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第6話 【会稽の恥を雪ぐ】

 4日前の夜、孤児院院長のポレーンが貴族の夜会の途中で急に左胸を抑え、そのまま泡を吹いて息を引き取った。

 ポレーンの死は、その場に居合わせた主治医も納得の不摂生が原因だった。


 城内孤児院院長ポレーン。

 享年44歳。

 

 自分の懐に入れた者達には知識と利益を分け与え、協力させる才覚があり、それなりの力を持つ貴族であった。

 差別意識が強く、貴族としてのプライドも高い・・・どこにでもいる貴族の男。

 優れた若者に嫉妬し、罠にかけ潰し、弱き者から金を搾取するぐらいは朝飯前。

 恐れられつつも、リーダーシップ能力もあり一部では慕う者もいる。

 明るい髪色と、役者顔負けの演技力で上流階級の古株達にはそれなりに評判が良かった。


 本来は民の為に、少数の支配者階級の貴族は存在する。

 一人の貴族は百人の民を護るために存在すると言われていた。

 階級が上がれば上がるほど、支える民の数は多くなる支配者階級の表向きの責務である。

 実際は支配者階級の貴族と、聖職者には生産性がないのが事実・・・搾取するばかりで何も生み出さないのである。

 作物を育て、商業を行い、様々な労働をし、国に税を納める民こそが国の財産そのものである事を理解している人格者は少ない。


 上級貴族にとってはただの小悪党のポレーンでも、直接財産を吸い上げられる身分の低い者達にとってはとんでもない癌細胞である。


 通称、“黒い太陽”・・・とも言われていた。

 地上を照らす太陽ではなく、若い芽を枯らすという意味でそう比喩されている貴族の事を示す。


 贅沢と贅肉はその肉体を重くし、健康を害し、周囲を見る感覚は鈍くなる・・・天下り先の孤児院では自分に従う取引業者を優遇し、甘い汁を吸い続けてきた結果・・・彼の息の根は止まった。


 ネニュファールの真珠のネックレスの行き先は、トレフルの判断で貴族用のチャリティーオークションに出品する事となった。

 トレフルとソールの努力の甲斐もあり、金のブレスレットは何とかネニュファール本人の物だと認められた。

 聖なる古代語の刻印の件は、ソールがトレフルとダフネに口止めをしておいた。

 あの赤ん坊は只でさえ、軍神フラームの加護だのなんだのと妙な噂が立ち始めている。

 「例の“黒い太陽”が、軍神フラームに祝福を受けた子供を粗雑に扱った」と・・・・。

 

