ヒーローになりたい
「 はぁ……可愛いぞ~ 」
ソアラにあ~んをして食べさせて貰うと言う、甘い甘い一時を過ごしたルシオは上機嫌だった。
「 こんな所であ~んをするなんて……無理矢理キスをして嫌われたと言うのに…… 」
カールはやれやれと言わんばかりに首を横に振った。
「 無理矢理では無い! あれは自然とそうなっただけだ! それに嫌われてもいないぞ! 」
僕達は結婚をするのだから、仲良くする事に何の問題があるのだと言って、隣の席でアップルパイを食べていたカールを睨み付けた。
カールはアップルパイをお代わりしていた。
「 殿下は甘いものが苦手でしたよね? 」
「 ソアラが食べさせてくれるなら何の問題も無い 」
今度はソアラにあ~んをして食べさせて上げようと言って、ルシオは蕩けそうな顔をした。
殿下にこんな一面があったのかとカールは驚いている。
ソアラ嬢の事を話す殿下は何時もこんな調子で。
これが恋で無くて何なんだと思うのだが。
それでも殿下は思いあぐねていて。
元から公爵令嬢のどちらか1人が婚約者なら、その1人にもこんな想いを抱くのではないかと言う思いに囚われている。
2人の婚約者候補が正式な婚約者に決めるまでは、どちらにも平等に接しようと自分の感情をコントロールして来た事が仇になったのだろう。
そして……
ソアラ嬢が特別な存在になった事から、殿下が自分の感情をコントロール出来ないでいる事は確か。
それは……
ソアラ嬢が今までにいないタイプの令嬢である事も関係しているのかも知れない。
カールはそんな事を考えながら、お代わりのアップルパイを食べ終えて珈琲を飲んでいた。
この店のアップルパイは最高だと思いながら。
「 ソアラ嬢は戻って来ないですね? 」
ソアラは手洗いに行ったままである。
「 やはり侍女を付けるべきだったか…… 」
元々侍女なんていない生活をしていたのだから、1人でも大丈夫だと言うからそうしたが。
彼女の侍女はまだ正式には決められていない。
サブリナ達3人は王妃の侍女である。
そんな事からもソアラは彼女達に気を遣っているのは確かだ。
そもそも侍女のいない生活をして来たソアラは、侍女と言う存在が未だによく分からないでいるのだった。
先程からルシオは、ずっとソアラが消えたサニタリールームの方を見ていて。
その時……
見覚えのある女性の姿が見えた。
彼女は息を切らして真っ直ぐにルシオの元までやって来て、ルシオの座る椅子の前に跪いた。
「 お嬢様を助けて下さい!怪しい男達に絡まれています! 」
見覚えのある女性は……
リリアベルの侍女だった。
「 リリアベルが!?」
「 はい! 店の路地裏に男達がやって来て…… 」
真っ青な顔をしている侍女を見て、ただ事では無いと思ったルシオとカールは立ち上がり、それを聞いていた2人の騎士も立ち上がった。
お忍びの時は騎士達も私服で護衛の任務に就く。
そして店の中では他の客の迷惑にならないようにと、騎士達も近くのテーブルで客として座っているのだ。
因みにアップルパイもちゃんと食べている。
「 何故リリアベル嬢が店の路地裏なんかに?」
「 あの……その…… 」
公爵令嬢が行く場所では無い筈だと言って、カールは訝しげな顔をしながら口ごもる侍女を見た。
何か理由がありそうだと思いながらも、ルシオは侍女に聞いた。
先ずは状況を確認する必要がある。
「 男達は何人だ!? 」
「 確か……3人だったと…… 」
侍女はリリアベルとソアラの後ろから付いて行っただけで、路地裏には出てはいない。
ドアの前で立ち聞きをしていた事から、この事態を知った。
店には王太子殿下と騎士達がいる事は知っていた。
なので慌てて助けを求めに来たと言う。
「 ザックはソアラがいるサニタリールームへ行け! マイクは表から路地裏へ回れ! カールは僕と一緒に廊下を通って路地裏に行く! 」
「 御意! 」
ルシオが騎士の2人とカールに命令をして、侍女が来た廊下に向かって駆け出した。
店の中は当然ながら騒然となった。
何事だと言って。
