第8話 【冬来たりなば春遠からじ】
今日は採取の森の最奥付近で、ネレとルノンは孤児院の食材をせっせと採取していた。
ネレはふと、緑豊かな森で両膝を抱え、その場にしゃがみこんだ。
――――しまった! また調子に乗ってシイタケを採りすぎた・・・
何故かと言うと、シスター達には好評だったものの、孤児院の幼児にはシイタケが苦手な子供もいたようだ。
とりあえず少量の付け合わせで幼児達の反応を確認していたのだ。
仕方がないので天日干しと、ルノンの魔力に頼ったのだが、今度は乾燥したシイタケを保存する容器が足りなくなってしまっていた。
“採取の森”はあくまで城の敷地内なので、凶暴な野生動物はいない。
野犬などが現れたなら即座に排除の対象だ。
害のない兎や、城内で王族が可愛がっている猫や、侵入を防げない鳥ぐらいであった。
ちなみに増えすぎたモグラの場合は害獣として狩られ、繁殖期後の増えすぎた兎は城内スタッフが美味しく頂く予定である。
「ミミズや昆虫を食べるモグラは土臭くて食えたもんじゃない!」と、こないだビーヴ達が話していた。
「ふうぅ・・・」
「ちょっと、そこの幼児! 疲れた中年みたいなため息吐かなーいっ!」
「すみませんね、身体がいうこと利かなくってね」
「あなたはどこの老人なの!?」
ここ最近、ルノンとの会話が増えたせいで、ネレはだいぶ滑舌が良くなっていた。
シスター達の執務室にある本は、ネレにとってはまだ支えきれない程に大きく、読むことはできないが、追々借りて読んでみたいと考えていた。
「なんか美味しい葉っぱないかな・・・」
春の山菜は苦いものが多い。何か良い果実は実っていないだろうかと、ネレは立ち上がり、遥か自分の頭上に茂る木々の葉を眺めていた。
近くの茂みがガサガサと揺れた。
兎か何かだろうか?と、揺れた茂みの方にネレは視線を移した。
春色が見えてきそうな穏やかな風が吹き、揺れた茂みからひとりの少年が現れた。
少し長めの蜂蜜色の髪、空色の瞳、クリーム色の上品な衣服を纏った細くて折れそうな肢体・・・。
――――び・・・美少年!!
「キタァーーっ!」
「ひっ!」
突然の奇声を発したネレにロティスは一歩後ろに飛び退いた。
近くにいたルノンが 、何事か?と、振り向き、ネレを後ろから抱き上げた。
「なんだ・・・ロティス君か」
「ルノンさん、居たんですか。あなたが採取の森にいるとは意外です」
そう言われたルノンはなんともバツの悪そうな顔をする。
ロティスの方は先程の驚きの表情を咄嗟に隠したいようだった。
「姉上に聞きました。残念な頭の病気が、だいぶ回復に向かったようですね?」
「うぐっ・・・」
蜜色の長い睫毛が被さる空色の瞳に、ネレは見覚えがあるような気がした。
二人の会話から、彼はプラタの弟らしい事がわかった。
「大人しく次に養ってくれる金持ちジジイを見つければ良いものを、何を好き好んで城内の養護施設を就職先に選んだんだか? かつての“才女”が一体何を考えているのか僕には理解できませんね」
美しい顔に付いている形の良い唇から、ルノンに対しての嫌味の応酬が半端ない。
ルノンは黙り込み、ロティスの気が済むまでその無意味な長ったらしい揶揄いの言葉を聞いていた。
数分ほどでロティスの息が切れてきた。
「よくもまあこれだけ、嫌味の語彙力があるもんだ」と、ネレが関心したほどだ。
「怒らないのかい? 貴女らしくない・・・」
ロティスはつまらなそうに口を尖らせる。
「自業自得だってわかってる。今は私がプラタに向けた悪い言霊が自分に返ってきてしまっただけの事」
「今さら敬虔な気持ちに目覚めたとか・・・理解し難いね・・・」
ロティスが眼球だけを動かし、ネレを一瞬視界に入れたかと思うと、再びルノンを真っ直ぐと見据えた。
「孤児院の子かい? 随分小さいのが入ったね」
