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さてどうしよう

 さてと、私はこれからどうしたもんかねえ。


 馬の上で揺られながら、早くもそんなことを考え始めていた。


 確かに感動的な再会だった。

 姫さまが私を助けに来た時の、あのまばゆい美しさは一生忘れないだろう。


 それだけでなく、これから再び姫さまと一緒に暮らせることを考えると、夢のようだ。一度はもう会えないと覚悟していただけに、そのすべてが心から嬉しい。それは決して嘘ではない。


(嘘ではないのにねえ)


 私は姫さまに隠れてそっと小さなため息をついた。


「なんて素敵なのかしら」

「ドラマチックね」

「ご自分の乳母を助けにいらっしゃったんでしょ? お優しいうえに勇気がおありになる王女さまだわ」


 処刑台の上から助け出されるとき、野次馬の女たちが言い交わす声が聞こえてきた。

 そうでしょうとも、うちの姫さまは見た目も性格も最上級なんですとも。


 そんな誇らしい気持ちでオーランガワードから逃げてはきたが、今ここでわかっていることがひとつある。

 おそらく、この方にはもう乳母は必要ないということだ。


 王宮にいれば、女官としての仕事はいくらでもある。

 ファゴットの森で暮らしていた時もそうだった。やるべきことは次から次へと沸いてきて、休む暇もないくらいだった。


 だが、これから行くところに、私の居場所はあるだろうか?


 不安が忍び寄ってくるのを感じて、私は心を強く持ち直した。

 考えたって仕方がない。もう帰る場所などどこにもないのだ。


 あのまま王宮にいても見せしめとして処刑されるばかりだったのだから、それに比べれば、これから行く場所がどんなところだったとしても贅沢は言えない。なんでもやって、お役に立つだけだ。


 ──大丈夫、大丈夫。


 私は自分自身に言い聞かせた。

 新しい環境に飛び込むのは幾度か経験がある。今回も、これまで通りにやればいいのだ。


◇◇◇


 私の名前はガーヤ・バセット。


 オーランガワード辺境の下級貴族バセット家の長女として生まれた。

 きょうだいは、私を筆頭に七人いる。


 家族仲はよかったが、自分がきれいでもかわいくもないことは物心ついた時から知っていた。

 だいたい私は父にそっくりなのだ。

 ──と、言ってしまえば少々父に申し訳ないかもしれない。


 父は決して不細工ではなかった。

 ただ、骨太で地黒で目鼻立ちがはっきりしていただけだ。

 そして私はきょうだいの中で一番父によく似ていた。


 我ながら、子供が泣くようなぶすではないと思う。壊滅的に土砂崩れを起こした顔というわけでもない。目はくっきりと大きいし口元も厚くて大きい。


 だが、目は少々横に離れすぎているし、唇は厚すぎる。

 一番のコンプレックスである、横に広がった大きめの鼻もある。

 そしてどのパーツもくっきりと大きいせいで、私の顔はどこか暑苦しく、静かにしていても妙に押し出しが強く感じられるのだ。


(……おまけに丸顔だし)


 太っても痩せてもこの丸顔のせいで誰にも気がついてもらえないし。


(ええい、もう見た目のことをくよくよ考えるのはやめ!)