 名ばかりの院長だが、副院長兼シスター長でもあるソールは昨日から今日にかけて、葬儀の為に外出していた。

 そして、通常業務に戻った途端、孤児院院長の悲報を聞いた商人の問合せが相次ぎ、先ほどまでトレフルと対応に追われていたのである。

 どうやら支払いを終わらせていない、多額の負債があったらしい。

 それらは孤児院に関係のない内容なので、すべて却下した。

 一緒に贅沢三昧をしていた夫人に、同情の余地はなかった。

 だが、流石は小悪党ポレーン・・・夫人名義以外の形ある財産は奴隷も含め、負債(借金)の穴埋めの為に、既にそれなりのところに流出させていた。

 文官トレフルとの書類作成の確認を済ませ、孤児院院長代理になったソールはやっとの思いで東側の長い渡り廊下をひとりで歩いていた。

 兵舎と孤児院への分岐点に辿り着くと、灰色の衣装をまとったシスターのひとりが、孤児院へと続く石畳をホウキで掃いていた。

 その様子を視界に入れたソールの眉間に皺が寄る。

 どう見ても、掃き掃除ではなく、ホウキを振り回しているようにしか見えない。

 俯きながらホウキを振る彼女のすぐそばまでソールは近づいて足を止めた。

「何をしているのです?」

 彼女ははっとしてオリーブグリーンの頭を上げ、赤茶色の瞳をソールに向けた。

「ひゃ!」

「・・・・・・・・・・」

「あ、申し訳ありません! シスターソール、ただ今掃除をしておりました」

「シスタールノン、それは掃除ではありません。ホウキを振っているだけです、貸してごらんなさい」

 ソールはルノンからホウキを預かり、石畳のチリを端に寄せ集め、芝生に降りる段に沿って丁寧にゴミを落とした。

「石畳の段差の部分も丁寧に掃除するように、なるべく埃を立てず、静かに掃きなさい。でないと通る方に迷惑ですよ」

 ホウキを返されたルノンは素直にうなずく。

「はい・・・やってみます」

 互いに会釈をして、ソールは孤児院に続く石畳を再び歩き始めた。

 「ここにも課題がひとつ落ちていたわ」とソールは独りごちる。


 ルノンは子爵家の令嬢であった。

 教養もあり所作も悪くない・・・ただ性格が少々キツイのだ。

 14歳の時に20歳年上の子爵家に嫁いだが、相手が悪かった。

 夫は優しくルノンを甘やかしたが、その夫が汚職に手を染め財産のすべてを国へ没収された。

 実家に戻るという選択肢もあったが、罪を犯した者の妻であった場合は実家も針の(むしろ)である。

 下手に他のシスターより教養がある為、他人を(あなど)るくせが抜けていない。

 では、いざ教会と孤児院の仕事をさせると・・・知識ばかり偏って、家事などまったくの初心者であった。

 きっと誰にも根気強く人付き合いなどの教育を施されていなかったのであろう。

 かれこれここに来て二年になるが、他のシスターともあまり親しくならず、仕事のやり方を周りに聞けず、右往左往することが多い。

 どうしたものかと思案しながら、とりあえずソールはネニュファールの様子を見に行った。


 「これは一体?」

 裸足で歩けるようにしてある乳幼児のスペースに、何故か私服の男性兵士が二名いる。

 しかもぎゃんぎゃんと泣いているネニュファールをあやしている。

 普段は無表情に近いシスターソールが、眉を上げて驚きの表情をした。

「あらっ、ソール様! 今お戻りですか? お疲れ様でございます」

 後ろから蜂蜜色の髪をまとめたプラタが空色の瞳を細めて笑顔で挨拶をする。

「シスタープラタ、この状況の説明を・・・」

「あ、すみません。先にネレに白湯をあげさせて下さい!」

 今日のプラタはなんだか勢いがあり、ただでさえ体力を失っているソールは頷くしかなかった。

「ええ・・・後で報告をお願いします・・・」

 プラタは先日トレフルに寄付して貰った最新の哺乳瓶を片手にネレに駆け寄る。


 青年兵士のいつも一言多いビーヴと、そのビーヴのフォロー役をしているジャンが孤児院から兵舎側に戻るために石畳を歩いていた。

 一心不乱にホウキを走らせているルノンと、会話に夢中で前を見ていないビーヴがぶつかった。

「いたっ!」

 ルノンはぶつかった衝撃でよろめき、ジャンがそれをすぐに支えた。

「あ・・・ごめん!」

 鍛えられた肉体を持ったビーヴはビクともしていない。

「ちょっと危ないじゃない! 気を付けてよね!」

 ホウキを持ったまま“きっ”と睨みつけてくるルノンをビーヴは思わず鼻で笑った。

「なんだ、ルノンか」

「おい、ビーヴ失礼だろ」

 手を貸してくれたジャンに、ルノンは軽く会釈をし、体勢を整えた。

「はぁーーーまったく、城に仕える兵士のくせに礼儀がなってないわね」

「なんだとぉ? お高くとまりながら下手くそな掃除しやがって、同じシスターでもどうしてこう違うんかな!?」

「きいぃいいっ!! 一体誰と比べてんのよ!?」

「そりゃ決まってんだろ! ナイスバディのシスタープラタさんだよ!」

「くうぅぅ! いやらしい表現してんじゃないわよ!」

「子供かっ!」

