落とされたハンカチ
リリアベルは、この日は朝から母親と一緒に教会に出向いていた。
長い長いお祈りの時間が終わると……
施設の子供達への寄付金を募るバザーに出す物を準備するのだが。
そこには侯爵夫人達が集まって来る。
夫人達が哀れむような目をして見て来るのが嫌だった。
夫人達から慰められて涙を流す母親を見るのも。
だから……
リリアベルは何時も先に帰ると言って大聖堂を出るのだが。
この日は真っ直ぐ自宅に帰る気にならなくて、侍女を伴って少し早い目の昼食を食べに来ていたのだった。
食事を終えて特別室から出ようとしたら……
そこにルシオがいた。
王族専用の部屋はこの特別室の奥にある。
今、正に支配人やスタッフがルシオ達を案内をする所だった。
「 ルシオ様? 」
ルシオの姿を見掛けてリリアベルは思わず声を掛けた。
しかし……
直ぐに声を掛けた事に後悔をした。
そこにはルシオにエスコートされた令嬢がいたのだから。
「 リリアベル…… 」
ルシオは驚きのあまりに思わず息を呑んだ。
どうりで支配人やスタッフ達が早く部屋に行くようにと急かす筈だ。
リリアベルと鉢合わせをするこの状況を避けたかったからで。
支配人達はそこを気遣ったのだろう。
リリアベルはルシオに向かってカーテシーをした。
公爵令嬢らしくとても優雅に。
「 そなたもここで食事をしていたのだな 」
「 はい……一緒に行く殿方もおりませんので、一人孤独に食事をしておりましたわ 」
リリアベルはそう言ってルシオを上目遣いで見つめた。
凄いジャブを打って来た。
いや、もうこれはストレートパンチだ。
これが修羅場と言うものなのかと、カールは天を仰いだ。
ずっと婚約候補と言われて来た彼女達の、新しい縁談がどうなるのかはルシオもかなり気にしている所である。
リリアベルと会うのは、あの別れ話をした時以来で。
まあ、元々そんなに会っていた訳では無いが。
アメリアとリリアベルと会うのは、月2回のお茶会だけだと言う事は、大人になってからも変わらなかった。
「 リリアベル……そなたは息災か? 」
「 はい……今朝は教会にお祈りとバザーに出す刺繍をもって行って来ましたの 」
「 そなたは刺繍が得意だったな 」
「 はい…… 」
2人は懐かしげに会話をする。
優しく見つめ合って。
永く一緒にいた空気がそこにあった。
ソアラの知らない2人だけの時間が確かにあったのだ。
支配人やスタッフ達の2人を見る目が暖かい。
きっと何度もここに来たのだろう。
誰もが私の事を忘れてる。
ソアラはそっとその場を離れた。
リリアベルの瞳が、まだルシオを好きだと言っていて。
とてもじゃ無いが邪魔をする事は出来なかった。
そして……
ここで自分が新しい婚約者だと紹介をされたくは無かった。
リリアベルと同じピンクのドレスを着ている自分が滑稽に思えたからで。
やっぱりピンクのドレスは私には似合わない。
ソアラはレストランの廊下の角を曲がり、奥にある長椅子に座った。
騎士達がチラチラと私を見て来る。
きっとリリアベル様と私を比べているのだろう。
リリアベルはとても可愛らしい顔立ちをしている。
その上品があるからか……
ルーナの可愛さとはまた違う。
「 ピンクの色のドレスは……ルーナやリリアベル様みたいな令嬢が似合うのよ 」
ソアラは独り言ちた。
すると直ぐにルシオがやって来た。
「 ソアラ……ここに居たのか…… 」
廊下の角から現れたルシオはソファーに座るソアラに掛け寄った。
立ち上がってルシオの顔を見つめるソアラに、ルシオは申し訳なさそうな顔をした。
「 気を遣わせたか? 」
