盗み聞きの是非
体内時計がしっかりしているソアラのルーティンは決まっている。
経理部にいる時のお昼休憩には、何時も庭園を散歩するのが日課だった。
ルーナと2人でお喋りをしたり、他の部署の女官達も一緒に散歩する事もあった。
まあ、ルーナは時たまブライアンと消える時はあったが。
雨の日も傘を指して庭園に行っていた位に、ソアラは自分のルーティンはあまり変える事は無い。
なので入内してからも、財務部の人達と昼食を共にした後は、ソアラは1人で庭園に行っていた。
本を持って。
本を読むのが好きなソアラはこの時間が気に入っていて。
この昼休憩の貴重な読書の時間が息抜きには丁度よいのだ。
勿論3人での調査の初日のこの日も、ルシオとカールと昼食を取った後にソアラは庭園に向かった。
ルシオは一緒に行くと言ったが、読書をしたいからと言って丁重にお断りをした。
お昼休憩ぐらいは1人になりたい。
だけど……
あんなにガッカリした顔をするなんて。
ソアラはちょっと罪悪感に駆られた。
「 あら?雨が振りそうだわ 」
王族専用の庭園に出ると空がどんよりとしていた。
朝のウォーキングの時はあんなに晴れていたのにと思いながらも、ソアラは庭園の何時も座るベンチに向かった。
一般に解放された庭園はお昼休憩には皆が散歩をしているが、王族専用の庭園にはこの時間はあまり人はいない。
と言うか……
今まで誰とも合った事が無い。
だから誰にも邪魔されずに本を読む事に没頭出来るのである。
ここに来てからは疲れているからか、夜には直ぐに寝てしまってあまり本を読めない事から尚更で。
やはりこの時間は誰にも邪魔されたくは無い。
なので……
ルシオのガッカリした顔は封印した。
低木に囲まれた場所にあるこのベンチは、1人で読書をするには最高の場所で。
暫く本に没頭していたソアラの耳に話し声が聞こえて来た。
どうやら庭師と下働きの者が話しているようだ。
庭師や下働きの者は殆どが平民で、話し方からこの2人はどうやら平民だ。
「 王太子殿下の新しい婚約者候補の令嬢を見たぜ 」
「 あの噂の伯爵令嬢を? 」
「 ああ、ここを何度か散歩をしていたよ 」
私の事だ。
朝のウォーキングを見られたのかしら?
ソアラは他人の話を立ち聞きするのは駄目だと思いながらも、自分の事だからと思わず耳を澄ます。
話し声はソアラのいる低木に囲まれたベンチの隣から聞こえていて。
ソアラの耳は次第にダンボの様になっていく。
「 えっ! ジムは会ったの?」
「 ああ、ここを何度も王太子殿下と散歩してた。向こうのガゼボで仲良くお茶もしていたよ 」
「 で、どんな顔をしてたの? 噂通りに公爵令嬢達より美人だった? 」
止めてーっ!
アメリア様とリリアベル様と私を比べるなんて。
それにあの2人よりも美人って……
一体どんな噂が飛び交ってるの?
ソアラは耳を塞ぎたくなった。
そもそも彼女達は何もかもが自分とは別次元の令嬢達。
私なんかと比べられるのは彼女達に失礼な話だわ。
「 それがよ~!とびきり可愛い令嬢だったぜ 」
あれなら王太子殿下の婚約者候補が、公爵令嬢から伯爵令嬢になったとしても納得すると言って。
「 えっ!? 」
思わず声が出てしまったソアラは慌てて両手で口を押さえた。
すると急に静かになった。
ソアラが口を押さえたままに固まっていると……
「 誰かいるの? 」
ガサガサと音がして……
人影がベンチに座るソアラを覗き込んで来た。
「 ……… 」
「 女官様…… 」
目が合うなり下働きの女は慌てて頭を深く下げた。
「 どうか……ここにいた事は内緒にして下さい 」
そこに庭師もやって来た。
罰の悪そうな顔をして。
ソアラと同じ位の年齢の2人は恋人同士のようで、ここで散歩をしてデートをしていたらしい。
ここは王族専用の庭園だ。
勿論、知られると咎められる。
最悪クビを切られる事案だ。
「 あっ!? 毎朝凄いスピードで歩いてる方だ 」
ソアラの顔を見ていた庭師がパンと手を叩いた。
どうやらこの庭師にソアラの朝のウォーキングを見られていたようだ。
「 ああ……朝の令嬢は女官様でしたか 」
朝早くにここを歩いているから誰かと思っていたんだと、女官姿のソアラを見ながら庭師は嬉しそうにした。
謎が判明したと言う顔をして。
「 あの……もうここには来ませんから……どうか誰にも言わないで下さい 」
お願いしますと言って、2人はソアラに頭を下げてバタバタと何処かへ行ってしまった。
「 ……… 」
去って行く2人を低木の隙間から見つめながら、ソアラはため息を吐いた。
私って……
この王族専用の庭園を歩いていても、お妃教育の為に入内した王太子殿下の婚約者候補だとは思われ無かったのね。
まあ、まさか王太子殿下の婚約者候補がウォーキングしてるなんて誰も思わないわよね。
ましてやアメリア様やリリアベル様よりも美人と言う噂があるのだから尚更だわ。
ソアラは……
自分が殿下の婚約者だと知った時に、あの庭師はどんな顔をするのかと想像したら……
かなり凹んだ。
凄くガッカリするでしょうね。
何だかトンプソンを思い出した。
我が家の執事でさえもガッカリしていたのだ。
麗しの王太子殿下の婚約者が身分も低けりゃこんな普通顔。
国中の期待を裏切る事になるのだから。
はぁ……
ため息が止まらない。
それよりも……
殿下とここで散歩してお茶をしていたのは誰かしら?