 ジャンがビーヴの後頭部を鋭く叩いた。

「ジャン! ナイス突っ込み!」

「も~、ルノンもしっかりしてくれよ・・・とりあえず元子爵夫人だろう」

「ふん! 今はどうせ下っ端シスターですよーだ!」

 ビーヴがルノンのホウキを取り上げた。

「いきなり、なにすんのよ!」

「手伝ってやる! そんなやり方じゃあ日が暮れて夕食に間に合わないぞ、あと2本ホウキ持ってこい!」

「俺もかよ!」

「なっ・・・」

 結局、その三人で孤児院前の石畳を隅々まで掃除をしたのだった。



「あ、今日は水の日だったわね・・・」

 孤児院の調理場でルノンは、ネレの発案で“加工の才”のあるシスターカプシーヌに作って貰ったピューラーを手に取り、人参の皮を剥きながら、ため息交じりに呟いた。

「みずばのそうじにゃら、そうじとうばんのシスターたちがやりゅんでしょ?」

 今日は“水の日”「水に感謝しましょう!」という日だ。ようするに水曜日のことだった。

 ネレは遊戯室から借りた板の本を見ながら、一緒に借りたA4サイズほどの石盤を膝の上に置き、石筆を使い、ベビーベッドの柵の中で大人しく文字の練習をしていた。

「ちがうのよ、兵舎の食堂に来週分のパンを注文する日なのよ」

「なんでちゅってぇ! ちぃてっちゃらめですか?」

 未だかつて入った事のない噂の“兵舎食堂の厨房”にネレは興味を惹かれた。

「無理よ、それを運ばなきゃいけないんだから」

 ルノンがピューラーで指し示した方向にネレは顔を向けた。

 それは調理場の端に積んである重厚な小麦粉の袋だった。

「ありゃりゃ・・・じょせいひとりじゃむりにぇ、だんせいはいないのでしゅか?」

「いないのよ・・・“腕力の才”のある子はこないだ卒業しちゃったし、健康な男の子はすぐに養子先が決まっちゃう。その上、兵舎の食堂に元王宮料理人がいて、誰かに頼もうにもいつも意地悪を言うの」

「にゃるほど、どこにでもりゅのんみたいのがいるんでしゅね~」

「ネレ・・・ずいぶんと言うようになったじゃない?」

 ネレの嫌味に、ルノンは片方の眉だけ器用に吊り上げた。

「ごめんちゃい、ごはんのおてちゅだいもっとがんばるから、ちゅれてってぇ」

「だーかーらー・・・私じゃ、小麦粉一袋と赤ん坊を同時に運べないわよ!」

 ネレが調理場の入り口に置いてある道具を石筆で指した。

「あれでこむぎこはこぶ、ねれおんぶぅ」

 ルノンは手に持った人参とピューラーを床に落とした。

「そ・・・その発想はなかった!!」


 数日間高熱で倒れていたプラタは回復し、今ではルノンがプラタと日替わりでネレの面倒をみている。

 今ではオムツが汚れる前に自己申告ができるようになっているので、まったく手がかからなくなっていた。

 ルノンはプラタが倒れた時だけでなく、ほかの日も自分がネレの子守をすると手を挙げた。

 その場にいたシスター達は全員目を丸くした。

 だが、シスター長であるソールはなんとなく二人の縁を予見していた。

 ネレがはじめて自分で食事をし、空にした椀をルノンに突っ返した時の事である。

 エメラルドグリーンの細い糸がネレの手からルノンに放たれたのだ・・・その椀を悔しそうにルノンが受け取ったと同時に、糸は互いを繋げ、淡い光を放ちながら消えていった。

 その糸が見えたのはソールの“先読みの才”だが、エメラルドグリーンの糸など初めて見た彼女は、どんな結果が出るのかまでは解らない――――。


 不思議なことに、ルノンが食事当番で調理場に立つときは必ずネレの子守も一緒にしていた。

 シスターたちは皆、その行動に首を傾げていた。

 「同時進行はかえって大変じゃない?」と、よく訊かれるが、本人曰く「この方が効率がいいんです!」だそうだ。

 そして日増しにルノンの料理の腕は上達していった。

 最近、何故か孤児院の夕飯時刻を狙って、紛れ込む青年兵士が二人いる。

 どうやら、ルノンが食事当番のタイミングを見計らってやってくるようだ。

 ちなみに、良い食材を必ず持参し、乳幼児の相手もするのでギブアンドテイクということになっている。

 この行為がソールの院長代理権限で正式に許可が出ているというのが驚きだ。

 青年兵士のビーヴとジャンは「兵舎食堂の味に飽きてきたから」と言っていたらしい。


 ヌーヴェル城敷地内東側、兵舎食堂は兵士だけでなく様々な人間が利用するが、当然ながら貴族は立入らない下々の者たちの為の施設だ。

 だが、東側のトレフルのいる文官室には、依頼があれば食堂から特別メニューが運ばれる。

 腐っても城内食堂、調理師たちは皆、魔力があり“料理の才”の持ち主だ。


 この世界では、魔力を使い特殊な技を使える人間が多種多様に存在する。

 通常では考えられない計算能力を持つ“算術の才”、より鋭い味覚を持ち料理の味を思いのままにできる“料理の才”、普通の人間より重い物を持ち上げる“腕力の才”など、これらを使用するには魔力を消費する。また、地・水・火・風・闇・光などの属性魔法にそれらは付随する場合が多い。

