鬼ごっこ市場
「あたし絶対バターパイ食べる。この前売り切れてて食べらんなかった」
「まぁたあんたはカロリーの高いものを……」
「カロリーじゃなくて味で選んでるのっ」
「あたしは果物かなあ」
満月の市場にて、女たちはおしゃべりしながら品定めに余念がない。
隊商都市サランの市場では、満月と新月の日、市場の規模が常よりも大きくなる。
砦の女たちが食料や雑貨の買い出しをするのもその日であり、姫さまと私は彼女たちに連れられて市場の中を練り歩いていた。
「ねえ一口ちょうだい」
「やあよ、あんたの一口は一口じゃないんだもの」
「あたしは甘いもの狙いだなあ。今日のケーキなんだろう」
一抱えもありそうなキャベツや大袋の玉ねぎなどを、彼女らは手際よく買い求めていく。
買い物をしながら、自分の好きなものを買いながら、私たちに道案内をし、それでいて女同士のおしゃべりにも余念がないという有様だ。
かしましいというのがぴったりの彼女たちだったが、あたりはそんな女たちであふれているから、声を張らないと互いの声も聞こえないほどだ。
今日はサディークも同行している。
彼は美しいプラチナブロンドを隠すように女物のショールをかぶり、色鮮やかな衣服を着て女たちの最後尾に大人しくつき従っている。
武術全般に長けた彼のしなやかな体は、柔らかい女物の衣類も不自然でなく着こなしている。
おそらくこれは、私と姫さまを守るためのアスランの気遣いだろうと私は思ったのだが、砦の女たちはそんなサディークに指を突き付けて遠慮なく言った。
「あんた! 女装似合いすぎ!」
「違和感がなさすぎてつまんない」
「あんた今日だけサディカちゃんよ!」
きゃーはっは! と笑う女たちだが、サディーク本人はたいして気にもしていないようだ。
「もうどのようにでも」
そう言って肩をすくめている。
「私、夢がかなった……」
あたりは埃っぽくもあり、水タバコをふかしている男たちもいたので、姫さまは大丈夫だろうかと私が振り返ると、姫さまは胸元で両手を握りしめていた。
「女の子同士で、こうやって市場を歩いてみたかったの……」
「なに言ってるのこの子は」
「ただの買い出しなのに」
女たちは一笑に付したが、私は姫さまの気持ちがわかる気がした。
買い出しはどこでも女の仕事だ。
女の仕事であると同時に息抜きや情報交換の場でもある。
だが姫さまは生まれてからずっとファゴットの森で暮らして、そういうことをしたことがないのだ。
口に出しこそしなかったが、同じ年ごろの女友達が欲しいとずっと思っておられたのも知っている。
ようございましたこと、姫さま。
私は内心でことほいだ。
だが女たちはそんな私の内心を知ってか知らずか、これまた遠慮なくびしびしと言う。
「ヘイゼル、砦の女王だろうがなんだろうが、あんたはもううちの子なんだから! 荷物だってちゃんと持ってもらうからねっ」
「はいっ」
姫さまは嬉々として答えている。
市場を二回りほどもすると、買うものはあらかた買い終わり、女たちの足取りも自然と遅くなってきた。
「お、重い……」
「わかってる、だからみんなで来るんでしょうっ」
「あそこの布かわいい」
「アデラ、列を乱すなあっ」
その時だ。
「あの」
後ろから低く声をかけられて砦の女たちは反射的に全員が振り向いたが、彼女らは人前に出る時、砂漠の部族の習慣に従って布で髪を隠している。姫さまに至っては目元まで黒いベールで覆っているため、ぱっと見、誰が誰やらわからないといった有様だった。
声をかけてきたのは長身の若者三人組で、明らかに砂漠の男とは違う身なりだ。
ウースラと呼ばれるリーダー格の女が前に出てたずねる。
「誰?」
私はこっそり男たちを検分する。
彼らはいかにも名家の従者と言ったいでたちで、黒に近い濃紺の上下を着ていたが、この満月の市場の中ではいささか場違いと言わざるを得なかった。それにこのお仕着せには見覚えがある。
「おそれいりますが、人を探しております。そちらの女性はオーランガワード第五王女のヘイゼル殿下ではございませんか?」
中央の青年が代表して言った瞬間、女たちは互いに顔を見合わせた。
「やばっ。なんでばれたんだろう」