「 大丈夫です。殿下とアメリア様とリリアベル様の事は、わたくしもずっと見て来ましたから 」
そう言ってニコリと笑うソアラに、ルシオは胸がえぐられる程の痛みを感じた。
「 ……これからもきっとこう言う事が多々あると思うが…… その…… 」
口ごもって情けない様な顔をするルシオは、リリアベルといる時とは全く違う顔のルシオで。
ソアラは何だか嬉しくなるのだった。
「 お腹が空きましたわ。丁度お昼です 」
こんな時でもソアラの体内時計は正確だ。
「 えっ!? そ……そうだね……では部屋に入ろう 」
ルシオはそう言って、ソアラにエスコートの手を差し出した。
アメリアとリリアベルの事は……
国中が認めていた関係だ。
リリアベルと同学年だったソアラも僕達の事を見ていたのだろう。
大切にして行こう。
これからはこの令嬢だけを。
僕の何もかもを受け入れようとしている彼女を。
ソアラがルシオの掌に手を乗せると、ルシオはその手を一旦離した。
そして……
ソアラの手を握り直して手を繋いだ。
少し照れくさそうな顔をしたルシオは、そのままソアラと手を繋いで歩き出した。
そんな王子様の顔も見れるのも嬉しくて。
ソアラは胸が熱くなった。
これが好きだと言う気持ちなのだわ。
廊下の角を曲がると……
リリアベルはもうそこには居なかった。
***
ピンクのドレスを着た令嬢がルシオ様と手を繋いでいる。
リリアベルは……
自分の目の前を通って王族専用の部屋に入る2人の姿を目で追っていた。
ルシオと少し話をして別れた後に、先程出て来たばかりの特別室に戻り、中から2人を見ていたのだ。
いや、ソアラを見ていた。
結局……
ルシオ様の陰に隠れていて彼女の顔はよく見えなかったけれども。
「 ソアラ・フローレン伯爵令嬢? 私と同じ歳なの? 」
リリアベルは、王命が下されルシオ王太子の新しい婚約者候補となったソアラ・フローレンと言う令嬢を全く知らなかった。
大伯爵でも無く……
フローレン伯爵家は領地を持たない文官の家系だと言う。
そんな令嬢が何故選ばれたのかは分からないが。
彼女は女官として経理部で働いていると言う。
もしかして……
あの伯爵令嬢?
学園時代に……
大層可愛らしい令嬢がいると、男子生徒達から注目をされていたあの令嬢なのかしら?
ルシオ様は彼女の仕事場に出向き、彼女に跪いて手の甲に口付けをしたと言う。
長くわたくしとアメリア様と一緒にいたのに……
ルシオ様はわたくし達にそんな所為をされる事は一度も無かった。
ルシオ様は彼女を気に入ったのだわ。
それ程までに可愛らしい令嬢だから。
リリアベルはレストランを出てもソアラの事を思い返していた。
あのとびきり可愛らしいと言われている令嬢ならば、ピンクのドレスを着ても似合うだろう。
ピンクのドレスは殿下の好みの色だ。
昔……
言われた事がある。
「 僕はピンクのドレスが可愛らしくて好きだ。そなたによく似合う 」
それからはここぞと言う勝負ドレスには、ピンクのドレスを着る事にしていた。
ルシオ様の好みのピンクのドレスが似合う彼女。
あら?
何処かで見たことがあるわ。
確か……
王宮での舞踏会の時。
たまたま涼みに出た庭園の木の陰で……
騎士とピンクのドレスを着た令嬢が抱き合っていた。
騎士のくせに任務をサボって令嬢と抱き合うなんてと思ったから記憶に残っていた。
その時一緒にいたお友達の令嬢が言っていた。
彼女は男性関係が派手だと。
顔が可愛らしいだけでなく頭も良くて、女官として経理部に勤務する事になったと言う事も思い出した。
嘘でしょ?
そんな令嬢がルシオ様の妃に?
彼女は王太子妃になって将来は王妃になるのよ?