ルシオの後ろから駆けて来ていた騎士が、廊下の角を曲がりサニタリールームに向かった。
これでソアラの事は安心だ。
本当はソアラの事が気になるが……
今、正に危機に扮しているリリアベルを助けに行かないと言う選択肢は無かった。
これは妹のシンシアに対する所為と何ら変わりはない。
ルシオにとっては、アメリアとリリアベルは共に過ごして来た大切な存在なのだから。
勿論、先に走って行くのはカール。
王太子が無闇に前に出る事は無い。
彼は守られるべき唯一無二の存在なのだから。
走って行くと……
廊下の突き当たりにリリアベルの姿が見えた。
良かった。
無事だった。
カールも足を止めた。
「 上手く逃げられたのだな 」と呟いて、胸を撫で下ろした。
誰かが来て男達は逃げたのかも知れないと。
「 リリアベル!無事か? 」
「 ……ルシオ様…… 」
リリアベルがルシオに抱き付いた。
「 怖かっただろう 」
ルシオが彼女を抱き締めても、リリアベルはまだガタガタと震えが止まらない。
「 外……に…… 」
リリアベルが口をパクパクとしながら、震える指をドアに向けた。
「 !? 」
「 まだ男達がいるのか!? 」
その時……
「 貴様ーっ!! よくも弟を…… 」
男のどなり声が聞こえて来た。
カールがドアを蹴った。
バーーン!!
凄い音と共にドアが大きく開かれた。
何か重い物に当たったようだが。
すると……
2人の男が両手を前に伸ばしたままで、その前には鼻血を出した男が跪いていた。
そしてその横には……
ピンクのドレスの令嬢が蹲っていた。
***
「 ソアラ!? 」
まさかここにソアラがいるとは思わなかった。
リリアベルの侍女はソアラの事は言わなかったのだから。
その時……
ソアラが振り向いた。
四つん這いの姿勢のままで。
ソアラの側に駆け寄ろうとしたら……
ルシオの腕の中にはリリアベルがいた。
リリアベルはガタガタと震えながらルシオにしがみついていて。
ソアラの瞳が悲しそうに揺れたのをルシオは見た。
「 オラオラオラーッ! お前らただで済むと思うなよぉー!! 」
カールの奇声と共に、カールが男達を次々に薙ぎ倒して行く。
普段は優しそうな顔と柔らかな物腰だが、彼は一旦キレると狂暴な男に豹変する。
ルシオと共に剣の訓練をしたカールはかなり強い。
正式に騎士団で訓練をしていない事から、暴れだしたら騎士よりも質が悪いと言う。
あっと言う間に男達を積み重ねて。
まだ踏みつけようとしているのを、駆け付けた騎士が止めている。
その光景をソアラはずっと見ていた。
四つん這いだったソアラは地面にペタンと座っていて、カールのヒーロー振りを見ていた。
狂暴なヒーローだったが彼は強かった。
「 カール様……カッコ良い 」
ソアラがルシオを見ると……
リリアベルの肩を抱いて店の廊下の奥に消えて行く所だった。
カールは積み重ねた男達を尋問していて。
ソアラの周りには誰もいなくなっていた。
誰も私に気が付かない。
誰も私を気にしない。
これは何時もの事だから大丈夫。
殿下がリリアベル様を大切にする事は分かっていた事じゃないか。
「 あれ? 」
足が立たない。
ソアラが立ち上がろうとしても……
足が言う事を聞いてくれない。
ドアが背中に当たった事から背中がズキズキ痛いのと……
何よりも腰を抜かしてしまっていて。
今更ながらに震えも来ていて。
怖かった。
騎士が男達を縛るのを終わった事を確認して、ソアラは騎士に向かって声を掛けた。
「 あの……騎士様……腰が抜けて立ち上がれないんです。手を貸して頂けますか? 」
「 いや……それは…… 」
騎士がソアラに頭を下げたその時……
ソアラの身体に誰かが触れたと思ったら、ふわりと身体が浮かんだ。
「 !? 」
「 僕が運ぶよ 」
ルシオの優しい声と素敵な香りに包まれた。
ルシオがソアラを抱き上げたのだ。
お姫様抱っこをされるなんて事は、勿論ソアラは初めての事。
さっきまでの震えは止まったが……
今度はガチガチに固まってしまった。