「ええ・・・多分1歳ぐらいだと思うわ」
「まさか・・・トレフル様が身元保証人になったと言う、ウワサの子供かい?」
先程まで視界の端にいるぐらいだったネレを、今度は興味津々という様子で改めて視界に入れた。
「マナシなんだってね? 今どき珍しい」
ルノンはネレを横に抱き直し、ネレに向かって話しかけた。
「ネレ、この子には話しかけても大丈夫よ、あなたと同じよ」
「おいおい、“マナシ”の赤ん坊とこの僕が一緒ってどう言う意味だよ?」
「一緒って何が?」
流暢な言葉でネレはルノンに問いかけた。
「はっ?」
ネレは“自分の耳を疑う”というリアクションを、今世で初めて目の当たりにした。
「このロティス君はあなたと同じ“語学の才”の持ち主なのよ」
「“語学の才”ってなあに?」
「言葉を理解する能力がズバ抜けてるってこと」
「なるほど・・・だからルノンはボクが話しはじめても大して驚かなかったと・・・」
ネレが「納得」という頷きを繰り返した。
「あなたって・・・少しバカよね? 私と同じ“語学の才”でも大したことないんじゃない?」
「バカって言うな! “元・才女”のくせに!」
「・・・・・・同族嫌悪?」
つまらなそうに、ネレは首にぶら下がるおしゃぶりを弄りながら言った。
「ネレ? 落っことすわよ?」
「ごめんなさい」
仕方がないのでネレは素直に頭だけ下げて謝った。
「だ・か・ら! ルノンさん説明してよ!」
ロティスが見るからに苛立っている。
「あのねぇ、トレフル様は確かにネレを“魔力ゼロ”と判定したわ、でも、それは“魔力値が1”と判定できなかっただけなの」
『それでそれで?』
ロティスとネレが、ルノンに先を促す。
「魔力がたとえ1の百分の一だとしても、可能性はゼロじゃないって事よ!」
「“魔力の可能性がゼロじゃない”? すごいまとめ方だよ!」
「元・才女と呼ばれた私を舐めないでね!」
「“元”は認めるんだ・・・」
「ええ!」
えっへん! と、ルノンは何故か胸を張った。
――――ルノン、そこは誇れないと思うよ?
「そっか・・・ルノンさんは魔力値8だったっけ?」
「そうよ、ロティス君はいくつなのよ?」
「ああ~もう、君付けはいいよ、まどろっこしい。僕は最年少新記録で32だよ」
「魔力値があてにならないって事は、ネレでよ~く思い知ってるわ」
「・・・・・・・・・」
自慢し返したはずのロティスが一瞬固まったが、気を取り直して彼は言葉を紡いだ。
「・・・それより、トレフル様を見なかった? 急ぎの仕事があるので捜してたんだけど」
「居なくなる前に何か伝言とか残して無かったの?」
「う~ん、いつもは資料室かこの辺で書類を読んでるからあんまり覚えてないなあ、今日は一緒に貴族院で昼食をしたときに、なんか“違う”とかブツブツ言ってたぐらいで」
ヌーヴェル城内の西地区をまとめて貴族院と呼んでいた。食堂も、騎士寮・政務局・図書館のある学科局などに食堂が多数あった。ちなみに、平民の弁当持ちの多い東地区は兵舎食堂のみである。
「貴族院にある食堂かあ・・・羨ましいなあ、さぞ豪華な昼食だったでしょうねぇ」
「貴族院?」
ネレが口をパクパクとさせて、広い敷地内の見取り図を一生懸命に頭の中に描いている。
「ああ、孤児院の子供は一生お目にかかることはない食堂だろうね」
「差別だわ~、でも、いいや、こないだニジェルさんのオムレツ食べられたから」
ロティスが、「ああ!」と思い出したように声を出した。
「確かに昨日の夕食も、貴族院の昼食もトレフル様はプレーンオムレツを食べていたよ」
ネレとルノンが顔を見合った。
「ああ! そーゆーことか!?」
「な、なんだよルノンさん、判るのか?」
ルノンは焦るロティスの顔を、ニヤニヤしながら見た。
「もしかして、ロティスあなた・・・最高級のお子様プレーンオムレツを昨夜食べてしまったのね?」
