悲しい口付け
王都の街が、間近に迫ったクリスマスの賑わいを見せている頃。
王宮の財務部の部屋では、相変わらず3人での調査が続けられていた。
調査の仕事は、王族に関わるプライベートの収支を調べる事で。
要は王室御用達の商会を1つ1つ洗い出して、収支を調べて行くのだ。
「 この○✕商会は? 」
「 それは国王陛下専用の……ちゃんとしている店です 」
「 ではこの△✕店は? 」
「 その店は王妃陛下の……少し調べてみましょう 」
いつの間にかソアラの質問に、カールが答えて行くと言うスタイルになっていて。
2人が熱心に頭を付き合わせている。
ソアラが手にしているファイルは、両陛下とシンシア王女の側近から渡された物。
このファイルを手にする為にはその側近達とかなりのすったもんだがあった。
特に王妃の側近は提出する事にかなり難色を示した。
当然だ。
王妃のプライベートな買い物を晒す事になるのだから。
だから王太子妃になる経理部のソアラが、この調査のメンバーに打って付けだったと言う事になる。
勿論、それは後付けなのだが。
しかしだ。
この状況はルシオは面白くない。
カールとソアラが至近距離で話し込んでいるのだ。
カールはソアラの文机の前に自分の椅子を持って来ていて、ソアラと向かい合って仕事をしている。
なので……
ソアラの文机の向かいに自分用の文机を設置したルシオからは、ソアラの顔が見えない。
何故カールの後ろ姿をずっと見ていなければならないのかと。
自分と同じブロンドの髪がちょっとハネ毛になっているのも気に入らない。
ソアラとこの部屋で仕事をする事を楽しみに、死ぬ程公務を頑張ったと言うのに。
ルシオとカールはこの調査をする為に、12月にしなければならない公務を粗方終わらせていた。
今まで忙しかったのはその為で。
出来ればこの調査を年内には終わらせて、年明けの王室行事である新年祭でソアラとの婚約を正式に発表をしたいと思っていて。
両陛下もそれが望ましいと言って、それに向けて準備を始めている所だ。
何よりも……
王室のお金が不足している原因の解明をしなければならない事態を、早急に終わらせなければならないのだから。
正式な婚約発表を急ぎたい理由は他にもある。
世間では未だにソアラは王太子殿下の婚約者候補として認識されていて。
侯爵家や大財閥の伯爵家からは、自分の娘も婚約者候補にして欲しいと言う打診が来ていると言う。
それは永らくの間……
公爵家の2家の令嬢が、婚約者候補として王太子妃を巡る争いをしていたので致し方無い事なのだが。
まだ情報が伝わるには困難な時代。
一度流れた情報を払拭するのはかなり難しい。
なので……
婚約者候補から正式な婚約者に決まったと言う発表を急ぎたいとルシオは思っていて。
勿論、王宮に籠っているソアラはその辺の事情は知らないのだが。
そんな裏事情はさて置き。
ルシオはソアラともっと親しくなりたかった。
いや、出来れば恋人同士のようになりたいと思っていて。
最近は随分とソアラとは近くなっていると実感している所だ。
なのにだ。
「 殿下はこっちの調査をお願いします 」
私はソアラ嬢の質問に答えなければなりませんからと、カールが自分の予定していたポジションに居座っている。
確かに商会や個人店の名前はカールの方が詳しいから仕方が無い。
だけど……
後ろでルシオがイライラしているのを楽しんでいるカールが腹立たしいのだ。
そんなこんなで調べて行く内に……
多額のお金が流れている名前を、何件か割り出す事が出来た。
***
この日は……
午後からカールが父親であるランドリア宰相に呼ばれていなかった。
先程ランドリアの秘書が、宰相がお呼びですとカールを呼びに来たのだ。
「 殿下、まだソアラ嬢とは正式な婚約はしてませんからね 」
どうかご自重して下さいよと。
本来ならばまだ婚約をしていない男女が、2人だけで部屋にいる事をタブーのだが、この財務部には特定の者しか入る事は許されてはいない。
勿論、侍女も警備の者や騎士達も。
財務部の6人は謁見室に出向いていていない。
カールがいなくなれば……
当然ながらルシオとソアラの2人だけになると言う。
「 お前は僕を何だと思っているのか? 」
「 飢えた狼 」
ルシオはカールの尻を蹴飛ばして部屋から追い出した。
全く……
口の減らない奴だ。
僕は産まれながらの王子だ。
今まで理性の無い行動はした事が無い。
常に冷静沈着でいる事の教育を受けて来たのだから。
ソアラと出会ってからは……
とんだポンコツ振りを見せているが。
カールを追い出して気合いを入れてソアラを見れば……
そんなワチャワチャしている2人にも気付かずに懸命に書類を見ていた。
その俯いた顔がとても美しくて。
ランドリアッ! ナイス!