 私は鏡の前から勢いよく立ち上がった。

 身づくろいをきちんとすればいいのだ。清潔感が大事だ。厚く化粧したところでこの立派な骨格が隠せるわけではないのだから。


「ガーヤお姉さま、どうかした?」


 華奢な美人の母によく似た妹が目をぱちくりさせて私を見る。

 私は笑顔を作ってみせた。


「なんでもないわ。さあ行きましょう、王陛下にご挨拶しなくては」


◇◇◇


 名君と名高いオーファン・アンヘル・アクラム陛下の訪れがあったのは、私が十三歳の秋だった。

 秋は収穫の季節でもあり、大きな道と川が交差するここは交通と経済の要でもあった。


 そして私はその日、王陛下に見出されたのだ。


「ガーヤお嬢さま、お食事中に申し訳ありません」

「なに」


 私は小声で使用人に答えた。


 王陛下がいらっしゃる席で失礼などあってはならない。まして話の最中に割って入るなど。

 それは使用人たちも重々わかっているはずだ。陛下直々にこんな辺境の地まで視察に来るなど、かつてなかったことなのだから。


 ということは、その上でなお、主人の判断を仰ぐ必要があるなにかが起きたということだった。


「実はひとつ厄介なことが……」

「話して」

「城門がしめられません」

「というと?」


 果たして使用人は困り果てていた。

 だが、城門がしめられないとはいったいどういうことなのだろう?


「実はひとりだけ、名簿に名前が載っておらず、城門の前で押し問答しておりまして」

「名前がない?」

「本人は毎年ここに来ているというのですが……」


 はて。少し考えてから、私は答えた。


「もしかして、持っている積み荷はぶどうかワインのどちらかじゃない?」

「その通りです、ワインです」

「では名前はユーレクでは?」

「あ、確かそんなようなことを言っておりました。ユーレクの息子だとかなんとか」

「それね」


 ユーレクのぶどう畑のことを私は思い出していた。


 何度か馬で見に行ったことがあるそこは、我がサニーベール領の南端に位置するところで、ちょうど隣の領地トルバドールとの境目に当たる。


 そしてその境界線は、昔から複雑な事情が絡み、諍いが起こるのを防ぐためにうちとトルバドールの間で取り決めが行われているのだった。

 それは、十年ごとに土地の所有者を変えるというものだ。

 前の十年がうちの所有だったから、次の十年はトルバドールのもの、という具合に。


(そうか、父親ではなく息子が来たから、門番も彼の顔を見知っていなかったんだわ)


 そう私は得心した。


 そして私がユーレクのことを覚えていたのにはもうひとつ理由があった。

 数年前、ぶどうをそのまま運んできていた彼に、私は助言したことがある。

 あの土地でとれるぶどうは質がいいから、ワインを作ってそれを持ち込んでみてはどうかと。

 勿論税率は上がるけれど、利益率はそれ以上に上がるはずだからと。


(ここ数年彼が顔を見せなかったのは……ワインの試作をしていたからなのかも)


 ようやく納得のできるワインができ、ユーレクはもう高齢なので息子にあとを任せ……彼の息子はこれまでと同じように、何も疑うことなくうちにやってきたのだろう。

 それで門前払いを食わされたのでは、納得もいくまい。


 私は使用人に自分の予想を手短に話し、取り急ぎ彼を城内に入れるよう指示した。


「よろしいのですか」

「構わないわ」


 私は確信をもって言った。


「ワインはどのくらいあるの?」

「馬二頭にひかせた荷車いっぱいに」

「それはなかなかの量だわね」


 やはりこうするのが正解だと私は深くうなずいた。

 もうとっくに日が暮れているし、ワインを摘んだ荷馬車を歩かせるには夜道は危ないからだ。


「あのね、これまで通りうちに持ち込んでもらっても構わないけど、領地を超えて運び込むことになるからそのぶんいくらか税率が割り増しになる。それを伝えて、今日のところは城内の宿屋で休んでもらって」

「かしこまりました」

「もし彼がごねるようなら、後で私が行くから」

「助かります、お嬢さま」


 数年前に一度会っただけだが、彼の息子なら顔は覚えている。

 向こうも私を覚えているといいのだが。

 そう言うと使用人はほっとしたように微笑んでその場を去った。


 さてよかった。

 ユーレクの息子も、一晩ゆっくり考えれば気持ちも落ち着くかもしれない。


 そうだ、それでもなおうちでワインを売りたいと言ってきたら、もうひとつ利益が上がるやり方を教えてやろう。そうすれば彼も家に帰って父親に不手際を責められることもないだろう。