 その為、マナシ(魔力無し)は無能の烙印を押され、虐げられている。


 今日は水の日、兵舎食堂の料理長は食堂運営の件でトレフルのいる文官室へ報告に行っている。

 副料理長のニジェルと調理師の部下達は、食堂の厨房で形の悪い人参の皮むきに悪戦苦闘していた。

「おい! 今日の人参を仕入れたのは誰だ! 形が悪すぎて仕込みに時間がかかっちまうだろ」

 部下の調理師三人はニジェルの不機嫌さにビクビクしている。

「副長、今日はやけに機嫌が悪くないっスか?」

「人参か? この人参がそんなに憎いのか?」

「違うだろう・・・原因はあのうわさだよ」

「あ~・・・兵舎食堂よりシスターの作った料理が美味いって話?」

「いや、実はそれだけじゃないんだ・・・」

「そこ! うるさい! さっさと手を動かせ!」

 ニジェルが部下の調理師達を一喝した。

「今日は水の日だ、“炎の日”に焼く孤児院のパンの注文が来るが俺たちは忙しいから、クソ重い小麦粉なんて運ぶ時間なんてないからな! 手伝うんじゃないぞ?」

「ええ~? 副料理長、それはかわいそうでしょう?」

「う、うるさい! とにかく・・・」

 コンコンコンと、大きく開いているままの厨房の扉をノックした。

「こんにちは、ルノンです。来週のパンの注文に来ました! それで・・・あのぅ手伝って・・・」

 大きく開いた扉の前にいたので、先ほどの会話は丸聞こえのはずだ。


 ルノンはオリーブグリーンの髪を、まとめてアップにしていた。

 理由は・・・背中におぶされているネレからの苦情だった。

「忙しいからダメダメ、ここから孤児院の往復なんて無理無理、あんな重い小麦粉の袋なんて運んだら、腰がやられちまうだろ」

「もう! ニジェルさん僕が行きますよ。ルノンさん赤ちゃんおぶってるじゃないですか!」

 ルノンの背中に、反ったまま爆睡している赤ん坊のネレがいた。

「あん? 孤児院なんだから子供の世話すんのは当たり前だろ」

 荒っぽい拒絶に、ルノンは鼻の頭を赤らめてイラついていたが、深呼吸をして気持ちを整えた。

「ちょっと、ネレ起きなさいよ! ほら、ご希望の食堂の厨房よ」

「・・・ふ・・・ふにぃ」

 え?なぜ起こす? と、ニジェルはあっけに取られた。

「お、おい急に起こしたらまずいだろ? 泣くだろ?」

 ニジェルの言葉を無視して、ルノンは身体を揺すってネレを起こした。

「ちょっとお、脱力して爆睡されるとかなり重いわよあなた」

 ニジェルは呆れた感じでルノンに声をかけた。

「いや・・・赤ん坊は普通おぶってれば寝るだろう?」

 ぐわっと、ネレは瞼を開いて姿勢を正す。

 赤ん坊のネレは、ルノンの耳元に小さな手と口を近づけ、ボソボソと何かをしゃべった。

 調理師達は不思議な動きをする赤ん坊を凝視する。

「もう!次回はちゃんと歩きなさいよ!」

「え? それはちょっと赤ん坊に厳しすぎないか?」

 グルンと振り向き、ルノンは先ほどから話しかけてくるニジェルを睨んだ。

「同情するなら手伝いなさいよ!」

 ニジェルは思わず部下に振り向き。

「行ってこいシャドン!」

 指示を出した。

「はっ! 承知しました、副長ぅっ!」

 青年シャドンは格好よく敬礼を決めた。

 だが、頼まれた作業は地味だった。

「ごっめ~ん! この扉の段差だけ手伝って下さい」

 扉の前には、すでに乳母車に積まれた小麦粉の袋があった。

「シャドンさん、お願いしますね?」

「あ・・・ハイ・・・」

 思いっきり拍子抜けをしたシャドンである。


 それは木製の乳母車だった。

 ついこないだまで動かす度にギシギシと揺れ、あまり役には立っていなかったのだが、野菜の皮むきに使うピューラー同様、ネレが図面を引き、ルノン経由で“加工の才”のあるシスターカプシーヌに協力してもらった。

 木製の車輪に樹脂を加工したものを塗ってもらい「長距離でもスムーズ! 耐久性バツグン、総重量30キロまでオッケー! 卵から幼児まで、優しく運ぶ安心設計!」という感じに、シスターカプシーヌの力作であった。