後で褒美をやろう。
ソアラの前にあるカールの椅子に座って、カールのように頭を付き合わせたいが……
座る切っ掛けが掴めない。
自分の席からソアラをチラ見するだけで。
暫くはソアラの書類を捲る音と、ペンを走らせる音だけがする緩やかな時間が過ぎていた。
本当に……
同じ空間にいる事がこんなにも心地好い。
誰かから意識をされる立場であるルシオは、こんなにも誰かを意識する事は今まで無かった事であった。
書類を見たままにソアラはルシオに尋ねた。
「 殿下……このワイアットと言う名前の正体は分かりませんか? 」
「 ワイアット……ワイアット……確か……僕が持ち帰った書類にその名前があったかも…… 」
ソアラから話し掛けられた事が嬉しくて。
ルシオは張り切って書類の入った木箱に向かった。
凡そ4ヶ月前……
視察と言う名目で各領地を回り、領主達から重要書類を提出させていたのだ。
あの時の書類の中にあった、ワイアットと言う名前に見覚えがあるとルシオが言ったので、ソアラもルシオの隣にやって来て、木箱の側にしゃがみ込んだ。
そして2人で書類を手に取ってワイアットと言う名を探し始めた。
木箱の前にしゃがみ込んだ2人は、暫く無言で書類探しに時間を費やしていて。
たまに触れ合う手にお互いにドキドキとしながら。
「 ありました! 」
ソアラが手にしていた書類をルシオも見えるように広げると、ルシオが書類を覗き込んで来た。
「 ワイアット……貴族なのか平民なのかが分からないな 」
「 このワイアットと言う人物に結構な金額を支払ってますね 」
「 何を買ったんだろうか? 」
請求書と領収書を一枚一枚照らし合わせて行く。
調べて行く内に……
ソアラはとんでも無い事に気が付いた。
「 殿下! これ2重請求です!! 違うわ……3重請求です!」
ワイアットと言う名前に支払った額と、同じ額の請求書が何枚も出て来た。
「 これを手掛かりに探せば……きっと謎が解明するわ 」
「 本当だ…… 」
ソアラの手にしている書類を覗き込んでいるルシオを見上げて……
ソアラは嬉しそうな顔をした。
その時……
ルシオはソアラの顔に自分の顔を近付けて……
ソアラの唇に唇を重ねた。
「 !? 」
目を見開いて驚くソアラの唇から、ルシオは自分の唇を離した。
2人は見つめ合ったままで。
ソアラに突然キスをした事にルシオ自身も驚いている。
「 いや……僕達は結婚するんだ……子を設けないとならないから……閨を共にする時に…… 」
パニックになり、突然の口付けの言い訳をするルシオを見つめるソアラの顔が、みるみる内に真っ赤になって行く。
慌てふためいたルシオは、とんでも無いポンコツな事を口走った。
「 君とちゃんと出来るかを試したかったんだ 」
***
ソアラの顔が悲し気に歪んだ。
「 それで……わたくしは合格ですか? 殿下はわたくしとちゃんと……出来ますか? 」
立ち上がってそう言ったソアラは、ルシオがキスをした唇を片手で押さえた。
ルシオを見つめる茶色の瞳には涙が滲んでいる。
そんなソアラを見て……
自分はとんでもない事を言ったのだとルシオは気付いた。
「 すまない……僕は……そんなつもりは…… 」
突然の口付けも最低なのに、ソアラにこんな事を言わせてしまった。
ルシオは思わずソアラに手を伸ばした。
「 わたくし……今日はもう下がらせて頂きます 」
伸ばしたルシオの手を避けるように、数歩下がって頭を下げたソアラは踵を返してドアに向かった。
「 ソアラ…… 」
ソアラを追うルシオの目の前で……
ドアがバタンと閉められた。
***
ドルーア王国は一夫一妻制だ。
家族と言う絆を重視する事から愛人や妾、離婚などに厳しい国であり、不貞行為には厳しい罰則がある程だ。
しかし……
王族だけは特別で。
王太子夫婦に王子が産まれない場合にのみ側室制度が適用される。
こちらは国王に判断され王命が下されてからになるのが。
愛の無い結婚なんて貴族なら当たり前で、実際に私もそんな結婚をしようとしていた。
王族なら尚更だ。
こんな身分違いの政略結婚でも……
美しくも無く性格も悪い私でも……
殿下はちゃんと私を妻に迎えようと努力をしてくれている。
それ故のお試しなのである。
それはとても重要な事だわ。
私達は王子を産まなければならないのだから。
他に何を望む事があるの?
殿下から愛の無い結婚だと言われていたではないか。
ソアラは自分の中で完結した。
何時もならそれでスッキリするのに、悲しみがどんどん溢れてくる。
私は……
殿下が好きなんだわ。
この時……
ソアラは初めて自分の気持ちに気が付いた。
殿下にドキドキしていたのは、彼が王太子殿下だからだと思っていた。
誰もが憧れる雲の上の王子様なのだからと。
だけど……
それは好きになっていたからで。
貴族の殆どが政略結婚をする中で、好きな人と結婚が出来るなんて幸せな事だ。
それだけで良いじゃないか。
何も求めてはいけない。
いつの間にかポロポロと零れていた涙をごしごしと拭った。
そして……
その日ソアラは熱を出した。




