抱き締める想い
「 ……朝? 」
よく朝ソアラが目覚めたら、閉められたカーテンの隙間から陽の光が見えた。
何時もはまだ夜が明けていない暗い時間に目覚めるのだが。
どうやら寝坊をしたらしい。
昨日は……
真っ赤な顔をして帰って来たソアラを見たサブリナ達は、慌てて医師を呼んだ。
ソアラは大丈夫だと言うが……
何だかフラフラとしていて元気も無い。
診て貰った医師の話では、風邪の症状はみられない事から疲れが堪まっていると言う事だった。
処方された薬を飲んだらそのまま寝てしまったのだ。
夕食も食べずに。
ベッドの上にぼんやりと座っていると、コンコンとドアを叩く音がした。
「 はい。起きてます 」
ソアラがそう言うとサブリナが入室して来た。
カーテンを開けたサブリナは、ミルク粥とスープを乗せたトレーをサイドテーブルの上に乗せた。
ソアラがベッドで食べる事が出来るようにセッティングをしてくれて。
サブリナは昨夜は泊まって看病してくれたのだ。
お水を飲みたくて夜中に目覚めると、彼女が世話をしてくれて。
至れり尽くせりで本当に有り難かった。
ソアラはスープをスプーンで掬って一口口に入れた。
「 美味しい 」
五臓六腑に染み渡るとはこの事だ。
そして……
このミルク粥もとても美味しい。
「 食欲が出たようですね 」
薬を飲む水をコップに注ぎながら、サブリナはソアラを静かに見つめて来た。
「 殿下が凄く心配してらっしゃいましたよ 」
そう言ってワゴンの上に置いてあった封書をソアラに手渡した。
「 ソアラ様が起きたら渡すように賜りました 」
「 殿下からですか? 」
サブリナが頷くとソアラは目を輝かせた。
そんなソアラを見て、サブリナはウフフと口を押さえながら退室して行った。
隣の控え室にいますからと言って。
侍女の控え室は隣の部屋にある。
ドキドキしながらソアラは封書を開けた。
このドキドキはルシオの事を好きだからなのだと、昨日に気付いたばかり。
男の人からお手紙を貰うなんて初めてだわ。
それも……
王太子殿下からだなんて。
封筒には王家の紋章が入っていて。
これは舞踏会に招待された時と同じ封筒だ。
ソアラはちょっと恐縮してしまう。
私なんかの為にと。
サイドテーブルの引き出しから出したペーパーナイフで封書を開けると、奇麗な文字が現れた。
殿下の字……
とても見やすくて綺麗な字である。
その文字を見ただけでもドキドキとして。
『 昨日は酷い事を言って申し訳なかった。 あの失言は忘れて欲しい。体調が悪くなったのは僕のせいだね。 君を王宮に閉じ込めて仕事ばかりさせている酷い男だと、サブリナ達にこっぴどく叱られたよ。反省している。体調がよくなったら2人で気分転換に何処かへ出掛けよう。ルシオ・スタン・デ・ドルーア 』
サブリナ様達が殿下を叱ったの?
彼女達……
怒ったら怖そうだわ。
ソアラはクスクスと笑った。
そして……
食べ終わると直ぐに返事を書いて、サブリナに届けて貰った。
『 今朝起きると熱は下がっていました。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。殿下とのお出掛けを楽しみにしています。ソアラ・フローレン
追伸─昨日の事は気にしておりませんので、殿下もお気になさらないで下さい 』
どうあがいても私は殿下と結婚しなければならないのは確か。
愛が無い結婚だとしても。
殿下がこうして……
こんな私に歩み寄ろうと努力をしてくれる事を感謝するしかない。
ソアラはルシオから貰った手紙を胸に抱き締めた。
***
その次の日の朝は、ソアラは何時も通りに6時に目覚めた。
昨日は本を読んだりしながらゆっくりとさせて貰った事から、今朝は気分よく目が覚めた。
うーんと伸びをして朝の支度に向かう。
この王宮でも……
朝は何時も自分1人で支度をする。
こんなに朝早くから侍女達に支度をして貰うのは流石に忍びない。
彼女達は構わないと言ってくれていたが。
元々フローレン家には侍女はいない事から、自分の身の回りの事は自分でしていた。
だから何の問題も無いと言って、侍女達が来るのはウォーキングが終わってからの時間にして貰っているのだった。