「な・・・何故それを知ってるんだよ! あの・・・素晴らしいオムレツをっ!?」
「ひとりで食べちゃったのかしら?」
訳知り顔をしたルノンに、上目遣いで見詰められさっきまでつくろっていたはずのロティス顔は真っ赤になった。
「その・・・昨夜の夕食は、トレフル様と半分こした・・・」
「ほう・・・」
そう声を漏らした1歳児のネレと、凛々しい顔つきのルノンは、ニヤニヤが止まらなくなっていた。
採取の森の最奥付近にて、ネレとルノンとロティスは、孤児院の食材をせっせと集めていた。
「・・・・・・ねえ、なんで僕が孤児院の食材を摘まなきゃなんないのかな?」
「トレフル様の行方を知りたいんでしょ?」
“黙って働け”と、言わんばかりにルノンの声が静かに響いた。
「だからなんで・・・・・・」
「情報提供への等価交換です」
ロティスは幼児に常識を語られてしまった。
「はい・・・・・・」
ネレ達三人は、野生のほうれん草を黙々と摘んでいた。
「急ぎの仕事ってなんだったの?」
はあ~、と、大げさなため息混じりの声でルノンの質問に答えた。
「ま、ルノンさん達に聞いても分かんないだろうけど?」
「まあ、そう言わず聞かせてよ。教えてくれたらトレフル様がいるかもしれない場所を教えてあげるから」
彼女のその言葉に、ロティスは直ぐに反応した。
「・・・実はね、通常この城に納品業者が、翌月の3日までに請求書を送って来なくちゃいけないのは知ってる?」
ルノンは頷いて答えた。
「今月の10日になって送って来た上にさ、先々月の請求書も一緒に送って来た業者がいたんだよ」
「なにそれ! 信じらんない」
驚くルノンに比べ、ネレは静かにロティスの話を聞いていた。
「先月の請求書を今月10日に送って来たら、先月の請求じゃなくて、今月の請求書扱いになっちゃうから、支払いが1ヶ月遅れちゃうでしょう? だから、支払うなら特急で処理しなきゃ間に合わないんだよ」
「やだ、そんなに急ぎの用事だったの? ごめ・・・」
ルノンがロティスに謝罪を言いかけた途端、ネレがロティスに問いかけた。
「先ずは、その取引先業者との契約書を確認するのが先じゃないんですか?」
「・・・け、け、契約書!?」
「だって、城に出入りする業者が全て同じ支払期日と言うのは少々無理がありませんか? と言うか、欺瞞ですよね。本来、取引とは公正でなければなりません」
「ぎ、欺瞞? 公正?」
「もしかしたら、その業者との支払い条件は、ある一定の金額に当月が満たない場合、人件費を省く為に“翌月分と一緒に請求書を送付する”という取り決めをしているかもしれません」
「と・・・取り決めっ!?」
「もしくは、請求書の締め日が月末で翌1日発送・・・翌々月支払いと言う契約を交わしているかもしれませんよ?」
「翌々月支払いぃ~っ?」
「先ずは落ち着いて、契約書を自分自身で確認してから上司と相談したらどうですか? じゃないと、上司に頼ってばっかりで、いつまでも仕事が出来ない人間だと思われますよ」
「“確認してから上司に相談”! そ、その通りだね! トレフル様はすごく忙しい人だもんね! じゃあ、ルノンさんせっかくだから手伝って!」
勢いよく立ち上がったロティスが、何故かルノンの腕を引っ張った。
「ネレちゃんごめん! ルノンさんの“検索の才”をどうしても借りたいんだ!」
「えええぇ~!」
思いのほか力の強いロティスに、ルノンは抵抗したが、まるで意味がなかったようである。
「わかった、少し経ったら返してね?」
笑顔で見送るネレを、焦りながら見詰めつつ、ルノンはロティスに引きずられて行った。
再び腰を下ろし、食用の草木をネレは探していたが・・・。
「あ・・・ものすごく余計な事言っちゃったかな?」
あるわけがない知識、ルノンはそれをネレの“才”として全てを受け取っていた。