「 怪我は無いか? 」
「 ……は……い……あの……リリアベル様は? 」
「 ザックに任せて来た 」
「 でも……リリアベル様は声も出せない位に怯えていらして…… 」
「 ……君は僕の何? 」
ルシオは何だか怒っているようで。
「 ……婚約者です 」
「 だったら君を優先するのは当然だろ? 」
ルシオはソアラを抱き上げたままに歩き出した。
馬車の停車場に向かって。
聞かなくても分かる。
ここで何があったのかの大体の想像が出来た。
リリアベルを守る為に彼女を店の中に押し入れて……
ソアラは1人で男達と戦ったのだ。
鼻血を出していた男は……
ソアラのグーパンを食らったのだろう。
ルシオはソアラの凄さに胸が締め付けられるのだった。
そして……
ルシオは自分にイラついていた。
ソアラを危険な目に遭わせた事。
一番始めに駆け付け無かった事。
そして……
ソアラに悲しそうな顔をさせた事。
「 ソアラ……リリアベルは……僕の妹みたいな……… 」
いや……妹では無い。
そう……
リリアベルは妹では無い。
抱き締めているのがシンシアならば、ソアラはあんな悲しそうな顔はしない筈だ。
ソアラにどんな言葉を言おかと思いあぐねていると……
「 殿下はピンクのドレスが好きですか? 」
「 えっ!? 」
ソアラから思いもよらない質問をされた。
「 ……ああ……好きだよ……君によく似合っている 」
今日のソアラはピンクのドレスを着ている。
この答えで合っている筈だ。
本当にソアラによく似合っているのだから。
「 わたくしはピンクの色は……嫌いです 」
「 ……ええ!? 」
「 だから……これからはピンクのドレスは着ませんから 」
目の前にソアラの顔がある。
拗ねた様な顔が可愛くて。
「 うん……似合う色と好き色とは別だからな……嫌いな色のドレスを似合っているからと言って着る必要は無いし…… 」
何を言っているのかよく分からないルシオに、ソアラがクスクスと笑う。
「 だから……これから店に行って……わたくしの好きな色のドレスを買って下さい 」
ソアラはそう言ってルシオを上目遣いで見つめて来た。
ソアラがおねだりをして来た。
こんな事は初めての事で。
「 ああ行こう! 店にある全てのドレスを買い上げよう 」
「 止めて下さい!1着で結構ですから! 」
慌ててそう言うソアラが愛しくて。
ルシオは……
ソアラの頭に自分の唇をそっと寄せた。
***
停車場にやって来た馬車にルシオとソアラは乗り込んだ。
ルシオがこの場にいると騒ぎが大きくなると思い、カールと騎士の1人に捕縛した男達と店の後始末を任せ、騎士の1人にはリリアベルを送らせた。
侍女と2人で馬車に乗って帰るのは不安だろうと。
「 カール様は強かったですね 」
「 ああ、あんな軟弱そうでも彼は凄く強いんだ 」
ソアラはオラオラと言いながら暴れまくったカールを思い出して、クスクスと笑った。
ソアラはずっと嬉しそうにしていて。
そんな姿を見ながらルシオは思った。
僕が最初に駆け付けたかった。
そうすれば僕がヒーローだったのに。
リリアベルの侍女が、ソアラもいると言っていたのなら、間違い無くカールよりも先に駆け付けた筈だと。
なのに……
リリアベルを抱き締めている所をソアラに見られると言う。
ルシオは自分のポンコツさを呪った。
何故こうもソアラに対してはポンコツになるのかと。
ソアラが嬉しそうにしているのには理由があった。
ルシオの言った言葉が心に染みたのだ。
「 だったら君を優先するのは当然だろ? 」
ソアラはずっと誰からも忘れられる存在だった。
誰もが隣にいる可愛いルーナだけを注視し、ルーナだけを優先するのだから。
殿下は何時も私に嬉しい言葉を言ってくれる。
私を孤独から引っ張り上げてくれる。
私は……
ずっと誰かにこの言葉を言って貰いたかったのだ。
ポンコツ王太子ルシオは……
知らない内にソアラのヒーローになっていた。
クリスマスの賑わいを見せる街の中を……
思い思いの想いを乗せた馬車は、カラカラと走って行った。