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ハンカチの香り

 




 翌日ルシオは朝早くから公務で外出をしなければならなかった。


 城の正面玄関でカールと一緒に馬車に乗ろうとすると、カールが忘れ物をしたと言って慌てて城の中に取りに戻った。


「 庭園に行ってる 」

 ルシオは護衛騎士にそう言って、庭園に向かって歩いて行った。


 少し朝日を浴びようと思って。

 昨夜は誰かを思って眠れない夜を過ごした事から、完全な寝不足だ。


 朝の散歩をするのも気持ちが良いもんだな。



 ルシオは綺麗に手入れされた庭園をゆっくりと歩いて行く。

 まだ早い時間だから周りには誰もいない。


 この庭園は一般に解放されている庭園で、王族が利用する庭園はまた別の場所にある事から、ルシオがこの庭園を歩く事はあまり無い。


 来客を案内する時は王族専用の庭園で、アメリアやリリアベルと、昼下がりにお茶会をしていたのも王族専用の庭園だった。



 暫く歩いていると……

 人の気配を感じた。


 その気配は物凄いスピードでルシオに向かってやって来る。


 ルシオは咄嗟に剣を抜き、人影に向かって剣先を向けた。


 外出する時には、護衛騎士がいるにも関わらず何時も帯剣をしている。

 旅先ではどんな危険があるか分からない。

 そんな時の為に騎士団での訓練も欠かせないのだ。



「 誰だ!? 」

「 キャア!! 」

 ルシオの怒気を孕んだ声が静かに響いた。


 剣先にいたのはソアラだった。

 陽の光を浴びて彼女の汗がキラキラと輝いていて。


 突然の美しい光景にルシオは息を飲んだ。



「 !? ……ソアラ嬢? 」

「 わたくしは怪しい者ではありま……せ……ん? 」

 ソアラは自分に剣先を向けているのはルシオだと気が付いて。

 その途端に安堵感でいっぱいになった。


 しかし……

 ルシオは一瞬ソアラに見惚れていたから剣を納める事が遅れた。


「 ……殿下!? 」

 優しいルシオの顔しか知らないソアラは……

 剣を抜いた険しい顔のルシオの眼差しにドキリと胸がときめいて。

 

「 うわっ!? すまない 」

 ルシオはそう言って慌てて剣を納めた。



「 こんなに早くに散歩か? 」

「 殿下こそ……こんなに早くにお出掛けですか? 」

「 ああ、今日は公務で遠出をしなければならないんだ 」

 ルシオはそう言ってソアラに、胸ポケットから出したハンカチを差し出した。


「 これでその汗を拭くと良い 」

「 !? 」

 ソアラはみるみる内に真っ赤になった。


 汗が吹き出ている自分が恥ずかしくて……


「 あ………有り難うございます 」

 ハンカチを受け取ったソアラは泣きそうになった。


 こんな姿を見られるなんて……

 こんなにも汗が拭き出ている令嬢に、殿下は呆れたに違いない。



 その時……


「 殿下! お待たせしました。殿下ー! 」

 ルシオを呼ぶ声がする。

 カールの声だ。


「 ソアラ嬢。今夜は僕と夕食を共にしてくれないか? 」

 話したい事があると言って。


 ソアラの前に立つルシオはソアラが見上げる程に背が高い。

 ソアラ自身も背が低いわけでは無いのに。


「 はい。分かりました。お帰りをお待ち致しております 」

 行ってらっしゃいませと言って、一歩後ろに下がって頭を下げたソアラにルシオは踵を返して歩いて行った。



 ルシオの後ろ姿を見送りながら、ソアラはハンカチでそっと汗を拭いた。


 ハンカチからは何時もルシオから香る……

 優しくて甘い香りがした。




 ***



 