ネレの中に疑問が浮かぶ。“魔力”がないはずなのに、“才”がある。
かと言って、前世の記憶があると言う証明をするものなど何もない。
「これって・・・もしかして、ボクに似た“才”の持ち主もいる・・・のかな?」
「お~、このピューラー凄いっすね!」
「マジで仕事が捗ります!」
ヌーヴェル城東地区、兵舎食堂の厨房にて、調理師の男性四人は人参の皮がするする剥けるピューラーを感動しながら使っていた。
「こんなの作っちゃうカプシーヌさんって、スゴいよね!」
「いや、あの孤児院のシスター達が精鋭ぞろいなのでは?」
「オラオラ、喋ってばっかりいないで、手を動かせや」
ニジェルが上司らしく一喝入れる。
「ニジェル副長、昨夜は急に遅番を頼んじゃってすみませんでした。本当は非番の予定だったのに」
真剣にピューラーを使いながら、シャドンがニジェルに声をかけた。
「んああ・・・気にすんなよ、料理長が決算処理を頑張り過ぎて倒れちまったんだろ? 俺は短時間しか出勤してないから大したことないわ」
「もう、マジでこの人手不足何とかして欲しいワ~」
「この皮剥き器のおかげで、少しは丁寧に料理の仕込みができそうッス」
「あ、そう言えば、副長が帰ったあと、トレフル様の食器を下働きの人が下げて来てくれたんだけど・・・」
シャドンが少し青ざめて、言葉に詰まった。
「どうした?」
「その・・・・・・、夜中に食堂の薄暗い中からトレフル様が現れたのは、心臓にかなり悪かったです」
「マジかっ! なんで貴族が夜中の兵舎食堂に現れるんだよ!」
「ただでさえ仕事のし過ぎで顔色が悪くて、白っぽい服を着た細めのトレフル様だと・・・・・・幽霊に見えなくもないよな」
とりあえず、全員意見が一致したことを確かめて、調理師達は再びピューラーで人参を剥き始めた。
ショリショリショリ・・・・・・。
「いたーっ! ニジェルっ!」
『うわっ!!』
ニジェル以外の三人が人参を強く握り過ぎて、手を滑らせたので、あらぬ方向へと人参達が飛んで行った。その一本がニジェルの頬をかすった。
さすがに貴族相手でも、ニジェルの表情は穏やかではいられなかったようだ。
「おいおいおい、さすがに貴族様が平民の厨房に入ってきちゃダメだろう・・・・・・」
トレフルはニジェルのその言葉は丸っと無視し、とまどいもせず厨房の中にいる彼に歩み寄って来た。
ニジェルの前に立ち、下から覗き込むように真剣な眼差しのトレフルに、ニジェルは両手を上げて“参った”というポーズをする。
「わかりましたよ、夕食のオムレツの件ですね?」
コクコクと、トレフルは無言で頷いた。
「シャドン」
「はい!」
「トレフル様にお前の淹れたお茶を振舞ってくれ、仮眠室の隣の部屋に案内する」
「ええっ!」
「シャドンをご指名ですかぁ!」
指名されなかった部下二名が、残念そうに声をそろえた。
ふん! と、鼻で息を出したニジェルは、トレフルを厨房の裏から続く廊下へと丁寧に案内する。
廊下の突き当りには、地下へと続く階段と、少しせり上がった部屋へと続く不思議な扉へと分かれていた。
「こんなところに部屋なんかあったかな?」
「城内によくある“忘れられた部屋”ですよ・・・どうぞ」
そう、城は広い、とにかく気が遠くなるほど広い・・・その中には忘れられ、手入れをされなくなった部屋がいくつもあった。
その一つが、たまたま食堂の地下食糧庫の上にあっただけの事であった。
古びた扉を開くと――――。
窓は大きく、美しい庭園を眺める事のできる造りの室内。
広々とした空間に古風で品のあるテーブルセットが三つと、バーカウンターが設置してある。
そこには酒用の背の高い棚があったが、今は六本ほど並んでいるだけである。
食器類もまばらであったが、それなりの価値のある物のようだ。
「ここは・・・?」
