必要だと言われて
ソアラの今朝の目覚めは良かったが、ここが何処なのかが分かるまで少し時間が掛かった。
真っ白なレースの天涯付きのベッド。
淡いクリーム色の壁に深みのあるクリーム色のカーテンが大きな窓に掛かっている。
目の前に広がる空間が開放的で、何時もの自分の部屋では無い事だけは確かだ。
「 そうだわ……私は王宮の客間にいるのだわ 」
昨日はきっちり午後の5時に財務部の仕事を終わらせた。
「 えっ!? もう終わるのですか? 」
「 ええ……出てる分の書類の整理は終わりましたから 」
明るい内に帰るなんて何時ぶりだと男達が言う。
「 明日は8時30分にはここに来て頂きたいと思います 」
「 えっ!? そんなに早い時間? 」
「 経理部は何時もその時間に皆が出勤しておりますわ 」
仕事が始まるのは9時からですので、心の準備と物品の準備をする為にはその位の余裕が必要ですとソアラは言う。
「 それでは我々は朝食を食べられないでは無いか!? 」
「 早く起きれば良いのです。今日は早く帰るのですから、早く寝れば明日は早く起きれますわ 」
寝不足や二日酔いなどは以ての他ですからねと付け加えて。
気まずそうにしている男達を見ながら……
お金に対する心構えがまるで違うのだわとソアラは目を眇めた。
先ずはここから改善せねば。
「 トンチンカンとアンポンタン達は早く起きれたかしら? 」
ソアラはうーんと伸びをしてから、身支度をして何時もの朝の通りにウォーキングに行こうと部屋を出た。
女官の制服を着て。
昨日は書類の整理や掃除でドレスが汚れた事から、財務部での仕事は女官の制服を着る事にした。
こんな事も予想して持って来ていたのである。
廊下に出ると……
宮殿内はまだひっそりと静まり返っていて、階段を下りたソアラは、正面玄関から出ずに何時も出入りしている従業員の出入り口のドアに向かった。
そこから庭園に行こうとして。
昼休みには何時もルーナと一緒に食後の散歩をしていたのだ。
そこにいた警備員は、女官の制服を着たソアラを夜勤明けだと思ったみたいで、ソアラに向かってにこやかに挨拶をしてくれた。
「 お疲れ様でした 」
ルーナといると……
何時も彼女を見て彼女にしか喋り掛けない警備員が、ちゃんとソアラの目を見て挨拶をしてくれたのだ。
自分をちゃんと見てくれた事が何だか嬉しかった。
「 さあ! 今日から本格的に頑張るぞ! 」
そんな些細な事でも気持ちが高揚する。
嬉しくなったソアラは……
何時も通りにウォーキングをして何時もの時間に朝食を食べて出勤をした。
勤務先に行くと、既に彼等は出勤していた。
「 早く寝たら早く起きれました 」
「 朝食もゆったりと食べて来ましたよ 」
「 きっと昨日の片付けで、身体を動かしたから疲れて熟睡出来たのですわね 」
ソアラは適度な運動をした方が良いとアドバイスをした。
6人共にかなりぽっちゃりだ。
親達は下っ腹が出ていて。
「 さあ! 今日は金庫の中のお金を数えますわよ 」
「 えっ! 」
昨日の説明では、領主達が持って来る税金は書類とお金を受け取るだけで、現金を数えないで金庫に入れていたと言う。
とんでもない話である。
そうなると金庫のお金と書類が一致してない可能性があり、お金の足りない原因がそれなのかも知れない。
そもそもスタートから間違っているのである。
「 それは信用の問題でして…… 」
「 信用をするのは書類に書かれている額とお金が一致した場合のみです! 税金を納めに来た領主の目の前で数えなくてはなりません! 」
そう言ってソアラは金庫室に入り札束を数え出した。
見事な数え方で早い早い。
この調査は……
皆にお金の数え方を伝授して、お金を数える事からスタートした。
経理部の女官の腕の見せ所である。
***
「 えっ!? 皆で昼食に行った? 」
昼食こそは一緒に食べ様と思ってルシオがソアラを誘いに来た所、財務部の部屋の前に立っていた警備員がそう告げた。
また、すれ違わない様にと早めに誘いに来たつもりだったのに。
ルシオの体内時計とソアラの体内時計は完全にズレているのである。
急いで警備員に言われたサロンに行くと……
既に食事は終わっていて、メイド達が後片付けをしていた。
