第15話 【墨色の雪と、偽の太陽】 その6
西側から追放された苦い経験のある調理師ニジェルは、赴任してきたばかりは少々拗ねてはいたが、今では自由に料理の研究ができるので、給料は下がったものの西側よりは居心地が良い事に救われていた。
過去に王宮料理人にまでのし上がったはいいが、乱暴な性格と私生活のルーズさで降格され、異動先の騎士寮の食堂では、調理師にも関わらず特殊な戦闘能力があった為に血の気の多い騎士達から練習試合の申し込みが絶えなかった。
ニジェルは立場上、貴族の命令には逆らえず・・・とりあえず片っ端から挑んでくる若造を叩きのめしていた。
そんな騒ぎが度々起こり、困ったことに仕事に集中ができない。
どうにもならず騎士寮食堂の責任者が匙を投げた結果、更なる異動先が兵舎食堂に決定した。
城内の調理師が行き着く先としてはほぼ最底辺である。
そして・・・自分の作った料理よりも孤児院の食事が旨いという、プライドを傷つけられるような事象が発生したのである。
それが水魔法を駆使して鍋を振るうシスターと、不思議な赤ん坊のコンビのせいであった事を知り、今まで自分が信じて積み重ねて来た技術と自信が、一瞬にして宇宙の彼方に飛んで行った・・・。
ニジェルはネレの存在を「もうコイツは俺の理解の範疇外のファンタジーな生物」として受け入れた。
最初はどう扱っていいかわからなかったが、ネレは近所の憎たらしい子供達とは違い、礼儀や距離感を理解している賢い子供だった。
‟マナシ”である上に、無防備で幼いネレが突拍子もない事をしでかし、始終小難しい問題提起をされ悩まされるが、まったく退屈をさせない。
色々拗らせていた中年のニジェルは、若くて恵まれた他人に嫉妬するのも、自分の不遇を悔やむのも、何故だかバカバカしく思えて来るようになっていた。
ネレは調理器具や食材に興味があり、しょっちゅう食堂に忍び込んで来たので、厨房メンバーは調理について説明したり、仮眠室で昼寝をさせたり、餌付けをしたり、新しいレシピのヒントを貰ったりと・・・それなりに親しい関係となった。
ある日、ネレの孤児仲間のセレポレが食堂の手伝いに現れた。
どうやらネレと同じく本名が別にあるらしいが、捨て子のネレとは違い、貴族の落とし子なので詮索はご法度であった。
城内のご立派な孤児院で特別な教育を受けているので、そんじょそこいらの平民の子供とは魔力も頭の作りも違う・・・ただのガキではないとニジェルは感じた。
仮令特殊な事情の孤児と言えど、養子先が13歳までに決定しない場合、将来は自力で稼がねばならないので、子供の頃からの職業教育を城内でも行っている。
その教育プログラムのお陰で、城内孤児院育ちの孤児は就職率100%であった。
セレポレは基本の“器用の才”と“体力の才”を持ち、将来は“才”が更に発達して何に化けるかわからない。
本人の希望は「料理を知りたい」との事だったので、余り人気のない調理場勤務は直ぐに決まった。
その他に城内では幼い子供が働くことのできる荷物の仕分けや、城壁修理の見習い、城内の武器を磨くような下働きもある。
ちなみに・・・世間一般の孤児院では文字の教育などはされず、6歳からの労働と言えば6時間以上、役立つ“才”を持たぬ子供は延々と乾燥レンガをひっくり返す作業などで、かなり過酷な上、低賃金である。
無論、まだそれはマシな方の労働の部類である。
城内で働きながら子供が何かの“才”に目覚めれば、即座に能力に見合った配置換えを行えるというシステムも設けている。
人気のない食堂勤務の志望理由をそれとなく突っ込んで聞いたところ・・・「隣のベッドのネレが、食堂の手伝いに行くと帰って来なくなったから、自分も料理を作れるようになればもう少し一緒に居られるかと思って」・・・と、子供らしく可愛らしいが、動機は極めて不純であった。
東側の兵舎食堂は主に平民の利用者が多く、格式高い貴族が来ることはまずない。
トレフルは城内東側の区域の管理を任されている為、兵舎の設備や共同浴場、食堂の衛生状態など常に目を配っていた。
気が付けば貴族向けの西側食堂よりも、兵舎食堂のニジェルの味付けや、ネレの開発メニューに胃袋を掴まれている。
とりあえず貴族と言う建前があるので、西側食堂にて他の貴族との交流も忘れてはいない。
殆ど職場と自宅の往復であるが、一人で屋敷を維持するのが面倒くさいので、適当に親族達と屋敷を一棟借りて住んでいる。
最近、部下のロティスがトレフルの寝室の向かいにある客室に泊まる事が多い。
朝は叩き起こされ、身支度を手伝われ、夜は残業を取り上げられ、屋敷に送り届けられる事が多かったので、既に叔父や叔母、その他同居者は誰も突っ込まない。