 本人曰く「私って天才かも?」と自画自賛していたらしい。

 ネレはベビーカーの車輪のベアリングと、振動吸収用のスプリングの説明を図面に落とし込む事にとても苦労したらしい。

 しかし、シスターカプシーヌの“オタク心”なしでは完成はできなかった。

 「一体この図面はどこから!?」というカプシーヌの怒涛の質問に、ルノンは視線を泳がせながら「夫と離婚するときに持ち出したヤツ」と説明をしておいた。

 「実はまだ確認してない図面も・・・」という含みも忘れずに持たせておいた。

 「そっか、私的財産だからあまり追求をしてはいけないわね」と、現在は納得してもらっている。


 ルノンは「いつも意地悪ばかり言うニジェルにしてやったり!」と、上機嫌になっていた。

 小麦粉を納品し、パンの注文を済ませ、焼きあがっていた三日分のパンを乳母車に積んだ。

 その作業の間にもネレは“必殺!天使のスマイル”を使い、愛想を振りまきながら、厨房内をギラギラした眼で密偵がごとく観察していた。

 ――――料理の才能まで魔力頼みとは・・・難儀な世界だなぁ

「ありがとうございます。焼きあがったパンは当番の者が取りに来ますので、よろしくお願いします」

 ルノンは礼儀正しく、お辞儀をする。

 その瞬間、ルノンをジロジロと見るニジェルと、赤ん坊のネレの視線が合った。

 キラリと鋭く光るネレの眼光に、ニジェルの方が一歩後ずさった。

 完全に頭を起こしたルノンに、またもやネレが耳元でボソボソと何かをしゃべった。

 作業の手が完全に止まってしまった調理師達は「今、あの赤ん坊しゃべった?」と、呟いてた。

「もう~ネレ、わがまま言わな~い! もう少し大きくなってから、ね?」

「んぶうぅ~!」

「いや、子供はわがままを言うもんだろ・・・って、それ・・・赤ん坊・・・」

「失礼しました~」

 くるりと扉に向き直し、シャドンがパンのたっぷり入った乳母車に手を貸そうとした。

「ちょっと待て!」

 むっ、としてルノンが振り向く。

「なんですかぁ? ニジェルさん」

「パンの注文書を持ってきたってことは・・・今週の孤児院の料理の当番はアンタか?」

 “アンタ”という言葉に、失礼すぎてルノンは口をパクパクさせている。

「私ですが・・・それが何か?」

「アンタ・・・いや、失礼。シスタールノンは“料理の才”はあるのか?」

「ありません。私はただのシスターですから」

 じゃなきゃ、下っ端神官業なんてやってられるか! と、ルノンの顔にわかりやすく書いてある。

「最近“料理の才”のない人間が、ちっぽけな孤児院の食堂で珍しい食事を作って、調理師の真似事をしてるそうだな?」

 喧嘩腰の言葉に、ネレの眉間に皺が寄り、感情的になったルノンが思わず口を開いた。

「わ、わたしは別に――――フグッ!」

 ルノンの背中におぶさっていたネレが、両手でルノンの口を塞いだのだ。

 再びネレがルノンの耳元に囁く

「ちょうはつでしゅ、のってはだめ・・・」

 くぅ・・・と、歯を食いしばり、ふるふると赤茶の瞳を潤ませた。

 これは只の意地悪ではない。

 ルノンもネレもそれはわかっていた。

「ははぁ、やっぱアンタか・・・ルノンおじょーちゃん?」

「・・・もう、なんなのよ」

「俺はあ・・・ルノンおじょーがさ、いったい誰に習ったのか知りたいワケよ? だってだよ“料理の才”がないヤツが俺たち調理師よりうまい食事を作る? そんなの信じられっか!」

「ぐぶぅ・・・う、う、う、うわぁあ~~~~ん!!」

 ネレは赤ん坊泣きでこの場を何とか切り抜ける作戦に出た。

「うわ!ニジェルさんいい加減にして下さいよ! 赤ちゃん泣いちゃったじゃないですか」

「くそっ、ガキがうっせえ・・・なんでこんなところに赤ん坊なんて連れてくるんだよ! 目障りだっ」

 ニジェルがネレの泣き声に耳を塞ごうと両手をかまえた瞬間――――。

「ごめん、ネレ! ここは孤児院料理当番代表としてちゃんと言わせて!」

 その言葉を聞いて、ネレはピタリと口を閉じた。

「なに!?」

「今のなに!!」

 シャドンが急に左右に頭を振って周りを確認した。「赤ん坊に何かあったのか?」・・・と。

 ルノンの滲んだ涙もすうっとひいていく。

 赤茶色の瞳が透明感を増し、まるで柘榴石(ガーネット)のように(きら)めきはじめた。

 まっすぐと美しい姿勢で胸を張り、ニジェルに向かって人差し指を向け言い放った。

「ニジェル! あなたに調理師の誇りがあるのなら、その“料理の才”が何のために在るのかよく考える事ね! こんなくだらない茶番で“この星の意思の、生命の源と喜び”を(おとし)めるのはお止めなさい!」