突然のルシオの登場に皆は慌ててカーテシーをする。
頬を赤らめた若いメイド達が手を止めてルシオに見惚れている。
やっぱり近くで見るとより素敵だわと言って。
王宮であろうとも王太子ルシオの行く所は限られていて、このサロンには初めて来た位である。
庭園に食後の散歩に行ったとシェフが言う。
「 ソアラ様が皆様に身体を動かす事をお勧めしておられましたから 」
食事も綺麗に召し上がられたとシェフは喜んでいて。
その時……
開けられた窓の向こうから楽し気な声が聞こえて来た。
窓に駆け寄り下を見ると……
ソアラ達が庭園を楽し気に歩いている姿があった。
もうあんなに仲良くなっている。
ズケズケと言う彼女に、昨日はちょっと険悪なムードだったが。
トンチンカンはまだ許せるが……
若い侯爵令息のアンポンタンが彼女の横を並んで歩いているのは許せない。
特にタンゾウは彼女に近寄り過ぎだ。
タンゾウに笑い掛けているソアラを見ると、何故だか分からない感情が沸き上がって来る。
「 彼女との食事も庭園の散歩も一番始めにしたかったのにと、思っていますか? 」
窓から庭園を見ているルシオの横に立ったカールが、散歩するソアラ達を見ながら言う。
「 お前……昨日から煩い…… 」
またもや自分の心の中を言い当てられたルシオは、カールをひと睨みして自分の執務室に向かった。
カールはルシオの後ろを歩きながらクックと笑う。
ルシオの変化を彼は楽しんでいて。
ソアラ・フローレンをルシオの婚約者候補にすると言う王命が出てからは、ルシオは何処か浮ついていた。
何処と無くウキウキしている様で。
まるで初めて恋人が出来た男の様だと。
女性の扱いは慣れている筈だ。
長い間婚約者候補が2人もいたのだから。
彼女達への気配りは完璧で、何時もカールはルシオからの指示通り動いているだけで良かったのだった。
しかしだ。
ソアラと知り合ってからのルシオはポンコツそのものだった。
彼女との出逢いが最悪だったからか。
何時も感情が先に出てしまい、全てが上手くいかなくて。
その上に……
予測出来ない彼女の行動に、手をこまねいている状態であった。
やはりそこが高位貴族である公爵令嬢と伯爵令嬢の違いなのであろう。
ソアラが文官として働いている事もルシオにとっては斬新だった。
公爵令嬢の2人は働いておらず、社交界に精通しているだけだったのだから。
***
午後の仕事も皆で金庫室に入りお金を数えていた。
経理部はこの財務部から予算が渡されると皆でお金を数えて、数えたお金は一旦金庫に保管をしている。
だから……
金庫の中に現金がいくら入っているかは把握済みで。
そこから各部署にお金を配分して、月末に残金と領収書を回収して収支を合わせて帳簿を付けるのだ。
この仕事がソアラの担う仕事で。
全てが手作業でやらねばならない作業だから、日頃からしっかりと現金の管理と帳簿付けをしなければならないと言う。
こやつらのどんぶり勘定ぶりには呆れ返るソアラだった。
「 もっと人手が必要なのではないですか? 」
「 こればっかりは……他家の者には任せられないんだよ 」
我々もランドリア宰相に、人手を増やして欲しいと懇願しているのだが中々適任者がいないのだと言う。
聞けば先代の政権であるウエスト一族からは、何の引き継ぎも無いままにこの仕事をスタートしたのだと。
その時はトンチンカンの親や他の親族達もいたのだが、皆が年老いてリタイアして、自分の息子達のアンポンタンを学園を卒業してからこの部署に入れたのである。
「 俺達は爺さん達よりは3倍は働いている筈だ 」
いや、そんな問題じゃ無いだろうと思ったが。
まあ、この仕事が終われば私はここからオサラバするのだからと、今は調査する事に専念しようとソアラは思うのであった。
「 殿下がお出ましになりました! 」
警備員の声がしたが……
キリがつくまで手が離せない。
誰もが金庫室から出ないでいると……
執務室でガタガタと音がし始めた。
「 何? 」
皆で顔を見合わせていると……
ルシオがヒョコッと金庫室に顔を出した。
「 僕も今日からこの部屋で執務をする 」
ルシオは札束を持っているソアラを見つめてそう言った。
やったわ!