しかも美形のロティスが爽やかに使用人に挨拶をすると、その場に花が咲くように雰囲気が和らぐので、「まあいいか」ぐらいに感じている。
何故か叔母や叔父がロティスに対して歓迎ムードなので、直属の部下なのでそういうものなのだろうと、自分を納得させている。
秘密のティールームに入室の許可を得る為のノックが響いた。
「トレフル様、夕食をお持ちしました。入ってもよろしいでしょうか?」
「わかった、入れ」
ニジェルとルイードが坦々うどんの夕食セットと、飲み物を持ってきた。
トレフルの前に夕食の食器がきれいに並べられていく。
無論、貴族用にチキンのオーブン焼きやサラダなども美しく盛られている。
ニジェルはトレフルの前に、紅茶・常温の水・ワインのグラスを置いた。
「ニジェルさんその白ワイン・・・」
ネレがニジェルの顔を見上げる。
「いいんだ」
「これは良い香りのするワインだな、しかし通常は付かないはずだ」
「本日はデザートが無いので、その代わりにサービスです」
ニジェルはそう言って、開けたてのワインをグラスに注ぎ、ボトルごとテーブルに置いた。
「賄賂の間違いだろう?」
「お察し下さい・・・ネレとは“秘密”を守ると契約書まで我々は交わしているんです」
「両方だな、ネレ自身も、ネレの秘密も・・・経理の方には今回の帳簿記入は、私がたまたまアドバイスをしたと言っておいた」
「流石はトレフル様、ありがとうございます」
ニジェルとルイードは深く頭を下げた。
「ごめんなさい。今回は調子に乗って知識をひけらかすような真似をしてしまいました・・・以後、気を付けます」
ネレもペコリと頭を下げた。
――――ボクの知識公開はどこまでオッケーなんだろうか・・・
いっその事トレフルに全て話してしまおうかとも思ったが、中途半端な記憶以外は証拠など何もなかった。
そう、前世の記憶の証明など・・・愚かな事だ。
ただの狂言だと思われるであろうと考え、今は目の前の問題解決に向けて努める覚悟をした。
トレフルはそっと目を伏せ、食事の前の祈りを捧げた。
そして、素早く坦々うどんをフォークに絡ませながら口に運んだ。
口に入れた途端、一瞬動きを止めたが・・・再び無言で食事に集中した。
――――何故か、うどんを食べる時にみんな一瞬無言になるな・・・
秘密のティールームは、魔道具のお陰で夜も字が読める程に部屋は明るい。
「ネレ・・・ミルクティーだ」
そう言ってルイードがカップにブランデーを数滴垂らした紅茶をネレの前に出した。
「ありがとうございます! いただきま~す」
甘めのミルクティーをふうふうと冷ましながら、夢中で飲み始めた。
砂糖も蜂蜜も結構な贅沢品であり、ネレは甘いものを手に入れる為に厨房に良く顔を出していた・・・子供の特権を使い、厚かましいのは百も承知の上である。
採取の森での甘い果実は主に小動物との奪い合いだ。
それらを搔き集め、孤児院へと持って帰りミックスジャムなどを作り孤児院の食事に出したりもする。
飴玉をシャドンに貰えば、水で溶かしたり砕いたりして子供同士でチビチビと分け合う。
しかし、トレフルの手伝いをすれば高級なお菓子がどこからともなく出てくる。
残念ながらそれは持って帰って分けようとすると粉になってしまう上、かなり勿体ないので素直にその場で戴いている。
ネレは臨時の文官見習いの時に支給される食券を利用していたが、昼食以外ではなるべく食堂には立ち入らないようにしていた。
セレポレが食堂の厨房で仕事を始めた事もあって、余計なプレッシャーを掛けたくなかった。
心境はまるで弟の成長を見守る姉か、息子を心配する母である。
そんなセレポレが・・・生死も発表されていない状況に、ネレの頭の暴走スイッチが“ON”になってしまっていた。
「ふむ・・・この麺はなかなか良い食感だ。ネレ、私はパスタが好きなのだが、何か新しい味付けのアイディアはあるか?」
ニジェルとルイードの期待の視線がネレに刺さった。
「いやボク・・・こっちのパスタは馴染みがないんで・・・」
「こっちのパスタ?」
「あ、いえ・・・その、白月亭で食べたのはトマトと鶏肉のスープパスタでしたし、パスタの基本が良く分からないんです」
「パスタは普通スープ・・・いや、ソースもかけるな」
「では、オリーブオイルで炒めてベーコン・タマネギ・キノコ・ピーマンを使ってケチャップで味付けとかどうでしょうか?」
「なに! パスタを炒めるってなんだ? ケチャップで味付け? あの赤いソースか!」
ニジェルが目を見開いた。
「そーです、それにパセリとかバジルとか、すりおろしたチーズとかも合うと思います」
ふと、そう言った後に「タバスコはないが唐辛子オイルは直ぐに作れるはず」とネレは思い付いたのだったが・・・既にそれはあると教えられた。