「昔の、貴族のお気楽な休憩所ってとこですかね?」
ニジェルはそう言うと、すっと奥の間を指さした。
レースのカーテンとパーティションで仕切られたそこには、大きなベッドがあった。
「だから、仮眠室の隣の部屋ですよ。ちなみに俺専用の」
「それはかなりズルいな・・・」
「掃除も維持費も俺持ちです」
くくっと、思わずトレフルは肩で笑った。
「なるほど、私にはこの部屋の維持は無理だな」
ニジェルは窓側の一番居心地の良さそうな席にトレフルを案内し、紳士的に席を薦めた。
トレフルはゆっくりと頷き、薦められるがまま席に着いた。
「前の席に着かせていただきますよ?」
向かい側の席にニジェルは座った。
少し強引さはあるが、小気味よい程度だ。
「なるほど・・・そなたが女泣かせなのが、今、理解できたよ」
「左様ですか」
そっけなく、ニジェルが頭を掻いた。
「では、話の本題に入ってもいいか?」
「どうぞ、ただしご質問に答えられるのは、可能な限りですが・・・」
「まあ、職業柄、私と同じく其方にも守秘義務があるだろうからな」
そうマジメに言われると・・・と、ニジェルは思わず目を逸らした。
言いたくても、言えないのである。
まさか、元王宮料理人が「料理勝負をした相手の技術を盗んだ」とは。
そよそよと森に吹き抜ける風は、少し寒く感じたが、春は既にこの採取の森に姿を現していた。
春シイタケに、ホウレン草はその代表である。
採取の森の最奥付近とは言え、実は城の敷地内では中央部に近い。
ヌーヴェル城最奥は、深層部にある王族が住まう塔である。
“月光石の塔”と言われる住居だ。
その付近は常に騎士達が護衛にあたり、一般人が入ることはまずない。
だが、採取の森の最奥の向こう側には、貴族達がお茶会を開く庭園がある。
その境目にはきちんとした垣根が設けられているが・・・・・・ごくたまに、迷い込む人間もいて、遭難する場合も往々にしてあるのだった。
その度に城内に在籍する兵士達が駆り出される。
原則的に、この採取の森は誰でも利用してよい代わりに、畑などを作るのは禁止されていた。
無論、罠を仕掛けたり、弓などの飛び道具は一切使用禁止だ。
ネレはホウレン草が生えている道なりに、ハハカートの試作品“ハハカート0号”を引きながらホウレン草の採取を進めていた。
“ハハカート0号”それは、「非力な幼児でも簡単操作! 最軽量・最小サイズ、お部屋の中でも使える、お母さんにも安心設計のミニミニカート!」である。
もちろん、ネレがルノンの手を借りて図面を作りカプシーヌに依頼をした作品であった。
ガスッ――――
突然ハハカート0号が重くなり、ネレは尻もちをついてしまった。
「な・・・なに、なに?」
ネレは起き上がり、ハハカートの中を覗いた。
緑色のホウレン草の中に、白くて丸い毛玉のようなものが入っていた。
その毛玉に白い耳が片方ずつ、ぴん、ぴん、と立ち上がり、こちらに赤い瞳を向けた。
「う・・・ウサギ?」
ネレはハハカートから子ウサギを抱き上げ、呟いた。
「もう! ホウレン草ならそこら辺に生えてるんだから、わざわざカートの中に入らなくても・・・」
と、その時、後から来たもう一羽がカートの中に入り込み、ホウレン草を食み始めた。
「ええ~? せっかく摘んだのにぃ」
抱えていた子ウサギを放し、再びカートの中から子ウサギを出した。
気が付けば、次から次へと子ウサギがやって来る。
「え! うそっ!? 何匹いんの?」
ホウレン草は諦めると覚悟を決めたが、子ウサギ達は何故かネレに近づいてくる。
ネレの靴に乗り、服を食みはじめ、身体に上って来る。
元気の良い一羽がネレの胸に飛びついた――――。
あまりの勢いで、ネレは押し倒された。
「ひゃ!」
再び尻もちをついたが、今度は次から次へと子ウサギがネレの身体の上に乗ってきた。