助っ人が来たわ。
そうよ。
国王陛下は王太子殿下と協力をして調査をする様にと仰っていたものね。
そう思ったのはソアラだけでは無かった。
「 殿下!我々の手助けをして下さるのですか? 」
「 ランドリアも手伝うのか? 」
「 人手が増えるのは大歓迎です 」
札束を数えていたトンチンカンが歓喜の声を上げた。
「 いや、僕はここで僕の執務をする 」
「 !? 」
ここで?
財務部の仕事をしないのなら、わざわざここで自分の公務をする意図は何?
皆が頭を捻った。
「 殿下は言い出したら聞かなくて 」
執務室からカールの声だけがする。
ウンショと何かを運んでいる様で。
「 父上がソアラ嬢と一緒にいる様にと言っていたから……引っ越して来たんだ 」
王命だからとねと言ってルシオはソアラにウィンクをした。
ドッキーン!!
破壊力が凄いウィンクがソアラの脳天をぶち抜いた。
なんて……
色っぽい。
経理部の男達がルーナにしているのは何度と無く見たが。
あんなシワシワのウィンクとは格が違う。
勿論、自分にされるのは初めてで。
ソアラは持っていた札束を落としそうになった。
「 それは…… 」
一緒にいる様にと言ったけれども……
調査を一緒にする様にと仰った筈。
ドキドキとするあまりに口をぱくぱくとするだけで声が出ない。
ルシオは……
爽やかな笑顔をソアラに残してそのまま顔を引っ込めた。
お金を一旦元の場所に置いて皆で執務室に行ってみれば、昨日綺麗に片付けた執務机の上に書類が乗せられていた。
財務部の部屋の前に置かれた書類の入った箱をカールがせっせと運んでいる。
アンポンタンに手伝えと言って。
いや、手伝って欲しいのはこっちだとブツブツ言いながらアンポンタンは書類の入った箱を運び入れた。
カールの秘書達が財務部の前まで運んだが、この部屋には決められた人しか入れない事になっている。
こうして財務部の部屋でルシオは王太子の執務をする事になった。
会えないのなら会える場所に行けば良いと。
執務机に座ったルシオはとても満足そうな顔をしていた。
「 殿下はお忙しいので、出来ればソアラ嬢に手伝って貰えたら有難いですね。お妃教育の一貫としてそれも必要かと思いますよ 」
「 そうだな。一緒にいるとそんな事も出来るのだな 」
ルシオとカールがとんでもないことを言う。
「 殿下であろうともソアラ嬢は渡しませんよ! 財務部に必要なお方ですから 」
ソアラ嬢はとても優秀な方ですからと、財務部の6人の男達が口を揃えて言う。
今まで……
誰からも見られる事も無く、自分の存在を気付いて貰える事はあまり無かった。
ソアラは……
自分を必要だと言ってくれた事が嬉しかった。
ここに来て良かった。
必要とされてるなら……
一生懸命仕事を頑張ろうとソアラの経理魂が炸裂していた。




