第7話 【雪泥鴻爪(せつでいこうそう)】 その2(加筆)
「こんにちは、シスタールノンはいますか?」
孤児院の玄関で兵士のジャンは、通りがかりのシスターに声をかけた。
きょとんとしつつカプシーヌは、にこやかに本を数冊抱えたジャンを出迎えた。
「はい・・・ご用は・・・なんでしょう?」
量の多い髪を二つに束ねた彼女は、黒縁の分厚い眼鏡越しに彼を見上げる。
「・・・・・・頼まれた本を届けに来ました。あ、ちゃんと入館許可はソール様にいただいてます」
ジャンの春緑色の頭から足元まで、カプシーヌはじっくりと観察し始めた。
「あの、なんでしょう?」
「ふむ・・・あなたその髪・・・もしかして脱色してます?」
ジャンの肩が一瞬震えたが、すぐに態度を切り替えた。
「あは! こっちの方がカッコイイからね? 暗い髪色は好きじゃないんで」
それを聞いたカプシーヌは顔を曇らせた。
“しまった!”と、ジャンは自分の言葉の失態に気が付いた。
彼女の髪色は夜空のような藍色だった。
「あ・・・いや、これは、その・・・自分の容姿があまり好きではなくて、気分転換というか・・・て? 俺は本を届けに来ただけなのですが・・・なぜこんな話に?」
「お~い! ジャン、おいてくなよ~」
ジャンの後ろから、両手に本を抱えたビーヴが顔を出した。
「ひっ!!」
カプシーヌがビーヴを見て一歩下がった。
「え? なーに? 態度違くない?」
金茶の髪のビーヴが拗ね気味の声を出す。
「ビーヴ、シスターに失礼だぞ! 馴れ馴れしい・・・どこのチンピラだよ」
「あ~はいはい、どうせ俺は誰かさんみたいに上品じゃありませんよ」
「・・・・・・・すみません。ただいま、ルノンを呼んできますね」
彼女は慌てて深くお辞儀をしてから、建屋の奥へと消えて行き、孤児院の石畳の玄関で二人は待つことになった。
「なあ」
「なに?」
「あの子の髪色、お前の元の髪色と同じだな」
「かもな」
「親戚か?」
「冗談でもそういう事言うなよ、悪い噂は尾ひれがつく」
「そっか、ちなみに今お前が考えてること当ててやろうか?」
「なんだよ・・・急に」
「お前、絶対あの野暮ったい髪いじりたいと思っただろ?」
カプシーヌの髪はボリュームが多く、少々アホ毛が目立っていた。
「・・・・・・・・・・・・・・」
兵士の間では手先の器用なジャンは、簡易理髪店扱いを始終受けている。
ゲージで囲っている裸足でくつろげるスペースで、ネレはヨタヨタしながら歩いていた。
いち、にい、さん・・・四歩ほどで、尻餅を付いたり、ゴロゴロと転がったりを繰り返している。
たまに本気を出して真っすぐ歩いたりもするが、不気味がられるのでほどほどにしておいた。
実は板の大文字の絵本は読み飽きて、運動をしていたのである。
そんな様子を自由に歩き回る幼児たちがゲージ越しで眺めていた。
「ネレ・・・ちっちゃいよね?」
「一番ちっちゃいよね?」
幼児たちが一番年下のネレをかまいたがっているのだ。
皆、年上ぶってネレに始終ちょっかいを出し、やりすぎてプラタに注意されるのを繰り返している。
「ネレって“マナシ”なんだってさ」
「マナシってなに?」
「ぼくたちにあってあたりまえのまりょくがぜんぜんないんだってさ」
「まりょくないとどーなんの?」
「なんか、おとなになるときにできるしごとがかぎられちゃうんだって」
「しごとがかぎられる?」
「しごとできないの?」
「え? じゃあ、びんぼうになるの?」
子供たちの会話を耳にしたネレがガックリと座り込んだ。
――――貧乏は・・・嫌だ・・・
「あと、ながくいきられないってきいた」
がしゃん・・・と、ネレが掴んだゲージづたいに、おしゃべりをしていた幼児たちに近づく。
「なにそりぇ!?」
ネレの真っすぐな質問に、幼児たちは目を見開いた。
「ネレがしゃべった!」
「ねえ・・・どれぐらいでしんじゃうの?」
「し・・・しらない・・・」
「おとなになるまえってきいたことある」
――――大人になる前? じゃあ、十代?