 ハンカチを渡すべきでは無かった。

 あの時彼女は泣きそうな顔をした。

 耳まで真っ赤にして。


 汗を流している自分が恥ずかしかったのだろう。

 何故あんなにも汗を流していたのかは謎だが。


 何故こうも間が悪いのか……


 だけど本当は……

 彼女の流れる汗を僕が拭ってあげたくなったんだ。


 そんな怪しげな気持ちは勿論抑え込んだが。



()()()は宮殿に来ても、変わらずに歩いているんだな 」

 馬車に乗り込もうとするルシオはソアラと言う言葉に反応した。


 見ればブライアン騎士がいて……

 彼は遠くを歩くソアラを見ていた。


 この日はブライアンがルシオの公務のお供の護衛騎士だった。



「 ブライアン! お前はソアラ嬢と親しいのか? 」

 ソアラと名前を呼び捨てにする程に。


 そう言えばあの時……

 ブライアンが、ソアラと勘違いしたルーナの婚約者だと言っていた事を思い出した。



「 はい、私の父と彼女の父は同じ職場でありまして……小さい頃から親しくさせて貰っております 」

「 ………そうなのか…… 」

 小さい頃から親しいと言う言葉に些か気分が悪くなる。


 彼は自分の知らないソアラを知っているのだと。

 生まれた時から、ずっと2人の令嬢と共に過ごして来た自分の事は棚に上げて。



「 彼女は毎朝こんなに早い時間に歩いているのか? 」

 気を取り直してソアラの事を聞いた。

 自分は彼女の事を何も知らないのだから。


「 はい、ソアラは…… 」

 ルシオからジロリと睨まれてブライアンは口を嗣む。


 この時……

 自分の幼馴染みのソアラが、主君の婚約者候補になったのだと改めて思った。


 何故ソアラなのかは未だに分からないが。

 兎に角、王命がルーナでなくて良かったと思うブライアンだった。


 婚約をしていようが結婚をしていようが、王命が下ると従わなくてはならないのが王命の威力なのだから。



「 ソアラ嬢は……毎朝歩くのを日課としております。健康の為にと言って…… 」

「!?健康の為に早起きを…… 」

 僕と朝食を共に出来ないのは……

 彼女が早く起きて、早い時間に朝食を食べているから?


 もしかしたら……

 ()()()()()()()()かも知れないと、ルシオは心が躍るのだった。


 嫌われているから避けられているのだとカールに言われて、かなり凹んで昨夜は眠れなかったのだから。



 カールにソアラとディナーの約束をした事を伝える。


「 良かったですね。ディナーの約束をして貰えて 」

 まあ、王太子殿下からの食事の誘いを断れる筈はありませんがねとカールは言う。

 いくら嫌いでもと言う言葉を付け加えて。


 全く……

 口の減らない奴だ。


 最近のカールは……

 国民達からは麗しの王太子と称賛されているルシオの狼狽を特に面白がっていて。


「 ……ああ、今日は早く帰るぞ! 」

「 御意 」

 カールはニヤニヤとして右手を心臓に当てて丁寧に返事をした。



 何故か彼女とは出逢う前から上手くいかない。


 先ずは彼女の誤解を解いて……

 それでも()()トニス・デスラン伯爵令息との婚姻を望むと言うのなら、父上に進言して王命を取り下げて貰おう。


 一度出した王命を取り下げる事はかなり難しいが。

 それでも……

 彼女が王家の財政の危機になっている原因を突き止めてくれたのなら、父上も彼女の望みを叶えてくれるだろう。



 しかしだ……

 この日はソアラとのディナーを楽しみにしているルシオの思いとは裏腹に、公務にかなりの時間を要した。


 会う人の皆が皆、自分の娘や親戚の令嬢を連れて来ていて、執拗にルシオとの時間を持つ様にして来るのだ。


 今までは、王太子殿下のお相手が公爵令嬢だから大人しくしていたのだろう。

 代々続けられていた慣習が変わった事で、彼等の思惑はあからさまになった。


 王命と言えども……

 まだ婚約者()()なのだからと。


 新しいお相手が自分達よりも身分の低い伯爵令嬢ならば、あわよくば自分の娘や親戚の令嬢が、ルシオのお眼鏡に適うかも知れないと思っていて。



 そう……

 国民達も皆、ソアラと同じ様に王命を勘違いしていて。

 やはり()()を付けたのが間違いでは無かったのかと思わずにはいられない。


 それでも……

 ()()()()()だからこそソアラの逃げ道もあるのかと思って。


 兎に角、ソアラの気持ちを聞く事をしなければならないとルシオは思うのだった。




 ***




 ルシオの帰城は夜の8時を回っていたが……

 ソアラの部屋まで迎えに行くと、ソアラは約束通りにルシオの帰りを待っていた。


 シャワーを浴びてから迎えに来たのでかなり遅くなってしまっていて。



「 遅くなってすまない 」

「 お帰りなさいませ。長時間のご公務お疲れ様でした 」

 ニコニコと微笑んでくれる彼女を見ていると、ルシオも顔が綻んで。


 何時も侍女達が労ってくれるが……

 なぜ彼女が労ってくれる事がこんなにも嬉しいのだろうか?