 ルノンの怒号に厨房の空気が揺れた。

「そ・・・そんな大きく出るなら、今すぐ料理勝負だ!」

 “料理勝負”と、聞いたネレはピクリと小さな肩を揺らした。

 勝負という事は、成功報酬が存在する・・・と、数秒考える。

「なんでそうなるのよ!!」

 何かを思い付いたネレは、興奮状態のルノンに囁く。

 ルノンはその言葉に、一呼吸おいて頷いた。

「・・・・・・もう、料理勝負して私になんの得があるの?」

 ニジェルが待ってました! と言わんばかりに口の端を吊り上げる。

「え~? どっしよっかなぁ、おじょーちゃんが逃げるってんなら、今度の炎の日に焼くパンは食堂に残ってる古い小麦粉で作ろうかな~?」

「なんですって!」

「食堂の材料の在庫管理は俺の仕事だもん。大体さ、小麦粉を使う順番なんて関係ないし、品質だって同じだろ」

「ひどい・・・小さい子供の食べるパンは新鮮にしたいから、いつも小麦粉を運んできてるのに・・・孤児院の調理場は狭くて、石窯や魔道オーブンは設置できないのに」

「うん、ニジェルさんそれは汚ないッス!」

「サイテーだよ、オッサン!」

 部下から大不評を買った。

「うるせぇ!」

 ――――うん、ガタイがいいし、声も大きい・・・怖いよね、ビビっちゃうよね・・・でも・・・

 ふたりはまるで鏡写しのように虚勢を張っているようだが・・お互いに何か誤解があるのでは? と、ネレは思案する。

 少し前に、ルノンがプラタに接したような態度を、今はニジェルがルノンにしているのだ。

 乱暴な副料理長ニジェルの態度に動揺するルノンの耳元で、ネレは小声でアドバイスをした。

「・・・わかった。勝負の内容はプレーンオムレツ、もしも私が勝ったら・・・」

 ゴクリ、と四人の調理師は唾を飲み込んだ。

「孤児院にパンを作るときの見学許可を正式に出して」

『え? そんなんでいいの!?』

 四人の男の声が重なった。

「ええ、孤児院の子供達に自分たちの口に入るものを勉強させて欲しいの」

『え? マジで要求それでいいの?』

 調理師男子は仲良く意見が一致してるようだ。


 ――――だってこの人、本当は・・・古い小麦粉なんて使う気ないでしょ?

 冷静に考えれば、勝負に負けてもこちらは大して痛手はない・・・問題はルノンの気持ちのあり方であった。

 “こんなやつに、自分が劣っている訳がない”という、根拠のないプライド・・・だから、事あるごとに言葉に棘が出てしまっているニジェルと鏡写しのようだった。

 ついこないだまでの彼女のような・・・目の前の人間にルノンはどう接するのか、自分にどう言い聞かせているのか、それはネレには分からない。

 ネレは軽く頭を振る。

 ――――しかし、このおっさんムカつくな?