ネレの髪、顔などをスンスンと匂いを嗅ぎ始め、十匹以上の子ウサギからくすぐりの刑でも受けているような状態になった。
「え! ちょ・・・ボク葉っぱじゃないよ! おいしくないよーーーっ!」
子ウサギとは言え、小さなネレにはその重みが耐えきれず、ろくに動くこともできない。
呼吸は段々と浅くなり、意識が朦朧としてきた。
「だいじょうぶ!?」
何とも可愛らしいボーイソプラノが耳をくすぐった。
まずは、顔面に乗っかている一羽をどけて貰ったらしい。
視界には青空と・・・まるで氷を砕いたような銀髪に、見事な紫水晶を思わせる双眸がネレの視線を釘付けにした。
銀髪の少年は、ネレに乗っている子ウサギ達を手際よく一羽ずつはがして、軽く放り投げていった。
「こ・・・神々しい・・・あなたは城の王子様かなんかですか?」
「え? 僕は王子とかじゃないよ?」
若草色の上品なベストに銀糸の刺繍が入り、同色のハーフパンツを身に着け、中に着ているシャツは上等なシルクに控えめなフリル付きだ。
どこからどう見ても、平民の服装ではない。
「あの、ありがとうございます」
「・・・あ、あれ? キミはそんなに小さいのにしっかりしゃべるんだね!」
自分と話すために、倍近い身長を低くかがめていてくれている彼に気が付き、ネレは服をはたきながら立ち上がった。
「“採取の森”に何か御用ですか?」
「ふおっ! キミ立ってもやっぱり小さいんだね。妹のイリスと同じぐらいなのに」
「妹?」
少年はすまし顔に切り替えて、コホン、と咳払いをした。
「僕の名は・・・えーと、シル・・・じゃなくて、・・・エレ、でもなくて“リトラス”だ!」
「はあ・・・?」
貴族は名前が長いから自分でも言いづらいのかな? と、ネレは考えた。
リトラスと名乗る少年は身長が120センチほどあり、ネレの予測だと小学三年生ぐらいの印象を受けた。
「ほら、礼儀としてキミも名乗って?」
そう言って、リトラスは掌をネレに向けた。
「ボクはネ・・・じゃなくて、“ブロンシュ”」
「“ボク”? 男の子なのにかわいい名前だね」
つい口から適当に出た名前に、はっとする。
この際、ネレはどちらに思われようが失礼な態度を取らないようにと意識し始めた。
「あの・・・ですから、おひとりでこの“採取の森”に何を・・・」
リトラスは、一瞬固まり、ネレに向けていた掌を自分の口に当てた。
「・・・あ~っ!!」
ネレの肩がびくりと跳ねた。
「ぼく・・・ぼく・・・」
みるみるうちに宝石のような瞳に涙が溜まり、こぼれはじめた。
「え・・・とぉ、もしかして・・・迷子なのかな?」
「ひぃいいん! ここ・・・どこぉ~?」
「迷子なんですね・・・」
このまま火が付いたように泣かれても厄介だ、とネレは思い、リトラスに質問をした。
「ねえ、リトラス様はお金持ってる?」
「お・・・お金?」
「銅貨とか銀貨とか?」
ネレの突然の予想外の質問に、リトラスの思考は別の場所に移った。
「え? 持ってないよぅ」
「そうか、それは残念ですね」
そう言ってネレは短い腕で、形だけの腕組みをして見せた。
これは、相手に予想外の質問とオーバーリアクションをする事によって、自分の意見を聞く態勢を整えさせる“間を作る”交渉技術だ。
そう、例えばの話だが、店員相手に商品やサービスに不満を伝えるときに、できればキチンと相手の眼を見て「クレームです」というセリフを吐くと、店員は驚き“間”ができる。
この時、相手にこちらの話を聞く態勢を整えさせるものだ――――。
リトラスはネレとの会話をする為に、泣き顔を覆った手を段々と下げていった。
「リトラス様はどこに行きたいの?」
「お城の庭園? お母さまとお茶会に来てて・・・」
「庭園かあ・・・ボクは入っちゃいけないからなぁ」
「行けないの?」
「あ、でも、廊下の警備の人がいる近くまでなら・・・案内できるかな」
