第四話 初陣
「終わったよ、アケラ。開けていい」
アケラの体を叩いて伝える。
<まったく、何なんだ。アケラ、突然目を閉じないでくれ。心の準備というものがあってだな>
「何情けないこといってんのさ。女心がわからなくて繊細さの欠片もない思考回路のくせに。準備できたんだから早速出発しよう」
<はーい。それじゃあ転移の能力使うよ。アケラに掴まって。あと気持ち悪いから目閉じといた方がいいよ。転移するのはとりあえずここから少し離れた外で>
目を閉じ、しばらくすると周りの空気がおかしな流れになるのを感じた。
そして次の瞬間、周りを冷たい感触が襲った。
「え? 冷た!? ちょ、なんてとこに転移してんの!? 水の中じゃん!」
<あ、あれ? おかしいな、前はここ陸地だったはず……>
「安易に五百年前の情報を信用するなバカ! 早く陸地に上がって」
クタ-ナは泳ぐことができない。なんとかアケラに掴まることができた。
<ええい、どこだ? 暗くてよく見えん。ん? あそこに看板がある。ええと、ダルベダイル飼育。なるほど、ワニか。……ワニ?>
「……! アケラ、急いで。ここ、ワニの池だ!」
本当になんというところに転移したのだ。動物園があるのは塔に入る前、馬車から見えていたが。
既に周りから殺意のこもった気配を感じる。同じ殺意でも悪意のこもった視線よりはマシだが、そういう問題ではない。
「転移できないの?」
<無理。今ここで転移使ったら帰りに転移が使えなくなる。転移は短距離でも消耗が激しいから。私は全能だけど特殊能力は乱発できない>
「何それ。使えない」
<うるさい。無闇に使えないのは一緒だけど、本来の肉体を取り戻せばもう少しコスパ良くなるんだからな>
無能さの弁解になっていないカルネウスの言葉はさておき、クターナはこの池を抜け出す方法を考える。
動物園の財産であるワニたちを殺すわけにはいかない。魔法で眠らせるか柵を飛び越えるか。
「え? うわあー!?」
ふと、襟首を何かに引っ張られ、高く振り上げられた。そのまま柵を越えて池の外に。
「……アケラか。足のつかない水の中から私を投げるなんて。しかもあんなに小さいのに」
<すごいだろう。我が妹は。まあまあ重かった気がするけど人間一人くらいあっさりと>
「黙れこのバカ龍。アケラがいないと何もできないくせに」
女子に体重の話をするとは何事か。
アケラはどこか申し訳なさそうな目を向けてから岸に向けて泳ぎだし、襲いかかろうとするワニは避けたり尻尾で叩いたりして対応している。
「本当、アケラに感謝だね」
<おい、この子の身体能力は私が宿っているからこそでもあるんだぞ。感謝なら私にもだな。それと、この子が本当にすごいのはここからだよ。アケラ、壁抜けだ>
上陸したアケラは動きを止める。
「ちょ、そんなとこで止まってたら!」
遅れて上陸したワニが飛びかかった。しかし、その口が肉を挟むことはなかった。
まるでアケラを通り抜けるかのように。
「アケラ、確かにそこにいて……」
<アケラの周りを見てご覧>
「これは……!」
アケラの周りを見ると、いくつもの別のアケラの姿が見えた。
「分身? それじゃああれは幻影?」
<幻影じゃない。見えている全てのアケラは実体だよ>
「でも通り抜けて……」
<今のこれは、実体が確率的に分散している状態なんだ。この子は巨視的に存在確率を分散させられる。存在確率が分散しているってことは、その存在がどこにいるのかが定まっていないってこと。だから攻撃を受けてもこっちから当たりに行かない限り当たらないよ>
「ごめん、何言ってんのかわかんない」
<例えるならそうだな……。当たり籤が籤箱の中で定まらずに、確率的にどの籤にも当たりが出る可能性がある状態ってこと。その上でアケラは、相手が籤を引いた後にその当たり外れを決定できる感じ>
「後出しジャンケンみたいなもの?」
<うーん、近いといえば近い。さて、これを利用すればこんな風に柵だってすり抜けられる>
「ええ?」
いつの間にか目の前にアケラが立っていた。飛び越えたような動きはなかった。本当にすり抜けたのか。
<あまりにも分厚いと無理だけど、確率の曇っていうのは、これくらいの薄い柵や壁なら低確率ですり抜けられるんだ。確率存在になったアケラも同様に柵をすり抜けて、柵の向こう側で存在確率を収束させることで柵の通り抜けができるってわけ。単独ならこれで楽々脱獄できちゃうよ>
「よくわからないけどすごいね。アケラが」