 ルノンの背中からネレは外され、かわりにシャドンが身柄を預かった。

「ごめんね、ネレ、すぐ終わるから」

「あぶ!」

 シャドンに抱っこされつつ、ネレはルノンに向かって親指を立てた。

 彼女はネレの琥珀色の瞳を見て頷く。

 部下の調理師二名が困惑しながら小声で話す。

「ねえ、さっきからなんなんだろうあの赤ん坊・・・」

「う~ん“イケてる赤ん坊”・・・かな?」

 ルノンは急きょ白いエプロンを貸してもらい、ウエストの紐をきゅっと結んだ。

 その時、調理師部下三名が「おぉ~!」と、頬を赤らめ「シスター・白エプ・料理萌え!!」と声を発する。

 食堂の給仕の女性はほぼ“おばちゃん”であった為に、久しぶりの潤いに調理場男子は浮かれた。


「卵は三つ、同じ条件だ。調味料は好きなものを使え、俺が許可する」

「トマトと玉ねぎの小さい物をひとつずつ要求します!」

「いいだろう、だが、条件はプレーンオムレツだ」

「中には入れません。調味料を作ります」

「わかった。調理器具も好きなものを使え」

「いつでもどうぞ!」

 部下一名が、勢いよく指笛を吹いた。

 ネレは調理師のシャドンに抱っこされ、意外と居心地の良い特等席に満足していた。

 どうやら女子の細腕よりも安定感が良いようだ。

 ニジェルが流れるような動きで、卵をボールに割り入れ余計な空気が入らないように手早くかき混ぜる。

 さすがプロの調理師、と皆ニジェルの手元を見て感心するが・・・ルノンは手順からまったく違った。

 準備していた熱湯でトマトの皮を湯剥きし、ピューレ状にした。そして玉ねぎをみじん切りにし、トマトと同じボールに容れる。

 ルノンはか細い声を歌うように絞り出した。

「“セッシェ”」

 程よくトマトピューレから水分が奪われ、質量が半分以下になった。

 そこに砂糖・酢・塩・バジルを少々入れて手早く混ぜる。

 オリジナル水魔法のトマトケチャップの出来上がり。

 この間、約3分。

 調理師達は唖然とする。

「なに! 魔法だと?」

 ルノンはフライパンに薄っすらと植物油を塗る。

 それを見ていたニジェルが鼻で笑った。

「そこはバターだろ、まだ卵も割って・・・」

 ルノンが卵を黄身と白身でボールに分け入れ、白身の入ったボールにそっと手を触れた。

「“ミロジェ”」

 ボールの中の白身を一瞬で撹拌し、メレンゲを作り上げた。

「ふわわわわぁっ! なんスかそれ!?」

「真っ白になったぞ?」

「くそっ! なんなんだ、常識無視かよ!」

 その通り、常識完全無視の魔法を使った超時短調理法である。

 元々ルノンは家事の類は得意ではない・・・だが、これが“実験”であり“魔法の効率”を理論的に考えるならば、気持ちが切り替わり、興味を示したのだ・・・ネレ曰く「物は言いよう、捉えよう」である。


 ニジェルが卵の液に塩胡椒を加え、ひと混ぜし、温まったフライパンに材料をいれ、一気に火を通した。

 そこに白ワインを少々振り入れ、ふんわりと甘い香りが厨房に充満した。

「おお、さすが元王宮料理人! いい仕事してるぜ!」

 ルノンはメレンゲのできたボールに黄身の液を入れ、砂糖・塩・胡椒をひとつまみ混ぜた。

 温まったフライパンに、ふんわりとすべての材料を容れ、蓋をする。

「“ヴァプール”!」

 これが最後!と言わんばかりに、赤く煌めいた瞳を大きく開きフライパンの中に蒸気を充満させた。

『うおぉぉぉ! 蒸気を魔法で!?』

 白い皿にポンと、レモンイエローのまぁるいフワフワオムレツが乗り、真ん中にほんの少しの十字を付け、そこにひとさじ分のバターを放り込んだ。

 仕上げに赤いケチャップをかけ、赤と黄色が食欲を誘った。

 ほぼ同時にニジェルの美しいオムレツができあがった。

 三人の調理師の拍手喝采は十数秒続いた。

 シャドンに抱っこされたままだったネレは乗り物酔い状態になり、いい迷惑だった。

 ――――ちょ・・・シャドンさん、酔う、ボク酔っちゃう!

 ニジェルは作り置きの白ワインのホワイトソースをたっぷりかけていた。

「ズルい!」

「鬼畜」

「大人げない」

 三人の部下の上司に対する突っ込みが酷い。


 ニジェルの“王宮料理の王道”といった貫禄のオムレツは、半熟ふわとろ卵に白ワインのホワイトソース。

 対するルノンの作品はフワフワとしたレモンイエローのまあるいオムレツだ。

 そこに赤いケチャップがかかり、食欲をそそる色合いと可愛らしいフォルムに思わずため息をこぼした。

「・・・これは・・・俺の、負けだな・・・」

 両者のオムレツの仕上がりを見て、ニジェルはその場に膝を着いた。

「ええっ! なんで? まだ食べていないのに??」

「食べなくても、見た目と香りでよだれが出てくる」

 一瞬の驚きの直後にルノンは、目を細め口の端をつり上げながらその姿を見下ろしていた。

 これはネレの視線の高さでしか見えなかった。

 ――――ルノンさんや、今アナタどう見ても“悪の総統”の顔してますよ?