ネレはガシャガシャと、ゲージの留め具をゆすった。
「あけて」
「え! だめだよ、ネレはちいさいからでちゃあぶないよ」
今の背丈では、背伸びをしても外側の留め具に手が届かなった。
目の前の男子を見上げたネレは、じわりとしっかりした声を絞り出した。
「りゅのんどこ?」
「いまは、したでおしごとだとおもう」
「だいじなこときくの! あけて!」
ネレは再びゲージをガシャガシャと揺すり、催促をした。
迫力負けした男子は思わず留め具を外してしまい、飛び出したネレは、下へと降る階段を目指した。
オリーブ色の髪をまとめ上げたルノンは、パタパタと早足で本を担いでいる二人に駆け寄った。
「ごっめーん! ありがとう、すごい助かったぁ!」
その笑顔を見たビーヴは少し俯いた。
「シスタールノン・・・言葉遣い、昔に戻ってる」
たしなめるように言ったジャンの言葉に、ルノンは小さな咳払いをした。
「・・・気を付けます」
ジャンは自分の一歩後ろにいる親友の態度が気配で分かるかようにニヤついた。
「残念ねビーヴ! シスタープラタは今ソール様と一緒に外出中よ?」
「バッカ! そんなんじゃねーよ、お前が・・・チャリティーバザーで売れ残った本が欲しいっていうから・・・持ってきてやったんだよ!」
「ビーヴ、お前は言葉遣いが失礼すぎ」
兵士の仕事は軍事目的だけではなく、戦時以外でも国の役に立てるように様々なイベントに足を運び、お堅い貴族と平民の橋渡しも重要な任務であった。
時には貴族達の身辺警護もあるが・・・体力重視の万事屋でもある。
それ故に、祭り事などにもよく駆り出されるので人脈や情報は意外と豊富である。
ジャンとビーヴは、ソールの指名もあり孤児院のサポート要員である。
今回は貴族主催のチャリティーバザーの警備などで、たまたま売れ残った古本をジャンが主催者側に交渉し、孤児院に寄付という形で運んできた物であった。
「いや・・・本当に助かるわ・・・、ここって男手が全然ないし、年中人手不足だし。案内するから事務室まで運んでね!」
ジャンとビーヴはお互いの顔を見合わせてから、ルノンの後ろに続いた。
「なあ、ルノン・・・こないだニジェルさんと勝負したってホントか?」
「ああ・・・なんか広まっちゃったのね・・・」
ルノンは薄目を開けながら大きなため息をついた。
「大丈夫か? あの人ガタイいいし、けっこう怖いだろ?」
「うん、怖くてハチャメチャなおじさまだった・・・でも、まあ誤解は解けたみたい」
「・・・良かったな、お前の評判最悪だったもんな」
「本人に向かって悪評報告とか要らないからっ!」
ジャンは二人の会話を先ほどから黙って聞いていた。
「だってルノンは昔っから気が強くて、頭良くて、上から目線だし? 離縁されて少し病んじゃったみたいだから」
「離縁されたんじゃないから! お家取り潰しだから!」
「うっわ・・・そっちの方が悲惨だな」
「ビーヴ、お前はもう何も言うな・・・兵舎でも余計な事を脚色して言うなっ!」
ジャンはニジェルに湯舟に沈められた事を思い出しながら言った。
広めの廊下を進んでいくと、遠くから子供の泣き声が聞こえてきた。
「あっ! もしかして今二階にシスターが誰もいない?」
「え? そのまま泣かしとくんじゃないの?」
「ビーヴんとこの大家族と一緒にしないで! あなたの所は上の子がちゃんと面倒みるでしょうが、孤児院では日銭稼げる子は出払ってるのよ」
「“日銭”って・・・・・・・意外に厳しいなココ」
三人は耳を澄まし、泣き声を注意深く聞いた。
その鳴き声は・・・何故か段々近づいてきた。
「・・・・・・うえっ・・・ン・・・え~ん・・・ぐの・・・ヴのん・・・」
「ん? 階段からかな・・・」
ジャンとビーヴは本を持ったまま、階段の方へと進むルノンの後ろに付いていった。
カシャン、カシャンと・・・階段の上から落ちてきた黒い何かを視界に入れた。
「・・・眼鏡・・・?」
ずり・・・ずり・・・、と、何かが擦れるような、ひきずるような音も近づいてくる。
「ひや~んっ!! りゅの~ん、りゅの~んン、・・・ぶえ・・・ひぐっ・・・」