 ──それはそれとして、ユーレクのところは十年が過ぎたからと言って安易に名簿から名前を外さないほうが良いかもしれない。

 名簿の作り方を少し変えなければ。


 そんなことを考えていると、テーブルの向こうで、王陛下がじっと私を見ていた。


「し、失礼いたしました」


 恐縮して姿勢を正し前を向く私に、陛下はやさしく微笑んだ。

 そして父に私の名前を訪ねてから、なんと直接私に語りかけた。


「ガーヤ・バセット。そなたいくつになる」

「十三歳でございます」


 身分の高い人からたずねられたら、迅速かつ明確に答えなくてはならないというのは貴族の子女が幼い頃からしつけられることのひとつだ。


「そのように若くて、十年前の取り決めをどのように知った?」

「あの……」


 私は少し言いよどんだ。


 この時代、女が本を読んだり税務の書類を読んだりすることは、必ずしも良い評価につながらないことを私は知っていたからだ。

 幸いうちの両親はそのあたりのことにおおらかで、私がしたいようにさせてくれているけれど。


「構わないから、ありのままを」

「はい……」

「わしの目を見て答えてみなさい」


 王陛下のお言葉はとてもやさしいものだった。

 その深く豊かな声に背中を押されるようにして、私はぽつりぽつりと話し始めた。

 

 数年前から私はこの時期になると帳場に立つのが慣例であること。

 ひと通りやり方を覚えて余裕ができてくると、過去の帳簿をよく眺めていること。


 そこには自分の知らないことがなんでも書かれてあること。


 たとえば激しい嵐に襲われて林檎の木が大打撃を受けたことや、予想外の雪が降って領民達が難儀したことなど、ユーレクの土地が十年ごとに領土区分を変える場所であることも、それを見れば書いてあることなど。