 ぱっと可愛らしい笑顔に切り替え、ルノンは言った。

「私の勝ちが決定なら、これ、持って帰っていいですか?」

 さすがにそのセリフにニジェルは顔を上げた。

「食べるに決まってるだろ!」

「ちえ・・・残念、食料・・・あ、ケチャップの残りは!」

「ちょっ、ちょっと待て、まずは皆で試食をしよう!な? 温かいうちにな?」

「ふーん・・・ちなみに燻製塩を使うといいらしいわよ?」

「燻製塩? なんだそれ?」

「ソーセージを燻製するときに、ついでに塩とか胡椒とか燻すと独特な風味がでるの」

「どこでそんな事を?」

「・・・・・・秘密です」

 毎度の事だが、「そこの赤ん坊です」とは答えられない。

 ニジェルとルノンが振り向くと、調理師部下二人はすでに皿とスプーンを人数分準備していた。


 とりあえず試食をした結果「これはまったく違う料理なのでは?」という結論に至った。

 五人とも厨房の丸椅子に腰かけて講評していた。

「う~ん! すごい!さすがは元王宮料理人のオムレツ! サイッコーだわ」

「そ・・・そうか!」

 ニジェルが照れ笑いをした。よく見ればかわいいオッサンである。

 “顔”だけならば――――。

 ネレはシャドンの膝の上で、スプーンでルノンに食べさせてもらっている。

 やはり座り心地もいいらしい。

 だが、ケチャップがちょっと服に付きそうで、恐々しながらゆっくり咀嚼した。

「ネレはこっちのオムレツはだめよ! お酒が入ってるんだから」

「あう~・・・」

 ――――うぬ、すごく残念・・・ぐすん

「なるほどねぇ・・・子供の為に調味料は必要最低限の量なんだな」

「うん、卵も半熟はダメな子もいるから、よく熱を通す為に蒸気を入れたの」

「魔法で?」

「まあ・・・私は水魔法しか使えないから、フライパンの大きさと熱の組み合わせでうまく・・・ね?」

 まさかそこの赤ん坊と、科学実験と魔法の組み合わせを研究したなんて言えない。

「はぁ~、参った! おじょーちゃんスゲーわ、天才か!?」

「・・・ううん。みんなに教わった・・・私の先生は、周りにいる人みんなだわ」

 “ね?”と、ルノンはネレと視線を合わせた。

「くっそ、おじさん土下座級の反省しなきゃだな」

「もう意地悪言わないでね! もう行かなきゃ」

 自分の皿を持ったまま、丸椅子からルノンは立ち上がる。

「あ、お皿は俺が片付けときますよ!」

「ありがとうシャドンさん」

 ルノンはネレをシャドンに背負わせてもらい、抱っこ紐を結わく。

「この抱っこ紐も見たことないな?」

「“裁縫の才”を持ってるシスター仲間に作ってもらったの、これすごく楽ちんなのよ」

「あの・・・な、この不思議なトマトピューレは・・・」

「ああ、はい!」

 ルノンは右の掌をニジェルの顔の前に出した。

「え?」

「大銅貨十枚になります」

 約千円である。

「な、なに!?」

「当たり前でしょ、本当の価値はいくらすると思ってるの?」

 ニジェルはすうっと目を細めて、部下三人の顔を確認した。

「俺、大銅貨四枚出すから、おまえら二枚ずつな!」

 おまえら今、俺らの作ったオムレツ食ったよな?と、目で威圧していた。

『は~い』

 全員ポケットから大人しく大銅貨を二枚ずつだして、一旦ニジェルの掌に置いた。

「ほい」

 ルノンはその大銅貨を笑顔で受け取り、すたすたと厨房の出入り口の扉を目指した。

「パンの見学許可申請よろしくね~、来週末までにはこちら側で書類作っとくから」

「ああ」

 ルノンは悪びれもせず、ネレのおしりをポンポンとたたいた。

「お待たせネレ、報酬は四対一でいいかな?」

「りゅのんよんまいで、ボクよんまいでいいでしゅ」

「あと二枚は?」

「きまってるでしゅ、しすたーカプシーヌでしゅ」

「だよね!」

『・・・・・・!?』

 カラカラカラ・・・と、パンを乗せた乳母車の音が遠のいていった。


 ヌーヴェル城敷地内東側、兵舎食堂の調理師四人は呆然としていた。

 のっそりとした動きでそれぞれ片付けをはじめ、再び肩を寄せ合い、四人仲良く野菜の皮をむきはじめた。

 最初に口を開いたのはシャドンだった。

「実は分かってたんですよねぇ~」

「な・・・何をだ!」

「副料理長、プラタさんの仕返ししようとしたんでしょう?」

「な、な、な、ななななんのことだ!」

「はあ? 副長ばっかじゃないスか? プラタさんとルノンさん、とっくに仲直りしてますよ?」

「えええぇ! そうなのぉ!?」

「まったく、もうちょっと世渡り上手くなって下さいよ。すごい損してますよ副長」

「ああ・・・いつもすまん・・・そして俺は今日、一体何と戦って、何に負けたんだろうか・・・」

 静けさを取り戻した厨房には、シャリシャリとナイフで皮をむく音が響いていた。

「そりゃあ・・・赤ん坊でしょう」

「赤ん坊」

「いや、絶対あの赤ん坊ですよ」

「あの赤ん坊が真のラスボスっぽいよね?」

「俺は・・・一歳未満のお子様に負けた・・・のか?」

『はい』

 部下三人は同時に深く頷いた。

こんばんはもりしたです。

文章が走ってんな~・・・と、反省しつつの表現の加筆しました!

この時はただただ、頭の中の話を取り出したくて息切れしながら書いてました。

やっぱり初心に帰って(まだ初心ですが?)文章は寝かすもんですね。

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