ルシオ様だけで無く……
皆は騙されているのだわ。
何て事……
リリアベルはキリリと爪を噛んだ。
リリアベルはソアラとルーナを完全にごちゃ混ぜにしていた。
実は……
そんな貴族達が多かった。
伯爵令嬢で年齢も同じ。
住んでいる場所もタウンハウスだ。
ましてや王宮の経理部の女官をしているとなれば、皆は印象深いルーナの事しか思い浮かば無かった。
そして……
謁見の間で働いている女官が可愛らしいと噂になっていた。
ソアラがやっている時は凄腕の女官がいると言うだけだったが。
それがいつの間にか……
凄腕の女官の顔は、凄く可愛らしい顔だと言う事に上書きをされていて。
入内した経理部の女官のソアラ・フローレン伯爵令嬢は、大層可愛らしい顔立ちだと言う事になっていた。
街から流れて来る噂も……
王太子殿下の婚約者は大層可愛らしい令嬢だと言う事もあって。
***
食事を終えるとルシオ達はお茶を飲む店に移動した。
間近に迫ったクリスマスで街はきらびやかに賑わっていた。
久し振りに見る街並みは活気で溢れていて。
夜に来たら綺麗だろうなと思いながら、ソアラは馬車の中から窓を眺めていた。
楽しそうなソアラにルシオは満足していた。
レストランでリリアベルと遭遇すると言うハプニングはあったが。
その後もソアラとは楽しくランチが出来た。
「 この後、君と行きたい店があるんだけど、体調は大丈夫か? 」
「 はい 」
殿下はずっと私の体調を気遣ってくれるが、風邪では無くただの疲れなので、丸1日休養した事で体調は万全だ。
ずっと王宮にいたからか……
気分転換の外出は楽しいものだった。
着いた店は珈琲の美味しい店で、スィーツも充実している有名店だ。
少し商店街から少し離れているからか、移動手段が徒歩しか無いソアラは初めてこの店にやって来た。
「 このお店……一度は来たいと思っていましたの 」
連れて来て頂いて有り難うございますと言って、ソアラは凄く嬉しそうな顔をした。
良かった。
喜んでくれてる。
この店は平民も利用出来る店だが、席毎に衝立がある事からルシオが来店してもあまり騒がれる事も無い。
ここのシェフは王宮にいたシェフである。
彼は自分の店を持ちたいと言ってこの店を開いた。
だから……
王族や高位貴族達も気楽に来店しているのだった。
王族の利用する店は限られている事から、ルシオもよくこの店を利用しているのである。
当然ながら、王太子の注文は店長直々にやって来る。
やはりルシオの前に座るソアラをジロジロと見て来ていて。
勿論、王室御用達のレストランとは違って、この様な店では余計な事は話さない。
なのでソアラの事をわざわざ紹介はしない。
勿論店長も聞く事はしない。
だから余計にこの令嬢は誰だと見てくる訳で。
はいはい。
分かってますよ。
こんな何処にでもいるような顔の令嬢は、王太子殿下の婚約者とは思いませんよね。
仕事の関係者だと思って下さい。
ルシオは珈琲だけだが、ソアラはチョコレートケーキと紅茶を注文した。
本当はカールが注文したアップルパイも食べたかったが。
そしたら……
ソアラのテーブルの上にはチョコレートケーキとアップルパイが並べられた。
「 ソアラが迷っていたから……それに僕も一口食べたかったからね 」
カールがここのアップルパイが好きだから、ちょっとだけ食べたいと思っていたんだとルシオは照れくさそうに笑った。
「 これをお食べ下さい 」
「 一口だけで良いよ 」
ソアラがアップルパイの乗ったお皿をルシオに渡そうとしたら、ルシオが口を開けた。
食べさせてくれとばかりに、あーんをしている。
えっ!?
どうしよう……
王子様が口を開けている。
もう口に入れるしかない。
ソアラがフォークで切り分けて、一口をルシオの口の前に持って行くと……
パクリと食べたルシオは嬉しそうにして。
その美しいサファイアブルーの瞳を細めた。
「 美味しい 」と言って。
そんな甘い時間を過ごして……
店を出る前にソアラはサニタリールームに行った。
サニタリールームの隣にはパウダールームもあり、ソアラは用を足した後にそこで一息ついていた。
殿下の甘さは免疫の無い私には毒だわ。
どうしたら正解かが分からない。
ソアラは火照った頬を冷やすように頬に濡らしたハンカチを当てた。
ふと前にある鏡を見れば……
ピンク色のドレスを着た令嬢がソアラの横に立っていた。
その令嬢はリリアベル。
彼女はずっとソアラを見つめている。
いや、睨み付けている。
そして……
ヒラリとハンカチを落として、パウダールームを後にした。
この行為は……
身分の高い女性貴族が身分の低い者を呼び出す時にする所作である。
ルーナが侯爵令嬢達にこれをやられているのをソアラは何度も見ている。
ソアラはハンカチを拾って……
リリアベルの後に続いた。