「やっぱりあたしたち気安く名前呼んでたからかしら」
小声で言い交わすのが聞こえる。
さあどうする、すっとぼけるか。それとも一戦ぶつかるか。
サディークとガーヤが衣服の下でそっとそれぞれの武器に手を添えた時だ。
「いかにも、私がヘイゼルです」
澄んだ声で姫さまが言って、男たちの前に一歩歩み出た。
そして両手で被っていた布を下ろした。
オーランガワード王族特有の、めったにお目にかかれないほど鮮やかなエメラルド色の瞳と、赤みを帯びたブロンドがあらわになる。
乳母の欲目と言って下さって結構ですが、この時の姫さまの佇まいときたらもう、気品に満ちて堂々として、姫さまの美貌を見慣れているはずの私ですら、一瞬見惚れたほどだった。
「なにかわたくしに御用ですか」
「お……お探し申し上げておりました。お父上がお戻りをお待ちになっておいでです」
姫さまの肩のあたりに緊張が走る。
やっぱりそれか、と私も内心で思った。
たとえ森に棄てたはずの王女であっても、あの王がむざむざと姫さまのことを見逃すはずがないのだった。
だが姫さまは内心のあれこれを一切顔にお出しにならず、むしろすっと背筋を伸ばした。それから男たちに向けて微笑んでみせた。
「このような遠方までわたくしを探しに来たこと、大儀でありました」
男たちの表情がゆるむ。
「ついては、そなたたちが受けた命令について話してみるように」
姫さまの微笑みに気を良くした男たちは、先を争って口をひらいた。
「お……王女殿下が砂漠の荒くれ者に奪われたとのこと」
「我らはそれを取り返しに来たのでございます」
「もうご心配はいりませぬ、どうか我らとともにご帰還を!」
姫さまの表情はぴくりとも動かない。
砦の女たちははらはらして成り行きを見守っている。
「さぞかしご不便なさっていたことでありましょう。さ、お手をどうぞ」
男たちのひとりが姫さまの肘のあたりに触れようとした瞬間。
「無礼者!」
空気を裂くような姫さまの一喝に、男たちばかりでなく、その辺り一帯がしんとなった。
姫さまは続ける。
「わたくしは、自ら選んで砂漠の狼の妻になったもの。それを奪われたなどと、心得違いもはなはだしい。我が夫を人攫い扱いするつもりですか、控えなさい!」
男たちは口を半開きにしたまま言葉を選びあぐねている。
姫さまがきびすを返して女たちの中に戻ろうとする。さすがに見かねた男たちがためらいがちに追いすがろうとする。女たちは阿吽の呼吸で姫さまと男たちの間に割って入り、姫さまは振り向くことなくどんどん先へ歩いていき、それに従って男達も早足になって──。
いつしか私たちは市場の中で追いかけっこをする羽目になっていた。
ただでさえ人が多く、道も細い市場では逃げるのも追うのも一苦労で、しかも私たちは買い出しの品を大量に抱えていた。
「に、荷物が多くて走れないいいっ」
「仕方ないでしょ、買ったものぶん投げて走る気?」
「それはいやあっ」
後ろでは、お待ちくださいだの、ここはなんとしてもだの、男たちが言っているのが聞こえる。
地の利があるとはいえ、かたや荷物を抱えた女の足、かたや若い男の足である。次第に距離が詰まっているのが気配でわかる。
その時だ。
すぐ先の道で、果物屋のおかみさんが目配せをしていることに私は気づいた。
先頭を走るウースラもそれに気づいたようで、こっち、と合図して皆を曲がらせる。
曲がった先ではその一角のおかみさんたちが売り場の入り口を大きくひらいて待ち構えてくれていた。
私たちはお礼を言うのもそこそこに、その隙間に滑り込む。
頭を出すんじゃないよ、とおかみさんのひとりが女たちを売り台の下に押し込める。
しんがりを務めるサディークが滑り込んだのとほぼ同時に、太い腕の女たちは売り台を左右から元通りにくっつけ、かけていた布を手のひと払いで素早く直すと、走ってきた男たちの視線にもびくとも揺るがず、知らん顔をしてみせたのだった。
男たちが遠くへ行ったのを見届けてから、女たちは大きな吐息をついた。
「落とし物だよ」
大きな赤かぶをひとつ、店屋のおかみさんが手渡してくれたのを、姫さまはお礼を言って両手で受け取った。