支度を終えて王族専用の庭園に向かう為に階段を下りて行く。
階段も廊下も、王族が利用する通路だからとても豪華に造られている。
警備員達のいる部屋の前には、来賓を持て成す為の豪華な応接室がある。
その横には、ガゼボで食事をする時には直ぐに料理を出せるようにと厨房まであるのだ。
騎士達が待機する部屋も直ぐ近くにあって、何時でも庭園を見渡せるようにとその部屋には大きな窓が備え付けられている。
他国からの王族などが庭園を利用する際には、彼等が常に見張る事が出来ると言う。
ソアラが何時ものようにその応接室の前を通り過ぎようとしたら、窓から見えたそこにはルシオがいた。
長い足を組んでソファーに座り警備員達と話をしている。
勿論、警備員達は立ったままで。
応接室の前にソアラが立ち止まっているのを見たルシオが、部屋から出て来た。
「 殿下…… 」
「 お早う 」
「 お早う……ございます…… 」
「 さあ、行こう! 今朝は僕と散歩だ 」
ドアの前にいた警備員が扉を開けると、ルシオは外にスタスタと出て行った。
何時もは「 お早う」とソアラに軽く挨拶をするだけの警備員達が、ソアラに対して深く頭を下げていて。
罰の悪そうな顔をしながら、ソアラが外に行くのを丁寧に見送ってくれた。
外に出るとルシオが待っていた。
「 あいつらソアラが僕の婚約者だとは知らなかったみたいなんだ。だったら誰だとは考えないのかな? 」
ここは王族専用の庭園なのにとルシオは呆れた顔をして。
いやいやいや。
普通は気付かないでしょうに。
ウォーキングをするような令嬢が、王太子殿下の婚約者候補だとは誰も思わない。
ましてやこんな何処にでもあるありふれた顔の私なのだから、何の特別感も感じ無いだろう。
あの時の庭師がそうだったように。
ルシオが歩き出すとソアラもその後ろに続いた。
暫く黙って2人で歩く。
縦に。
どうみても……
侍女が王太子殿下に従って歩いている絵面だ。
誰がどう見ても、王太子とその婚約者が歩いているようには見えない。
ソアラがそんな事を想像して歩いていると……
「 体調はもう良いのか? 」
「 は…はい…大丈夫です 」
ルシオはソアラの前を歩きながら、後ろを歩くソアラに聞いた。
「 もっと早く歩いた方が良いか? 」
「 いえ……病み上がりですので……今朝はゆっくりと歩こうと思っていましたから 」
「 そうか…… 」
まだ日が昇る前なので……
少し離れて前を歩くルシオが、どんな顔をしているのかははっきりとは分からない。
足元には灯りに照らされてかなり歩きやすいが。
声を聞いているだけでドキドキとする。
いや、前を歩くルシオのシルエットがソアラを落ち着かせてはくれない。
背がとても高くて……
肩幅も立派で長い手足で歩く姿も美しい。
何時も誰かから見られている王太子殿下。
彼は歩く姿勢もとても美しく優雅なのである。
ふと、納税に来た時のアメリア公爵令嬢を思い出した。
彼女もその歩く姿勢が綺麗だった。
堂々としていて。
自分はどうなのだろうかと思わずにはいられない。
ソアラはハァっと溜め息を吐いた。
歩幅を合わせて見ると……
ソアラの歩幅ではとても追い付かない。
かといって何時ものように早歩きをしたらルシオを抜かしてしまう。
ここで追い抜きバトルをするつもりは無い。
ルシオの後ろを歩いていると良い香りが微かにして……
王子様は匂いも香しい。
好きだと自覚した事から更に意識をしてしまう。
これは困ったぞとソアラは胸を押さえた。
「 かなりライトアップさせたけど、実際に歩いてあみるとやはりまだかなり暗いな…… 」
ルシオが白々と明けてきた空を見ながら、一人言のように呟いた。
「 君も歩きにくいだろ? 」
木の枝に灯りを付けて、上から照らすようにしたらもっと歩きやすくなると言って。
「 殿下……もしかして……最近ここがライトアップしたのは……私が歩いているからですか? 」
「 冬の朝は暗いからね 」
ルシオはキョロキョロとあちこちをチェックしながら歩いている。
昨日……
夜通しソアラの看病をしたサブリナが帰宅すると、代わりに娘のドロシーがやって来た。
彼女はまだルシオに対して怒っていて。