三人は二階に続く薄暗い階段を見上げた。
それは、おむつで膨らんだ尻を進行方向に向け、焼き立てのパンのような手足をバタつかせていた。
鼻を啜りながら後ろ向きで階段を一歩ずつ・・・とはいかず、全身で芋虫のように後ろ向きで降っていた。
オロオロする幼児たちは階段の踊り場で何もできず見守っている。
『ネレっ!?』
「ぶえ・・・りゅのん~るぅのん~・・・ぐすっ・・・びやぁ~あぁっ!?」
「やだネレ! まだ階段は・・・無理でしょ!」
ルノンの声に反応したネレは、涙と鼻水で濡れた顔を揺らしながら、階段下に頭を向けた。
その反動でバランスを保っていたはずの身体が浮いた。
「ぅわっ、ネレぇ!?」
孤児院の廊下に十数冊の本が散らばり、身体を丸めたネレは階段をコロコロと転がり落ちていった・・・が、あっさりとビーヴはダンゴ虫状態のネレを受け止める。
その様子を、「手足の短い子供ならではの見事な受け身だった」と、ビーヴは後に語った。
ほぼ無傷で大泣きをしているネレを見てあっけに取られ、叱る気にもならなかった。
いち早く正気に戻ったジャンは、散らばった本を拾い始める。
「りゅのん、りゅのん、りゅのン~っっ!」
ビーヴに抱きかかえられたまま、ネレはくびれのない腕をルノンの方に伸ばした。
「ど、ど、どうしたのネレ! なんで脱走?」
「う゛ぇっぐ・・・まなし、しんじゃう? ネレ、すぐしんじゃう? はたらけない? いつ、しんじゃう? びんぼうは・・・いやぁあぁあ~! びゃあぁあぁあぁっっ!!」
ネレは再び盛大に泣き出す。
「え・・・と、なに?」
幼児たちが階段を駆け降り、ルノンの傍に寄った。
「なんか、マナシがすぐしんじゃうかもってはなしをしたらね・・・ネレがびっくりした」
「それよりもね、ネレがあかちゃんなのにしゃべったからびっくりした」
「ネレがかいだんにつづくドアをあけたのがすごかった」
「なんかしらないけどネレがないちゃった?」
「りゅのん~! ボクしんじゃうぅ?」
子供たちが次々と証言したが、状況が整理できない。
「あ・・・えっと・・・カプシーヌはどこ行ったのよ?」
「ひぃ・・・すみません、ここです・・・」
階段の踊り場を見上げると、カプシーヌの手だけがひらひらと返事をしていた。
「どうしたの!?」
「面目ないです、階段の上でネレちゃんを持ち上げようとしたら・・・」
「あっ! カプシーヌがいちばんさきにころんじゃったから、こまってたあ~」
「めがねがね、さきにかいだんおりちゃった!」
それを聞いたジャンが、持っていた本を一旦階段の一段目に置き、並べた本の上にフレームの折れた眼鏡を置いた。
「ごめん・・・さっき踏んだみたい・・・」
「いや! 眼鏡よりカプシーヌ自身は大丈夫なの!?」
ルノンは勢いよく階段を駆け上がり、カプシーヌを抱き起した。
「あ・・・はい、大したことないです。ネレちゃんが無事でなによりです・・・」
「眼鏡は重体だぞ?」
「ビーヴ、それ笑えないから」
「で? 一体どうしたの?」
孤児院の事務室には、本を運んできたジャンとビーヴ、そして机の上に乗せられたネレと、その向かい合わせに座ったルノンの四人がいた。
涙を流し切って落ち着いたネレは、ジャンとビーヴを交互に見る。
その様子を察したルノンが言った。
「ネレ・・・気にすることないわ、その二人は・・・まあ、大丈夫だから」
「うん・・・りゅ・・・、ケホッ・・・るのん」
「はいはい、言葉は単語をひとつひとつ発音してね、無理して丁寧な言葉遣いはしなくていいわよ? はい砂糖水!」
軽いアルミでできた小さなコップをネレに渡した。
それを受け取ったネレの小さな手を見つめながら、ビーヴは眉をひそめる。
「まだコップを持たせるのは早いんじゃないか?」
そう言われたネレの動きが止まる。
「あら、子供の成長はそれぞれでしょう? それにネレはちょっとおませさんなの」
小さく息を吐いてから、砂糖水をコップからこぼさずに口に含んだ。
コップには大した量は入っておらず、そのままくぴくぴと飲み干してから、もう一度小さく呼吸をした。