「そなた、それをみな読んだと?」

「すべてではありません。まだここ二十年ほどしか読めてなくて」

「それをすべて覚えている?」

「はい」


 そうお返事すると、王陛下は面白そうに緑色の瞳をきらめかせた。


「自分では、そのことをどう思っておる」


 どうと言われても。私は少し考えてからこう答えた。


「このあたりは平和で豊かです……そして退屈です。他にこれと言って刺激を受けることもありません。そのせいで細かいことまで覚えているのだと思います」

「では試そう」


 私は目をぱちくりさせた。


 その素早いお言葉もそうだったが、話がどこに転がろうとしているのか、まだまったく読めなかったのだ。

 王陛下は両親に顔を向けて、こうおっしゃった。


「この子を宮廷女官に上げる気はないか」

「え、この子を? 女官ですか?」


 あろうことか父は二回同じことを聞いた。

 はいはいどうせ私の容貌は女官向きじゃありませんとも。


 だが、父がどう驚こうとも王陛下は揺らがぬ笑顔で、あっという間に私の王宮行きを決めてしまわれた。


 それが、十三歳の秋のことだった。


◇◇◇


 女官として働き始めて、どうやら私は人よりも記憶力がすぐれているらしいと気がついた。


 人の名前はそれがどんなに長くても一度聞けばまず忘れないし、一度会った人の顔を覚えることも得意だった。

 得意不得意というより、ごく自然にそうできたという方が正しい。

 そして王宮は、私のその特技がこのうえなく生きる場所だった。


 新人女官としての仕事も早いうちに覚えたので、そこからはひたすら働いた。


 女官たちの中には、女同士でも息が止まるほど美しい娘もちらほらおり、その子たちはすぐに誰かと噂になったりしていたが、私に限って言えばそういう誘いは皆無だった。

 ──いや、これはやさぐれているとかじゃなく、単なる事実。


 だが人生なにがいい方向に転ぶかわからない。


 私はおそらくこの容貌だからこそ、周囲の女官仲間たちに意地悪されず、敵対もしなかったのだと思う。

 女官同士の仲は良かったし、仕事も助け合っていた。


 だがひとりだけ、私のことをあからさまに嫌う人もいた。

 中流貴族のブーティエ・ド・ランセ大臣だった。


 一体自分の何が大臣のお気にさわったのか、当時はよくわからないまま、そこはかとない嫌がらせを私は甘んじて受けていた。


 とはいえ女官たちはみな私の味方だったから、嫌がらせをされてもなにかと裏で辻褄を合わせ、仕事に支障がないようにしていたのだけれど。


「あの方はご身分に対してずいぶん凡庸だっていう噂よ」


 上流貴族と恋仲の美しい女官は、積極的に私に役立つ話を持ってきてくれた。


「なぜ大臣を拝命できたかわからないって、皆言ってるって」

「ガーヤ、あなた、わたくしの恋人の力を借りてあげましょうか」

「私もよ。だっていつも仕事で助けてもらってるもの」

「ありがとう、でもまだいいわ」


 好意は嬉しかったけれど、私はそう言って断った。


 なにもしなくてもここまで目の敵にされているのだ、裏で手をまわして排除などした日には、どれだけ恨まれるかわかったものではない。


(そして、そっちの方が多分面倒だし)


 私なりにそう考えてのことだったのだが、女官仲間たちは違うようにとったようで、揃ってため息をついた。


「ガーヤ、あなたって欲がないのねえ」

「ここは王宮なのよ、無防備すぎだわ。悪意には立ち向かわなくては」


「欲がないわけじゃないわ。できるだけ波風を立てたくないだけよ。うちは下級貴族だし、困ったときはこうやっていつもみんなに助けてもらってるし。……仕事に支障が出始めたらまた考えるかもしれないけど」


 今思うと、私の図抜けた記憶力が彼の何かを刺激したのかもしれない。


 彼は大臣になることが約束された家柄だったし、一族も代々文官として名の通った人たちだったから。

 そんな家柄に生まれるというのは、私などには想像もつかないような重圧があるのかもしれなかった。


(私に嫌がらせをしたところで、実力が上がるわけではないと思うけど……)


 女官のほうがまだ使える、と彼が上級大臣に言われたということは、ずっと後になってから知った。


「ガーヤよ、元気にやっておるか」

「はい、陛下」

「男の嫉妬はねちっこかろう」

「最近それがわかってきました」


 王陛下は時折私の前に現れては、ひとことふたこと言葉を交わして去っていった。多分私がうまくやっているかどうか、気にかけて下さっていたのだろう。


 私はすぐに気が付いた。

 このかたは、上辺の会話など求めていないことを。


 私が率直に話せば話すほど陛下は喜び、ときには豪快に笑い声をあげたりなさった。そしてそんな私たちを、周囲の人間は、まるでおそろしいものでも見たかのように遠巻きにしていた。


「嫉妬には三種類あってな。女同士の嫉妬、男同士の嫉妬、それから男が女にする嫉妬。王宮にはそのすべてがある」

「はい」

「どれがましというものでもないが、ガーヤ、そなた困っておるか」

「いえ、格別」


 本当にその通りだったのでそう答えると、陛下は、そうか、と笑って去っていかれた。


 そしてそのすぐ後、私の身分はひとつ上がった。


 そうやって、ひとつまたひとつと階級は上がり、働く女として最高峰である女官長の身分を頂いたのは、私が二十九歳の時だった。

 もっとも、階級が上がったからといって嫌がらせや嫉妬がなくなることはなく、ブーティエ・ド・ランセの嫌がらせはしつこく続いていたのだけれど。


(でもあのいけ好かない男の顔を見ることも、もう本当になくなるんだ……)


「どうしたの、ガーヤ」


 姫さまに呼ばれて、私ははっと我に返った。


「大丈夫? 疲れてない?」

「平気でございますとも」

「今日はゆっくり休んでね」


 視線をあげると、目の前にはごつごつとした岩の塊が威風堂々そびえていた。


 砂漠の砦へたどり着いたのだ。

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