「ほんとう!? “じいや”もいるかな?」
「じゃ、じゃあ、そこまで道案内するからボクにお駄賃をちょうだい?」
ネレはリトラスに掌を突き出した。
「えと・・・飴なら持ってる」
彼は自分のハーフパンツのポケットに手を突っ込み、飴の包みをネレの掌に乗せた。
すでにリトラスの表情は晴れていた。
「一つだけしかないの?」
ほらほら、と、ネレが追加を要求する仕草を見せた。
「もう、いっこだけなら・・・いいよ?」
「ちょ~だいな~? 欲しいなぁ!」
ネレのふざけたセリフに、「しょうがないな~」と、リトラスは笑顔でもう一つ飴の包みを手渡した。
掌に乗せられた飴をネレはぎゅっと握り。
「商談成立だね!」
と、ウィンクして見せた。
「しょうだんせいりつ・・・なの?」
さあ、と、ネレは飴玉を自分のズポンのポケットに入れ、リトラスを案内する為にハハカートを引いた。
リトラスの紫の瞳が初めて見る道具に固定された。
「それ、なあに?」
「ハハカート0号」
「ははかーとぜろごう?」
「車輪がついててね、荷物を運ぶのが楽になるんだ」
「え? こんなに小さいキミが荷物を運ばなきゃいけないの? なんで?」
「働かざる者食うべからずですよ~! ・・・ふわっ!」
ネレが引いていたハハカートが突然重くなった。
振り向くと、子ウサギがまたもやカートの中のホウレン草を食べていた。
「も~う! 重いよお・・・」
「ブロンシュ、良かったら僕に引かせて!」
リトラスは半ば強引に、ネレからカートの取っ手を奪った。
珍しい道具に、リトラスは目を輝かせている。
クスっと笑いながら、ネレはリトラスの嬉しそうに張り切っている姿を見守った。
第三者から見れば、リトラスの方がだいぶ大きいのだが・・・。
「うわ~、コレ面白いね! 僕も欲しいな、ねえ、これは街に売ってるの?」
「う~ん、まだ僕専用に作って貰ったものだから・・・街には同じものは売ってないかな?」
「え、そんなにすごいヤツなの!」
「ううん、今はまだ数が少ないだけで、そのうち労働者階級が必要になってくるから、出回ると思うよ」
「ろ・・・ろうどうしゃかいきゅう?」
「主に下働きや街で働く人かな? 今は大きな荷車しかないけど、小さいのもないと不便だからね」
「ブロンシュは頭が良いんだな! 僕の家庭教師ぐらい頭が良いかもね?」
「そ・・・そんなことないよ・・・」
何度も嘘の名前を呼びかける彼に、ネレは胸が痛んできた。
本館側の低い垣根が見えてきた。いつもトレフルが乗り越えてくる境界線だ。
その向こう側にガラス張りの扉が開いているのが見えはじめてきた。
ネレは足を止める。それに気が付いたリトラスも足を止め、ネレに振り向く。
「どうしたの? ブロンシュ」
ゆっくりととても小さな指で、ネレは豪奢なガラス張りの扉を指した。
「ボクが案内できるのはここまでなんだ。ここから先は入れない」
ネレがリトラスの手からカートの取っ手を受け取った。
その振動で子ウサギが、ぴょん、と飛び降り森に戻って行った。
「あの・・・ブロンシュ」
「扉から真っ直ぐ歩けば、衛兵が立ってるからその人に聞くといいよ」
「あのね! ブロンシュ!」
「なあに? リトラス様」
「僕と・・・友達になってくれないかな?」
不安げにリトラスはネレに訊ねた。
子供としては何とも表現しがたく・・・けれど、ネレはリトラスに悲しい答えは言えなかった。
“孤児と貴族が友達になんてなれる訳がない”とは―――――。
「・・・うん! 今日からリトラス様とボクは友達だね!」
ネレの口の端がわずかに引きつった。
「本当!? うれしいな! 約束だよ、この森に来られるようにお母様にお願いするよ」
「じゃあ、今日はここまでだね? きっとみんな心配してるよ!」
「ありがとうブロンシュ! すっごく楽しかった! じゃあまたね」