 高鳴る胸を抑えてルシオはソアラに手を差し出した。

 ソアラがそっと手を乗せると、ルシオはソアラをエスコートしてサロンに向かって歩き出した。



 先ずはソアラの誤解を解きたい。

 しかし……

 どんなタイミングで言えば良いのかと考えている内に、料理がどんどんと運ばれて来る。


 きっとソアラもお腹が空いているだろうから、ソアラからは財務部の仕事の経過を聞く事にした。

 食べ終わってから誤解を解こうと思って。


 ソアラの話では……

 帳簿付けはかなり順調に進んでいるのだと言う。

 きっと直におかしな箇所が見付かるだろうと。

 いや、見付けてみせると頼もしい事を言って。



 料理を食べ終えデザートを食べる頃になると……

 ソアラの口調が何やらおかしい事に気が付いた。


「 あの……帳簿が……タンゾウ様が……ハンカチが…… 」

「 ? 」

 見ればソアラがうつらうつらとしていて。


「 ソアラ嬢……眠いの? 」

「 いえ……大丈夫ですわ 」

 そうは言うものの……

 ソアラはコックリと頭を横に傾け目を閉じた。



 寝てる……


 可愛い。


 どうしょう……

 可愛過ぎてどうにかなりそうだ。



 朝早く起きて庭園を歩いていたのだ。

 あんなに汗をかきながら。

 それから今日1日一生懸命仕事をしたのだろう。


 このままこの可愛らしい所為を見ていたいが……

 こんなにも眠いのならば、直ぐに部屋に連れて行かなければならない。



「 ソアラ嬢……部屋まで送ろう…… 」

「 ……ん…… 」

 薄く目を開けてコクンと頷く所為も堪らなく可愛い。


「 歩ける? 」

 また、ソアラはコクン頷いた。


 本当は抱き上げて運んであげたいが……

 そんな事をして更に嫌われたら元も子も無い。

 まだ彼女との距離はかなり遠いのだから。



 ルシオはソアラの手を引いて歩き出した。

 歩きながらもたまに頭がカクンとなって。

 その度にソアラの腰に手を回して……


 細い。

 こんなにも細いんだ。


 数々の女性の腰にはダンスの度に手を回して来たが……

 さっきからずっと心臓がドキドキと波打っていて。



 そう言えばと、彼女とダンスを踊った時もずっとドキドキしていた事を思い出す。


 あれは……

 もう彼女にこんな特別な想いがあったからだろうか。



 そして……

 サロンからは結構な距離があるにも関わらず、直ぐに彼女の部屋に到着してしまった。


 ドアをノックして侍女を呼ぶ。


「 これ……殿下に…… 」

 いつの間にかソアラの手には、ルシオが汗を拭くようにと渡したハンカチが握られていて。


「 ………有り難うございました…… 」

 そう言いながら、ソアラがルシオの手にハンカチを押し付けた。


 ルシオがハンカチを受けとると、直ぐに部屋の中から彼女の侍女達が出て来た。


 やっぱりと言って。


「 殿下……お休みなさいませ 」と侍女達が言って、ソアラを抱え込む様にして中に連れて行き、ドアはバタンと閉められた。


 何がやっぱりなのかと思ったが……

 それ以上は聞けなかった。



 ルシオは手の中にあるソアラから渡されたハンカチを見た。


 彼女が握り締めていたハンカチ。

 きっとあの後洗って乾かしたのだろう。



 ハンカチからは微かにシャボンの香りがした。


 これは……

 ソアラの匂い。



 ルシオはそのハンカチにそっと唇を寄せた。












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