<まあ確率存在の状態だとこっちも基本的に攻撃はできないんだけどね。それに存在確率範囲を一斉に攻撃されたら攻撃は受けるよ。ほら、籤を一斉に開かれてしまったら、どこに当たりを分散させようが当てられてしまうだろ? 敵との戦闘にはそこまで向かない力だよ>
なんとなく理解はした。弱点はあるようだがやはりアケラがすごい。本当に有能なのはアケラではないか。
<さて、無事脱出したところで人助けに行くよ。夜の動物園デートも悪くないけどね>
「で、デートって……」
ずっと人と好意的に接することがなかったクターナにとって、デートという言葉は少し憧れがあった。物語の中で親しげに歩く姿にはうらやましさも覚えていた。
「その、悪くないって……あんた」
<うーん、どこかで襲われてる人はいないかなー>
「……人の不幸を待つようなこと言うな、バカ」
しかしデートという言葉はカルネウスにとってはたいした意味を持たないらしい。
自分が過剰に反応してしまったようで、クターナは恥ずかしさにうつむく。
<いや、そんなつもりで言ったわけじゃ……なんか怒ってる?>
「違う! ……いや違わない。そう、怒ってる」
恥ずかしさではない。怒りだ。それが何の怒りであるかはよくわからない。
<ごめんよ。スベラだったら私がダメだって言っても自作自演とか平気でやってたからその感覚でさ>
またスベラの話である。なぜいつも基準がスベラなのだろうか。
<あ、そうだ。この黒ローブを着るといい。顔も隠せるし、魔力感知ができる相手からも魔力量を誤魔化せるから>
「なんでこんなものを用意してんのさ……」
態度からして、まるでクターナのためにと言わんばかりだ。
そしてこれまた一体どこから取り出したのやら。
「なんかあんた、ただのお助け役になってない?」
<む、失礼な。ちゃんと戦えるんだからな。まあちょっと百年未来から来る猫っぽいところがあるのは認めるけど。カルえもん……ちょっといいかも>
「あんたは五百年前の龍だろ。何? 未来の猫って」
<ああ、ごめん。君にはわからないね。こっちの話。とりあえず私は君専用の戦闘用兼万能お助け神龍でございます。君専用なのは今のところだけど>
「はいはい。じゃあお願いがあるんだけど。万能の神龍くん」
<何かな>
「私の代わりに戦って。危なそうだったら助けるから」
クターナが何のために神龍を蘇らせたかといえば戦力を期待してのこと。万が一自身の魔力を封じられ、手がなくなったときに動かせる駒としてだ。
その実力は見ておかねばなるまい。
召使いも悪くないが、戦わせられるなら優先して戦わせたい。
<はいよ。神龍とその妹の実力とくとご覧あれ。まずは襲われている人間を探す……見えた! アケラ、およそ五十メートル先、動物園の出口を右方向、その先、三百メートル先を左方向です>
めーとる、何かの単位のようだが。カルネウスはよくわからない口調と言葉でアケラを誘導している。
それにクターナはついていくと、大柄な男と細い少年がいた。
「お前のものは俺のものだ! さあとっとと帰りな!」
男は荷物を少年から取り上げている。カルネウスが行う正義の味方ごっこ。助けるというのだから助けるのだろう。
<ふーむ、お手本のようなジャイアニズム……。初陣には丁度いい>
「じゃ、じゃい……?」
<気にしないで。そこで見てなよ。転移は乱発できないけど他ならある程度は派手に放てるから>
「グア! キシャー!」
カルネウスの声に続き、アケラが鳴く。威嚇するようにして男の注意を引く。不意打ちではなく、真正面から戦うようだ。
「あ? なんだ、野良竜か。何もやらねえぞ。しっし」
<私の妹を野良とは言ってくれる。遠慮なく行かせてもらう! 行くぞアケラ!>
「シャー!」
アケラの体の周囲に土の塊が形成された。そしてそれはアケラの鳴き声と共に男に向けて放たれた。
「ぐお!? な、なんだ? あ、あいつがやったのか?」
男の手から荷物が離れる。
<まだまだ。こんなのは挨拶代わりさ。次は氷結!>
男の足下が凍る。
<っと、こんなもんで終了。どうだい、これは私の力をアケラに使わせたんだ。だから私の戦闘力だからね。後はこの男を捕らえて……ん?>
「おいおいアラン、こんな野良竜相手に何手こずってんだ?」
「コース……すまん」
仲間だろうか。男が新たに七人現れた。
「そこの竜、ちょっとおいたが過ぎるなあ。行くぞお前ら。やっちまえ!」
さすがに多すぎるのではないだろうか。助けようとクタ-ナが動こうとしたそのとき、
<望むところさ。ちょっと過剰戦力だけど最初はパートナーに力を見せつけないとね。龍化!>
アケラの姿が変わる。