私を誰と間違えたの?
アメリア様とリリアベル様の顔は知っているだろうから……
あの2人以外にとびきり可愛らしい令嬢と言えば……1人いる。
「 ………ルーナ……… 」
ルーナはあのお茶会以外にも何度もここに来ていたのだわ。
ソアラはルーナとルシオがガゼボでお茶をしている所を見ている。
シンシアも一緒だったからそれ程気にはしなかったが。
そもそも何故ルーナがここに頻繁に出入り出来てるの?
ここは王族専用の庭園なのに。
私に会いに来てる訳では無いのに……
殿下と散歩をしたりお茶をしたりしているのは何故?
ソアラは訳が分からなかった。
ルーナにはブライアンと言う婚約者がいるのだ。
2人はとても仲が良くて……
私の前でも平気でイチャイチャして。
結婚秒読みだと思っていた。
ルーナの目的が分からない。
いや……
もしかしたら殿下がルーナを呼んでいるのかも。
どうしても頭から抜けない婚約者の交代説。
同じ伯爵令嬢ならば……
顔が可愛らしくて気配りも出来るルーナの方が良いと言う事に、裏ではなっているのかも知れない。
公爵令嬢でさえスッパリ切ったのだ。
王族からしたら伯爵令嬢なんてゴミみたいなものだろう。
モヤモヤしているとポツポツと雨が降り出した。
まだ戻るには早いけれども仕方が無い。
本を濡れない様に胸に抱えて庭園を歩いて行く。
盗み聞きなんかするもんじゃ無いわ。
これから仕事に邁進しないとならないのに。
ソアラは……
湧き上がるどす黒い感情と格闘しながら、王族専用の出入口から王宮に入って行った。
***
財務部に戻る途中の通りがかったサロンには、まだルシオとカールの姿があった。
サロンの廊下側の窓はガラス貼りで、廊下側から見えるようになっていて。
2人は昼食を食べてもそのままここにいたようだ。
財務部の鍵はカールが持っている事を思い出したソアラは、サロンのドアを開けた。
「 しかしルーナ嬢は可愛らしい方でしたね 」
少しドアが開いた時に聞こえたカールの声に、ドアノブを持つソアラの手が止まった。
「 ああ。そうだな 」
「 ルーナ嬢が婚約をしていて残念でしたか? 」
「 何故そう思う? 」
「 いや、やはり間近で見ると凄く可愛い令嬢なので 」
「 そうだな…… 」
ルーナの前に跪いたルシオが彼女の手の甲にキスをした時の事がソアラの頭に浮かんだ。
ソアラはその先を聞きたく無くてその場を去ろうとした。
盗み聞きなんかするもんじゃ無いと。
さっきの反省をいかして。
「 でもソアラが一番可愛い 」
「 !? 」
ソアラは耳に入って来たルシオの甘くなった声に再び足が止まった。
顔が熱くなる。
胸はドキドキとして。
「 しかし……ルーナ嬢は殿下に想いを寄せてるように思えますが 」
何かと理由を付けて殿下との面会を要請して来てますよねと、カールが手を上げて壁に控えるメイドを呼んでコーヒーのお代わりをしている。
勿論、ルシオの分も。
「 彼女には婚約者がいるんだから、それはお前の考え過ぎだ 」
「 だったら良いのですが…… 」
「 彼女はフローレン家の様子を僕に報告してくれてるだけだ 」
彼女は良い子だよと言って。
そこでカチャカチャと音がした。
メイドがコーヒーの入ったカップを持って来たようだ。
ソアラはサロンのドアをそっと閉めた。
盗み聞きするのはよくないと思って。
今更だが。
殿下はルーナの事を全く気にしていない。
ルーナも殿下に会って……
我が家の事を伝えてくれているだけ。
やっぱりルーナは良い子なのだ。
胸の中に暖かいものが溢れて来る。
ルーナの気配りが嬉しくて……
先程までのモヤモヤが晴れていく。
序でにどす黒い感情も。
ソアラは……
盗み聞きもたまには有りだと思うのだった。