「・・・そういえば、ネレは随分と口のしまりがいいな? 普通はまだよだれをよく垂らす時期だろう」
「うん、確かに顔つきが・・・大人びてるかな?」
「・・・はやくち、まだ、わかりゃ・・・にゃい」
「・・・・・・うん?」
ビーヴが腕組みをしながら限りなく右肩に頭を近づけた。
「よだれ、は、たまに、でちゃう、よ?」
「会話が成立してるねえ・・・」
ジャンは目を閉じて静かに六回ほど頷きながら言った。
そんな男二人を無視しながら、ルノンはネレに話しかける。
「ネレ、話をまとめるけど・・・マナシが・・・すぐ死んじゃう?とか言ってた?」
「うん・・・マナシ、は、たんめい、なの?」
「違うわ・・・ええ~と、ジャン一歳児に“肉体的な寿命”と“環境原因の短命”ってどう説明すればいいかな?」
「無茶ぶりしないでよ」
その表情は既に“無”の境地であった。
「にくたいてきなじゅみょう? マナシは、すぐに、しんじゃう?」
「違うから! マナシは普通の人間よ!」
「しなない? ふつうにくらせる?」
「え・・・と・・・これが普通に暮らせないんだなぁ」
説明に戸惑うルノンは苦笑いを浮かべながら、二人に助けを求める視線を向けた。
ずっと首をひねっていたビーヴがようやく状況を理解し、ルノンの隣に屈んでネレと視線を真っすぐと合わせた。
「あのな、ネレ、“マナシ”って言うのはな魔力がなくて魔法が使えない事だ。わかるか?」
「うん、わかった・・・」
「魔法は魔力の大きさによって使えるようにもなる。でも、魔力を使う“才”は1000人のうち999人が使える。数の割合はわかるか?」
「うん、ひゃくのじゅうばい」
「マジか・・・“才”の意味は分かるか?」
「へいきんよりとしゅつしたちから?」
「うん、合ってる。・・・だから、魔力のないネレは、魔力のあるやつに、弱いからとイジメられるようになるんだ」
「そう、なんだ・・・ボク、ふつうよりよわい・・・だからしょうらい“さべつ”される・・・」
大人のはっきりした声を理解する為に、頭を回転させるとビリビリと耳の奥がしびれた。
言葉の意味だけを理解して抵抗する自分の常識と、うまく動かない唇と身体がムズムズと何かを訴えようとする。
小さな肉体でもがけばもがくほど・・・空気しか掴めない歯がゆさに・・・がっくりと、意識が一瞬白くかすむ。
精神的に、大人になったり、子供になったりを繰り返し、ネレの心は不安定になっていた。
「でも、ちょっと変じゃないか? ネレは・・・“才”がないにしては・・・言葉を早く覚えすぎでは?」
「“マナシ”決定じゃあないだろ? 子供なんだから・・・鑑定ミスってこともあるぜ?」
「あのなっ、初回の鑑定で9割がた人生が決まるんだよ! 軽く言うなよ」
「・・・十年前と今は違うんだよ、もう一度懇願して鑑定してもらえば違う結果が出るかも知れねーじゃねえか! お前こそ重く考えすぎなんだよ!!」
「実際重いんだよ! 一度鑑定で“劣”取ってみろ――――」
いきなり声を荒げた自分達を、ルノンとネレが呆然として見ていた様子を視界の端で認識した。
ジャンは片手で顔を覆い“やってしまった”と、肩を落とした。
「あ~ごめん! ・・・説明が飛んだ・・・ね?」
「俺こそすまん・・・、えっと、何だっけ?」
「“肉体的な寿命”については・・・マナシは、生命力を変換して魔力を生成することができないだけで、マナシが短命という根拠はないって事だよ」
「たんめい、という、こんきょ、ない?」
「簡単に言うと、生命活動に使う体力を、魔力に変えちゃう能力を“マナシ”は持ってないって事よね?」
「???」
言葉が見つからないネレは、呆けて口を小さく開いている。
「要するにマナシには魔力がない分・・・稼ぎの良い仕事には恵まれない」
「ボク、すぐ、しなない・・・まりょく、ない・・・しごと・・・な・・・い・・・」
――――今から就職難突き付けられたよ!!
「今のところは、マナシ判定だけどな・・・」
「でも、再検査は初回より高位の術者じゃないとできないから、高くつくよ?」
ネレの手の中のコップが、小さな悲鳴を上げ、変形していた。