「 殿下は全然ソアラ様を大切にしていないですわ!アメリア様とリリアベル様の事はあんなにも大切にされておられたと言うのに…… 」
彼女はソアラと歳が近いだけあって、何でも明け透けにものを言う。
侍女の立場としては未熟者だ。
ただ……
侍女と言うものがどう言うものかを知らないソアラは何も物申さないが。
フローレン家の執事のトンプソンの毒舌に慣れているせいもあってか。
「 そりゃあそうだわ。アメリア様とリリアベル様は公爵令嬢なのですから、私みたいな伯爵令嬢と対応が違って当たり前ですわ 」
ソアラがそう言うと……
「 まあ! ソアラ様、ご自分をそんなに卑下するものではありませんわ。ソアラ様は王太子妃になられるのですよ 」
もっと自信を持たなければ駄目ですと言って励ましてくれて。
そう。
ドロシーは悪い子では無いのだ。
ただ配慮が足りないだけで。
そんな事を言われて少しばかり気落ちしていた。
自分は大切にされていないのだと。
だけど……
私もちゃんと大切にされていた。
ソアラは……
ルシオのさりげない優しさに胸がキュンとなった。
その時……
「 返事を有り難う 」
「 えっ? 」
ソアラの前を歩いているルシオが振り返ってソアラを見た。
夜が明けて……
陽に当たったルシオの黄金の髪が少しキラキラして、ドキドキしていた胸が更にドキリとする。
本当に綺麗……
自分の茶色い髪ではこうはならないなとソアラは改めて思うのだった。
「 て・が・み 」
「 ……あっ!……殿下こそお手紙を有り難うございます 」
「 今日この後出掛けても大丈夫か? 」
「 でも……今日は仕事をしないとなりません 」
昨日もお休みしたのにとソアラは言う。
「 カールに調整させたら、今日しか出られないらしいんだ 」
なんと僕は忙しい王太子なんだよと、ルシオがおどけた顔をする。
「 君が外出出来るのなら、今日は仕事を休みにする 」
3人だけで仕事をしているのだから何の問題も無いと言って。
「 では忙しい王太子殿下のお供を致しますわ 」
ソアラはクスクスと笑って。
「 何処か行きたい所がある? 警護の関係で行き先は限られるが…… 」
「 殿下にお任せします 」
警護がどうとかと言われたら任せるしかない。
私はまだ王族の事は何も知らないのだから。
本当は本屋さんに行きたい所だが。
自宅から持って来ていた本は、昨日の内に全部読み終えていて。
「 だったら僕が決めていい? 」
「 はい 」
こうしていきなりルシオと出掛ける事になったのだった。
***
ルシオがソアラに手紙を出した後に、サブリナからソアラの返事の封書が届けられた。
まさか返信して貰えるとは思っていなかった。
それもこんなに早く。
ドキドキしながら封書を開いた。
ソアラの字はとても丁寧で美しい。
それに……
彼女の書いた書類に目を通すと、とても綺麗に整理されていて凄く見易い。
流石は文官ですねとカールも感心していた位だ。
僕と出掛けるのを楽しみにしてるって書いてある。
デートだ!
ソアラとデートをするんだ。
「 カール! ソアラとデートをする 」
出来るだけ早い内に外出の手配をするようにと申し付けた。
「 良かったですね。嫌われてなくて 」
あんな事を言われたら普通は嫌いになりますよと言いながら、カールは自分のスケジュール帳を開いた。
「 ……煩い!」
手紙を手に持ったままのルシオは、もう一度手紙を読んだ。
カールの言うとおりだ。
お試しでキスをしたなんて……
考えれば考える程に失礼極まりない言葉だったと。
嫌われていなくて良かった。
僕の妃になる事を彼女もちゃんと受け入れてくれている。
ルシオはソアラからの手紙を胸に抱き締めた。
ソアラを大切にしていないと侍女達にこっ酷く叱られたルシオは、ソアラとのデートの取り付けをしたいと思った。
だったらソアラと一緒に朝の散歩すれば良いと。
少しでも早くソアラの元気な顔を見たかった事もあって。
カールがスケジュール帳を確認しながらルシオをチラチラと盗み見している。
殿下がソアラ嬢からの手紙を抱き締めている。
最早乙女。
スケジュール帳で顔を隠しながら……
カールは肩を揺らして笑った。
あの麗しの王太子が可愛過ぎる。