「じゃあ・・・またね・・・」
ガラス張りの扉まで、リトラスは何度も振り向きネレに手を振った。
貴族と平民の境界線から距離を置き、草花や木々の葉がネレを隠すように風に揺れていた。
ネレはリトラスに振っていた小さな手を、だらん、と下げ、その視線を地面に一度向けた・・・だが、くっと、顔を上げ、目の前にそびえ立つ境界線の垣根とその白壁をひと睨みした。
「この境界線を・・・越えたくなっちゃったなあ・・・」
ネニュファールはハハカート0号の取っ手を掴み、身を翻すと、採取の森の中に姿を消した。
ガラス張りの扉から、ネレに言われた通り広い廊下を真っ直ぐ進むと白い軍服に身を包んだ騎士と、軽量の上品な鎧をまとった兵士が対に立っていた。
片方の銀髪の騎士・・・ケイルがリトラスに気が付いた。
「おや・・リトラス、随分と長旅をしてきたようだね?」
「あ! 叔父上! 騎士のお姿がすごくかっこいいですね!」
駆け寄ったリトラスに身を低くかがめ、頭を撫でた。
「じいやが血相を変えて捜していたぞ? もう少し遅かったら、庭園側の騎士と、東地区の兵士が捜索隊を出すところだった」
リトラスがはっとして、しょぼんと肩を落とした。
「ご・・・ごめんなさい。兎を追いかけていたら、森で迷っちゃって」
はて? と、ケイルはリトラスの頭に片手を乗せつつ、もう一方の手で自分の顎を撫でた。
「どっかで読んだ絵本の物語のようだな?」
上目遣いのリトラスと、それに目線を合わせていたケイルが同時に噴き出した。
「そういえばあったね、白兎を追いかけて不思議の国に行ってしまうお話が」
「それで、いったい採取の森で何と出会ったのかな?」
ケイルはリトラスの頭に置いていた手を引っ込め、腰を上げ、目線だけ隣にいた兵士に向けて「見つかったと知らせを頼む」と、目配せをした。兵士は慌ててどこかへ駆けて行った。
「あのね、森で不思議な男の子と会って、友達になったんだ!」
無邪気な笑顔に「なんだそりゃ?」とケイルは疑問が浮かんだ。
「不思議な・・・って?」
「だって、イリスと同じぐらいなのに、すごくしっかりしてて、難しい言葉をよく知ってたんだ!」
「はっ? イリスってこないだ2歳になったばっかりだろう? しっかりって何だ?」
「うん、だからね自分で夕食のホウレン草を摘んでて、それで、ボクをここまで案内してくれたんだ!」
「え・・・ちょっと待て、2歳ぐらいの子供が採取の森で食料を採っていたと?」
「うん」
「難しい言葉ってどんな?」
「え~と、“ろうどうしゃかいきゅう”とか“しょうだんせいりつ”とか?」
「は? え?え?え?なんだ? 2歳の子供が? そりゃ立派な不思議ちゃんだな!」
「でしょう?」
「で、そこまで歩いて道案内をしてくれたと?」
「うん」
ケイルはリトラスと視線を離し、雄々しく腕を組んで考え込んだ。
ケイルの腰の高さのところで、美しい銀髪の少年はアメジストの様な瞳を普段より一層輝かせて“採取の森”で出会った幼児を熱く語っている。
「なるほど~・・・リトラス、そりゃひょっとしたら――――」
「え? なあに?」
「“採取の森の妖精”かも知れんな」
ひゃあ! と、リトラスは思わず擦れた声を出しておののいた。
「よ・・・妖精ぃ!! ブロンシュが!」
その後、貴族の子供の間では“採取の森の妖精捜し”に挑戦する事が流行り始めた。
妖精を見つけ出す方法は・・・。
その1 飴は必ず二つ以上持って行くこと
その2 晴れたお茶会の日に白い子ウサギを追いかけること
その3 十歳以下の子供一人で挑戦すること
もちろん、貴族の子供一人で採取の森に出かけようとすれば、後で母親と騎士と兵士に多大なる迷惑をかけるので、“採取の森の管理”を任されているトレフルには、更なる事案が上乗せされる事となったのは言うまでもない。