシア王女殿下がソアラを良く思ってはいないと言う事だ。
何度かお茶会をしている内に……
「 お兄様に相応しいのはルーナ嬢よ 」
シンシアからはそう言われるようになっていた。
そんな時……
婚約者のブライアンから、ソアラが納税の仕事をしていると言う事を聞き出した。
騎士であるブライアンは普段は絶対に仕事の話はしないが、入内したソアラの事が心配だと言えば、詳しく教えてくれたと言う。
「 納税の仕事? 」
お妃教育として入内したソアラが何故そんな所で働いているの?
そして……
ルーナは1つの考えに辿り着いた。
ソアラはこの納税期間に合わせて、財務部の仕事をする為に入内したのだわ。
ソアラが選ばれた事に納得がいった。
だったら経理部にいるわたくしもソアラと同じ事が出来る筈。
ルーナはお茶会に顔を出したルシオに……
ソアラが激務で疲れていると愚痴をこぼしていると伝えた。
流石に騎士であるブライアンから聞いたとは言えない。
そして……
ルシオが経理部に現れた。
ルーナを貸して欲しいと言って、経理部からルーナを連れ出した。
半ば強引に。
王子様がお姫様を連れだすのはお伽噺の世界だと思っていた。
廊下の両端に分かれて頭を下げている人々の中を歩くのは、夢の世界の様だった。
絶対にこの場所を手に入れたい。
今では夢を見る事さえ無かった雲の上の存在だった王子様が……
直ぐ手の届く場所に降りて来てくれたのだから。
ルーナは思っていた。
同じ場所でソアラと一緒に働けば……
きっと可愛い自分の方が良いと気付く筈だ。
経理部ではずっと自分が中心だったのだからと。
しかしだ。
結局ルーナはルシオもソアラも居ない謁見の間で……
6人の男達と仕事をする事になった。
全く上手くいかない。
「 ソアラ嬢は仕事が出来る令嬢でしたね 」
流石は我が国の王太子妃になられるお方だと、彼等が言う。
何気にソアラと比較されているのだ。
ここに来た時はあれだけちやほやして来たと言うのに。
そう。
ルーナは頭も良く周りへの気配りも出来るが……
仕事の能力云々としての彼女の評価は低い。
ソアラが居なくなってからの経理部では、ルーナは叱責される事が多くなっていた。
大人の世界はそんなに甘くはない。
仕事が滞る事態になれば厳しい声があげられるのは当然で。
いや、ルーナの能力がどうとかと言うよりも、ソアラの能力がずば抜けて高いのであるが。
海千山千の公爵家の執事達が、納税場所に凄腕の女官がいると騒いでいたが……
ルーナに代わってからは、ただの可愛らしい女官がいるとしか言われ無くなったのもそれだからで。
ルーナは勿論だが……
経理部も財務部も皆が皆、ソアラに甘えていたと言う事である。
ソアラが居なくなった事で……
益々ソアラの評価が高くなり、自分の存在感が徐々に無くなって行くのをルーナは感じるのだった。
そんな仕事を終えると……
王宮でクリスマスパーティーが開かれる事を聞いた。
公爵家の四家が一堂に会するこの場は、自分アピールの絶好のチャンス。
シンシア王女から、ピンクのドレスを着るように言われた時は彼女の企みが予想出来た。
きっとソアラを断罪するのだわ。
何度目かのお茶会で、シンシアにそれを吹き込んだのは何を隠そうルーナだったのだから。
全てが上手くいった。
場違いなフローレン夫婦に親切にすれば、皆の評価は上がる。
ルシオの側に居れば……
王太子と親密だと印象付ける事が出来る。
しかし……
誤算はアメリアだった。
まさかシンシア王女を叱責するとは思わなかった。
だけど……
アメリアがソアラの前にハンカチを落とす所を目撃した時は小躍りした。
この日は公爵家の面々に自分を印象付けようと頑張っていた。
王太子殿下に相応しいのはソアラ・フローレン伯爵令嬢では無く、ルーナ・エマイラ伯爵令嬢だと誰かが声を上げてくれる為に。
そうすれば……
国王陛下も王命を撤回してくれる。
しかし……
それどころかあの男爵令嬢と同じだと言われてしまったのである。
それには流石にルーナも堪えた。
ソアラが居なくなってからは何もかもが上手くいかない。
ソアラはずっとわたくしの側に居てくれないと駄目だわ。
ルーナは……
ルシオだけでは無く、ソアラにも執着心を持つようになって行くのだった。




